マミが料理を運んできて、テーブルの上に、注文した品々を並べた。千聖の分のシェイクと、修司の分の——本来のマザーロードではなく、大人しめのグリルチキンサンド。
「わあ、美味しそうですね」
「……本当に、これでいいのか」
「いいんです。今日は、これで」
千聖が、にっこり笑うと、修司は、渋々といった様子でサンドイッチを手に取った。一口食べて、意外そうに眉を上げる。
「……悪くないな」
「でしょう? たまには、こういうのも食べてください」
二人は、他愛のない話をしながら、食事を進めた。今日のRESONANCEの撮影裏話、修司の新作コレクションの進捗、来週の天気の話——特別なことは何もない、けれど、心地よい時間だった。
「そういえば、藤城さんが……」
千聖が、話しかけたところで、ふと、店の奥から聞き覚えのある声が響いた。
「お待たせいたしました、ご注文の……あれ?」
トレーを抱えたウェイトレス姿の女の子が、千聖の顔を見て、ぴたりと足を止めた。
「千聖ちゃん……!」
千聖は、手を止めて、目を丸くした。
「花音!? え、なんでここに……!」
「それ、こっちの台詞だよ! なんで千聖ちゃんが、私のバイト先にいるの!?」
花音が、トレーを抱えたまま、驚いたように声を上げた。千聖は、まだ状況が飲み込めていなかった。
「花音のバイト先って、ここだったの? 店の名前、聞いてなかったんだけど」
「あ、そっか、言ってなかったかも。ハンバーガーショップってしか言ってなかったよね」
花音は、ふふ、と笑いながら、エプロンの裾をつまんで見せた。
「制服、可愛いでしょ。これが着たくて始めたようなものだから」
「本当に可愛い。びっくりした」
ちょうどそのタイミングで、厨房の方から、聞き覚えのある明るい声が飛んでくる。
「あれ、白鷺さん、まだいたんですか!」
エプロン姿の彩が、空いた皿を下げながら、こちらに駆け寄ってきた。花音が、ふと、その顔を見て、目を瞬かせる。
「あれ、もしかして、花女の子?」
「え、はい、そうです。丸山彩です」
彩が、きょとんとしながら答えると、花音は、はっと何かに気づいたように声を上げた。
「もしかして、シフト全然合わなくて、ずっと会えなかった子……!」
「え!?」
彩も、目を丸くした。千聖が、まだ状況を飲み込めないまま、二人を交互に見る。
「花音、この子のこと知ってたの?」
「うん、前に、千聖ちゃんに話したでしょ。花女の生徒も働いてるらしいって。でも、シフト全然被らなくて、ずっと会えてなかったんだよね」
「え、それって……」
彩が、驚いたように花音を指さした。
「もしかして、松原さんですか? 話には聞いてたよ、同じ花女の子が最近入ったって!」
「うそ、やっと会えた!」
花音が、彩の手を取って、ぱっと顔を輝かせた。
「丸山さんのことも、聞いてたの。同じ学校なのに、全然タイミング合わなくて」
「私、ここでバイト始めて、もう一年くらいになるんだ。松原さんは、まだ入ったばかりだよね?」
彩が、親しみやすい調子で言った。
「うん、まだ全然新人。丸山さんの方が、ずっと先輩なんだね」
「困ったことあったら、なんでも聞いてね」
「ありがとう、心強い!」
二人は、顔を見合わせて笑った。千聖は、その様子を見ながら、なんとも言えない不思議な気持ちになっていた。
「まさか、こんな形で、二人が出会うなんて」
「世間は狭いな」
修司が、少し楽しげに繰り返した。
そこへ、カウンターの奥から、店長のジョニーが、ひょいと顔を出した。
「おーい、カノン、アヤ、そろそろ上がりの時間だろ」
「あ、本当だ」
花音が、腕時計を確認して呟いた。ジョニーは、にやりと笑って、二人に向かって手を振った。
「ちょうどいいじゃねえか。せっかく友達来てんだから、ゆっくりしてけよ」
「え、でも……」
花音が、遠慮するように、修司たちのテーブルをちらりと見ると、奥からマミが、明るい声で割り込んできた。
「いいのいいの! せっかく同じ学校のお友達なんでしょ? 遠慮しないで、ここ座っちゃって」
マミは、そう言うが早いか、隣のテーブルから椅子を二脚、ひょいひょいと運んでくる。
「ほら、座って座って。修司くんたちも、いいわよね?」
「あ、私たちは、大丈夫です……けど」
千聖が、修司の方をうかがうように見ると、修司は、小さく肩をすくめた。
「好きにしろ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
花音と彩は、顔を見合わせてから、おずおずと椅子に腰を下ろした。エプロンを外しながら、花音が、まだ嬉しそうに彩の方を見る。
「本当に、やっと会えたね。話したいこと、いっぱいあるんだ」
「私もです! 色々聞きたいです」
*
「じゃあ、改めて……よろしくお願いします」
花音が、ぺこりと頭を下げると、彩も、にこやかに頭を下げ返した。
「よろしくね。花女の何年生?」
「二年です。丸山さんは……あ、彩ちゃんって呼んでいい?」
「もちろん! 私も、花音ちゃんって呼んでいい?」
「はい、ぜひ!」
二人は、あっという間に打ち解けた様子で、笑い合った。
花音は、テーブルに身を乗り出すようにして、千聖の方を見た。
「ねえ、千聖ちゃん。私、修司さんのこと、ちゃんと紹介してもらったことなかったよね」
「あ……そういえば」
千聖が、はっとしたように、修司と花音を交互に見た。
「話だけは、よく聞いてたんです。千聖ちゃんから、修司さんがどんな人かとか」
花音は、修司の方に向き直ると、少し照れくさそうに続けた。
「実際にお会いしたのは、一回だけで。前に、千聖ちゃんを学校まで迎えに来た時に見かけただけなんです」
「……ああ」
修司も、思い出したように頷いた。
「校門のところで、女の子達に囲まれてた時か」
「そうです、それです」
花音が、くすくすと笑うと、千聖が、少し恨めしそうな目を修司に向けた。
「あの時のこと、思い出したくないです」
「別に、俺のせいじゃないだろう」
「そうですけど……」
花音は、そんな二人のやり取りを、微笑ましそうに眺めながら、改めて修司に向き直った。
「改めまして、千聖ちゃんの親友の、松原花音です。よろしくお願いします」
花音が、丁寧に頭を下げると、修司も、軽く頷き返した。
「鷲須修司だ。千聖が、世話になってるみたいだな」
「こちらこそ、いつも千聖ちゃんに、仲良くしてもらってます」
そのやり取りを聞いていた彩が、ぱっと目を輝かせて、身を乗り出した。
「え、もしかして、修司さんが白鷺さんの噂の彼氏さんですか?」
「か、彼氏……!?」
千聖が、慌てて声を上げた。彩は、きょとんとした顔で首をかしげる。
「違うんですか? てっきり、そうなのかと」
「そ、そういうわけじゃ……」
千聖が、しどろもどろになりながら答えると、修司が、横から、さらりと口を挟んだ。
「まだ、な」
「しゅ、修司さん!」
千聖が、驚いたように修司を見ると、修司は、素知らぬ顔でコーヒーを一口飲んだ。花音と彩が、顔を見合わせて、意味ありげに笑う。
「なるほど、そういうことですね」
「丸山さんまで、そんな……」
千聖は、真っ赤になった顔を、両手で隠すようにうつむいた。テーブルの向こうから、笑い声が、また一つ、明るく響いた。
彩は、そんな千聖を見て、ますます楽しそうに続けた。
「実は、うちのクラスでも、結構噂になってるんですよ」
「え……?」
千聖が、両手の隙間から、恐る恐る顔を覗かせた。
「はい。『白鷺さん、実はすごいイケメンの彼氏がいるらしい』とか、『相手はファッション業界の人らしい』とか」
「な、なにそれ、聞いてない……」
「あと、『実は婚約者だ』とか、『同棲してる』とか、もう尾ひれつきまくってて」
「こ、婚約者!? 同棲!?」
千聖が、素っ頓狂な声を上げた。花音が、隣で吹き出しそうになるのを、必死にこらえている。
彩は、そんな千聖の反応を楽しみながら、身を乗り出した。
「それで、本当のところ、どうなんですか?」
「そ、それは……」
千聖が、言葉に詰まって、ちらりと修司の方をうかがった。修司は、面白がるように、口の端を上げている。
「聞かれてるぞ、千聖」
「修司さんまで、そんな他人事みたいに……!」
「他人事じゃないから、聞いてるんだろう」
修司が、涼しい顔でそう返すと、千聖は、ますます顔を赤くした。
「そ、それは、その……まだ、彼氏とか、そういうのじゃ、なくて……」
「まだ、ってことは、これから、って感じですか?」
彩が、逃さず突っ込むと、千聖は、もう何も言えなくなって、テーブルに突っ伏しそうになった。
「もう、彩さんまで……丸山さんまで、いじわるです」
「ごめんなさい、でも、あんまり可愛い反応するから」
花音も、こらえきれずに、くすくすと笑い出した。修司は、そんな千聖の様子を、まんざらでもなさそうに眺めていた。
千聖が、まだ赤い顔のまま、なんとか話題を変えようとしていたところ、彩が、ふと何かを思い出したように、ぽんと手を打った。
「あ、そうだ。RESONANCEの舞台挨拶、テレビで見ました!」
「あ……見てくれたんだ」
千聖が、少しほっとしたように、話題の転換に乗った。
「会場入りの時、真っ赤な車から降りてきましたよね。あれって……」
彩は、そこで、意味ありげに修司の方をちらりと見た。
「もしかして、あの車、運転してたの、修司さんですか?」
「……ああ、あの日はな……」
「あの日、電車が止まって、他に手がなかったからなぁ」
「そうだったんですね! 」
彩が、納得したように頷いた。花音も、興味深そうに身を乗り出す。
「え、じゃあ、あの日って、そんな大変なことになってたの?」
「うん……地震で電車、全部止まっちゃって。修司さんが、なんとかしてくれたの」
千聖が、あの日を思い出すように、少し遠い目をして言った。
「それで、修司さんがおじいさまの車まで、無理やり借りてきてくれて」
「無茶したんですね、修司さん」
彩が、感心したように言うと、修司は、素っ気なく肩をすくめた。
「他に、方法がなかっただけだ」
「そういうところが、大事にされてるってことなんですよ」
花音が、にんまりと笑いながら言うと、千聖は、また頬を染めて俯いた。
「もう、花音まで……」
花音が、そんな千聖の様子を、微笑ましそうに見つめていた。
「あ、そういえば、修司さん」
「なんだ?」
修司が、軽く頷いた。彩は、修司の顔を見てから、テーブルの上のグリルチキンサンドに視線を移すと、不思議そうに首を傾げた。
「今日はマザーロードじゃないんですか? いつもは、もっと頼んでるのに」
「……色々あってな」
修司が、そう言って、ちらりと千聖の方を見た。彩は、その視線の動きに、何かを察したようだった。
「なるほど、そういうことですか」
「な、なにが、なるほど、なんですか?」
千聖が、思わず口を挟むと、彩は、にこにこと笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。花音が、興味深そうに身を乗り出す。
「彩ちゃん、修司さんと知り合いなんだ?」
「うん、修司さん、よく来るから。前に、注文の相談とか乗ってもらったこともあって」
「そうなんだ……」
千聖は、彩と修司が、自分の知らないところで、そんなふうに気安く話す間柄だったことに、なんとなく、もやっとしたものを感じていた。理由は、自分でもよくわからなかった。
「丸山さんは、いつも修司さんが来た時、対応してるの?」
千聖が、努めて何気ない調子で尋ねると、彩は、あっさりと頷いた。
「シフト入ってる時はね。修司さん、注文いつも同じだから、覚えちゃった」
「へえ……」
千聖の相槌が、少し低くなる。修司は、そんな千聖の様子に気づいたのか、ふと視線を向けた。
「……千聖」
「な、なんですか」
「そっち、狭いだろう。こっち座れ」
修司は、そう言うと、断りもなく、席を立って、千聖の隣——花音と彩の対面に位置を変えた。千聖は、一瞬きょとんとしたが、素直に席を移った。
「別に、狭くはなかったですけど」
「気のせいだ」
修司が、そっけなく言うと、千聖は、少しだけ、口元が緩むのを感じた。理由はよくわからないまま、さっきまでのもやもやが、いつの間にか消えていた。
花音が、その様子を見て、目を輝かせながら、彩に耳打ちする。
「ねえ、今の見た? なんか、過保護だよね」
「わかります、すごく大事にされてる感じ」
「ちょっと、二人とも、聞こえてます」
千聖が、頬を赤らめながら抗議すると、四人の間に、明るい笑い声が広がった。
*
花音が、ふと思い出したように、話題を変えた。
「そういえば、千聖ちゃん、最近なんか悩んでるみたいだったけど、大丈夫だったの?」
「あ……」
千聖は、少し驚いたように花音を見た。
「うん、実は、さっき修司さんに相談して。もう、決めたんだ」
「決めたって、何を?」
彩が、興味深そうに首をかしげた。千聖は、少し照れくさそうに、けれど、はっきりとした声で答えた。
「事務所で、バンドの企画があって。私も、参加してみないかって、声かけてもらってたの」
「バンド!?」
花音と彩の声が、綺麗に重なった。
「千聖ちゃんが、歌うの!?」
「歌っていうか、まだ、詳細は全然わからないんだけど……とりあえず、参加する方向で、返事しようと思ってる」
千聖が、少し照れながら言うと、花音が、目を輝かせて拍手した。
「すごい! 千聖ちゃんの新しい挑戦だ」
「応援します!」
彩が、勢いよく手を叩いた。その声には、他の誰よりも、はっきりとした熱がこもっていた。
「私、絶対、見に行きます! アイドルとかバンドとか、そういうの、大好きなんです」
「丸山さん、アイドル、好きなの?」
千聖が聞くと、彩は、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「大好きです! 小さい頃から、ずっと憧れてて。アイドルになりたくて、この世界に入ったんです」
彩の目が、きらきらと輝いていた。
「実は……」
彩が、少し声を弾ませながら続けた。
「事務所で、新しいガールズバンドの企画があるって、噂で聞いたんです。それで、ボーカルは、オーディションで選ぶかもって」
「え、私も、その話……」
千聖が、はっとしたように口をつぐんだ。まさか、目の前で楽しそうに話している彩が、藤城の言っていた「研修生の候補」なのではないか——そんな考えが、一瞬、頭をよぎった。だが、それを口にするわけにはいかなかった。
「オーディション、受けてみたいの?」
千聖が、慎重に尋ねると、彩は、迷いなく頷いた。
「もちろんです! アイドルになるの、小さい頃からの夢だったので。歌が得意ってわけじゃないけど、諦めたくないなって」
彩の目が、きらきらと輝いていた。
「すごいね、丸山さん。そんなに、はっきり言えるの」
「だって、ずっと夢見てきたことだから。チャンスがあるなら、絶対に掴みたいです」
彩は、にこっと笑った。その笑顔には、迷いのかけらもなかった。千聖は、その様子を見ながら、心の中で、そっと思った。
——彼女なら、きっと。
「白鷺さんも、もし本当にバンドやることになったら、教えてくださいね。応援します!」
「うん、ありがとう」
千聖が頷くと、花音が、二人を見比べながら、しみじみと呟いた。
「なんか、みんな、それぞれのタイミングで、新しい一歩を踏み出そうとしてるんだね」
「そうね」
千聖は、小さく微笑みながら、心のどこかで、これから始まる新しい物語の予感を、静かに噛み締めていた。
*
四人は、しばらくの間、他愛のない話を続けた。学校のこと、バイトのこと、これから始まる新しい挑戦のこと——話題は尽きることなく、テーブルの上には、賑やかな笑い声が絶えなかった。
やがて、窓の外の空は、すっかり藍色に染まっていた。ネオンの看板が、いつもより一段と鮮やかに、通りを照らし出している。
「そろそろ、帰るか」
修司が、そう切り出すと、三人は、名残惜しそうに顔を見合わせた。
「今日、本当に楽しかったです」
花音が、笑顔で言うと、彩も、大きく頷いた。
「私も! また、みんなで集まりたいですね」
「えぇ、そうね」
千聖が答えると、花音と彩は、顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
店を出ると、夜風が、少しひんやりと頬を撫でた。花音と彩は、まだ話し足りない様子で、並んで歩きながら、賑やかにおしゃべりを続けている。その少し後ろを、千聖と修司が、ゆっくりとついていった。
「……今日、色々あったな」
修司が、ぽつりと呟いた。
「はい。まさか、こんな一日になるとは思ってませんでした」
千聖は、そう言いながら、隣を歩く修司を、そっと見上げた。
「相談に来て、良かったです」
「ああ」
修司は、短くそう答えると、少しだけ、口元を緩めた。夜の街を、四人分の足音と笑い声が、しばらくの間、賑やかに響いていった。