砂糖二つの特等席   作:y@s

52 / 58




第52話 相談したいこと

 

 

事務所の話を聞いてから、数日が経っていた。

千聖はバンドへの参加について、ずっと考え続けていた。演技の仕事との両立、新しい挑戦への不安、そして——藤城の言葉が、何度も頭の中で反芻されていた。

——君があの映像で見せた姿は、俺の中で、久しぶりに『本物のスターの輝き』を見た瞬間だった。

自分一人で答えを出すには、まだ気持ちが定まらない。そんな時、千聖が真っ先に思い浮かべたのは、修司の顔だった。

 

「相談、してみようかな」

そう呟いて千聖は、アトリエへと向かった。

 

*

 

アトリエの扉を開けると、修司はちょうど上着を羽織っているところだった。

 

「あ、修司さん、こんにちは」

 

「ああ、千聖か。ちょうどいい」

 

「どこか行くんですか?」

 

「昼、食いっぱぐれた。適当に、買ってくる」

修司はそう言いながら、財布をポケットに突っ込んだ。千聖は少し嫌な予感がした。

 

「その辺って、まさか……」

 

「ハンバーガーだ」

 

「やっぱり……!」

千聖は、思わず声を上げた。

「また、そんなもの食べるつもりですか」

 

「腹が減ってる。文句あるか」

 

「あります。前にも言いましたよね、ジャンクフードばっかりだと、体に良くないって」

 

「たまにはいいだろう」

 

「たまにじゃないでしょう、絶対。私が知らないだけで」

 

千聖が、じとっとした目で修司を見ると、修司は少し気まずそうに視線を逸らした。図星だった。

 

「……とにかく、私も行きます」

 

「お前は腹減ってないだろう」

 

「見張りです。ちゃんと栄養のあるもの選んでるか、確認しないと」

千聖は腕を組んできっぱりと宣言した。

修司は少しの間、千聖の顔を見つめてから小さく息をついた。

「好きにしろ」

 

「行きます」

 

*

 

二人並んでアトリエ近くのハンバーガーショップへと向かった。

歩きながらも千聖の小言は止まらなかった。

 

「本当に修司さん、ちゃんと食べてるのか心配なんです。この間だって冷蔵庫の中、空っぽだったし」

 

「そこまで気にしなくていい」

 

「気にします。大事な人が栄養の偏った食生活してるの見て、平気でいられないので」

 

千聖が真面目な顔でそう言うと、修司は少しだけ驚いたように千聖の方を見た。

 

「……大事な人、か」

 

「な、なんですか、その反応」

 

「いや、別に」

修司はそっけなく答えたが、その口元は、わずかに緩んでいた。

 

「今日はハンバーガーですけど、明日からはちゃんとしてくださいね」

 

「明日のことは、明日考える」

 

「そういう場当たり的なところ、直した方がいいと思います」

 

千聖は隣を歩きながら、ちらりと修司を見上げた。

「だいたいこんな食生活続けてたら、そのうち太りますよ」

 

「太ったことない」

 

「今までは、ですよね。年齢とともに代謝って落ちていくものなんですから」

 

「お前、いくつだと思ってる」

 

「二十八ですよね。もう若くないんですから」

 

「一言余計だ」

 

修司がじろりと千聖を見下ろすと、千聖は悪びれもせずに肩をすくめた。

 

「事実を言ってるだけです」

 

「太ったら太ったで、別に問題ないだろ」

 

「問題あります」

 

千聖は少し声を強めて言ってから、はっと我に返ったように、頬を赤らめた。

 

「……せっかく、その、かっこいいんですから。それが崩れたら、もったいないじゃないですか」

 

「……は?」

修司が意表を突かれたように目を見開くと、千聖は慌てて視線を逸らした。

 

「べ、別に、変な意味じゃないです。ただの、感想です」

 

「お前な……」

修司は、何か言いかけて、やめた。ただ、その耳が、わずかに赤くなっているのを、千聖は見逃さなかった。

 

「な、なんですか、その顔」

 

「……何でもない」

 

修司はそっぽを向いたまま、早足で歩き出した。

千聖はその背中を追いかけながら、自分の顔もまだ熱いのを感じていた。

 

「今度、ちゃんとしたお弁当、また作りますから。それまで我慢してください」

 

「わかった」

 

千聖はふと思い出したように、修司を見上げた。

 

「そういえば修司さんがよく行くお店って、どんなところなんですか? 私、連れて行ってもらったことなかったですよね」

 

「……そういえば、なかったな」

修司は、少し考えるように視線を上げた。

 

「『Route 66 Diner』っていう店だ。50年代のアメリカンダイナーって感じの内装で、ジュークボックスとか、ヴィンテージのバイクや車が好きな連中がよく集まってる」

 

「バイク?」

 

「店長がその手の事が好きでな。店の前にハーレーとか、アメ車が並んでる日もある」

 

千聖は、少し意外そうな顔をした。

「修司さんがそういうお店行くイメージなかったです」

 

「服の仕事してると、ああいう古いデザインは、逆に勉強になる」

 

「なるほど……」

 

千聖は、なんとなく納得したように頷きながら、少し楽しみになってきた自分に気づいた。

「なんか、楽しみになってきました」

 

「大した店じゃないぞ」

 

「それでも修司さんがよく行く場所って、気になります」

そんな話をしているうちに、通りの先に赤いネオンの看板が見えてきた。

 

*

 

扉を開けると、ロカビリーの音と一緒に、若い笑い声がいくつも聞こえてきた。

千聖は少し驚いて店内を見回した。

 

「あれ……思ったより、若い人多いですね」

 

「そうか?」

 

「修司さんの話だと、バイクとか車好きのおじさんばっかりのイメージだったんですけど」

 

「前はな。今は、まあ……色々あって、客層が少し変わった」

 

修司がどこか気まずそうに言葉を濁すのを、千聖は不思議に思いながらも、カウンターの向こうにいるマミの制服に目を留めた。

 

「わあ、この制服、すごく可愛いですね! ドット柄と、このリボンの感じとか」

 

千聖が素直に褒めると、マミがカウンターから顔を出した。

「でしょう? これね、修司くんがデザインしてくれたのよ」

 

「え……修司さんが?」

千聖が目を丸くして修司の方を見ると、修司は視線を逸らした。

 

「大した話じゃない」

 

「大した話よ!」

マミが割り込むように話し出した。

 

「前の制服、地味でねえ。お客さんもあの頃はオジサンばっかりで。若い子に来てほしいなあって、修司くんに何気なく愚痴ったの。そしたら」

 

「その場で適当にラフ画を描いただけだ」

 

「適当じゃなかったじゃない! あのデッサン一枚で、うちの制服、丸ごと変わったんだから」

 

マミは懐かしそうに笑った。

「制服変えたら、若い女の子のバイトが何人も応募してくるようになってねえ。それで、お店の雰囲気もパッと明るくなって」

 

「そこから、制服が可愛いって口コミで広がって……」

 

千聖が話の続きを引き取るように呟くと、マミが大きく頷いた。

 

「そう! 今じゃ、女の子のお客さんも、すごく増えたのよ。修司くんのおかげ」

 

千聖は改めて隣に立つ修司を見つめた。

 

「知らなかった……修司さんに、そんな一面が」

 

「別に、大したことはしてない」

 

「大したことです。お店、変えちゃったんですから」

 

修司は居心地悪そうに髪をかき上げた。

 

「……とにかく席、座るぞ」

 

「そういえば……」

修司がふと思い出したように呟いた。

 

「千聖と同じ高校の子が、ここでバイトしてたな」

 

「え、うちの高校の子ですか?」

 

千聖が興味を引かれたように身を乗り出すと、ちょうどそのタイミングで、奥の厨房から明るい声が響いた。

 

「修司さん、いらっしゃいませ……あれ?」

 

エプロン姿の女の子が千聖の顔を見て、ぱちくりと目を瞬かせた。

ふわりとしたピンク色の髪を揺らしながら千聖の方に駆け寄ってくる。

「もしかして、白鷺さん!? ……!」

 

「あ……えっと」

 

千聖が記憶をたどっているとにこにこと自己紹介した。

 

「丸山彩です! クラス、違うから話したことなかったよね」

 

「あ、丸山さん。えっと、うん、初めまして……でいいのかな?」

 

ぎこちなく挨拶を交わす千聖に、彩は屈託のない笑顔を向けた。

 

「私、まだ研修生なんだけど、Wisteria Agencyにいるんだ! だから、白鷺さんのことは、前から知ってて」

 

「え、丸山さんも、Wisteriaに……!」

 

千聖が驚いたように声を上げると、彩は嬉しそうに頷いた。

 

「うん! まだ全然、だけどね。バイトと研修と、両立させてもらってて」

 

修司が二人のやり取りを見ながら軽く口を挟んだ。

「真面目に頑張ってるからな、この店で」

 

「修司さん、それ、褒めすぎです……!」

 

彩は照れたように頬を染めながら、慌てて厨房の方へ戻っていった。

千聖はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。

 

「同じ事務所の子が、こんなところで働いてたんですね」

 

「世間、狭いだろう」

 

「はい、なんか、不思議な気持ちです」

 

*

 

奥の席に座ると千聖は、テーブルに置かれたメニュー表を、興味深そうに覗き込んだ。

 

「修司さんは、いつもどんなの食べてるんですか?」

 

「大体、この"The Mother Road" だ」

 

「マザーロード……?」

 

「ダブルパティに、チェダーが乗った店の看板メニューだ」

 

千聖はメニューを見ながら眉根を寄せた。

 

「ダブルパティって、それ、絶対カロリー高いやつじゃないですか」

 

「うまいんだよ、それが」

 

「うまいとかの問題じゃなくて……」

 

千聖はメニューをじっくりと見比べた。

シカゴ・BBQバーガー、テキサス・チリバーガー、どれも見るからにボリューム満点だった。

 

「これとか、これとか……全部、お肉ましましじゃないですか」

 

「ここは、そういう店だ」

 

「わかってますけど……」

 

千聖は少し考えてから、メニューの隅にサラダやシェイクの表記を見つけた。

 

「あ、シェイクもあるんですね。サンタモニカ・サンセット・シェイク……」

 

「甘いやつだ。夕日の色、してる」

 

「綺麗そうですね」

 

千聖は少し目を輝かせたが、すぐに、はっと真顔に戻った。

 

「じゃなくて。修司さん、今日はマザーロードじゃなくて、こっちにしてください」

 

千聖が指さしたのは、比較的あっさりめのチキンとレタスが挟まったサンドイッチだった。

 

「それ、ここの名物じゃないだろう」

 

「知ってます。でも、今日はこれで我慢してください」

 

「我慢て、お前……」

 

「お願いします。せめて、今日だけは」

 

千聖が真剣な顔で見つめてくると、修司はしばらく黙り込んでから、小さくため息をついた。

 

「……わかった。今日だけだぞ」

 

「はい! それでいいです」

千聖は満足げに頷くと、自分の分のメニューも選び始めた。

「私は、シェイクを頼んでいいですか?」

 

「好きにしろ」

 

マミが注文を伝票に書き込んで、厨房へと戻っていった。店内には、またロカビリーのレコードが流れ始める。

千聖は少し姿勢を正すと、テーブルの上で指を組んだ。

 

「……あの、修司さん」

 

「なんだ」

 

「今日、来たのは、ハンバーガーの見張りじゃなくて。ちょっと、相談したいことがあって」

 

千聖の声のトーンが変わったのに気づいたのか、修司は軽く目を細めて、千聖の方に向き直った。

 

「相談? 珍しいな、お前が」

 

「はい……」

 

千聖は一度、テーブルの上に視線を落としてから、意を決したように顔を上げた。

 

「事務所から、話があったんです。バンドの、話」

 

「バンド?」

 

「はい。歌とか、演奏とか、そういう、アイドルバンド的なグループを組む企画があるみたいで。私にも、声がかかって」

 

修司は少し驚いたように眉を上げた。

 

「お前が、歌うのか」

 

「わからないです、まだ。メンバーとか、そういう段階でもなくて……ただ、参加してみないかって、打診されてるだけで」

 

「それで、悩んでるのか」

 

千聖はこくりと頷いた。

 

「演技の仕事との両立とか、そもそも歌なんて、やったことないし……不安なことばっかりで」

 

そこまで言って、千聖は少し言葉を選ぶように、間を置いた。

 

「でも……藤城さんに、言われたことがあって」

 

「藤城?」

 

「事務所の社長です。あの映像を見て、久しぶりに『本物のスターの輝き』を見た気がした、って」

 

千聖は藤城の言葉を、頭の中で反芻するように、ゆっくりと口にした。

 

「その言葉が、ずっと、頭から離れなくて」

 

修司は黙って千聖の話に耳を傾けていた。

 

「……それで、私、一人じゃ、答えが出せなくて。修司さんなら、どう思うかなって」

 

千聖はそう言うと、少し不安そうに、修司の顔色をうかがった。

 

「変な相談だって、思いますよね。修司さんに、こんなこと聞いても……」

 

「いや」

修司は静かに首を振った。

 

「話、続けろ」

 

その言葉に千聖は、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。

修司は、しばらく黙って千聖を見つめてから、静かに口を開いた。

 

「まず両立とか、そういうのは、後で考えればいい話だ」

 

「え……?」

 

「聞きたいのは、そこじゃない」

 

修司はテーブルに肘をつくと、まっすぐに千聖を見据えた。

 

「お前自身は、どうなんだ」

 

「私、自身……?」

 

「やりたいのか、やりたくないのか。それだけだ」

 

千聖は一瞬、言葉に詰まった。

 

「仕事との兼ね合いとか、不安とか、そういうのは、全部脇に置いて考えてみろ」

 

修司は続けた。

 

「歌うこと、演奏すること……想像して、楽しいか。楽しくないか」

 

千聖、目を伏せてしばらく考え込んだ。

 

「……楽しい、と思います」

 

千聖はぽつりと呟いた。

 

「想像しただけで、なんか、ワクワクする自分がいて。でも、それと同時に、怖いって気持ちも、すごくあって」

 

「怖いのは、うまくやれるかどうかの話だろう」

 

「……はい」

 

「それは、楽しいかどうかとは、別の話だ」

 

修司の言葉に、千聖は、はっとしたような顔をした。

 

「不安とか、両立の心配とか、そういうのは、後からいくらでも考えられる。でも、お前自身が、楽しいと思えるかどうかは、誰にも答えられない」

 

千聖は修司の言葉を噛み締めるように聞いていた。

 

「……楽しい、です。」

 

千聖はもう一度、はっきりと言った。

今度は迷いのない声だった。

 

「それなら、答えはもう出てるんじゃないか」

 

修司はそう言うと少しだけ口元を緩めた。

 

「……それに」

 

修司は少し間を置いてから続けた。

 

「俺もRESONANCEを見た」

 

「え、修司さんも……?」

 

千聖は驚いたように顔を上げた。

 

「話題になってたからな。気になって、見た」

 

「そう、なんですか……」

 

千聖は少し照れたように視線を落とした。

 

「あの映像の中で弾いてた、ベース」

 

修司が静かに言った。

 

「正直、技術としては荒削りだった。指の動きも、音の粒も、お世辞にも上手いとは言えなかった」

 

「……ですよね」

 

千聖は少しばつが悪そうに肩をすくめた。

 

「でも」

 

修司はまっすぐに千聖を見て続けた。

 

「気持ちは、伝わってきた。あの音には」

 

「……」

 

「下手だとか、上手いとか、そういう話じゃない。何かを、必死に伝えようとしてる音だった。俺は、そう感じた」

 

千聖は言葉を失ったように修司の顔を見つめていた。

 

「事務所の社長さんが、『本物』を見たって言ったのも……多分、そこだろうな」

 

修司はそう付け加えると、コップの水を一口飲んだ。

 

「技術は、これからいくらでも磨ける。だが、その音は、今のお前にしか出せない」

 

千聖はしばらく何も言えなかった。

 

「……ありがとう、ございます」

 

千聖はやっとのことでそう絞り出した。

 

「なんか修司さんに言われると、説得力、すごいです」

 

「買いかぶりすぎだ」

 

「買いかぶってないです」

 

千聖は少しだけ笑った。

千聖はしばらく、じっと自分の手元を見つめていた。

やがて、何かを固めるように、小さく息を吸い込む。

 

「……決めました」

 

「ん?」

 

「バンド、やってみます」

 

千聖は顔を上げると、はっきりとした声で言った。

 

「怖い気持ちも、まだあります。うまくできるかも、わからないし、演技との両立だって、これから考えなきゃいけないことだらけで」

 

「ああ」

 

「でも……楽しいって思う気持ちに、嘘はつけないから」

 

千聖はそう言って少しはにかんだように笑った。

 

「それに、修司さんがあの音を『本物』だって言ってくれたから。だったら、もっと、ちゃんと届けたいって、思いました」

 

修司は、しばらく千聖の顔を見つめてから、ゆっくりと頷いた。

「いいんじゃないか」

 

「はい」

 

「ただし」

 

修司は少し声のトーンを変えて続けた。

「無理はするなよ。両立がきつくなったら、ちゃんと言え。抱え込むな」

 

「わかってます」

千聖は素直に頷いた。

 

「その時は、ちゃんと相談しますから。今日、みたいに」

 

「そうしろ」

 

修司はそう言うとふっと表情を緩めた。

テーブルの向こうから、マミが料理を運んでくる気配がした。

 

「よし、決まったところで、飯だ」

 

「あ、はい!」

 

千聖は明るい声で返事をすると、運ばれてきたシェイクに目を輝かせた。

窓の外では、夕暮れの光が赤いネオン看板を、じんわりと照らし始めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。