砂糖二つの特等席   作:y@s

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第50話 私も、なにか始めてみようかな

 

 

朝の教室、席に着いたばかりの花音のもとに、千聖はそっと近づいた。

「花音、これ」

「ん?」

千聖が差し出したのは、リボンのかかった、可愛らしい包みだった。

「わぁ、かわいー! どうしたの、これ」

花音が、目を輝かせながら包みを受け取った。

「……軽井沢に、行ってきて」

千聖は、おずおずとした様子で切り出した。

「え、軽井沢!? 誰と?」

「その……修司さんと」

「デート! いいなあ」

花音が、声を弾ませると、周りの席の生徒たちが、少しだけこちらに視線を向けた。千聖は、慌てて声を落とすように、花音に耳打ちした。

「詳しくは、また後で……」

「あ、うん。楽しみにしとく」

花音は、にんまりと笑いながら、包みを鞄にしまった。

「これ、開けるの、休み時間まで我慢する」

「大袈裟よ」

「大袈裟じゃないもん、お土産って開ける瞬間が一番楽しいんだから」

そんな軽いやり取りを交わしながら、朝のホームルームが始まるチャイムが鳴った。

 

 

昼休み、いつもの中庭で、花音は開口一番、身を乗り出してきた。

「さあ、約束通り、根掘り葉掘り聞かせてもらうから」

「な、なにから?」

「まず、軽井沢のどこ行ったの」

「白糸の滝と、ハルニレテラスと、旧軽井沢のカフェと……」

「涼の音でしょ!?」

「え、知ってるの?」

「雑誌で見たことある、登録有形文化財のカフェ! 前から気になってた」

「すごく素敵だったわ、建物も、中の雰囲気も」

「写真は?写真見せて」

千聖は、スマートフォンを取り出して、その日撮った写真を、次々と見せていった。

「うわ、この滝すごい」「このパフェ美味しそう」「あ、これ二人で撮ったやつ?」

花音は、一枚一枚に反応しながら、興奮気味に画面を覗き込んだ。

「それで、なんか甘い展開とかなかったの?」

「な、なかったわ、別に」

「またまたぁ、その反応、絶対なんかあったでしょ」

花音が、じとっとした目で見つめてくると、千聖は、思わず視線を逸らした。

「温泉かと思ったら、まさかの足湯だったとか……」

「はい出ました、匂わせ」

「匂わせてない!」

「顔真っ赤だけど?」

「これは、その、お母さんに変なこと言われたのを思い出しただけで……」

「お母さん、なに言ったの」

「そ、それは秘密」

千聖が、両手で顔を覆うと、花音は、ますます楽しそうに笑った。

「まあ、無理には聞かないけど。とにかく、楽しかったんだね」

「うん。すごく」

 

 

一通り質問攻めが落ち着いたところで、千聖は、ふと思い出したように尋ねた。

「そういえば、花音、映画観てくれたのよね。ありがとう。」

「あ、それ、私も話したかったの」

花音は、少し姿勢を正すと、真剣な表情で言った。

「千聖ちゃんのベースのシーン、本当にすごかった。演技とか関係なく、ちゃんとやり遂げてる姿に、なんか心動かされちゃって」

「花音……」

「それで、私も、なんか始めてみたいなって、思ったんだよね」

「え?」

「何かに本気で打ち込んでる千聖ちゃんを見てたら、私も、このままでいいのかなって、ちょっと思っちゃって」

花音は、少し照れくさそうに笑った。

「それで、実はね」

「うん」

「バイト、始めたんだ」

「え、そうなの!? 初耳なんだけど」

千聖は、驚いたように目を丸くした。

「つい最近。まだ言ってなかったね」

「なんのバイト?」

「ハンバーガーショップ」

「へえ、意外」

「理由が、ちょっと不純なんだけどね」

花音は、少し恥ずかしそうに、頬をかいた。

「制服が、すごく可愛かったから」

「それが理由なの!?」

千聖が、思わず吹き出すと、花音も、照れくさそうに笑った。

「だって、可愛いは正義でしょ。エプロンスカートと白いシャツでデザインが、本当にかわいいやつで」

「花音らしいわね、それ」

「でも、ちゃんと働いてるよ。接客も、レジも、覚えること多くて大変だけど、楽しい」

「すごいわ、花音」

「あ、そうそう。まだ会ったことないんだけど、花女の生徒も働いてるらしいよ」

「え、うちの学校の子が?」

「うん、シフトが被ったことないから、まだ会えてないんだけどね」

「今度、会えたら教えて」

「うん、絶対報告する」

花音は、鞄からチョコレートの箱を取り出して、一粒口に放り込んだ。

「あ、美味しい。これ、また買ってきてね」

「はいはい」

昼休みの穏やかな光が、階段の踊り場に柔らかく差し込んでいた。二人の笑い声が、しばらくの間、そこに響いていた。

 

 

放課後、校門を出たところで、千聖は、明るく元気な声に呼び止められた。

「千聖さんっ!」

振り返ると、そこには、制服姿の女の子が、小走りに駆け寄ってくるところだった。人懐っこい笑顔が印象的な子だった。

「あ……」

「覚えていますかっ? 事務所の、若宮イブですっ!」

「えぇ、覚えてるわ。前に、事務所で少し話したわよね」

千聖が微笑むと、イブは、パッと表情を輝かせた。

「良かったですっ! 石の上にも三年と言いますし、いつかまたお会いできるかなって、待っていましたっ!」

「……石の上にも三年?」

千聖が、思わず聞き返すと、イブは、自信満々に頷いた。

「はい! 辛抱強く待っていれば、きっと良いことがあるという意味ですっ!」

「あ、うん、そうだね……」

前に会ったのは、そんなに昔ではなかったはずだが、千聖は、あえて訂正はせずに微笑んだ。イブの、ことわざの使い方が、時々少しずれていることには、既に気づいていた。

「今日は、どうしたの?」

「千聖さんの特番、見たんですっ! すごく感動して……それで、直接お礼が言いたくて」

「お礼?」

「はい。千聖さんが、半端者にはなりたくないって、必死に練習されてる姿を見て、私も、勇気をもらいましたっ!」

イブは、まっすぐな目で、そう言った。

「私、まだ事務所でも学校でも、色々至らないことも多いんですけど……千聖さんを見習って、もっと頑張ろうと思いましたっ! これぞ、ブシドー精神ですっ!」

その真っ直ぐな言葉に、千聖は、少し面食らいながらも、温かい気持ちになった。

「ありがとう、イブちゃん。そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」

「はいっ!」

イブは、満面の笑みで頷いた。その様子に気づいた花音が、隣から声をかけた。

「あ、お友達?」

「あ、うん、紹介するね。こちら、若宮イブさん。事務所の後輩なの」

「私は、松原花音って言います、千聖ちゃんの親友です」

花音が、にこやかに挨拶をすると、イブは、丁寧に頭を下げた。

「初めまして、若宮イブと申しますっ! よろしくお願いしますっ!」

「わあ、元気! よろしくね、イブちゃん」

「花音さんも、どうぞよろしくお願いしますっ!」

イブは、誰に対しても敬語を崩さない様子で、丁寧に頭を下げた。花音は、その律儀さと元気さに、少し驚いたように目を丸くした。

「あ、そうだ、私、そろそろバイトの時間だ」

花音が、スマートフォンで時間を確認しながら、慌てた様子で言った。

「もう行かなきゃ。イブちゃん、また今度ね」

「はいっ、花音さんも、お仕事頑張ってくださいっ! 石の上にも三年ですっ!」

「あ、うん、ありがとう……?」

花音は、少し戸惑いながらも、笑顔で手を振り、駅の方向へと駆けていった。

「イブちゃんの、そのことわざ、面白いわね」

千聖が、くすりと笑うと、イブは、不思議そうに首を傾げた。

「面白い、ですかっ? 私、日本のことわざ、大好きなんですっ! 特に、ブシドーには、いつも憧れていて」

「ブシドー……武士道?」

「はいっ! 自分の意思を貫く強さ、仲間を思う心——私が大切にしていることと、すごく重なる気がして」

イブは、目を輝かせながら、熱心に語った。

「千聖さんも、ベースの猛特訓、まさにブシドー精神だと思いますっ! 石の上にも三年、雨垂れ石を穿つ、ですっ!」

「……その二つ、ちょっと意味、被ってない?」

千聖が、思わず突っ込むと、イブは、きょとんとした顔をした。

「そうですかっ? でも、どちらも良い言葉ですっ!」

イブの、邪気のない笑顔に、千聖は、思わず頬を緩めた。普段は少し厳しめな物言いをすることも多い千聖だったが、イブに対しては、なぜか、自然と優しい態度になってしまう。

「イブちゃんは、本当に、日本の文化が好きなのね」

「はいっ! 数年前にこっちに来た時は、お友達もいなくて、寂しい思いもしたんですけど……今は、事務所のみんなとも仲良くなれて、少しずつ、お仕事のファンの方も増えてきて。だから、日本のことも、みんなのことも、大好きなんですっ!」

イブの言葉には、飾らない、素直な想いが滲んでいた。

「イブちゃんの、そういうところ、すごくいいと思うわ」

「本当ですかっ!? ありがとうございますっ!」

イブは、感極まったように、両腕を大きく広げた。

「千聖さん、このハグは、親愛の証ですっ!」

「え、あ、ちょっ——」

イブは、勢いよく千聖に抱きついた。突然のことに、千聖は少し驚きながらも、その温かさに、思わず微笑んだ。

「もう、いきなりね」

「感情は、素直に伝えるのが一番ですっ!」

イブは、にっこりと笑いながら、千聖から離れた。

 

 

「そういえば、イブちゃん、今日は、事務所には寄らなくていいの?」

千聖が、ふと尋ねた。

「あ、そうでしたっ! 忘れるところでしたっ!」

イブは、急に思い出したように、目を丸くした。

「実は、今日、社長さんから、大事なお話があるらしくて。千聖さんも、呼ばれているはずですっ!」

「え、私も?」

「はいっ! さっき、マネージャーさんから連絡が来て。千聖さんに会えたら、一緒に来てほしいって、頼まれていたんですっ!」

「そうだったの……知らなかったわ」

千聖は、少し戸惑いながら、スマートフォンを確認した。確かに、マネージャーから、事務所に来るようにという連絡が入っていた。

「一体、なんの話かしら」

「わかりませんが、社長さんの雰囲気、いつもよりちょっと真剣だったらしいですっ! きっと、大事なお話ですっ!」

イブは、少し緊張した面持ちで、拳を軽く握った。

「よし、こういう時こそ、ブシドー精神ですっ! 何事にも、まっすぐ立ち向かう心構えが大事ですっ!」

「……なんの心構えかは分からないけど、とりあえず、行きましょう」

千聖は、小さく苦笑しながら、鞄を持ち直した。

「はいっ! ご一緒しますっ!」

イブは、元気よく頷くと、千聖と並んで歩き始めた。

夕暮れの街を、二人は、事務所へ向かって歩いていった。何の話をされるのか、千聖には見当もつかなかったが、イブの緊張した横顔を見ながら、少しだけ、胸がざわついているのを感じていた。

 

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