砂糖二つの特等席   作:y@s

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第47話 半端者にはなりたくない

 

映画『RESONANCE』の公開が近づく中、千聖一人が出演する特別番組が組まれることになった。

タイトルは『白鷺千聖、素顔の彼女に迫る〜RESONANCE メイキングスペシャル〜』。舞台挨拶での、あの伝説的とも言える会場入りが、あまりにも話題を呼んだためだった。制服姿での登場、正体不明の男性、そして希少なクラシックカー——世間の関心の高さを受けて、急遽企画が持ち上がったのだという。

「まさか、一人で特番組んでもらえるなんて……」

控室で台本を渡されながら、千聖は思わず呟いた。

「それだけ注目されてるってことよ。良かったじゃない」

マネージャーが、誇らしげに微笑んだ。

 

 

収録は、まず映画の内容についての振り返りから始まった。

『RESONANCE』は、千聖にとって、これまでとは全く違う挑戦だった役だ。千聖が演じたのは、劇中バンド「RESONANCE」のベーシスト。地方から上京してきた主人公を、陰で支える親友の役どころだった。

「今日は、撮影の裏側について、色々伺っていきたいと思います」

インタビュアーの問いかけに、千聖は、少し懐かしそうな表情を浮かべた。

「実は、バンドメンバーの中で、私だけ楽器未経験だったんです」

「そうなんですか?」

「はい。ボーカル役の方は歌手活動されてますし、ギター役の方とドラム役の方は学生時代にバンド経験があって。私だけ、本当に楽器を触ったこともなくて」

「それは、プレッシャーがあったのでは」

「ありました。最初は、監督からも『白鷺さんのパートは、アフレコで対応しましょう』って言われてたんです。演奏シーンは、他の方の手元を使って、音も別撮りにする予定で」

「なるほど、それが自然な判断ですよね」

「はい……でも」

「そのことがずっと自分の中でモヤモヤしていて」

千聖は、少し言葉を止めてから、続けた。

「知り合いに、その話をしたら」

 

 

——数ヶ月前、アトリエでの一幕。

「アフレコで済ませるのか」

修司の声は、いつも通り淡々としていたが、その一言には、明らかに何かが滲んでいた。

「はい……皆さん経験者ですし、その方が、クオリティも安定するからって」

「それでいいのか、お前は」

「え?」

「お前の気持ちはどうなんだ?」

「俺に話をするって事は、なんか違うって気持ちがあるからだろ」

「でっでも、もう撮影のスケジュールは決まってて」

「俺はお前の気持ちを聞いてる」

「……」

「役を演じるってのは、そのキャラクターとしてきることだろう。指の動きも、音も、誰かの代わりでいいのか?」

「どうなんだ?」

修司は、手元の作業を止めることなく、続けた。

「千聖、お前いつから、そんな半端者になったんだ」

「え」

その一言が、千聖の胸に、深く刺さった。

「俺なら、悔しいから絶対見返してやるって思うけどな」

「要するにお前は舐められてるんだ」

 

 

「半端者……その言葉が、悔しくて。同時に、図星でもあって」

千聖は、当時を思い出しながら、静かに語った。

「それで、監督に頼み込んで、自分で弾かせてもらうことにしたんです。撮影まで、あまり時間がなかったので……そこから、必死に練習しました」

「具体的には、どのくらい練習されたんですか」

「最初の一ヶ月は、毎日五、六時間は弾いてたと思います。指先の皮が剥けて、また硬くなって、を繰り返して」

「かなりの猛練習ですね」

「正直、自分でも引くくらい没頭してました。周りにも、心配されるくらいで」

「家では母にとても心配させてしまいました。」

千聖は、少し照れくさそうに笑った。

 

 

——その頃、白鷺家では。

「千聖、大丈夫……?」

唯が、部屋の外から、恐る恐る声をかけた。中からは、同じフレーズを、何十回も繰り返し弾く音が聞こえてくる。

「うん、大丈夫」

返ってくる声には、鬼気迫るものがあった。唯は、ドアを少しだけ開けて、中を覗き込んだ。

千聖は、ベースを抱えたまま、真剣な——というより、ほとんど凄みすら感じさせる表情で、譜面と向き合っていた。

「……なんか、雰囲気変わった?」

「え、そう?」

「いつもの千聖と、ちょっと違う気がするというか……近寄りがたいというか」

「そんなことないよ」

千聖は、そう答えながらも、すぐにまたベースに視線を戻していた。唯は、そっとドアを閉めながら、苦笑いを浮かべた。

 

 

インタビューが進む中、スタジオのモニターに、撮影現場で収録されたというビデオコメントが流れ始めた。

まず映し出されたのは、ドラム役を演じた俳優だった。

「千聖ちゃんの練習、正直ちょっと怖かったです」

画面の中の彼は、苦笑いを浮かべながら続けた。

「休憩時間も、ずっと隅でベース弾いてて。声かけても『あ、はい』って生返事で、また譜面に集中しちゃうんですよ。誰も気軽に話しかけられない空気になってて」

続いて、ギター役の俳優のコメントが流れた。

「集中力が、もう別次元でした。目が据わってるっていうか……最初は心配で声かけてたんですけど、途中からもう、そっとしておこうって、みんなで決めたくらいです」

ボーカル役の主演女優も、笑いながら証言した。

「差し入れ持っていったら、『ありがとうございます』って言いながら、目線は譜面から一切動かなくて。あれは、ちょっとした恐怖でしたね」

スタジオでは、それを見ていた千聖が、両手で顔を覆っていた。

「……そんなに、怖がられてたんですか、私」

「知らなかったんですか?」

インタビュアーが、笑いを堪えながら尋ねると、千聖は、恥ずかしそうに首を振った。

「全然、気づいてませんでした……」

続いて、監督のコメントも流れた。

「正直、最初は不安でした。経験者じゃない子に任せるのは、リスクもあったので。ですが、練習期間中の彼女の様子を見て、その不安は消えました。あそこまで一つのことに打ち込める姿は、演者としてもすごいものを感じましたね。……ただ、現場のスタッフからは、『話しかけるタイミングが分からない』って、よく相談されてました」

監督の言葉に、スタジオ内から笑い声が上がった。

「本当に、みなさんにご迷惑をおかけしました……」

千聖が、深々と頭を下げると、インタビュアーが、優しく笑いかけた。

「いえいえ、その努力があったからこそ、あの素晴らしいライブシーンが生まれたわけですから。むしろ、感謝されるべきだと思いますよ」

「ありがとうございます……」

千聖は、少し照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「ちなみに」

インタビュアーが、興味深そうに切り出した。

「その日から、すぐに練習を始められたんですか?」

「はい。その場で、もう決めました」

千聖は、当時を思い出すように、少し遠い目をした。

「まず最初にしたのが、ネイルを落とすことでした」

「ネイルですか?」

「はい。撮影の少し前に、可愛くしてもらったばかりだったんですけど……弦を押さえるのに、爪が伸びてると、うまく音が出せなくて。その日のうちに、全部落として、短く切りました」

「思い切った決断ですね」

「あの一言を言われた時点で、もう、迷ってる場合じゃないなって」

千聖は、そう言うと、自分の左手を、カメラの前に差し出した。

「今も、この通りです」

指先を映すカメラに、少し硬くなった指先の様子が映し出された。

「わかりますか? ここ、弦を押さえる場所が、他より硬くなってて」

「本当だ、タコができてますね」

インタビュアーが、感心したように覗き込んだ。

「これ、消えるまでにも、結構時間かかりそうですね」

「はい。今でも、たまに練習してるので、まだしばらくは残りそうです」

「せっかくなので、今日は、実際に弾いていただくことはできますか?」

インタビュアーの提案に、千聖は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。

「あ……はい、大丈夫です」

スタッフが、手際よくベースとアンプを運んでくる。千聖は、手渡されたベースを、慣れた手つきで構えた。

スタジオの空気が、一瞬で変わった。

先ほどまでの、はにかんだ笑顔とは違う、真剣な表情。千聖は、小さく息を吸うと、劇中の楽曲の一節を、静かに奏で始めた。

低く、しっかりとしたベースラインが、スタジオに響き渡る。指の動きに迷いはなく、リズムは正確に刻まれていた。

演奏が終わると、スタジオ内から、自然と拍手が沸き起こった。

「素晴らしいです……本当に、数ヶ月でここまで弾けるようになるものなんですね」

「必死でした」

千聖は、少し息を整えながら、微笑んだ。

「でも、練習してよかったです。あの時、中途半端な気持ちのままでいたら、多分、この達成感は味わえなかったので」

 

 

「実は、今日は特別に、当時の練習風景を収めた映像もお預かりしています」

インタビュアーの言葉に、千聖は、驚いたように顔を上げた。

「え、そんな映像あったんですか……?」

「はい。撮影スタッフの方が、こっそり記録用に撮っていたそうで」

スタジオのモニターに、粗い画質の映像が映し出された。

深夜と思われる、誰もいない控室の一角。譜面台とアンプだけが置かれた簡素なスペースで、千聖が一人、ベースに向き合っている姿が映っていた。

同じフレーズを、何度も何度も繰り返している。指が思うように動かず、時折顔をしかめては、また最初から弾き直す。汗で額に張り付いた前髪も、そのままだった。

画面の端には、日付と時刻の表示があった。深夜二時を回っている。

「……これ、いつの撮影ですか」

千聖が、動揺したように呟いた。

「クランクインの、一週間前だそうです」

映像の中の千聖は、何度目かの失敗の後、小さく舌打ちをして、譜面を睨みつけていた。その表情は、普段の千聖からは想像もつかないほど、鋭く、切羽詰まったものだった。

スタジオが、しん、と静まり返った。

「……お見苦しいところを、お見せしてしまって」

千聖は、顔を赤くしながら、両手で頬を覆った。

「いえ、むしろ、素晴らしい記録だと思います。この積み重ねが、あの完成度の高いライブシーンに繋がったわけですから」

インタビュアーの言葉に、千聖は、少し複雑そうな表情を浮かべた。

「正直、こんな姿、誰にも見られたくなかったです……」

「でも、これがあったからこそ、なんですよね」

「……そうですね。今なら、そう思えます」

千聖は、映像の中の自分を見つめながら、小さく微笑んだ。あの必死だった夜が、今の自分に繋がっていることを、あらためて実感しているようだった。

 

 

「さて、ここからは、皆さんお待ちかねのお話に移りたいと思います」

インタビュアーが、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「いわゆる、あの『伝説の会場入り』についてです」

その一言に、スタジオの空気が、一気に華やいだ。

「やっぱり、その話ですよね……」

千聖は、覚悟を決めたように、小さく苦笑した。

「まず、あの日は、地震で電車が止まってしまったんですよね」

「はい。試写会の舞台挨拶に間に合わないかもしれない、という状況で……本当に焦りました」

「そこで、颯爽と現れたのが、あのクラシックカーだった、と」

「はい。知り合いが、急遽手配してくれて」

「あの車、かなり話題になりましたよね。詳しい方の分析によると、相当、珍しい車だったとか」

「私も、後から知って驚きました。まさか、あんな貴重な車だったなんて」

千聖は、当時を思い出しながら、少し困ったように笑った。

「制服姿のまま、あの車で登場されたのも、大きな話題でした」

「着替える時間も、本当になくて……気づいたら、あのままレッドカーペットを歩いてました」

「その時のお気持ちは?」

「頭の中が真っ白でした。とにかく、間に合ってよかった、という気持ちでいっぱいで」

インタビュアーは、頷きながら、次の質問に移った。

「エンジン音が、やけに響いていたという証言もありますが」

その一言に、千聖の表情が、わずかに強張った。

「あ……それは……」

「何かご存知なんですか?」

「その、運転してくれた人が……ちょっと、悪ノリしたみたいで」

「悪ノリ、ですか」

「わざとエンジンを吹かして、目立たせてたみたいです。本人は否定してましたけど、絶対わざとでした」

千聖が、少し恨めしそうに言うと、スタジオから笑い声が上がった。

「それはそれで、素敵なエピソードですね」

「本人には、今でも文句を言ってます」

千聖は、くすりと笑いながら答えた。

 

 

「実は、あの日のことは、SNSでもかなり話題になっていましたよね」

インタビュアーが、タブレットの画面をこちらに向けながら続けた。

「トレンド入りしたハッシュタグ、覚えていますか?」

「『千聖ちゃん制服会場入り』ですよね……忘れられません」

「今日は、当時寄せられた反響も、いくつかご紹介したいと思います」

画面には、当時投稿されたコメントの数々が、次々と映し出されていった。

『白鷺千聖の登場シーン、映画本編よりドラマチックだった説』

『あの車の運転手さん、本当に何者なんだろう』

『制服で堂々と歩いてたの、逆にかっこよすぎた』

『千聖ちゃんの相手、絶対良い人だと思う。あの状況で守り抜いてくれたの尊い』

千聖は、画面を見つめながら、少し照れくさそうに頬を緩めた。

「こうして見ると、本当にたくさんの方が、あの日のことを見てくださっていたんですね」

「反響の大きさに、驚かれましたか」

「はい、正直、あんなに広まるとは思っていなかったので……。でも、悪い意味でのコメントが、ほとんどなかったのは、すごく嬉しかったです」

「温かい反応が多かったですね。特に、この投稿は印象的でした」

インタビュアーが、一つの投稿を指し示した。

『地震で大変な状況の中、周りの人に助けられながら、ちゃんと仕事を全うした千聖ちゃんが素敵だと思う』

千聖は、その言葉を、じっと見つめていた。

「……ありがたいです、本当に」

千聖の声が、少しだけ震えていた。

「あの日は、本当にたくさんの人に助けられました。運転してくれた人はもちろん、後輩の方、そのおじいさま、マネージャーさん……。一人では、絶対にどうにもならなかった一日でした」

「多くの方の支えがあってこその、あの日だったんですね」

「はい。今日、こうしてお話しさせていただいて、あらためて、感謝の気持ちでいっぱいになりました」

千聖は、カメラに向かって、深く頭を下げた。

 

 

番組の最後、インタビュアーが締めくくりの言葉を口にした。

「本日は、白鷺千聖さんに、映画『RESONANCE』の撮影裏話から、あの伝説の会場入りまで、たっぷりとお話を伺いました。映画の公開も、いよいよ間近です」

「はい。今回、本当に色々な方に支えられて完成した作品です。ぜひ、劇場で、あのライブシーンを見ていただきたいです」

千聖は、まっすぐにカメラを見つめながら、そう語った。

「白鷺千聖さん、今日はありがとうございました」

「ありがとうございました」

千聖の、深く丁寧なお辞儀とともに、番組は幕を閉じた。

 

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