冬休みが明けた。
三学期が始まって、千聖は久しぶりに制服を着た。年末年始、冬休みの間は撮影とイベントで、学校に行けない日が多かった。クラスメイトの顔を見るのも、ずいぶん久しぶりな気がした。
千聖はイヤホンをして、通学路を歩いた。
流れているのは、修司からもらったインディーズのバンドの曲だった。音質は少し粗い。でも、そこがいい。ライブハウスの熱気が、そのまま録音されているみたいで。
修司さんが高校生の時に好きだった曲
思いながら歩くと、いつもより通学路が短く感じた。
冬の空気が冷たかった。でも、耳の中は熱かった。校門をくぐった。クラスメイトに声をかけられた。「久しぶり」「テレビ見たよ」「お正月どうしてた」。千聖はいつも通りに笑って、答えた。
でも、イヤホンは片方だけ、耳に入れたままにしていた。
授業が始まった。
最初の授業は現代文だった。先生が板書をしている間、千聖はノートを取りながら、頭の片隅で別のことを考えていた。
修司さん、今日は何をしているかしら。
アトリエで仕事をしているだろうか。それとも、生地を見に出かけているだろうか。
千聖は意識を板書に戻した。
休み時間
隣の席の子が話しかけてきて、しばらく話した。年末年始の話、冬休み中の話、お正月どこ行ったかの話。千聖はいつも通りに受けて答えていた。
隣の子が「ちょっとトイレ行ってくる」と席を立った。
千聖は机の上のスマートフォンを、なんとなく手に取った。
ロック画面を解除した。
ホーム画面に、この前撮った写真がある。待ち受けにしていた。
修司さんが窓の方を向いている写真。横顔に冬の光が当たっていて、静かな顔をしている。
——かっこいい。
見るたびに思う。我ながら単純だと思うけれど、思ってしまうから仕方ない。
それから、もう一枚の写真のことを思い出した。
アルバムを開いた。
修司が腰を抱き寄せて撮った写真。涼しい顔の修司と、真っ赤な千聖。
——本当に真っ赤だった。
見るたびに恥ずかしくなる。でも、消せない。消したくなかった。
千聖は口元がゆるんでいくのを、止められなかった。
「千聖ちゃん」
「——っ!」
花音の声が、真横から聞こえた。
千聖は反射的にスマートフォンを裏返した。
「な、なに」
「何見てたの」
「なんでもないわ」
「顔がゆるんでた」
「ゆるんでない」
「ゆるんでた。ニヤニヤしてた」
「してない」
花音が千聖の隣の席に座って、じっと顔を見た。
「千聖ちゃん、顔が赤い」
「きっ気のせいよ」
「気のせいじゃない。スマホ、見せて」
「見せない」
「なんで」
「なんでもないから」
「なんでもないなら見せれるでしょ」
千聖は黙った。
花音が目を細めた。
「……修司さん関係?」
千聖は答えなかった。
「答えないってことは、そうなんだ」
「違うとは言ってない」
「肯定じゃない」
「……花音」
「放課後、カフェ行こう」
有無を言わせない口調だった。千聖は小さくため息をついた。
「はぁ……わかったわ」
放課後、いつものベーカリーカフェ。いつもの席。
花音がホットミルクを両手で包んで、千聖の向かいに座った。目がきらきらしていた。
「で、何を見てたの」
「……写真」
「修司さんの?」
千聖は紅茶を一口飲んだ。
「……そうよ」
「撮ったの?」
「……撮った」
花音の目が、さらに輝いた。
「見せて」
「……」
「ねえ、見せて」
「……横顔のやつだけ」
千聖はスマートフォンを出して、窓の方を向いている写真だけを花音に見せた。
花音が画面を見た。しばらく沈黙した。
「……」
「なに」
「かっこいい」
「……そう」
「すごくかっこいい。千聖ちゃんが好きになるのわかる」
「花音」
「二十八歳ってこういう感じなんだ……」花音がしみじみと言った。「大人だね」
「そうね」
「他にも撮ったの?」
千聖は少し間を置いた。
「……一枚だけ」
「見せて」
「これは見せない」
「なんで」
「恥ずかしいから」
花音の目が、丸くなった。
「……千聖ちゃんが恥ずかしいって言う写真」
「そういうことじゃなくて」
「どういうこと?」
千聖は紅茶のカップを両手で包んだ。少し間を置いてから、言った。
「……悪のりして、腰を抱き寄せられて、一緒に撮られた」
花音が、固まった。
三秒くらい、何も言わなかった。
「……え」
「だから、恥ずかしくて見せられないの」
「こ、腰を……」
「急に来るんだもの。びっくりして真っ赤になってて」
「そ、そのまま写真に……」
「そう」
花音がテーブルに両手をついた。
「千聖ちゃん」
「なに」
「それ、もう付き合ってるのと同じじゃない?」
「付き合ってないわ」
「でも腰!」
「悪のりって言ったでしょう」
「悪のりで腰抱く男の人が悪のりで済むと思う?」
千聖は答えなかった。
「……思わないでしょ」花音がにっこりしながら言った。「千聖ちゃん、修司さんに好かれてる」
「……知ってる」
「知ってるんだ」
「だから、余計に、写真消せないのよ」
花音が、じわじわと笑顔になった。
「見たい」
「見せない」
「ちょっとだけ」
「絶対に見せない」
「なんで」
「花音に見せたら、なんか、違う気がして」千聖は少し視線を落とした。「……私だけのものにしておきたい」
花音は一瞬黙って、それから、ふわりと笑った。
「……わかった。見ない」
「ありがとう」
「でも千聖ちゃん」
「なに」
「その写真のこと、ずっとニヤニヤしながら思い出してたんでしょ」
千聖は答えなかった。
「休み時間、ずっとそういう顔してたよ」
「……見てたの」
「うん」花音が嬉しそうに言った。「かわいかった。千聖ちゃんがあんな顔するの、修司さんの前でしか見れないと思ってたから」
千聖は耳が熱くなった。
「……教室でしてたの」
「してた」
「恥ずかしい」
「でも幸せそうだったよ」
千聖は紅茶を一口飲んで、窓の外を見た。
冬の夕方の光が、街を静かに照らしていた。
「……幸せよ」
小さく、言った。
花音が「うん」と笑った。
ホットミルクの湯気が、二人のテーブルにゆっくりと立ち上っていた。