砂糖二つの特等席   作:y@s

51 / 51
第51話 新しい提案

 

 

芸能事務所——Wisteria Agencyのビルに着くと、イブは、少し緊張した面持ちで、エレベーターのボタンを押した。

「社長さん、会議室にいるはずですっ」

「なんか、緊張してきた……」

千聖も、珍しく硬い表情で、小さく息を吐いた。

会議室の扉を開けると、そこには、すでに一人の男性が、資料に目を通しながら座っていた。

「おお、来たか」

顔を上げたのは、藤城玲央(ふじしろれお)——Wisteria Agencyの社長だった。

三十代半ば、仕立ての良いスーツを涼しげに着こなし、物腰は柔らかいが、目の奥には、常に何かを計算しているような鋭さが光っている。外資系のコンサルタント出身で、その後、大手音楽レーベルのA&Rとして数々のアーティストを見出してきたという経歴の持ち主だった。

「座ってくれ」

促されるまま、千聖とイブは、向かいの席に腰を下ろした。

「今日、来てもらったのは、他でもない。新しい企画の話だ」

藤城は、手元の資料を、二人の前に滑らせた。

「知っての通り、『RESONANCE』が異例の大ヒットを記録してる。それに伴って、今、世間じゃちょっとしたバンドブームが来てる」

「はい、実感してます」

千聖が頷くと、藤城は、満足げに頷き返した。

「そこでだ」

藤城は、資料の表紙を、指先でとんとんと叩いた。

「うちの事務所でも、本格的にガールズバンドを企画することにした」

「バンド、ですか」

「ああ。市場のタイミングとしては、今が最適だ。RESONANCE効果で、若年層のバンドへの関心は過去最高水準。ここで手を打たない理由がない」

藤城は、淀みなく、けれど熱を持った口調で語った。数字やデータの話をしているはずなのに、その言葉には、エンターテインメントそのものへの、確かな愛情が滲んでいた。

「偶像に命を吹き込むのは、徹底した戦略とリスペクトだ。俺は、いつもそう思ってる」

「……格好いい言葉ですね」

千聖が、思わず呟くと、藤城は、少し照れくさそうに笑った。

「よく言われる。だが、本気でそう思ってるんだ」

イブは、隣で、緊張した面持ちのまま、話に耳を傾けていた。

「それで、私たちの話に、どう関係するんですか」

千聖が、核心を尋ねると、藤城は、二人の顔を、順番に見た。

「単刀直入に言おう」

その一言に、会議室の空気が、少しだけ張り詰めた。

 

 

藤城は、テーブルの上で指を軽く組んだ。

「白鷺君、若宮君。二人には、この新バンドのメンバーとして、参加してほしい」

「……え」

千聖は、思わず息を呑んだ。隣で、イブも、大きく目を見開いている。

「わ、私もですかっ?」

「ああ、君もだ、若宮君」

藤城は、頷きながら、続けた。

「白鷺君には、演技以外の新しい武器を持ってほしいと思っていた。『RESONANCE』で見せた、あのベースの演奏力は、素人離れしていた。あれを、一過性のもので終わらせるのは、正直、もったいない」

「あれは、役のために練習しただけで……」

「だからこそ、価値がある。付け焼き刃じゃない、本物の努力の跡だ。あの映像を見た視聴者の反応も、俺は全部データで確認してる。かなりの好感度スコアだった」

藤城は、手元のタブレットを軽く操作しながら、淡々と、けれど熱を込めて語った。

「若宮君については」

藤城の視線が、イブへと移った。

「君のダンスと歌唱力は、以前から評価してた。まだ実績は少ないが、素材としてのポテンシャルは、うちの所属タレントの中でもトップクラスだ」

「そんな……光栄ですっ!」

イブの声が、感激で震えていた。

「二人とも、それぞれ違う魅力を持ってる。それを掛け合わせれば、面白いバンドになる。俺は、そう踏んでる」

「でも……私、演技の仕事もあります。両立できるか、正直、自信ないです」

千聖が、率直に不安を口にすると、藤城は、小さく頷いた。

「もちろん、無理強いはしない。スケジュールの調整は、こっちで最大限配慮する。それに」

藤城は、少し表情を和らげた。

「これは、命令じゃない。あくまで、提案だ。君たちの人生だからな、最終的に決めるのは、君たち自身だ」

その言葉には、経営者としての合理性だけでなく、タレント一人一人への敬意が、確かに込められていた。

「メンバーは、他にも声をかけてる。詳細は追って詰めるが、まずは、二人の意思を、聞かせてほしい」

会議室に、しばらくの沈黙が流れた。

千聖は、隣に座るイブを、ちらりと見た。イブは、緊張しながらも、まっすぐな目で、じっと千聖を見つめ返していた。

「イブちゃんは、どうしたい?」

「私は……やってみたい、ですっ」

イブは、拳をぎゅっと握りながら、力強く答えた。

「怖い気持ちも、ありますけど……千聖さんと一緒なら、頑張れる気がしますっ。それに、これも、一つのブシドーだと思うので」

「……ブシドー」

千聖は、思わず小さく笑ってしまった。イブの、まっすぐな覚悟が、その一言から、しっかりと伝わってきた。

「白鷺君は、どうする」

藤城が、静かに尋ねた。

千聖は、少しの間、目を閉じて考えた。演技の仕事、これまで積み重ねてきたもの、そして、ベースを必死に練習した、あの日々のこと——様々な思いが、頭の中を巡っていく。

「……少し、考える時間をもらえますか」

「もちろんだ。急かすつもりはない」

藤城は、頷きながら、穏やかに答えた。

「ただ、これだけは言っておく」

藤城は、まっすぐに千聖を見た。

「君があの映像で見せた姿は、俺の中で、久しぶりに『本物のスターの輝き』を見た瞬間だった。それを、また見てみたいと思ってる」

その言葉に、千聖の胸の奥が、静かに揺れた。

 

 

「ちなみに」

千聖が、ふと思い出したように尋ねた。

「イブちゃんの担当パートは、決まってるんですか」

「若宮君には、キーボードを考えてる」

藤城が、頷きながら答えた。

「え、キーボードですかっ?」

イブが、驚いたように声を上げた。

「経歴書に、幼少期、ピアノを習っていたとあった。基礎ができてるなら、キーボードへの移行は、他の楽器よりスムーズなはずだ」

「た、確かに、小さい頃、ピアノ、弾いてましたっ! でも、もうずっと触ってなくて……」

「感覚は、意外と残ってるものだ。それに、若宮君の丁寧な性格は、鍵盤楽器に向いてる。俺はそう見てる」

藤城の分析に、イブは、少し驚きながらも、まんざらでもなさそうな表情を浮かべた。

「頑張って、思い出しますっ! これも、ブシドーですっ!」

「……その使い方、合ってるのかな」

千聖が、思わず小さく突っ込むと、藤城は、二人のやり取りを見ながら、微かに口元を緩めた。

 

 

コンコン、と会議室の扉がノックされた。

「入ってくれ」

藤城が声をかけると、扉が静かに開いた。

「失礼します」

「ちょうどいい、紹介しよう」

藤城が、千聖とイブに向き直った。

「彼女は、大和麻弥。新バンドの、ドラム担当だ」

「大和麻弥です。よろしくお願いします」

麻弥は、ぺこりと頭を下げながら、少し控えめな声で挨拶をした。

「白鷺千聖です。よろしくお願いします」

「若宮イブですっ! よろしくお願いしますっ!」

イブが、勢いよく頭を下げると、麻弥は、少し気圧されたように、身体を小さくした。

「ジブン、人前で喋るの、あんまり得意じゃなくて……よろしくお願いします」

「大和君は、もともとスタジオミュージシャンとして、裏方で活動してた。色んなアーティストのレコーディングやライブサポートに入ってる、腕は確かなプロだ」

藤城が、補足するように言った。

「スタジオミュージシャン……! すごいですっ!」

イブが、目を輝かせながら声を上げた。

「い、いえ、そんな、大したことは……」

麻弥は、恐縮したように、身体を小さくした。

「裏方の仕事が長かったので、こうやって、表に立つのは、実はまだ慣れてなくて」

「でも、技術は本物だぞ。俺が保証する」

藤城が、重ねて言うと、麻弥は、少し照れくさそうに俯いた。

「演奏も、頑張ってるんスけど……ジブン、正直、機材の方が得意分野で」

麻弥が、少しはにかみながら言うと、藤城が、面白そうに目を細めた。

「詳しく話してみろ」

「いいんスか?」

その瞬間、麻弥の声のトーンが、すっと変わった。

「今回、スタジオに導入予定のドラムセット、シェル材が全部メイプルで統一されてるんスよ。低域の抜けが、これがまた良くて。タムのマウントも、フローティング構造になってて、共鳴が最小限に抑えられるんス」

「え……」

千聖が、その豹変ぶりに、思わず目を丸くした。

「シンバルも、K系とA系、両方試させてもらったんスけど、K系の方が、複雑な倍音出て……あ」

麻弥は、自分の早口に気づいたように、はっと我に返った。

「す、すみません、機材の話になると、つい止まらなくなっちゃって」

「ふへへっ」

麻弥は、照れたように、そう笑った。

「すごい熱量でしたね、今の」

千聖が、感心したように言うと、麻弥は、また少し赤くなった。

「変な奴だと思われたかも」

「ううん、全然。むしろ、なんかかっこよかったです」

「そうですか? ふへへ……」

 

 

「これで、ベース、キーボード、ドラムが揃った」

藤城が、資料に何かを書き込みながら、満足げに頷いた。

「あとは、ボーカルとギターだな」

「ボーカルも、まだ決まってないんですか?」

千聖が尋ねると、藤城は、そう言いながらも、少し思案するような表情を浮かべた。

「まだ決まってない。ここが、一番重要なポジションだからな。じっくり選定してる」

「ただ、一人、候補はいる」

「候補、ですか」

「事務所の研修生に、声の良い子がいてな。まだ経験は浅いが、素材としては悪くない」

「研修生の方なんですね」

「本人には、まだ正式には打診してない。歌唱力はあるが、人前に立つ経験が少ないから、そこが課題だな」

藤城は、資料に視線を落としながら、淡々と続けた。

「近いうちに、オーディション形式で、正式に選定するつもりだ。その研修生も、当然候補には入る」

「楽しみですね、どんな人か」

千聖が言うと、藤城は、小さく頷いた。

「悪くない声をしてる。あとは、経験と自信の問題だな」

「ギターの方は?」

「そっちは、正直、まだ事務所の中に候補がいない」

藤城は、少し考えるように、顎に手をやった。

「大々的に、オーディションを開催しようかと、今、検討してる」

「オーディション、ですか」

「ああ。話題性も出るし、原石を見つける機会にもなる。RESONANCEブームに乗って、応募も相当数、見込めるはずだ」

藤城は、タブレットに何か書き込みながら、続けた。

「時期や規模は、まだ詰めてる段階だ。決まったら、また共有する」

「なんか、どんどん本格的になっていきますね」

千聖が、少し圧倒されたように呟くと、藤城は、小さく笑った。

「中途半端にやる気はない。本気でやるからこそ、意味がある」

「という訳で、決まっているのは、ここまでだ」

藤城は、資料を軽くまとめながら、話を締めくくった。

「白鷺君には、良い返事を期待している」

そう言うと、藤城は、席を立ち、そのまま会議室を出て行った。扉が閉まる音とともに、部屋の空気が、少しだけ和らいだ。

 

 

残された三人は、しばらく、なんとなく顔を見合わせていた。

「なんか、緊張しましたねー」

麻弥が、ほっとしたように、肩の力を抜いた。

「本当ですっ。社長さんの前だと、つい気合い入っちゃいますっ」

「私も、まだドキドキしてます」

千聖が、小さく笑いながら言うと、麻弥は、興味深そうに千聖を見た。

「そういえば、白鷺さん、映画のRESONANCE、ジブンも観に行きましたよ」

「あ、ありがとうございます」

「ライブシーンの演奏、本当にすごかったです。あれ、CGとかじゃなくて、本当に弾いてるんですよね」

「ええ、全部演奏してます」

「指の動きとか、リズムの取り方とかもう、ほとんどプロって感じでした」

麻弥が、真剣な表情で言うと、千聖は、少し照れくさそうに頬をかいた。

「あと、あの会場入りも、話題になりましたよねっ!」

イブが、興奮気味に割り込んできた。

「私、テレビで見てましたっ! あの車、すごくかっこよかったですっ!」

「あ、あれは、色々、事情があって……」

「詳しく聞きたいですっ!」

「ジブンも、気になってました。あの車、結構有名なやつなんですよね」

麻弥まで、興味津々な様子で身を乗り出してくると、千聖は、思わずたじろいだ。

「え、えっと……」

「白鷺さん、あの日、一体何があったんですかっ?」

イブと麻弥、二人からの視線に囲まれて、千聖は、観念したように、小さくため息をついた。

「……長い話になるけど、いいかしら」

「もちろんですっ!」

「時間なら、たっぷりありますよ」

会議室には、先ほどまでの緊張感とは打って変わって、新しい仲間たちとの、賑やかな空気が広がっていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

千早愛音は恋愛弱者である(作者:腸煮えくり返り丸抜刀)(原作:BanG Dream!)

千早ってオリ主と殴り合うのは似合うけど付き合うのは解釈不一致かもしれない。


総合評価:282/評価:8.7/連載:3話/更新日時:2026年07月03日(金) 17:00 小説情報

初華じゃない方の初華(作者:まつきた)(原作:BanG Dream!)

ついに続編が発表されてしまったバンドリ界隈。初華(本物)小説を書くなら今しかない!ということで三角初華上京説です。▼テレビの中で、姉が私の名前で笑っていた。▼三角初華——それは私の名前だ。 なのに島の教室では、もう「sumimiの初華じゃない方」として扱われ始めている。▼名前を取り返す。理由を聞く。それだけのつもりで島を出た。 色紙一枚と、返ってくるあてのな…


総合評価:415/評価:8.42/完結:23話/更新日時:2026年04月11日(土) 21:00 小説情報

地の底にて(作者:イナバの書き置き)(原作:BanG Dream!)

Ave Mujica相当じっとりめラブコメ。


総合評価:997/評価:8.94/連載:16話/更新日時:2026年07月06日(月) 20:00 小説情報

■金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」(作者:あばなたらたやた)(原作:BanG Dream!)

▼父親「168億円、吹き飛ばした」▼唐突に人生終了のお知らせ。▼超金持ちの御曹司だった豊川真我の人生は、一夜にして崩壊した。▼父親は追放され、妹の祥子はその後についていく。▼真我は将来も不透明……なのに、なぜか周囲には、悩みを抱えた人間が集まり始める。▼「お父様を助ける!(お前を見ると惨めになる)」▼「私のせいで壊れた(勘違い)」▼「私のせいで壊れた(責任の…


総合評価:204/評価:8.33/連載:8話/更新日時:2026年07月18日(土) 19:56 小説情報

あかねちゃん………煙草買ってきてくれない?(作者:ディバル)(原作:推しの子)

▼ヤニカスお兄さんと黒川あかねの雑談コメディ


総合評価:717/評価:7.82/連載:7話/更新日時:2026年05月29日(金) 12:10 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>