砂糖二つの特等席   作:y@s

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第41話 だらしない人への、ちいさな計画

 

四月になった。

千聖は二年生になった。

教室が変わり、下駄箱の位置が変わったけれど、なんとなく去年とは違う空気を感じていた。

 

昼休み、中庭で、千聖は花音とお弁当を広げていた。

 

「千聖ちゃんの卵焼き、また綺麗になったね」

花音が、千聖の弁当箱を覗き込みながら言った。

「……そう、かな」

「うん。最初の頃に比べて、最近は綺麗に巻いてある感じ。千聖ちゃんも料理上手になったよねえ」

花音は箸を咥えたまま、にやりと笑った。

「なんか、若奥様みたいじゃない?」

「っ……花音」

千聖は顔を赤くして

「からかわないで」

「からかってないもーん。褒めてるの」

花音がけらけらと笑う。

千聖は誤魔化すように、お茶を一口飲んだ。

 

——若奥様、か。

自分でも、否定しきれないところがあった。

事の始まりは、一月の半ば。修司の誕生日だった。

その少し前、千聖はアトリエで、あるものを見つけていた。

ゴミ箱に、ハンバーガーの包み紙が何枚も丸めて捨てられていた。冷蔵庫を開けても、栄養ドリンクとエナジーバーばかりが並んでいた。まともな食材は、ほとんど見当たらなかった。

——修司さん、本当にこんな生活してるんだ。

千聖は、それまで漠然と「忙しい人だから」と思っていたことが、思っていた以上に酷いのだと知った。

誕生日プレゼントに何を贈るか、ずっと迷っていた千聖だったが、その光景を見てから、答えは自然と決まった。

服でも、時計でも、アクセサリーでもない。ちゃんとした、栄養のある食事。

「お弁当、修司さんに?」

唯は、キッチンで千聖の話を聞いて、目を丸くした。

「うん……変、かな」

「ううん、素敵だと思うわよ」

唯は微笑みながら、冷蔵庫を開けた。

「でも千聖、卵焼き以外はまだあんまり作ったことないでしょう。今日は特訓しよっか」

「お願いします……」

「彩りも大事よ。茶色いおかずばっかりだと、美味しそうに見えないの」

唯は手際よく野菜を切りながら、ちらりと千聖を見た。

「それにしても」

「なに?」

「なんだか、花嫁修行でも始めたのかと思っちゃった」

「かっ、母さん……!」

千聖の顔が、みるみる赤くなった。唯は楽しそうに笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。

その日から数日、千聖は唯に教わりながら、こっそり練習を重ねた。卵焼き、煮物、唐揚げ——不格好なものも多かったけれど、少しずつ、様になってきた。

誕生日の夜、千聖はアトリエの扉を、いつもより緊張しながら開けた。

「修司さん、こんばんは」

「ああ、来たか」

修司は机に向かっていたが、千聖の手にある包みに気づいて、少し目を細めた。

「それは?」

「お誕生日、おめでとうございます」

千聖は包みを差し出した。手が、少し震えていた。

修司が包みを開くと、中から現れたのは、二段の弁当箱だった。

「……弁当?」

「はい」

千聖は俯きがちに、早口になった。

「服とか時計とか、色々考えたんですけど……修司さん、ゴミ箱、ハンバーガーの包み紙ばっかりだったので」

修司の表情が、少し止まった。

「見たのか」

「見ました。冷蔵庫の中身も」

「……それは、気まずいな」

「だから、これにしました。ちゃんと栄養のあるもの、食べてください」

修司は、しばらく何も言わずに弁当箱を見つめていた。

「千聖が、作ったのか」

「はい。母に教わりながら……下手かもしれないですけど」

「開けていいか」

「どうぞ」

蓋を開けると、彩りよく詰められたおかずが並んでいた。卵焼き、唐揚げ、彩り野菜、おにぎりが。不揃いなところもあったが、丁寧に作られたのが、一目でわかった。

修司は、しばらく何も言わなかった。

「……ありがとう」

低い声だった。それだけで、千聖には十分だった。

「食べてください」

「ああ」

修司が箸を取ろうとしたとき、千聖はふと、思いついたように動いた。卵焼きを一切れ、箸でつまむ。

「修司さん、あーん」

言ってから、自分の言葉に千聖の顔が赤くなった。

「……あの、忘れてください」

「いや」

修司が、千聖の手首を軽く掴んだ。

「言ったからには、最後までやれ」

「え……でも」

「千聖」

名前を呼ばれて、千聖は覚悟を決めた。震える手で、卵焼きを修司の口元に運んだ。

修司は、少し目を伏せて、それを食べた。

「……甘い」

「砂糖、ちょっと多めに入れました」

「知ってる。千聖の好みだろう」

修司の口角が、わずかに上がった。

「美味い」

たった一言だったが、千聖の胸に、じんわりと熱が広がった。

「……お返しだ」

修司が、唐揚げを一つ、箸でつまんだ。口の端が、悪戯っぽく上がっていた。

「え?」

「せっかく千聖に食べさせてもらったんだ。俺もやってみたくなった」

「そ、それは別に、無理しなくても……」

「無理してない。むしろ楽しんでる」

悪びれもせず、修司はそう言った。

「千聖」

名前を呼ばれて、千聖は動きを止めた。修司が、唐揚げを差し出してくる。逃げ場がなかった。

「……ほら、あーん」

からかうような声だった。千聖は真っ赤になりながら、目を閉じて、小さく口を開けた。修司の指先が、少しだけ唇に触れた。

「っ……」

千聖の顔が、耳まで赤くなった。唐揚げの味なんて、ほとんどわからなかった。

「美味いか」

「……美味しい、です」

「そうか」

修司は満足そうに笑って、また自分の箸を弁当に伸ばした。愉快そうな顔を、隠そうともしなかった。千聖だけが、まだ顔を赤くしたまま、俯いていた。

——ずるい。修司さん、絶対わざとやってる。

そう思いながらも、千聖は嫌ではなかった。むしろ、胸の奥が温かくて、少しくすぐったかった。

アトリエの中には、二人分の、ささやかな誕生日の時間が流れていた。

それから千聖は、時間に余裕のある日は、修司の分と自分の分、二つの弁当を作るようになった。もちろん、唯の指導は今も続いている。

「千聖ちゃん、今日のお弁当も気合入ってるね」

花音の声で、千聖は回想から我に返った。

「……ちょっと入れすぎたかも」

「あはは。でもいいんじゃない、そういうの」

花音は卵焼きを一つ、千聖の弁当からつまみ食いした。

「あ、花音」

「一個だけ! ね、千聖ちゃん」

「……もう」

千聖は苦笑しながら、自分の卵焼きを一つ、花音の弁当箱に移した。

「そういえばさ」花音が、口をもぐもぐさせながら言った。「彼氏いたら、私も花嫁修行しようかな」

「花音には気の早い話じゃない?」

「千聖ちゃんに言われたくないんだけど!」

二人は顔を見合わせて、笑った。

四月の風が、階段の踊り場を吹き抜けていった。桜の花びらが、まだ少しだけ、空を舞っていた。

 

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