砂糖二つの特等席   作:y@s

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第52話 相談したいこと

 

 

事務所の話を聞いてから、数日が経っていた。

千聖は、バンドへの参加について、ずっと考え続けていた。演技の仕事との両立、新しい挑戦への不安、そして——藤城の言葉が、何度も頭の中で反芻されていた。

——君があの映像で見せた姿は、俺の中で、久しぶりに『本物のスターの輝き』を見た瞬間だった。

自分一人で答えを出すには、まだ気持ちが定まらない。そんな時、千聖が真っ先に思い浮かべたのは、修司の顔だった。

「相談、してみようかな」

そう呟いて、千聖は、アトリエへと向かった。

 

 

アトリエの扉を開けると、修司は、ちょうど上着を羽織っているところだった。

「あ、修司さん、こんにちは」

「ああ、千聖か。ちょうどいい」

「どこか行くんですか?」

「昼、食いっぱぐれた。適当に、買ってくる」

修司は、そう言いながら、財布をポケットに突っ込んだ。千聖は、少し嫌な予感がした。

「その辺って、まさか……」

「ハンバーガーだ」

「やっぱり……!」

千聖は、思わず声を上げた。

「また、そんなもの食べるつもりですか」

「腹が減ってる。文句あるか」

「あります。前にも言いましたよね、ジャンクフードばっかりだと、体に良くないって」

「たまにはいいだろう」

「たまにじゃないでしょう、絶対。私が知らないだけで」

千聖が、じとっとした目で修司を見ると、修司は、少し気まずそうに視線を逸らした。図星だった。

「……とにかく、私も行きます」

「お前は、腹減ってないだろう」

「見張りです。ちゃんと、栄養のあるもの選んでるか、確認しないと」

千聖は、腕を組んで、きっぱりと宣言した。修司は、少しの間、千聖の顔を見つめてから、小さく息をついた。

「好きにしろ」

「行きます」

 

 

二人並んで、アトリエ近くのハンバーガーショップへと向かった。歩きながらも、千聖の小言は止まらなかった。

「本当に、修司さん、ちゃんと食べてるのか心配なんです。この間だって、冷蔵庫の中、空っぽだったし」

「そこまで、気にしなくていい」

「気にします。大事な人が、栄養偏った食生活してるの見て、平気でいられないので」

千聖が、真面目な顔でそう言うと、修司は、少しだけ驚いたように、千聖の方を見た。

「……大事な人、か」

「な、なんですか、その反応」

「いや、別に」

修司は、そっけなく答えたが、その口元は、わずかに緩んでいた。

「今日はハンバーガーですけど、明日からはちゃんとしてくださいね」

「明日のことは、明日考える」

「そういう場当たり的なところ、直した方がいいと思います」

千聖は、隣を歩きながら、ちらりと修司を見上げた。

「だいたい、こんな食生活続けてたら、そのうち太りますよ」

「太ったことない」

「今までは、ですよね。年齢とともに、代謝って落ちていくものなんですから」

「お前、いくつだと思ってる」

「二十八ですよね。もう若くないんですから」

「一言余計だ」

修司が、じろりと千聖を見下ろすと、千聖は、悪びれもせずに肩をすくめた。

「事実を言ってるだけです」

「太ったら太ったで、別に問題ない」

「問題あります」

千聖は、少し声を強めて言ってから、はっと我に返ったように、頬を赤らめた。

「……せっかく、かっこいいんですから。それが崩れたら、もったいないじゃないですか」

「……は?」

修司が、意表を突かれたように目を見開くと、千聖は、慌てて視線を逸らした。

「べ、別に、変な意味じゃないです。ただの、感想です」

「お前な……」

修司は、何か言いかけて、やめた。ただ、その耳が、わずかに赤くなっているのを、千聖は見逃さなかった。

「な、なんですか、その顔」

「……何でもない」

修司は、そっぽを向いたまま、早足で歩き出した。千聖は、その背中を追いかけながら、自分の顔もまだ熱いのを感じていた。

「今度、ちゃんとしたお弁当、また作りますから。それまで、我慢してください」

「わかった」

千聖は、ふと思い出したように、修司を見上げた。

「そういえば、修司さんがよく行くお店って、どんなところなんですか? 私、連れて行ってもらったことなかったですよね」

「……そういえば、なかったな」

修司は、少し考えるように視線を上げた。

「『Route 66 Diner』っていう店だ。50年代のアメリカンダイナーって感じの内装で、ジュークボックスとか、ヴィンテージのバイクや車が好きな連中がよく集まってる」

「バイク?」

「店長がその手の事が好きでな。店の前にハーレーとか、アメ車が並んでる日もある」

千聖は、少し意外そうな顔をした。

「修司さん、そういうお店行くイメージなかったです」

「服の仕事してると、ああいう古いデザインは、逆に勉強になる」

「なるほど……」

千聖は、なんとなく納得したように頷きながら、少し楽しみになってきた自分に気づいた。

「なんか、楽しみになってきました」

「大した店じゃないぞ」

「それでも、修司さんがよく行く場所って、気になります」

そんな話をしているうちに、通りの先に、赤いネオンの看板が見えてきた。

 

 

扉を開けると、ロカビリーの音と一緒に、若い笑い声がいくつも聞こえてきた。千聖は、少し驚いて店内を見回した。

「あれ……思ったより、若い人多いですね」

「そうか?」

「修司さんの話だと、バイクとか車好きのおじさんばっかりのイメージだったんですけど」

「前はな。今は、まあ……色々あって、客層が少し変わった」

修司が、どこか気まずそうに言葉を濁すのを、千聖は不思議に思いながらも、カウンターの向こうにいるマミの制服に目を留めた。

「わあ、この制服、すごく可愛いですね! ドット柄と、このリボンの感じとか」

千聖が、素直に褒めると、マミが、カウンターから顔を出した。

「でしょう? これね、修司くんがデザインしてくれたのよ」

「え……修司さんが?」

千聖が、目を丸くして修司の方を見ると、修司は、視線を逸らした。

「大した話じゃない」

「大した話よ!」

マミが、割り込むように話し出した。

「前の制服、地味でねえ。お客さんも、あの頃はオジサンばっかりで。若い子に来てほしいなあって、修司くんに何気なく愚痴ったの。そしたら」

「その場で、適当にラフ画を描いただけだ」

「適当じゃなかったじゃない! あのデッサン一枚で、うちの制服、丸ごと変わったんだから」

マミは、懐かしそうに笑った。

「制服変えたら、若い女の子のバイトが何人も応募してくるようになってねえ。それで、お店の雰囲気もパッと明るくなって」

「そこから、制服が可愛いって、口コミで広がって……」

千聖が、話の続きを引き取るように呟くと、マミが、大きく頷いた。

「そう! 今じゃ、女の子のお客さんも、すごく増えたのよ。修司くんのおかげ」

千聖は、改めて、隣に立つ修司を見つめた。

「知らなかった……修司さんに、そんな一面が」

「別に、大したことはしてない」

「大したことです。お店、変えちゃったんですから」

修司は、居心地悪そうに、髪をかき上げた。

「……とにかく、席、座るぞ」

「そういえば……」

修司が、ふと思い出したように呟いた。

「千聖と同じ高校の子が、ここでバイトしてたな」

「え、うちの高校の子ですか?」

千聖が、興味を引かれたように身を乗り出すと、ちょうどそのタイミングで、奥の厨房から、明るい声が響いた。

「修司さん、いらっしゃいませ……あれ?」

エプロン姿の女の子が、千聖の顔を見て、ぱちくりと目を瞬かせた。ふわりとしたピンク色の髪を揺らしながら、彼女は、千聖の方に駆け寄ってくる。

「もしかして、白鷺さん!? ……!」

「あ……えっと」

千聖が記憶をたどっていると、彼女は、にこにこと自己紹介した。

「丸山彩です! クラス、違うから話したことなかったよね」

「あ、丸山さん。えっと、うん、初めまして……でいいのかな?」

ぎこちなく挨拶を交わす千聖に、彩は、屈託のない笑顔を向けた。

「私、まだ研修生なんだけど、Wisteria Agencyにいるんだ! だから、白鷺さんのことは、前から知ってて」

「え、丸山さんも、Wisteriaに……!」

千聖が、驚いたように声を上げると、彩は、嬉しそうに頷いた。

「うん! まだ全然、だけどね。バイトと研修と、両立させてもらってて」

修司が、二人のやり取りを見ながら、軽く口を挟んだ。

「真面目に頑張ってるからな、この店で」

「修司さん、それ、褒めすぎです……!」

彩は、照れたように頬を染めながら、慌てて厨房の方へ戻っていった。千聖は、その背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。

「同じ事務所の子が、こんなところで働いてたんですね」

「世間、狭いだろう」

「はい、なんか、不思議な気持ちです」

 

 

奥の席に座ると、千聖は、テーブルに置かれたメニュー表を、興味深そうに覗き込んだ。

「修司さんは、いつもどんなの食べてるんですか?」

「大体、"The Mother Road" だ」

「マザーロード……?」

「ダブルパティに、チェダーが乗った、店の看板メニューだ」

千聖は、メニューを見ながら、眉根を寄せた。

「ダブルパティって、それ、絶対カロリー高いやつじゃないですか」

「うまいんだよ、それが」

「うまいとかの問題じゃなくて……」

千聖は、メニューを、じっくりと見比べた。シカゴ・BBQバーガー、テキサス・チリバーガー、どれも見るからにボリューム満点だった。

「これとか、これとか……全部、お肉ましましじゃないですか」

「ここは、そういう店だ」

「わかってますけど……」

千聖は、少し考えてから、メニューの隅に、サラダやシェイクの表記を見つけた。

「あ、シェイクもあるんですね。サンタモニカ・サンセット・シェイク……」

「甘いやつだ。夕日の色、してる」

「綺麗そうですね」

千聖は、少し目を輝かせたが、すぐに、はっと真顔に戻った。

「じゃなくて。修司さん、今日は、マザーロードじゃなくて、こっちにしてください」

千聖が指さしたのは、比較的あっさりめの、チキンとレタスが挟まったサンドイッチだった。

「それ、ここの名物じゃないだろう」

「知ってます。でも、今日はこれで我慢してください」

「我慢て、お前……」

「お願いします。せめて、今日だけは」

千聖が、真剣な顔で見つめてくると、修司は、しばらく黙り込んでから、小さくため息をついた。

「……わかった。今日だけだぞ」

「はい! それでいいです」

千聖は、満足げに頷くと、自分の分のメニューも選び始めた。

「私は、シェイクを頼んでいいですか?」

「好きにしろ」

マミが注文を伝票に書き込んで、厨房へと戻っていった。店内には、またロカビリーのレコードが流れ始める。

千聖は、少し姿勢を正すと、テーブルの上で指を組んだ。

「……あの、修司さん」

「なんだ」

「今日、来たのは、ハンバーガーの見張りじゃなくて。ちょっと、相談したいことがあって」

千聖の声のトーンが変わったのに気づいたのか、修司は、軽く目を細めて、千聖の方に向き直った。

「相談? 珍しいな、お前が」

「はい……」

千聖は、一度、テーブルの上に視線を落としてから、意を決したように顔を上げた。

「事務所から、話があったんです。バンドの、話」

「バンド?」

「はい。歌とか、演奏とか、そういう、アイドルバンド的なグループを組む企画があるみたいで。私にも、声がかかって」

修司は、少し驚いたように、眉を上げた。

「お前が、歌うのか」

「わからないです、まだ。メンバーとか、そういう段階でもなくて……ただ、参加してみないかって、打診されてるだけで」

「それで、悩んでるのか」

千聖は、こくりと頷いた。

「演技の仕事との両立とか、そもそも歌なんて、やったことないし……不安なことばっかりで」

そこまで言って、千聖は、少し言葉を選ぶように、間を置いた。

「でも……藤城さんに、言われたことがあって」

「藤城?」

「事務所の社長です。あの映像を見て、久しぶりに『本物のスターの輝き』を見た気がした、って」

千聖は、藤城の言葉を、頭の中で反芻するように、ゆっくりと口にした。

「その言葉が、ずっと、頭から離れなくて」

修司は、黙って、千聖の話に耳を傾けていた。

「……それで、私、自分一人じゃ、答えが出せなくて。修司さんなら、どう思うかなって」

千聖は、そう言うと、少し不安そうに、修司の顔色をうかがった。

「変な相談だって、思いますよね。修司さんに、こんなこと聞いても……」

「いや」

修司は、静かに首を振った。

「話、続けろ」

その言葉に、千聖は、少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。

修司は、しばらく黙って千聖を見つめてから、静かに口を開いた。

「両立とか、そういうのは、後で考えればいい話だ」

「え……?」

「聞きたいのは、そこじゃない」

修司は、テーブルに肘をつくと、まっすぐに千聖を見据えた。

「お前自身は、どうなんだ」

「私、自身……?」

「やりたいのか、やりたくないのか。それだけだ」

千聖は、一瞬、言葉に詰まった。

「仕事との兼ね合いとか、不安とか、そういうのは、全部脇に置いて考えてみろ」

修司は、続けた。

「歌うこと、演奏すること……想像して、楽しいか。楽しくないか」

千聖は、目を伏せて、しばらく考え込んだ。

「……楽しい、と思います」

千聖は、ぽつりと呟いた。

「想像しただけで、なんか、ワクワクする自分がいて。でも、それと同時に、怖いって気持ちも、すごくあって」

「怖いのは、うまくやれるかどうかの話だろう」

「……はい」

「それは、楽しいかどうかとは、別の話だ」

修司の言葉に、千聖は、はっとしたような顔をした。

「不安とか、両立の心配とか、そういうのは、後からいくらでも考えられる。でも、お前自身が、楽しいと思えるかどうかは、誰にも答えられない」

千聖は、修司の言葉を、噛み締めるように聞いていた。

「……楽しい、です。」

千聖は、もう一度、はっきりと言った。今度は、迷いのない声だった。

「それなら、答えは、もう出てるんじゃないか」

修司は、そう言うと、少しだけ、口元を緩めた。

「……それに」

修司は、少し間を置いてから、続けた。

「俺も、RESONANCE、を見た」

「え、修司さんも……?」

千聖は、驚いたように顔を上げた。

「話題になってたからな。気になって、見た」

「そう、なんですか……」

千聖は、少し照れたように、視線を落とした。

「あの映像の中で弾いてた、ベース」

修司が、静かに言った。

「正直、技術としては、荒削りだった。指の動きも、音の粒も、お世辞にも上手いとは言えなかった」

「……ですよね」

千聖は、少しばつが悪そうに、肩をすくめた。

「でも」

修司は、まっすぐに千聖を見て、続けた。

「気持ちは、伝わってきた。あの音には」

「……」

「下手だとか、上手いとか、そういう話じゃない。何かを、必死に伝えようとしてる音だった。俺は、そう感じた」

千聖は、言葉を失ったように、修司の顔を見つめていた。

「事務所の社長さんが、『本物』を見たって言ったのも……多分、そこだろうな」

修司は、そう付け加えると、コップの水を、一口飲んだ。

「技術は、これから、いくらでも磨ける。だが、その音は、今のお前にしか出せない」

千聖は、しばらく、何も言えなかった。

「……ありがとう、ございます」

千聖は、やっとのことで、そう絞り出した。

「なんか、修司さんに言われると、説得力、すごいです」

「買いかぶりすぎだ」

「買いかぶってないです」

千聖は、少しだけ、笑った。

千聖は、しばらく、じっと自分の手元を見つめていた。やがて、何かを固めるように、小さく息を吸い込む。

「……決めました」

「ん?」

「バンド、やってみます」

千聖は、顔を上げると、はっきりとした声で言った。

「怖い気持ちも、まだあります。うまくできるかも、わからないし、演技との両立だって、これから考えなきゃいけないことだらけで」

「ああ」

「でも……楽しいって思う気持ちに、嘘はつけないから」

千聖は、そう言って、少しはにかんだように笑った。

「それに、修司さんが、あの音を『本物』だって言ってくれたから。だったら、もっと、ちゃんと届けたいって、思いました」

修司は、しばらく千聖の顔を見つめてから、ゆっくりと頷いた。

「いいんじゃないか」

「はい」

「ただし」

修司は、少し声のトーンを変えて、続けた。

「無理はするなよ。両立がきつくなったら、ちゃんと言え。抱え込むな」

「わかってます」

千聖は、素直に頷いた。

「その時は、ちゃんと相談しますから。今日、みたいに」

「そうしろ」

修司は、そう言うと、ふっと表情を緩めた。テーブルの向こうから、マミが料理を運んでくる気配がした。

「よし、決まったところで、飯だ」

「あ、はい!」

千聖は、明るい声で返事をすると、運ばれてきたシェイクに目を輝かせた。窓の外では、夕暮れの光が、赤いネオン看板を、じんわりと照らし始めていた。

 

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