砂糖二つの特等席   作:y@s

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第41話 だらしない人へのちいさな計画

 

四月になった。

千聖は二年生になった。

教室が変わり下駄箱の位置が変わったけれど、なんとなく去年とは違う空気を感じていた。

 

昼休み中庭で千聖は花音とお弁当を広げていた。

 

「千聖ちゃんの卵焼き、また綺麗になったね」

花音が千聖の弁当箱を覗き込みながら言った。

 

「……そう、かな」

 

「うん。最初の頃に比べて、最近は綺麗に巻いてある感じ。千聖ちゃんも料理上手になったよねえ」

 

花音は箸を咥えたままにやりと笑った。

「なんか、若奥様みたいじゃない?」

 

「っ……花音」

 

千聖は顔を赤くして

「からかわないで」

 

「からかってないもーん。褒めてるの」

花音がけらけらと笑う。

千聖は誤魔化すように、お茶を一口飲んだ。

 

——若奥様、か。

自分でも、否定しきれないところがあった。

 

*

 

事の始まりは一月の半ば。修司の誕生日だった。

その少し前、千聖はアトリエであるものを見つけていた。

ゴミ箱に、ハンバーガーの包み紙が何枚も丸めて捨てられていた。

冷蔵庫を開けても栄養ドリンクとエナジーバーばかりが並んでいた。

まともな食材はほとんど見当たらなかった。

 

——修司さん、本当にこんな生活してるんだ。

千聖はそれまで漠然と「忙しい人だから」と思っていたことが、思っていた以上に酷いのだと知った。

誕生日プレゼントに何を贈るか、ずっと迷っていた千聖だったがその光景を見てから、答えは自然と決まった。

服でも、時計でも、アクセサリーでもない。ちゃんとした、栄養のある食事。

 

*

 

「お弁当、修司さんに?」

唯はキッチンで千聖の話を聞いて目を丸くした。

 

「うん……変、かな」

 

「ううん、素敵だと思うわよ」

唯は微笑みながら冷蔵庫を開けた。

 

「でも千聖、卵焼き以外はまだあんまり作ったことないでしょう。今日は特訓しよっか」

 

「お願いします……」

 

「彩りも大事よ。茶色いおかずばっかりだと、美味しそうに見えないの」

 

唯は手際よく野菜を切りながらちらりと千聖を見た。

 

「それにしても」

 

「なに?」

 

「なんだか、花嫁修行でも始めたのかと思っちゃった」

 

「かっ、母さん……!」

 

千聖の顔がみるみる赤くなった。

唯は楽しそうに笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。

その日から数日、千聖は唯に教わりながらこっそり練習を重ねた。卵焼き、煮物、唐揚げ——不格好なものも多かったけれど少しずつ様になってきた。

 

*

 

誕生日の夜、千聖はアトリエの扉をいつもより緊張しながら開けた。

 

「修司さん、こんばんは」

 

「ああ、来たか」

修司は机に向かっていたが千聖の手にある包みに気づいて、少し目を細めた。

「それは?」

 

「お誕生日、おめでとうございます」

 

千聖は包みを差し出した。手が、少し震えていた。

修司が包みを開くと中から現れたのは、二段の弁当箱だった。

「……弁当?」

 

「はい」

千聖は俯きがちに、早口になった。

「服とか時計とか、色々考えたんですけど……修司さん、アトリエのゴミ箱が、その、ハンバーガーの包み紙ばっかりだったので」

 

修司の表情が少し止まった。

「見たのか」

 

「見ました。冷蔵庫の中身も」

 

「……それは、気まずいな」

 

「だからこれにしました。ちゃんと栄養のあるもの、食べてください」

 

修司は、しばらく何も言わずに弁当箱を見つめていた。

「千聖が、作ったのか」

 

「はい。母に教わりながら……下手かもしれないですけど」

 

「開けていいか」

 

「どうぞ」

蓋を開けると彩りよく詰められたおかずが並んでいた。卵焼き、唐揚げ、彩り野菜、おにぎりが。不揃いなところもあったが丁寧に作られたのが一目でわかった。

修司はしばらく何も言わなかった。

「……ありがとう」

 

低い声だった。それだけで千聖には十分だった。

 

「食べてください」

 

「ああ」

 

修司が箸を取ろうとしたとき千聖はふと、思いついたように動いた。卵焼きを一切れ箸でつまむ。

 

「修司さん、あーん」

 

言ってから自分の言葉に千聖の顔が赤くなった。

「……あの、忘れてください」

 

「いや」

 

修司が千聖の手首を軽く掴んだ。

「言ったからには、最後までやれ」

 

「え……でも」

 

「千聖」

 

名前を呼ばれて千聖は覚悟を決めた。

震える手で卵焼きを修司の口元に運んだ。

修司は少し目を伏せてそれを食べた。

 

「……甘い」

 

「砂糖、ちょっと多めに入れました」

 

「千聖の好みだろう」

 

修司の口角が、わずかに上がった。

「美味い」

 

たった一言だったが千聖の胸にじんわりと熱が広がった。

 

「……お返しだ」

修司が唐揚げを一つ箸でつまんだ。

口の端が悪戯っぽく上がっていた。

 

「え?」

 

「せっかく千聖に食べさせてもらったんだ。俺もやってみたくなった」

 

「そ、それは別に無理しなくても……」

 

「無理してない。むしろ楽しんでる」

悪びれもせず修司はそう言った。

「千聖」

 

名前を呼ばれて千聖は動きを止めた。

修司が唐揚げを差し出してくる。逃げ場がなかった。

 

「……ほら、あーん」

からかうような声だった。

千聖は真っ赤になりながら目を閉じて小さく口を開けた。

修司のはし先が少しだけ唇に触れた。

「っ……」

 

千聖の顔が耳まで赤くなった。

唐揚げの味なんてほとんどわからなかった。

「美味いか」

 

「……美味しい、です」

 

「そうか」

修司は満足そうに笑ってまた自分の箸を弁当に伸ばした。愉快そうな顔を隠そうともしなかった。

千聖だけがまだ顔を赤くしたまま俯いていた。

 

——ずるい。修司さん絶対わざとやってる。

 

そう思いながらも千聖は嫌ではなかった。

むしろ胸の奥が温かくて少しくすぐったかった。

アトリエの中には二人分の、ささやかな誕生日の時間が流れていた。

 

*

 

それから千聖は、時間に余裕のある日、修司の分と自分の分、二つの弁当を作るようになった。もちろん、唯の指導は今も続いている。

 

「千聖ちゃん、今日のお弁当も気合入ってるね」

花音の声で千聖は回想から我に返った。

 

「……ちょっと入れすぎたかも」

 

「あはは。でもいいんじゃない、そういうの」

花音は卵焼きを一つ千聖の弁当からつまみ食いした。

「あ、花音」

 

「一個だけ! ね、千聖ちゃん」

 

「……もう」

千聖は苦笑しながら自分の卵焼きを一つ、花音の弁当箱に移した。

 

「そういえばさ」花音が、口をもぐもぐさせながら言った。「彼氏いたら、私も花嫁修行しようかな」

 

「花音には気の早い話じゃない?」

 

「千聖ちゃんに言われたくないんだけど!」

二人は顔を見合わせて、笑った。

 

四月の風が中庭を吹き抜けていった。

桜の花びらがまだ少しだけ空を舞っていた。

 

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