翌日の放課後、千聖は花音をいつものカフェに呼び出した。
LINEを送ったのは昼休みだった。
「放課後、時間ある?」と送ると、すぐに「あるよ! 何かあった? 顔がいつもより楽しそうだったけど」と返ってきた。
授業中に顔に出ていたらしい。
千聖は少し反省しながら、「色々と報告があるわ」と返した。
花音からは「絶対行く!!!」とだけ返ってきた。
カフェに着くと、花音はすでに来ていた。ミルクティーを両手で包んで、千聖が入ってくるのを今か今かと待っていた。
「千聖ちゃん! 顔が昨日と全然違うよ、何かあったの?!」
「座って、花音」
「だって気になって。ね、何があったの?」
千聖は紅茶を注文してから、花音の向かいに腰を下ろした。花音はもうにこにこしていた。
「……昨日、修司さんに会ってきたの」
「うんうん!」
「行きつけのお店に、いくつか連れていってもらって」
「えっ」花音の目が輝いた。「どこどこ?!」
「まず、小料理屋さんに」
「小料理屋! どんなお店?」
「細い路地の奥にある、小さなお店で。女将さんがいてね」
「女将さん!」
「高校生の頃から通っているらしくて。修司さんが道を間違えて入ったら、女将さんにやたら話しかけられて、でも料理が美味しかったからそのまま通い続けているって」
花音がくすくす笑った。
「なんか、修司さんらしいね」
「そうでしょう。で、その女将さんがね」
千聖は少し間を置いた。
「修司さんのことを、学生の頃から知っているから、気安くて。私のことを見るなり、新しい彼女って言ったの」
花音が、カップを持ったまま止まった。
「……え」
「新しい彼女って言われて。修司さん、真っ赤になってそっぽを向いて」
「真っ赤に!?」
「耳がね、赤くなって。からかい上手の修司さんが、女将さんの前では全然違って」
「可愛い!!!」
花音の声が上がって、千聖は思わず「声」と言った。花音が慌てて口を押さえた。
「ごめん。でも可愛いよ、それ! 修司さんにも照れるところがあったんだね」
「私も初めて見たわ、あんな顔」
「女将さん、なんて言ったの?」
「大事にしなさいよ、って」
「うわあ」花音の目が潤んだ。「いいなあ。修司さん、なんて言ったの?」
「わかってる、って」
今度こそ、花音がハンカチを取り出した。
「……千聖ちゃん」
「泣かないでよ、花音」
「だって、わかってるって言ったんだよ? それって、大事にするってことだよ」
千聖は視線を落とした。わかってる。あの一言の重さを、昨夜からずっと反芻していた。
「……そうね」
「よかったね、千聖ちゃん」
花音がハンカチで目元を押さえながら言った。千聖は紅茶を一口飲んで、続けた。
「それからね、川沿いを歩いて」
「紅葉、綺麗だったでしょ」
「ええ。その時にね、聞いてみたの。誕生日と、好きな食べ物と、休日の過ごし方」
花音が目を丸くした。
「聞けたの?! 前に、聞いてみるって言ってたやつ!」
「ええ。ちゃんと答えてくれたわ」
「何て言ってたの? 教えて教えて!」
千聖は一つずつ話した。一月十五日の誕生日。好きな食べ物はもつ煮とコーヒー。休日は散歩か、推理小説を読む。
花音は一つ一つにリアクションをした。
「一月! 冬生まれなんだね」
「そうね」
「もつ煮! 渋い! でも似合う」
「でしょう。あと、コーヒーが好きって言っていたけど、砂糖二つのコーヒーは別だって」
「砂糖二つのコーヒーは別?!」
「千聖のために淹れてるやつだから、って感じで」
花音がまたハンカチを取り出した。
「もう……。それって、完全に千聖ちゃんのコーヒーだよ。修司さんの中で特別になってるんだね」
「……そうかもしれないわ」
「推理小説! 渋いね、でも似合う。休日に一人で歩きながら、推理小説読んで」
「歩きながらは読まないと思うけれど」
「まあそれは置いといて」花音がくすくす笑った。「なんか、修司さんって、千聖ちゃんから聞いてたイメージよりずっと、人間らしいね」
「人間らしい?」
「うん。道を間違えて入ったお店に通い続けるとか、好きな食べ物がもつ煮とか、女将さんに照れるとか。なんか、かっこいいだけじゃなくて、ちゃんとそういうところもあるんだなって」
千聖は少し考えた。人間らしい。そうかもしれない。千聖が知っていた修司は、余裕があって、からかい上手で、一言で千聖のポーカーフェイスを崩す人だった。でも昨日の修司は、それだけじゃなかった。
「……ええ。私もそう思ったわ。知らない修司さんが、たくさんいて」
「でも、知れてよかったね」
「ええ。花音に言われなかったら、聞けていなかったと思うから。ありがとう」
花音が嬉しそうに笑った。
「あとね」千聖は続けた。「物静かなカフェにも連れていってもらって」
「どんなカフェ?」
「窓から紅葉が見えて、とても静かで。修司さんのお気に入りのカフェで」
「いいなあ」
「そこでね、紅茶を頼んだら、すごく美味しくて」
「紅茶! 千聖ちゃんのために選んでくれたの?」
「ええ。千聖が紅茶好きだから、美味しい店を探したって」
「うわあああ」
花音の声が、また上がった。千聖が「花音」と言うと、花音は慌てて口を押さえた。
「ごめん。でも、それって、千聖ちゃんのために調べてたってことだよ。いつから調べてたの?」
「気づいたら、って言ってたわ」
「気づいたら調べてた!!!」
「声」
「ごめんって。でもそれ、完全に好きじゃないとできないことだよ」
千聖は視線を落とした。好き。その言葉が、胸の奥にじんわりと沁みた。
「……そうかしら」
「そうだよ絶対。あと、夜はどうしたの?」
「隠れ家みたいなバーに連れていってもらって」
「バー!」
「静かで、ジャズが流れていて。修司さんが一人でスケッチをしに来る場所らしくて」
「スケッチしながらバー! 渋い!!」
「マスターも修司さんのことを知っていて、今日はお連れ様がいてよかったですね、って言ったら、修司さんがまたそっぽを向いて」
花音がまたくすくす笑った。
「行く先々でからかわれてるじゃん」
「そうなのよ。女将さんも、マスターも、みんなさりげなく修司さんをからかうの」
「それで修司さんはそっぽを向くんだね」
「ええ。それを見ていたら、なんか……」
千聖は少し言葉を探した。
「修司さんのことが、もっと好きになってしまったわ」
花音が、ふわりと笑った。
「そうだよね。千聖ちゃんしか知らない修司さんもいるけど、周りの人が大事にしてる修司さんもいて。そういうの、ちゃんと知れてよかったね」
千聖はカップを両手で包んだ。
「……ええ。昨日、修司さんが言っていたの。自分のことを聞いてくる人間が、あまりいなかったって」
「……そっか」
「だから、聞けてよかったって思って」
花音は少し黙って、やわらかく言った。
「千聖ちゃんって、修司さんのことをちゃんと見てるよね」
「……そうかしら」
「うん。好きな人のことを、ちゃんと知りたいって思って、聞いて。それって、すごく大事なことだと思う」
千聖は視線を落とした。
「……まだ、知らないことの方が多いけれど」
「それはこれから知っていけばいいんだよ。時間はあるよ」
時間はある。その言葉が、静かに胸に落ちた。ゆっくりでいい。一つずつ知っていけばいい。修司は「どうぞ」と言ってくれた。
「……花音」
「なに」
「また惚気てしまったわね」
花音がくすくす笑った。
「惚気じゃないって言わないの?」
「……今日は、惚気だと思うわ」
「珍しい」
「昨日が楽しすぎて、誰かに話したかったの」
花音は嬉しそうに笑った。
「いつでも話して。千聖ちゃんの惚気、大好きだから」
「惚気って言うのをやめなさい」
「だって惚気だもん」
千聖は小さく息を吐いて、紅茶を一口飲んだ。温かくて、昨日カフェで飲んだ紅茶を少し思い出した。
窓の外の夕暮れが、橙色に染まっていた。
——また、行きたいな。修司さんの好きな場所に。
今度は、どんな話が聞けるだろう。
その答えを探すのが、少し楽しみだった。