映画『RESONANCE』の公開が近づく中、千聖一人が出演する特別番組が組まれることになった。
タイトルは『白鷺千聖、素顔の彼女に迫る〜RESONANCE メイキングスペシャル〜』。舞台挨拶での、あの伝説的とも言える会場入りが、あまりにも話題を呼んだためだった。制服姿での登場、正体不明の男性、そして希少なクラシックカー——世間の関心の高さを受けて、急遽企画が持ち上がったのだという。
「まさか、一人で特番組んでもらえるなんて……」
控室で台本を渡されながら、千聖は思わず呟いた。
「それだけ注目されてるってことよ。良かったじゃない」
マネージャーが、誇らしげに微笑んだ。
*
収録は、まず映画の内容についての振り返りから始まった。
『RESONANCE』は、千聖にとって、これまでとは全く違う挑戦だった役だ。千聖が演じたのは、劇中バンド「RESONANCE」のベーシスト。地方から上京してきた主人公を、陰で支える親友の役どころだった。
「今日は、撮影の裏側について、色々伺っていきたいと思います」
インタビュアーの問いかけに、千聖は、少し懐かしそうな表情を浮かべた。
「実は、バンドメンバーの中で、私だけ楽器未経験だったんです」
「そうなんですか?」
「はい。ボーカル役の方は歌手活動されてますし、ギター役の方とドラム役の方は学生時代にバンド経験があって。私だけ、本当に楽器を触ったこともなくて」
「それは、プレッシャーがあったのでは」
「ありました。最初は、監督からも『白鷺さんのパートは、アフレコで対応しましょう』って言われてたんです。演奏シーンは、他の方の手元を使って、音も別撮りにする予定で」
「なるほど、それが自然な判断ですよね」
「はい……でも」
「そのことがずっと自分の中でモヤモヤしていて」
千聖は、少し言葉を止めてから、続けた。
「知り合いに、その話をしたら」
*
——数ヶ月前、アトリエでの一幕。
「アフレコで済ませるのか」
修司の声は、いつも通り淡々としていたが、その一言には、明らかに何かが滲んでいた。
「はい……皆さん経験者ですし、その方が、クオリティも安定するからって」
「それでいいのか、お前は」
「え?」
「お前の気持ちはどうなんだ?」
「俺に話をするって事は、なんか違うって気持ちがあるからだろ」
「でっでも、もう撮影のスケジュールは決まってて」
「俺はお前の気持ちを聞いてる」
「……」
「役を演じるってのは、そのキャラクターとしてきることだろう。指の動きも、音も、誰かの代わりでいいのか?」
「どうなんだ?」
修司は、手元の作業を止めることなく、続けた。
「千聖、お前いつから、そんな半端者になったんだ」
「え」
その一言が、千聖の胸に、深く刺さった。
「俺なら、悔しいから絶対見返してやるって思うけどな」
「要するにお前は舐められてるんだ」
*
「半端者……その言葉が、悔しくて。同時に、図星でもあって」
千聖は、当時を思い出しながら、静かに語った。
「それで、監督に頼み込んで、自分で弾かせてもらうことにしたんです。撮影まで、あまり時間がなかったので……そこから、必死に練習しました」
「具体的には、どのくらい練習されたんですか」
「最初の一ヶ月は、毎日五、六時間は弾いてたと思います。指先の皮が剥けて、また硬くなって、を繰り返して」
「かなりの猛練習ですね」
「正直、自分でも引くくらい没頭してました。周りにも、心配されるくらいで」
「家では母にとても心配させてしまいました。」
千聖は、少し照れくさそうに笑った。
*
——その頃、白鷺家では。
「千聖、大丈夫……?」
唯が、部屋の外から、恐る恐る声をかけた。中からは、同じフレーズを、何十回も繰り返し弾く音が聞こえてくる。
「うん、大丈夫」
返ってくる声には、鬼気迫るものがあった。唯は、ドアを少しだけ開けて、中を覗き込んだ。
千聖は、ベースを抱えたまま、真剣な——というより、ほとんど凄みすら感じさせる表情で、譜面と向き合っていた。
「……なんか、雰囲気変わった?」
「え、そう?」
「いつもの千聖と、ちょっと違う気がするというか……近寄りがたいというか」
「そんなことないよ」
千聖は、そう答えながらも、すぐにまたベースに視線を戻していた。唯は、そっとドアを閉めながら、苦笑いを浮かべた。
*
インタビューが進む中、スタジオのモニターに、撮影現場で収録されたというビデオコメントが流れ始めた。
まず映し出されたのは、ドラム役を演じた俳優だった。
「千聖ちゃんの練習、正直ちょっと怖かったです」
画面の中の彼は、苦笑いを浮かべながら続けた。
「休憩時間も、ずっと隅でベース弾いてて。声かけても『あ、はい』って生返事で、また譜面に集中しちゃうんですよ。誰も気軽に話しかけられない空気になってて」
続いて、ギター役の俳優のコメントが流れた。
「集中力が、もう別次元でした。目が据わってるっていうか……最初は心配で声かけてたんですけど、途中からもう、そっとしておこうって、みんなで決めたくらいです」
ボーカル役の主演女優も、笑いながら証言した。
「差し入れ持っていったら、『ありがとうございます』って言いながら、目線は譜面から一切動かなくて。あれは、ちょっとした恐怖でしたね」
スタジオでは、それを見ていた千聖が、両手で顔を覆っていた。
「……そんなに、怖がられてたんですか、私」
「知らなかったんですか?」
インタビュアーが、笑いを堪えながら尋ねると、千聖は、恥ずかしそうに首を振った。
「全然、気づいてませんでした……」
続いて、監督のコメントも流れた。
「正直、最初は不安でした。経験者じゃない子に任せるのは、リスクもあったので。ですが、練習期間中の彼女の様子を見て、その不安は消えました。あそこまで一つのことに打ち込める姿は、演者としてもすごいものを感じましたね。……ただ、現場のスタッフからは、『話しかけるタイミングが分からない』って、よく相談されてました」
監督の言葉に、スタジオ内から笑い声が上がった。
「本当に、みなさんにご迷惑をおかけしました……」
千聖が、深々と頭を下げると、インタビュアーが、優しく笑いかけた。
「いえいえ、その努力があったからこそ、あの素晴らしいライブシーンが生まれたわけですから。むしろ、感謝されるべきだと思いますよ」
「ありがとうございます……」
千聖は、少し照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
*
「ちなみに」
インタビュアーが、興味深そうに切り出した。
「その日から、すぐに練習を始められたんですか?」
「はい。その場で、もう決めました」
千聖は、当時を思い出すように、少し遠い目をした。
「まず最初にしたのが、ネイルを落とすことでした」
「ネイルですか?」
「はい。撮影の少し前に、可愛くしてもらったばかりだったんですけど……弦を押さえるのに、爪が伸びてると、うまく音が出せなくて。その日のうちに、全部落として、短く切りました」
「思い切った決断ですね」
「あの一言を言われた時点で、もう、迷ってる場合じゃないなって」
千聖は、そう言うと、自分の左手を、カメラの前に差し出した。
「今も、この通りです」
指先を映すカメラに、少し硬くなった指先の様子が映し出された。
「わかりますか? ここ、弦を押さえる場所が、他より硬くなってて」
「本当だ、タコができてますね」
インタビュアーが、感心したように覗き込んだ。
「これ、消えるまでにも、結構時間かかりそうですね」
「はい。今でも、たまに練習してるので、まだしばらくは残りそうです」
「せっかくなので、今日は、実際に弾いていただくことはできますか?」
インタビュアーの提案に、千聖は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「あ……はい、大丈夫です」
スタッフが、手際よくベースとアンプを運んでくる。千聖は、手渡されたベースを、慣れた手つきで構えた。
スタジオの空気が、一瞬で変わった。
先ほどまでの、はにかんだ笑顔とは違う、真剣な表情。千聖は、小さく息を吸うと、劇中の楽曲の一節を、静かに奏で始めた。
低く、しっかりとしたベースラインが、スタジオに響き渡る。指の動きに迷いはなく、リズムは正確に刻まれていた。
演奏が終わると、スタジオ内から、自然と拍手が沸き起こった。
「素晴らしいです……本当に、数ヶ月でここまで弾けるようになるものなんですね」
「必死でした」
千聖は、少し息を整えながら、微笑んだ。
「でも、練習してよかったです。あの時、中途半端な気持ちのままでいたら、多分、この達成感は味わえなかったので」
*
「実は、今日は特別に、当時の練習風景を収めた映像もお預かりしています」
インタビュアーの言葉に、千聖は、驚いたように顔を上げた。
「え、そんな映像あったんですか……?」
「はい。撮影スタッフの方が、こっそり記録用に撮っていたそうで」
スタジオのモニターに、粗い画質の映像が映し出された。
深夜と思われる、誰もいない控室の一角。譜面台とアンプだけが置かれた簡素なスペースで、千聖が一人、ベースに向き合っている姿が映っていた。
同じフレーズを、何度も何度も繰り返している。指が思うように動かず、時折顔をしかめては、また最初から弾き直す。汗で額に張り付いた前髪も、そのままだった。
画面の端には、日付と時刻の表示があった。深夜二時を回っている。
「……これ、いつの撮影ですか」
千聖が、動揺したように呟いた。
「クランクインの、一週間前だそうです」
映像の中の千聖は、何度目かの失敗の後、小さく舌打ちをして、譜面を睨みつけていた。その表情は、普段の千聖からは想像もつかないほど、鋭く、切羽詰まったものだった。
スタジオが、しん、と静まり返った。
「……お見苦しいところを、お見せしてしまって」
千聖は、顔を赤くしながら、両手で頬を覆った。
「いえ、むしろ、素晴らしい記録だと思います。この積み重ねが、あの完成度の高いライブシーンに繋がったわけですから」
インタビュアーの言葉に、千聖は、少し複雑そうな表情を浮かべた。
「正直、こんな姿、誰にも見られたくなかったです……」
「でも、これがあったからこそ、なんですよね」
「……そうですね。今なら、そう思えます」
千聖は、映像の中の自分を見つめながら、小さく微笑んだ。あの必死だった夜が、今の自分に繋がっていることを、あらためて実感しているようだった。
*
「さて、ここからは、皆さんお待ちかねのお話に移りたいと思います」
インタビュアーが、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いわゆる、あの『伝説の会場入り』についてです」
その一言に、スタジオの空気が、一気に華やいだ。
「やっぱり、その話ですよね……」
千聖は、覚悟を決めたように、小さく苦笑した。
「まず、あの日は、地震で電車が止まってしまったんですよね」
「はい。試写会の舞台挨拶に間に合わないかもしれない、という状況で……本当に焦りました」
「そこで、颯爽と現れたのが、あのクラシックカーだった、と」
「はい。知り合いが、急遽手配してくれて」
「あの車、かなり話題になりましたよね。詳しい方の分析によると、相当、珍しい車だったとか」
「私も、後から知って驚きました。まさか、あんな貴重な車だったなんて」
千聖は、当時を思い出しながら、少し困ったように笑った。
「制服姿のまま、あの車で登場されたのも、大きな話題でした」
「着替える時間も、本当になくて……気づいたら、あのままレッドカーペットを歩いてました」
「その時のお気持ちは?」
「頭の中が真っ白でした。とにかく、間に合ってよかった、という気持ちでいっぱいで」
インタビュアーは、頷きながら、次の質問に移った。
「エンジン音が、やけに響いていたという証言もありますが」
その一言に、千聖の表情が、わずかに強張った。
「あ……それは……」
「何かご存知なんですか?」
「その、運転してくれた人が……ちょっと、悪ノリしたみたいで」
「悪ノリ、ですか」
「わざとエンジンを吹かして、目立たせてたみたいです。本人は否定してましたけど、絶対わざとでした」
千聖が、少し恨めしそうに言うと、スタジオから笑い声が上がった。
「それはそれで、素敵なエピソードですね」
「本人には、今でも文句を言ってます」
千聖は、くすりと笑いながら答えた。
*
「実は、あの日のことは、SNSでもかなり話題になっていましたよね」
インタビュアーが、タブレットの画面をこちらに向けながら続けた。
「トレンド入りしたハッシュタグ、覚えていますか?」
「『千聖ちゃん制服会場入り』ですよね……忘れられません」
「今日は、当時寄せられた反響も、いくつかご紹介したいと思います」
画面には、当時投稿されたコメントの数々が、次々と映し出されていった。
『白鷺千聖の登場シーン、映画本編よりドラマチックだった説』
『あの車の運転手さん、本当に何者なんだろう』
『制服で堂々と歩いてたの、逆にかっこよすぎた』
『千聖ちゃんの相手、絶対良い人だと思う。あの状況で守り抜いてくれたの尊い』
千聖は、画面を見つめながら、少し照れくさそうに頬を緩めた。
「こうして見ると、本当にたくさんの方が、あの日のことを見てくださっていたんですね」
「反響の大きさに、驚かれましたか」
「はい、正直、あんなに広まるとは思っていなかったので……。でも、悪い意味でのコメントが、ほとんどなかったのは、すごく嬉しかったです」
「温かい反応が多かったですね。特に、この投稿は印象的でした」
インタビュアーが、一つの投稿を指し示した。
『地震で大変な状況の中、周りの人に助けられながら、ちゃんと仕事を全うした千聖ちゃんが素敵だと思う』
千聖は、その言葉を、じっと見つめていた。
「……ありがたいです、本当に」
千聖の声が、少しだけ震えていた。
「あの日は、本当にたくさんの人に助けられました。運転してくれた人はもちろん、後輩の方、そのおじいさま、マネージャーさん……。一人では、絶対にどうにもならなかった一日でした」
「多くの方の支えがあってこその、あの日だったんですね」
「はい。今日、こうしてお話しさせていただいて、あらためて、感謝の気持ちでいっぱいになりました」
千聖は、カメラに向かって、深く頭を下げた。
*
番組の最後、インタビュアーが締めくくりの言葉を口にした。
「本日は、白鷺千聖さんに、映画『RESONANCE』の撮影裏話から、あの伝説の会場入りまで、たっぷりとお話を伺いました。映画の公開も、いよいよ間近です」
「はい。今回、本当に色々な方に支えられて完成した作品です。ぜひ、劇場で、あのライブシーンを見ていただきたいです」
千聖は、まっすぐにカメラを見つめながら、そう語った。
「白鷺千聖さん、今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
千聖の、深く丁寧なお辞儀とともに、番組は幕を閉じた。