砂糖二つの特等席   作:y@s

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第46話 噂の車、その後

 

その日の夜、正阿弥興山は、上機嫌だった。

個展が、予想を上回る大成功を収めたのだ。会場に詰めかけた客の数も、売り上げも、これまでの記録を塗り替えた。祝杯を上げるべく、興山はいつものメンバーを引き連れて、馴染みのクラブへと繰り出していた。

「先生、今日は本当におめでとうございます!」

「うむ、うむ。今日は飲め、みんな飲め!」

興山は、上機嫌でボトルを次々と開けさせながら、店の女の子たちに囲まれていた。

「先生、白鷺千聖ちゃんって知ってますか?」

一人の女の子が、興奮気味に言った。

「知っとるぞ」

「え、本当ですか!? 今日、その千聖ちゃんの舞台挨拶があるんですよ。テレビ、つけてもいいですか?」

「構わん、構わん」

女の子が、店の隅のテレビをつけた。ちょうど、生中継が始まったところだった。

 

 

画面には、レッドカーペットに次々と乗りつける、高級車の列が映し出されていた。フェラーリ、ベンツ、レンジローバー——豪華な車列の最後尾に、見覚えのある一台が滑り込んでくる。

「あら」

クラブのママが、画面を覗き込んで、首を傾げた。

「あれ、先生の車じゃないかしら」

「……なに?」

興山は、グラスを持つ手を止めた。

画面には、キャンディレッドのボディが大写しになっていた。見間違えようもない。自分の、あのスティングレイだった。

「ブフゥーーーゴホッゴホッ」

「なんじゃと!?」

「もう、先生きたなーい」

「それどころじゃない」

興山は、勢いよく立ち上がった。

「わしの電話持ってこい!」

店の子が慌てて携帯を持ってくると、興山はすぐさま太一に電話をかけた。

「太一! お前、なにか知っとるか! テレビに、わしのスティングレイが映っとるぞ!」

電話の向こうで、太一が慌てて事情を説明する声が聞こえてくる。地震のこと、電車が止まったこと、修司が急遽車を持ち出したこと——太一の早口な説明を聞きながら、興山は、画面の中の光景を、食い入るように見つめていた。

助手席から降りてきたのは、制服姿の千聖だった。運転席には、修司の姿もはっきりと映っている。

そして、車列に並んだコルベットが、他の現行車を差し置いて、一際大きなエンジン音を響かせるのが、テレビ越しにも伝わってきた。

「くはっ、はっはっは! 」

「見ろ!わしの車が一番目立っとるぞ」

興山は、腹を抱えて笑い出した。周りの女の子たちも、事情はよくわからないながらも、興山のあまりの喜びように、つられて笑い始めていた。

「先生、面白いお孫さんですね」

「ああ、愉快、愉快。実に愉快!」

興山は、まだ電話を繋いだままの太一に向かって、上機嫌に言った。

「太一、お前も来い」

「え、今からですか?」

「なにをぐずぐずしとる。お前の好物、寿司だったな。銀座で一番高い寿司を、腹いっぱい食わせてやる。腹空かせて、今すぐ来い。タクシー呼べ」

「い、いいんですか、そんな……」

「ついでに、いい酒も飲ませてやる。さあ、みんなも食うだろう!」

興山の号令に、店の子たちが歓声を上げた。宴は、さらに勢いを増していった。

 

 

一方、試写会を終えた千聖と修司は、コルベットで中華街へ向かう途中だった。修司のスマートフォンが鳴ったのは、みなとみらいを抜けた頃だった。

「……じいさんか」

修司は、少し身構えながら通話に出た。

「もしもし」

「修司、お前、ずいぶん楽しいことやっとるな。なんでわしを呼ばん」

「見てたのか」

「見た見た、店のテレビでばっちりな。事の真相を、ここで説明しろ。それで、わしのスティングレイを勝手に使ったことは、チャラにしてやる」

「……好都合な取引だな」

「それから、お前の女も連れてこい。そこにいるのは、わかっとるぞ」

興山の声は、電話越しでも上機嫌さが伝わってくるほど弾んでいた。修司は、小さくため息をついてから、電話を切った。

「……千聖」

「はい?」

「悪い、今日の中華は、なしだ。多分、寿司になる」

「え?」

「じいさんが、話を聞きたいらしい。今から銀座に呼び出された」

千聖は、目を丸くした。

「唯さんに、かなり遅くなるって連絡入れておけ」

「はい、すぐ電話します」

千聖は、慌てて唯に電話をかけた。

「もしもし、お母さん? あの、今日、少し遅くなりそうで……」

「あら、いいわよ、いいわよ。デート、楽しんでらっしゃい」

唯は、電話の向こうで、明るい声で答えた。

「今日のあなたたちの勇姿、ちゃんと録画してあるから。あとでゆっくり見ましょうね」

「ろ、録画……!?」

千聖は、思わず頬を赤くした。

「じゃあね、気をつけてね」

唯は、楽しそうに笑いながら、電話を切った。

「……なんて言ってた」

「録画してあるから、後で一緒に見ましょうって……」

千聖は、恥ずかしさに顔を覆いながら、小さく呟いた。修司は、それを聞いて、珍しく口元を緩めた。

「賑やかな一日だな」

「本当に……」

コルベットは、みなとみらいの夜景を背に、銀座へと向かって走り出した。興山が待つ、賑やかな夜が、二人を待っていた。

 

 

高速に乗ると、車内は少しの間、静かになった。

「……興山さんのいるお店、行ったことあるんですか」

千聖が、ふと尋ねた。

「何度かな。じいさんの個展の打ち上げは、大体あそこだ」

「どんな人が集まるんですか」

「じいさんの取引先とか、画商とか。あとは、単純にじいさんの飲み仲間だ」

修司は、前を見たまま、淡々と答えた。

「緊張しなくていい。じいさんの機嫌が良ければ、大したことにはならない」

「機嫌が良ければ、って……」

「今日はいいだろう。個展成功で、上機嫌なはずだ。おまけに、面白い見世物まで見られたんだからな」

「見世物って、私たちのことですか……」

千聖が、恨めしそうに呟くと、修司は、珍しく小さく笑った。

「まあ、そう気負うな」

そう言われても、千聖の緊張は、少しも解けなかった。

 

 

銀座の裏通りにある、重厚な扉のクラブに着くと、二人を出迎えたのは、上品な着物姿の女性だった。

「あら、修司くん」

その声には、親しみのこもった響きがあった。

「お久しぶりです」

「本当に久しぶりね。何年ぶりかしら」

ママは、修司の顔をまじまじと見つめてから、ゆっくりと微笑んだ。

「ずいぶん、いい男になったわね」

そう言うと、ママは、修司の胸元に軽く手を添えた。

「昔は、まだあどけない顔してたのに」

「……あんまり、からかわないでくださいよ」

修司は、少し困ったように、ママの手をやんわりと外した。

「今日は、連れがいるので」

「あら」

ママの視線が、修司の隣に立つ千聖へと移った。

「これはこれは。可愛らしいお嬢さんじゃない」

千聖は、慌てて頭を下げた。

「は、はじめまして」

「修司くんがねぇ……昔は、私にべったりだったのよ。まだ高校生の頃、興山先生に連れられて、よくここに来てたの。生意気な顔して、お酒の相手なんかさせられて」

「じいさんが、勝手に連れてきてただけだろ」

「あら、嫌がってなかったじゃない。私にお酌してもらうの、好きだったくせに」

ママが、悪戯っぽく笑いながら言うと、千聖の表情が、わずかに強張った。

「……そう、なんですか」

「あら、可愛い。もしかして、妬いてる?」

ママは、目ざとく千聖の様子に気づいたらしい。にんまりと笑いながら、千聖の顔を覗き込んだ。

「い、いえ、そんな……」

千聖は、赤くなった顔を隠すように俯いた。ママは、そんな千聖の様子を、実に楽しそうに眺めていた。

「安心して。今の修司くんの目には、あなたしか映ってないみたいだから」

「……ママ」

修司が、少し呆れたような声を出した。ママは、くすくすと笑いながら、二人を店の奥へと促した。

「さあ、こちらへどうぞ。先生が首を長くして待ってるわよ」

 

 

奥の座敷に足を踏み入れると、興山が、上機嫌な様子で手を挙げた。

「おお、ようやくきたか! 待ちわびたぞ!」

「じいさん、呼び出しておいて、機嫌がいいな」

「機嫌がいいに決まっとるだろう。個展は成功するわ、面白い見世物は見られるわで、今日は最高の一日じゃ」

興山は、豪快に笑いながら、二人に座るよう促した。周りには、すでに酒盛りの跡が広がっている。太一の姿は、まだ見当たらなかった。

「さて」

興山は、グラスを置くと、修司と千聖を交互に見た。

「事の真相を、聞かせてもらおうか」

その目には、好奇心と愉快さが、隠しきれないほど溢れていた。修司は、小さく息をつくと、覚悟を決めたように、地震の日の出来事を、順を追って話し始めた。

「——というわけで、電車が止まって、千聖が舞台挨拶に間に合わなくなりそうだったんだ。それで、太一に連絡して、点検中だったスティングレイを持ってこさせた」

「ほう」

「じいさんに無断で悪かった。だが、他に手段がなかった」

興山は、腕を組みながら、ふむふむと頷いていた。

「なるほどな。それで、あの派手な会場入りに繋がったわけか」

「それは、たまたまだ」

「たまたまだぁ。たまたまで、あんなにエンジンを吹かすか? わしはテレビでしっかり見たぞ。他のお上品な車達を差し置いて、一番目立っとったでわないか」

興山が、にやにやしながら突っ込むと、修司は、わずかに視線を逸らした。

「……多少はな」

「多少どころではなかったろう」

千聖が、思わず口を挟んだ。

「本当に、わざとやってたんです。私も驚きました」

「はっはっは! やっぱりか!」

「あの車は目立ってなんぼだろ」修司は悪びれもせずむしろ、堂々と言った。

興山は、膝を叩いて大笑いした。

「ハァーッハッハッハ。よぉわかっとるではないか」

「もぅ、興山さんまで」

そんなやり取りに、千聖も思わず笑ってしまった。緊張していた気持ちが、いつの間にか和らいでいるのに気づく。

「しかし、驚いたのはお前じゃよ、お嬢ちゃん」

興山が、千聖に向き直った。

「地震で電車が止まって、慌てふためくかと思いきや、あの制服姿のまま堂々とレッドカーペットを歩いておったな。肝が据わっとる」

「そんな、堂々となんて……内心、ずっと焦ってました」

「それでいい。焦りながらも、ちゃんとやり遂げる。それが一番大したことじゃ」

「流石は唯の娘だな」

興山の言葉に、千聖は、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。

 

 

そうこうしているうちに、座敷の襖が、慌ただしく開いた。

「勝義さん……! タクシー飛ばしてきました……!」

息を切らせて現れたのは、太一だった。まだ作業着に近い服装のままで、髪も少し乱れている。

「おお、太一、遅いぞ」

「電話が急すぎるんですよ……あと、先輩もいるじゃないですか、なんで銀座に……」

太一は、部屋の中を見回して、修司と千聖の姿に気づくと、目を丸くした。

「し、白鷺さんまで……」

「太一、よく来た。ほら、座れ」

興山は、上機嫌に太一を手招きした。

「今日は、お前の好物、ちゃんと用意してある。腹一杯食っていけ」

しばらくして、座敷には次々と、大皿に盛られた寿司が運ばれてきた。大トロ、うに、いくら——見るからに上等な、豪華な盛り合わせだった。

「う、うわあ……」

太一は、目の前に並んだ寿司を見て、思わず声を漏らした。

「一番の功労者だからな。遠慮するな、食え食え」

「い、いただきます……!」

太一が、目を輝かせながら箸を伸ばすのを見て、興山は満足げに頷いた。

「今日は無礼講じゃ。修司も、お嬢ちゃんも、たんと食べていけ」

座敷は、一気に賑やかさを増していった。太一の感激する様子、興山の上機嫌な笑い声、そして時折挟まれる、修司と千聖をからかうような会話——夜はまだまだ、これから続きそうだった。

 

 

宴もたけなわになる頃、店の女の子たちが、興味津々な様子で修司の周りに集まってきていた。

「修司さんって、本当にデザイナーさんなんですか? かっこいい……」

「先生のお孫さんなんですよね。今度、お洋服作ってもらえたりします?」

「連絡先、交換してもらってもいいですか?」

女の子たちが、次々と修司に話しかけては、隣に座ろうと詰め寄っていた。修司は、いつも通りの淡々とした態度で相槌を打っていたが、明らかに囲まれてしまっている。

「あ、それは……」

「連絡先はちょっと」

そっけない返事を繰り返しながらも、女の子たちの勢いは止まらなかった。

千聖は、少し離れた席から、その様子を眺めていた。

——なんか、面白くない。

膨れっ面を堪えきれず、千聖は、料理をつつく箸の動きが、次第に荒くなっていった。

それに気づいた興山が、面白そうに千聖の顔を覗き込んだ。

「お嬢ちゃん、拗ねとるのか」

「拗ねてなんか、いません」

「顔に書いてあるぞ」

興山が、からかうように笑う。千聖は、慌てて表情を取り繕おうとしたが、うまくいかなかった。

 

 

しばらく我慢していた千聖だったが、女の子の一人が、修司の腕にしなだれかかるようにするのを見て、とうとう我慢の限界を迎えた。

千聖は、すっと立ち上がると、修司の隣に座っていた女の子の反対側に、するりと腰を下ろした。

「あの、失礼しますね」

「え……あ、はい」

千聖は、にこりと微笑みながら、修司の腕に、そっと自分の腕を絡めた。

「修司さん、こっちも見てください」

「……千聖?」

修司が、驚いたように千聖を見た。千聖は、いつもより幾分か強気な笑顔を浮かべていた。

「今日、私、隣にいたいです」

その一言に、周りの女の子たちが、一斉に「え〜」と声を上げた。

「なんだ、彼女さんいたの?」

「もー、水くさいですよー、修司さん」

女の子たちは、口々にそう言いながらも、あっさりと引き下がっていった。修司は、少し困ったような、けれどまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。

「……珍しいな、お前がそんなことするのは」

「たまには、いいじゃないですか」

千聖は、少しだけ頬を赤くしながら、腕を絡めたまま、修司を見上げた。

その様子を、興山が、実に愉快そうに眺めていた。

「はっはっは! いいぞ、いいぞ! もっとやれ!」

「じいさん、面白がるな」

「面白いから面白がっとるんじゃ」

賑やかな笑い声が、座敷いっぱいに広がっていった。太一は、その光景を横目に見ながら、黙々と寿司を頬張り続けていた。

 

 

その様子を見ていたママが、扇子を口元に当てながら、にんまりと笑った。

「あら、いいわねぇ、そういうの。修司くん、大事にされてるじゃない」

「ママまで、からかわないでください」

「からかってないわよ。本当に、良かったわねって思ってるの」

ママは、千聖の方を向くと、悪戯っぽく目を細めた。

「お嬢さん、修司くんのこと、ちゃんと独り占めしておかないと。この子、昔から妙にモテるのよ」

「独り占め、ですか……」

千聖は、少し戸惑いながらも、勢いのまま口を開いた。

「しゅ、修司さんのお世話は、私がします」

言った瞬間、座敷が、しん、と静まり返った。

「……お、お世話?」

千聖自身も、自分の口から出た言葉に、遅れて動揺し始めた。

「あ、あの、違くて……お世話っていうか、その……」

言葉を続けようとすればするほど、うまく説明できず、千聖は完全に自分の発言の迷路にはまり込んでいった。

「え、え、なんて言えば……その、つまり」

顔が真っ赤になり、視線があちこちに泳ぐ。周りの女の子たちは、ニヤニヤしながらその様子を見守っていた。

「可愛いわねぇ」

ママが、うっとりとした声で言うと、興山も、腹を抱えて笑い出した。

「はっはっは! こりゃたまらん! 続きを聞かせてくれ!」

「じ、じいさんまで……!」

千聖は、もうどうしていいかわからず、真っ赤な顔のまま、俯くしかなかった。

見かねた修司が、小さくため息をついて、口を開いた。

「——もう、その辺にしとけ」

修司は、千聖の肩に、そっと手を置いた。

「みんな、からかいすぎだ。千聖が困ってる」

その一言で、座敷の空気が、少しだけ落ち着きを取り戻した。

「あら、つまらない」

ママが、残念そうに肩をすくめる。

「じいさんも、いい加減にしてくれ」

「わかった、わかった。悪かったな」

興山も、笑いを収めながら、千聖に軽く手を上げた。

修司は、千聖の方を向くと、少しだけ声のトーンを落として言った。

「大丈夫か」

「……はい、なんとか」

千聖は、まだ赤い顔のまま、小さく頷いた。修司の手が、まだ肩に乗ったままだったことに気づいて、また頬が熱くなる。

「……ありがとうございます、助けてくれて」

「これくらい、大したことじゃない」

そっけない返事だったが、千聖には、それで十分だった。座敷には、また賑やかな笑い声が戻ってきていた。

 

 

宴は、その後もしばらく賑やかに続いた。太一は寿司を食べ尽くし、興山は上機嫌に飲み続け、女の子たちの笑い声が絶えることはなかった。

そろそろ日付が変わろうかという頃、興山が満足げに手を叩いた。

「よし、今日はこの辺にしておこう。いい酒だった」

「先生、お開きですか?」

「わしらは、もう少しこのまま二次会じゃ。太一、お前も付き合え」

「え、まだ飲むんですか……」

太一が、少し疲れた顔で呟いたが、興山は聞く耳を持たなかった。

「修司、お前は千聖ちゃんを送ってやれ。もう遅い」

「ああ、そのつもりだ」

「気をつけて帰るのよ、二人とも」

ママが、店の入り口まで見送りに出てくれた。

「今日は、本当にありがとうございました」

千聖が頭を下げると、ママは、にこやかに手を振った。

「また来てね、お嬢さん。今度は、もっとゆっくり話しましょう」

「はい……ぜひ」

修司と千聖は、興山たちを店に残したまま、外に出た。夜風が、火照った頬に心地よかった。

 

 

コルベットに乗り込むと、修司は、いつも通り落ち着いた様子でエンジンをかけた。

「お酒、大丈夫だったんですか」

「飲んでない。運転するとわかってたからな」

「そうだったんですね」

千聖は、少し安心したように息をついた。

車が走り出すと、しばらくの間、心地よい沈黙が続いた。

「……今日は、色々ありましたね」

千聖が、ぽつりと呟いた。

「そうだな。予想外の一日だった」

「興山さんにも、ママさんにも、驚かされっぱなしでした」

「あの二人は、いつもああだ。慣れるしかない」

修司が、少し呆れたように言うと、千聖は小さく笑った。

「でも……楽しかったです。賑やかで」

「そうか」

修司は、前を見たまま、わずかに口元を緩めた。

「あの……さっきは、すみませんでした。変なこと言っちゃって」

千聖が、恥ずかしそうに切り出すと、修司は、ちらりと視線を向けた。

「別に、謝ることじゃない」

「でも、お世話とか、その……」

「気にするな。悪い気はしなかった」

修司の素っ気ない返事に、千聖は、また頬を赤くした。それ以上、何も言えなくなってしまった。

窓の外を流れる夜景を見つめながら、千聖は、今日一日の出来事を、ゆっくりと胸の中で反芻していた。

 

 

千聖の家の前に着くと、玄関先には、すでに唯が待っていた。

「おかえりなさい、二人とも」

「唯さん、遅くなってすみません」

修司が、車を降りて挨拶をすると、唯は、にこやかに首を振った。

「いいのよ、連絡もらってたし。今日は、大変だったみたいね」

「色々ありました」

「本当に」

「今日はもう遅いので、俺はこれで」

「修司さん……おやすみなさい」

「おやすみ」

「気をつけて帰ってね」

修司は、軽く会釈をすると、車に戻っていった。千聖は、遠ざかっていくコルベットのテールランプを見送ってから、玄関へと向かった。

「さ、入って。お茶淹れるから」

「うん」

 

 

リビングのソファに腰を下ろすと、千聖は、堰を切ったように、今日あった出来事を話し始めた。地震のこと、コルベットのこと、舞台挨拶での質問攻め、そして銀座での騒動——。

唯は、お茶を淹れながら、時折相槌を打ちつつ、千聖の話に耳を傾けていた。

「——それで、つい『お世話します』なんて言っちゃって、もう、どうしていいかわからなくなって……」

千聖が、恥ずかしそうに顔を覆いながら話すのを、唯は、いつになく真剣な表情で聞いていた。

「千聖が、そんなに積極的になるなんてね」

「自分でも、びっくりした……なんであんなこと言っちゃったのか」

「それだけ、大事な人なんでしょう」

唯の言葉に、千聖は、少し照れくさそうに頷いた。

「うん……そうだと思う」

唯は、湯呑みを千聖の前に置きながら、優しく微笑んだ。

「良かったじゃない。周りに、そんなに応援してくれる人たちがいて」

「うん」

千聖は、温かいお茶を一口飲みながら、今日一日の疲れが、じんわりとほぐれていくのを感じた。

賑やかで、慌ただしくて、でもどこか幸せな一日だった。

 

 

舞台挨拶の翌日、千聖のスマートフォンには、朝から通知が鳴りやまなかった。

『#千聖ちゃん制服会場入り』

そのハッシュタグが、いつの間にかトレンド入りしていた。

「……え」

千聖は、恐る恐るタイムラインを開いた。

『昨日の舞台挨拶、千聖ちゃんの登場の仕方エモすぎ』

『あのクラシックカー、車詳しい人によるとかなりヤバい車らしい』

『運転してたイケメン誰?彼氏?マネージャー?』

『L88って調べたら本当に激レア車だった、、、千聖ちゃん一体何者と付き合ってるの』

投稿には、遠目から撮られたキャンディレッドの車の写真や、動画までいくつか添えられていた。ボンネットに寄りかかる修司の後ろ姿が写り込んでいるものもある。

「……こんなに広まってるなんて」

千聖は、頭を抱えながら、ベッドに突っ伏した。

 

 

白鷺家の食卓では、唯が昨日の録画を見ながら、興味津々な様子で千聖に詰め寄っていた。

「千聖、これ見た? すごいじゃない、トレンド入りだって」

「お母さん、お願いだから、その画面、しまって……」

「だって、こんなにみんなが気にしてるのよ。『修司さんの正体は?』なんて、コメント欄で予想大会になってる」

唯は、楽しそうにスマートフォンをスクロールしながら、千聖の顔を覗き込んだ。

「デザイナーって書いてる人もいるし、実業家って書いてる人もいるし……中には、車のディーラーだって言ってる人もいるわね」

「本人は、ただの服飾デザイナーなのに……」

「ただの、じゃないでしょ。あんな車、颯爽と乗り回せる、ただのデザイナーなんていないわよ」

唯は、くすくすと笑いながら、千聖の頬をつついた。

「良かったじゃない、頼りになる彼氏で」

「もう、お母さんまで……」

千聖は、赤くなった顔を両手で覆いながら、小さく唸った。

 

 

数日後、千聖はアトリエに、太一への贈り物を持って訪れていた。中身は、千聖のサイン入り帽子と、映画『RESONANCE』のグッズ一式だった。

「これ、太一さんに渡してもらえますか」

「ああ、預かっておく」

修司が、荷物を受け取りながら答えた。

数日後、修司から届いた話によると、太一は、包みを開けた瞬間、その場で崩れ落ちたという。

「サイン入り帽子……一生飾ります……」「グッズも全部……ありがとうございます、先輩の彼女さん、天使ですか……」

そう繰り返しながら、しばらく仕事にならなかったらしい。

「彼女、とは言ってないんだがな」

修司が、少し呆れたように呟くのを聞いて、千聖は、思わず頬を緩めた。

「否定は、しなかったんですね」

「面倒だっただけだ」

そっけない返事だったが、千聖には、それで十分だった。トレンド入りの騒動も、興山の大笑いも、唯のからかいも——すべてひっくるめて、なんだか幸せな数日間だった。

 

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