砂糖二つの特等席   作:y@s

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第45話 待っていてくれる人

 

楽屋に駆け込んだ千聖を、控えていたマネージャーが迎えた。

「千聖さん、こちらへ。もう時間ぎりぎりです」

「はい、すみません……」

「その制服、そのままで大丈夫です。むしろ、今から着替えてる時間の方がないので」

「……ですよね」

千聖は、崩れていないか鏡で前髪だけ整えると、深呼吸をした。

「さあ、出番よ。笑顔でね」

「はい」

千聖は、舞台へと足を踏み出した。

 

 

割れんばかりの拍手が、客席から沸き起こる。並んだ出演者たちの中央には、主演女優の姿があった。眩しいライトの中、千聖は、いつも通りの笑顔で、深く一礼した。

司会者の声が、朗らかにホールに響く。

「本日は『RESONANCE』舞台挨拶にお越しいただき、誠にありがとうございます!」

映画『RESONANCE』は、田舎町から単身上京してきた一人の少女が、バンドを組み、プロを目指していく青春サクセスストーリーだった。地方の閉塞感を抜け出し、東京で仲間と出会い、挫折を繰り返しながらも夢に向かっていく主人公の姿が、多くの若い観客の共感を呼んでいた。

千聖が演じるのは、バンドメンバーの一人であり、主人公にとって誰よりも近しい親友の役だった。不器用な主人公を陰で支え、時にぶつかりながらも、最後まで隣で音を鳴らし続ける、そんな役どころだ。

「では、まずは千聖さん。今回演じられた役どころについて、聞かせてください」

司会者からマイクを向けられ、千聖は、いつもの舞台用の微笑みを浮かべた。

「はい。私が演じたのは、主人公のバンドメンバーで、一番の親友でもある役です。不器用な主人公を、時には叱りながら支えていく、そんな役でした」

「撮影で印象に残っているシーンは?」

「バンドメンバー全員で、初めてスタジオでセッションするシーンです。最初はぎこちなかった演奏が、少しずつ息が合っていく様子を、実際に演奏しながら撮影したので、本物のバンドになっていく感覚を味わえました」

千聖の受け答えに、客席から温かい拍手が起こった。

「ところで千聖さん」

司会者が、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「今日は、ずいぶんインパクトのあるご登場でしたね。制服姿で、しかもあの珍しいお車で」

その一言に、客席がどっと沸いた。すでに、会場前でのちょっとした騒ぎは、生中継を見ていた観客の間でも話題になっていたらしい。

「あ……」

千聖は、一瞬言葉に詰まった。

「実は今日、来る途中で電車が止まってしまって……本当に間に合わないかもしれない状況だったんです。制服のまま、着替える時間もなくて」

「それは大変でしたね」

「はい。それで、知り合いに、車で送ってもらうことになったんですけど……その車が、ちょっと、というか、かなり珍しい車で」

「珍しい車、というと?」

「クラシックカーだったんです。すごく綺麗な、赤い車で……正直、私も乗るまで、ちゃんとした車だとは思っていなくて」

司会者が、興味津々に身を乗り出した。

「いいですね、そのエピソード。運転してくださったのは?」

「……友人です」

千聖は、少しだけ言葉を選びながら答えた。客席から、からかうような笑い声と、温かい拍手が入り混じって起こった。

「素敵な友人ですね。おかげで、こうして無事に千聖さんにお会いできました」

「はい、本当に感謝しています」

千聖は、少し照れながらも、はっきりと頷いた。

「今日は、その方も会場の外で待っていてくださっているので……無事に終わったら、ちゃんとお礼を言おうと思います」

その言葉に、客席から、ほのぼのとした拍手が沸き起こった。司会者も、微笑ましそうに頷いている。

「それは素敵ですね。では、気を取り直して、次の質問に参りましょう」

司会が進行を続ける中、千聖はまた、あの車の中で見た修司の横顔を、そっと思い出していた。

「あ、ちょっといいですか」

主演女優が、マイクを引き寄せながら、にやりと笑った。

「私も気になってたんです、その車の話」

「え……」

千聖は、思わず身構えた。

「さっき控室でスタッフさんが話してるの聞こえたんですけど、なんか、ものすごい希少なクラシックカーだったって。詳しい人が見て、二度見してたらしいですよ」

「そ、そうなんですか……私、車に詳しくなくて、よくわからなくて」

「千聖ちゃん、あの車で颯爽と登場して、なんかもうドラマの主人公みたいだったよ。うちの映画、青春バンドものなのに、控室戻ったらみんなその話題で持ちきりだったから」

「俺も見ましたよ、あの車」

隣にいた男性共演者――バンドのドラム役を演じていた俳優――が、急に身を乗り出してきた。その目の色が、明らかに変わっていた。

「あれ、コルベットのC2ですよね!? しかもボディの感じ、絶対L88じゃないですか?」

「え……」

千聖は、突然のマニアックな質問に、目を丸くした。

「あ、すみません、俺、大の車好きで……特にアメ車、大好物なんです。あのキャンディアップルレッドの発色と、サイド出しマフラー、遠目にもわかりましたよ」

「詳しい……ですね」

「詳しいなんてもんじゃないですよ! L88なんて、世界的に見ても現存台数が本当に少ないんです。しかもあの状態の良さ、明らかに素人が維持してる車じゃない」

司会者も、共演者の急な熱の入りように、思わず笑ってしまっていた。

「ちなみに、千聖さん、あの車の持ち主って……」

「あ、それは……友人のおじいさまの車、だそうです」

「おじいさま所有!? ってことは、代替わりして大事に受け継がれてる個体ってことですよね。いや、本当にすごい。今度でいいので、ぜひ間近で拝見させてもらえないですか」

グイグイと詰め寄ってくる共演者に、千聖は思わずたじろいだ。

「そ、それは、私からは何とも……本人に、聞いてみないと」

「お願いします。俺、本当にファンなんで、ああいう個体のオーナーさんに」

主演女優が、呆れたように共演者の肩を叩いた。

「ちょっと、質疑応答中だから。車オタクぶりは、控室に戻ってから存分に語って」

「あ、すみません、つい……」

共演者は、我に返ったように咳払いをして、マイクを置いた。会場からは、微笑ましい笑いが起こっていた。

千聖は、その様子を見ながら、内心でこっそり思った。

——修司さん、絶対今、外で居心地悪そうにしてるだろうな。

そう想像すると、千聖は、こらえきれずに小さく笑ってしまった。

 

 

一方、ホール前のロータリーでは、修司が、思いのほか大変な状況に置かれていた。

会場入りの様子がテレビとSNSで広まったこともあり、コルベットの周りには、開演前よりもさらに多くの人だかりができていた。

「すごい……本物のC2ですよね」

「こんな綺麗な状態、初めて見ました」

「もしかしてL88ですか? サイドパイプの位置からすると……」

修司は、車に寄りかかったまま、次々と話しかけてくる車好きたちに、短く相槌を返していた。

「そうだ」

「やっぱり! すごい、実車を近くで見られるなんて」

「あの……お写真、撮らせていただいてもいいですか」

「構わない」

修司の返事はどれも簡潔だったが、無下にする様子はなかった。むしろ、慣れた様子で対応している。

「オーナーさんですか?」

「いや、預かってるだけだ」

「羨ましいです……こんな車、運転させてもらえるなんて」

「今日は事情があって、仕方なく借りた」

修司がそう答えると、周りから小さなどよめきが起こった。

「さっき中継、見ました。あの、千聖さんって……」

「その辺りは、答えられない」

「わー、意味深!」

集まった人々が、盛り上がりを見せる中、修司は、腕時計にちらりと視線を落とした。舞台挨拶が終わるまで、あとどれくらいだろうか。

車の周りは、ますます賑わいを増していた。中には、スマートフォンでこっそり動画を撮っている者もいる。

「……面倒なことになったな」

修司は、小さく呟いて、車のボンネットに、静かに腰を下ろした。それでも、集まった人々の視線から逃げることはなく、時折、車について聞かれる質問には、丁寧に答え続けていた。

その様子は、まるで誕生日デートの日、校門で女子生徒たちに囲まれていた時と、どこか似ていた。

 

 

舞台挨拶が終わり、拍手とともに幕が下りると、千聖はマネージャーとともに、足早に楽屋へと戻った。

「お疲れさま。今日は本当に大変だったわね」

「はい……すみません、色々とご心配おかけして」

「それより、外、すごいことになってるわよ」

「え?」

マネージャーが、スマートフォンの画面を見せてきた。SNSには、さらに投稿が増えていた。

「もう広まってるんですか……」

「早いのよ、こういうのは。悪い話じゃないから、気にしなくていいけど」

千聖は、少し複雑な気持ちで画面を見つめた。修司のことが、見知らぬ人たちの間で話題になっている。それ自体は、嫌ではなかったが、少し落ち着かない気持ちもあった。

「早く戻ってあげたら? 表、まだ人だかりみたいよ」

「はい、行ってきます」

 

 

裏口から外に出た千聖は、ロータリーの様子を見て、思わず足を止めた。

コルベットの周りには、依然として人だかりができていた。スタッフらしき人、車好きらしき人、そして中には、明らかにファンらしき人まで混じっている。

「あ、千聖さんだ!」

誰かの声で、視線が一斉にこちらを向いた。

「修司さん……」

人だかりの中心で、修司が、少し疲れたような顔で立っていた。千聖の姿を見つけると、わずかにほっとしたような表情を見せる。

「……終わったのか」

「はい。すみません、遅くなって」

千聖が近づくと、周囲がまたざわついた。

「本当に千聖さんの……」「なんの関係なんですか?」「サインお願いします!」

一気に人が押し寄せそうになったところで、待機していたスタッフが、慌てて間に入った。

「すみません、皆さん、少しお下がりください!」

「乗れ」

修司が、短く言って、助手席のドアを開けた。千聖は、頭を下げながら、急いで車に乗り込んだ。

「送りますので、皆さん道を開けてください!」

スタッフの誘導で、なんとか人垣が割れる。修司は、慎重にエンジンをかけ、ゆっくりと車を発進させた。

窓の外では、まだスマートフォンを構えた人々が、車を見送っていた。

「……大変でしたね、外も」

「ああ。質問攻めにされた。車のことも、お前のことも」

修司は、小さくため息をついた。

「すまなかったな、目立つ真似をして」

「いえ、私こそ、巻き込んでしまって、すみません」

千聖は、申し訳なさそうに肩をすくめた。

「でも……」

「でも?」

「みんな、すごく修司さんのこと褒めてました。車のこと、私のこと、ちゃんと守ってくれて」

修司は、少しだけ照れくさそうに、視線を前に戻した。

「大袈裟だ」

「大袈裟じゃないです」

千聖は、少し笑いながら、窓の外に流れる夜景を眺めた。今日一日の騒動は大変だったけれど、それでも、修司が隣にいてくれたことが、何よりも心強かった。

「……ありがとうございました、本当に」

「礼はもう聞き飽きた」

「それより腹減った、お前の弁当食い損ねたし」

「そうですね、私もお腹すきました」

「なんか食べてくか?せっかく横浜にいるんだし」

「い、いいんですか?」

「ああ」

「横浜といえば」

「中華だな」「中華ですね」

答えが重なり2人はくすりと笑った。夜のみなとみらいを、コルベットは静かに走り抜けていった。

 

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