砂糖二つの特等席   作:y@s

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第37話 写真のこと、花音には言わなかった—言えなかった

 

 

冬休みが明けた。

 

三学期が始まって、千聖は久しぶりに制服を着た。年末年始、冬休みの間は撮影とイベントで、学校に行けない日が多かった。クラスメイトの顔を見るのも、ずいぶん久しぶりな気がした。

 

千聖はイヤホンをして、通学路を歩いた。

 

流れているのは、修司からもらったインディーズのバンドの曲だった。音質は少し粗い。でも、そこがいい。ライブハウスの熱気が、そのまま録音されているみたいで。

 

修司さんが高校生の時に好きだった曲

 

思いながら歩くと、いつもより通学路が短く感じた。

 

冬の空気が冷たかった。でも、耳の中は熱かった。校門をくぐった。クラスメイトに声をかけられた。「久しぶり」「テレビ見たよ」「お正月どうしてた」。千聖はいつも通りに笑って、答えた。

 

でも、イヤホンは片方だけ、耳に入れたままにしていた。

 

 

授業が始まった。

 

最初の授業は現代文だった。先生が板書をしている間、千聖はノートを取りながら、頭の片隅で別のことを考えていた。

 

修司さん、今日は何をしているかしら。

 

アトリエで仕事をしているだろうか。それとも、生地を見に出かけているだろうか。

 

千聖は意識を板書に戻した。

 

 

休み時間

 

隣の席の子が話しかけてきて、しばらく話した。年末年始の話、冬休み中の話、お正月どこ行ったかの話。千聖はいつも通りに受けて答えていた。

 

隣の子が「ちょっとトイレ行ってくる」と席を立った。

 

千聖は机の上のスマートフォンを、なんとなく手に取った。

 

ロック画面を解除した。

 

ホーム画面に、この前撮った写真がある。待ち受けにしていた。

 

修司さんが窓の方を向いている写真。横顔に冬の光が当たっていて、静かな顔をしている。

 

——かっこいい。

 

見るたびに思う。我ながら単純だと思うけれど、思ってしまうから仕方ない。

 

それから、もう一枚の写真のことを思い出した。

 

アルバムを開いた。

 

修司が腰を抱き寄せて撮った写真。涼しい顔の修司と、真っ赤な千聖。

 

——本当に真っ赤だった。

 

見るたびに恥ずかしくなる。でも、消せない。消したくなかった。

 

千聖は口元がゆるんでいくのを、止められなかった。

 

「千聖ちゃん」

 

「——っ!」

 

花音の声が、真横から聞こえた。

 

千聖は反射的にスマートフォンを裏返した。

 

「な、なに」

 

「何見てたの」

 

「なんでもないわ」

 

「顔がゆるんでた」

 

「ゆるんでない」

 

「ゆるんでた。ニヤニヤしてた」

 

「してない」

 

花音が千聖の隣の席に座って、じっと顔を見た。

 

「千聖ちゃん、顔が赤い」

 

「きっ気のせいよ」

 

「気のせいじゃない。スマホ、見せて」

 

「見せない」

 

「なんで」

 

「なんでもないから」

 

「なんでもないなら見せれるでしょ」

 

千聖は黙った。

 

花音が目を細めた。

 

「……修司さん関係?」

 

千聖は答えなかった。

 

「答えないってことは、そうなんだ」

 

「違うとは言ってない」

 

「肯定じゃない」

 

「……花音」

 

「放課後、カフェ行こう」

 

有無を言わせない口調だった。千聖は小さくため息をついた。

 

「はぁ……わかったわ」

 

 

放課後、いつものベーカリーカフェ。いつもの席。

 

花音がホットミルクを両手で包んで、千聖の向かいに座った。目がきらきらしていた。

 

「で、何を見てたの」

 

「……写真」

 

「修司さんの?」

 

千聖は紅茶を一口飲んだ。

 

「……そうよ」

 

「撮ったの?」

 

「……撮った」

 

花音の目が、さらに輝いた。

 

「見せて」

 

「……」

 

「ねえ、見せて」

 

「……横顔のやつだけ」

 

千聖はスマートフォンを出して、窓の方を向いている写真だけを花音に見せた。

 

花音が画面を見た。しばらく沈黙した。

 

「……」

 

「なに」

 

「かっこいい」

 

「……そう」

 

「すごくかっこいい。千聖ちゃんが好きになるのわかる」

 

「花音」

 

「二十八歳ってこういう感じなんだ……」花音がしみじみと言った。「大人だね」

 

「そうね」

 

「他にも撮ったの?」

 

千聖は少し間を置いた。

 

「……一枚だけ」

 

「見せて」

 

「これは見せない」

 

「なんで」

 

「恥ずかしいから」

 

花音の目が、丸くなった。

 

「……千聖ちゃんが恥ずかしいって言う写真」

 

「そういうことじゃなくて」

 

「どういうこと?」

 

千聖は紅茶のカップを両手で包んだ。少し間を置いてから、言った。

 

「……悪のりして、腰を抱き寄せられて、一緒に撮られた」

 

花音が、固まった。

 

三秒くらい、何も言わなかった。

 

「……え」

 

「だから、恥ずかしくて見せられないの」

 

「こ、腰を……」

 

「急に来るんだもの。びっくりして真っ赤になってて」

 

「そ、そのまま写真に……」

 

「そう」

 

花音がテーブルに両手をついた。

 

「千聖ちゃん」

 

「なに」

 

「それ、もう付き合ってるのと同じじゃない?」

 

「付き合ってないわ」

 

「でも腰!」

 

「悪のりって言ったでしょう」

 

「悪のりで腰抱く男の人が悪のりで済むと思う?」

 

千聖は答えなかった。

 

「……思わないでしょ」花音がにっこりしながら言った。「千聖ちゃん、修司さんに好かれてる」

 

「……知ってる」

 

「知ってるんだ」

 

「だから、余計に、写真消せないのよ」

 

花音が、じわじわと笑顔になった。

 

「見たい」

 

「見せない」

 

「ちょっとだけ」

 

「絶対に見せない」

 

「なんで」

 

「花音に見せたら、なんか、違う気がして」千聖は少し視線を落とした。「……私だけのものにしておきたい」

 

花音は一瞬黙って、それから、ふわりと笑った。

 

「……わかった。見ない」

 

「ありがとう」

 

「でも千聖ちゃん」

 

「なに」

 

「その写真のこと、ずっとニヤニヤしながら思い出してたんでしょ」

 

千聖は答えなかった。

 

「休み時間、ずっとそういう顔してたよ」

 

「……見てたの」

 

「うん」花音が嬉しそうに言った。「かわいかった。千聖ちゃんがあんな顔するの、修司さんの前でしか見れないと思ってたから」

 

千聖は耳が熱くなった。

 

「……教室でしてたの」

 

「してた」

 

「恥ずかしい」

 

「でも幸せそうだったよ」

 

千聖は紅茶を一口飲んで、窓の外を見た。

 

冬の夕方の光が、街を静かに照らしていた。

 

「……幸せよ」

 

小さく、言った。

 

花音が「うん」と笑った。

 

ホットミルクの湯気が、二人のテーブルにゆっくりと立ち上っていた。

 

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