砂糖二つの特等席   作:y@s

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第55話 五人目を待ちながら、弦が繋いだ絆

 

 

事務所のスタジオには、四人分の機材が並んでいた。

千聖のベース、彩のマイクスタンド、イブのキーボード、そして、麻弥のドラムセット。まだ慣れない空気の中、それぞれが音を合わせ始めていた。

 

「じゃあ大和さん、ちょっと単体で叩いてもらえますか?」

スタジオスタッフの指示に麻弥が小さく頷いた。スティックを構え静かに息を整える。

やがて麻弥の手が動き出すと部屋の空気が一変した。

安定したキックの重み、正確無比なハイハットの刻み、それでいて、どこか温かみのあるグルーヴ——聴いていた三人は思わず顔を見合わせた。

 

「……すごい」

千聖が思わず呟いた。

 

「本当に上手いね麻弥ちゃん。安定感が半端ない」

彩も感嘆の声を漏らした。

 

「マヤさんのドラム、ずっと聴いていられますっ! これぞ、まさにリズムの武士道ですっ!」

 

イヴが興奮気味に拍手すると、麻弥は少し照れくさそうにスティックを止めた。

 

「そんな大したことないっス。基本、練習してきただけなんで」

 

「その基本がなかなかできないのよ」

 

千聖が笑いながら言うと、麻弥はますます居心地悪そうに視線を逸らした。

 

「ジブン褒められるの、慣れてなくて……」

 

「もっと自信持っていいと思う。本当にすごいから」

彩がまっすぐな目で言うと、麻弥は小さく頷いた。

「あ、ありがとうございます」

 

*

 

一通りそれぞれのパートを確認したあと、四人で簡単な曲を合わせてみることになった。

イヴの弾くコードに、麻弥のリズムが重なり、そこに、千聖のベースラインが加わっていく。

 

「いい感じだね」

 

彩がマイクの前で、リズムに合わせて軽く体を揺らしながら言った。千聖も指先の感覚を確かめるようにフレーズを繰り返していた。

——ブツンッ。

不意に鈍い音とともに、指先に走った違和感に千聖は、思わず手を止めた。

 

「あ……」

 

見るとベースの一番太い弦がぷつりと切れて、だらりと垂れ下がっていた。

 

「切れちゃった……」

千聖が少し困ったようにベースを見つめた。

 

「大丈夫、千聖ちゃん?」

彩が心配そうに駆け寄ってくる。

 

「うん、ちょっと弦が古くなってたのかも。結構、長いこと張り替えてなかったから」

 

「見せてもらっても、いいですか?」

 

麻弥がスティックを置いて興味深そうに近づいてきた。楽器を手に取ると切れた弦を丁寧に確認する。

 

「あ、これ、E弦っスね。太さ的に一番負担かかりやすいところで」

 

麻弥はそう言いながらベース全体をしげしげと眺め回した。それから何かに気づいたように目を細める。

 

「……あれ? これ、ジャックの位置、普通のPJ-40と違いますね」

 

「え?」

千聖が少し驚いたように聞き返した。

 

「普通、サイドについてるはずなんスけど、これ、ちょっと位置がずれてて。それに……」

 

麻弥は裏側のコントロールキャビティのあたりを指でなぞった。

「これ、プリアンプ、増設されてません? パッシブのはずなのに、なんか、回路、多いっス」

 

「プリアンプ……?」

千聖は自分のベースを改めてまじまじと見つめた。そこまで詳しい構造はよくわかっていなかった。

 

「詳しいね、麻弥ちゃん」

彩が感心したように言うと、麻弥は少し照れくさそうにしながらも続けた。

 

「これ多分、撮影用に特注で改造されてるやつっスね。音の伸びとか、扱いやすさとか、映像映えするように、色々調整されてるんじゃないかと」

 

「そうなんだ……全然、知らなかった」

千聖は改めて自分のベースを見つめ直した。

 

「RESONANCEで使われてた特別なモデルなんだね」

彩が感慨深そうに呟いた。

 

「聞けば聞くほど、すごい楽器なんですねっ、それ」

イヴも興味津々にベースを覗き込んだ。

「大事にしてる理由、わかる気がします」

 

千聖は少し照れながらベースをそっと撫でた。

「見た目はそんなに特別な感じしないんだけどね。でも確かに弾きやすくて、音も好きで」

 

「見えないところにこだわりが詰まってるんスね」

麻弥がしみじみと言った。

 

「直せそう?」

 

千聖が尋ねると麻弥は少し困ったような顔をした。

 

「張り替えられればいいんスけど……ジブンの手持ちの弦、今、切らしてて。予備、持ってきてなかったっス」

 

「あー、そうなんだ」

千聖は少し残念そうにベースを見つめた。

 

「せっかくだし、買いに行こうよ」

彩が明るい声で提案した。

「みんなで一緒に。近くに、楽器屋さんあるよね」

 

「いいですねっ! わたしも、行ってみたいですっ! 楽器屋さん、あんまり行ったことなくて」

イヴが、目を輝かせて賛成した。

 

「いいの? みんなの時間、使わせちゃって」

 

千聖が少し遠慮がちに聞くと麻弥が首を振った。

 

「全然、いいっス。ジブンもついでにいくつか消耗品、見ておきたいんで」

 

「じゃあ、決まりだね」

彩がにこやかに立ち上がった。

 

「せっかくだから千聖ちゃんのベースのこともっと教えてもらいながら行こうよ」

 

「私のベース?」

千聖が少し首をかしげると彩が興味津々に頷いた。

 

「うん! いつも気になってたんだ。ちょっと、レトロな雰囲気の素敵なベースだなって」

 

千聖は少し照れながら自分のベースをそっと撫でた。

「これ、フェンダーのPJ-40っていう型番のベースなの。ジャズベースの細いネックに、プレシジョンベースの形のボディが組み合わさってて、ピックアップも、ジャズとプレシジョン、両方乗ってるタイプ」

 

「PJ……?」

イヴが興味深そうに首をかしげた。

 

「音を作る種類が、二つあるってことなんスよ」

麻弥が補足するように言った。

 

「フロント側が、ドスンとした低音が出るプレシジョンタイプ。リア側が、もうちょっと明るくて、抜けのいいジャズタイプ。組み合わせで色んな音、作れるんス」

 

「詳しいね麻弥ちゃん」

 

彩が感心したように言うと麻弥は少し得意げに頷いた。

 

「機材のことなら任せてください」

 

「実はこれ、RESONANCEの撮影でずっと使ってたベースで」

 

千聖が続けて言うと彩が興味深そうに目を見開いた。

「あの映画の……!」

 

「うん。役作りのために練習始めてから、ずっとこの子と一緒にいたの。撮影終わってからも、なんとなく手放せなくて譲ってもらったの」

千聖はそう言いながらベースを大切そうに構え直した。

「だから、なるべく長く使いたくて。ちゃんとメンテナンスもしてあげたいなって」

 

「素敵な話だね」

彩が優しく微笑んだ。

四人はそれぞれ荷物をまとめながらスタジオの扉へと向かった。

 

「近くの楽器屋さん、案内しますねっ!」

イヴが元気よく先頭を歩き出す。

四人分の足音が廊下に賑やかに響いていった。

 

*

 

四人は事務所を出て駅前の楽器店へと向かって歩き出した。

夕方の街並みを四人分の足音が軽やかに響かせていく。

 

「さっきの話、もっと聞きたい」

 

彩が隣を歩く麻弥に興味津々に話しかけた。

 

「PJ-40ってそんなに珍しいベースなんですか?」

 

「珍しいっていうか……フェンダー・ジャパンが出してたモデルで、当時は、そこまで高級ラインってわけじゃなかったんスけど」

麻弥は少し嬉しそうに話し始めた。

 

「プレシジョンとジャズ、両方のいいとこ取りしたPJタイプって実は玄人好みで。今でも根強いファン多いんスよ」

 

「そうなんだ」

 

「有名なところだと、ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガンとか、このシリーズを愛用してたことあるって話で」

 

「ガンズ・アンド・ローゼズ……!」

イヴが目を輝かせた。

「名前だけは知ってますっ! すごく有名なバンドですよねっ!」

 

「うん、伝説的なロックバンドだね」

千聖が頷きながら言った。

「そんなプロも使ってたベースだったんだ……なんか、余計に大事にしたくなった」

 

「音楽的にもちゃんと理由があって選ばれてるんスよ。プレシジョンの図太さと、ジャズの抜けの良さ、両方欲しい人にとっては、理想的な選択肢っていうか」

麻弥はそこまで言うと少し照れくさそうに頭をかいた。

「あ、すいません、つい熱くなっちゃって」

 

「面白いよ! もっと聞きたいくらい」

 

彩が笑顔で言うと麻弥はほっとしたように表情を緩めた。

 

「こういう話あんまり周りで盛り上がったことなくて。聞いてもらえると、嬉しいっス」

 

「これからいくらでも聞くよ」

千聖が言うと麻弥は少し嬉しそうに頷いた。

 

「PJ-40には他にも面白い特徴あるんスよ。ネックは、ジャズベースの薄いタイプだから、女性でも握りやすくて……」

 

麻弥の話はそれから楽器店に着くまでの間、途切れることなく続いた。

彩とイヴは時折、相槌を打ちながら興味深そうに耳を傾けていた。

やがて通りの先に楽器店の看板が見えてくる。

 

「あ、着いたね」

彩が言うと四人は揃って足を速めた。

ガラス張りのショーウィンドウには様々な楽器が所狭しと並んでいた。

 

*

 

店内に入ると壁一面にずらりと並んだギターやベースが四人を出迎えた。木の香りとかすかな金属の匂いが心地よく漂っている。

 

「わあ……」

彩とイヴが同時に感嘆の声を漏らした。

 

「弦売り場、あっちっスね」

麻弥が迷いのない足取りで店の奥へと進んでいく。千聖たちもその後を追った。

弦のコーナーには、様々なブランド、太さのパッケージが整然と並んでいた。

 

「千聖さん今までどのメーカーの弦、使ってたか覚えてます?」

 

麻弥が尋ねると千聖は少し考え込んだ。

 

「えっと……確か、この緑のパッケージのやつだったと思う」

 

千聖が棚から一つ手に取って見せると麻弥は頷いた。

 

「定番のニッケルラウンドワウンドっスね。悪くない選択だと思います」

 

「他にも、種類あるの?」

彩が興味深そうに棚を覗き込んだ。

 

「色々ありますよ。ステンレスだと音が明るくて耐久性も高いんスけどフレットへの当たりが強くて。フラットワウンドだと逆に丸くて柔らかい音になるっス」

麻弥はそれぞれのパッケージを丁寧に指し示しながら説明した。

 

「同じベースでも弦変えるだけで結構、印象変わるんだね」

千聖が感心したように呟いた。

 

「はい。せっかくなので、今回ちょっと違う種類、試してみます?」

 

「え、いいの?」

 

「ジブンのおすすめ、あるんスけど……試してみたい気持ち、あります?」

 

麻弥が少し楽しそうに尋ねると千聖は興味を惹かれたように頷いた。

 

「うん試してみたい。麻弥ちゃんのおすすめ、聞いてみたいな」

 

「じゃあ、これ、どうっスか」

麻弥は少し考えてから別のパッケージを手に取った。

 

「ステンレスのミディアムゲージ。今のより、ちょっと張りが強くなるんスけど、パキッとした音になって、バンドサウンドの中でも抜けやすくなると思うっス」

 

「面白そう。それにする」

 

千聖が頷くと麻弥は満足げに微笑んだ。

 

「あ、これ見てくださいっ!」

イヴが少し離れた棚から目を輝かせて手を振っていた。

 

行ってみると色とりどりのピックがずらりと陳列されている。

 

「こんなに種類あるんだ! カラフルで可愛い」

彩も興味津々にピックを一枚一枚、手に取って見ていた。

 

「せっかくだから記念にみんなで一枚ずつ買わない? お揃いの柄とかで」

彩の提案にイヴが嬉しそうに頷いた。

「いいですねっ! わたしも、欲しいですっ」

 

「あ、でも……」

千聖が少し考えるようにピックの棚を見つめた。

「せっかくお揃いにするなら、五人揃った時に、改めて来ない? ギターの人も、一緒に選べたらなんだか、それっぽい気がして」

 

「五人……」

彩がはっとしたように千聖の顔を見た。

 

「確かに。ギターの人が入ってから、みんなで選んだ方が記念になるね」

 

「わたしも、賛成ですっ! その方が、絆、深まりますっ!」

イヴ元気よく同意した。麻弥も静かに頷く。

「いいと思います。ジブンもその方がしっくりくるっス」

 

「じゃあピックは、その時のお楽しみってことで」

 

千聖が笑顔でまとめると四人は名残惜しそうにピックの棚を離れながらレジへと向かった。

 

「早く、五人揃うといいね」

彩が期待に満ちた声で言うと皆が揃って頷いた。

 

弦を会計しながら彩がふと思い出したように言った。

「早くギターの人、決まるといいね」

 

「そうね」

 

千聖が頷くと彩は少し考えるように続けた。

 

「他のパートがいないバンドって時々聞くよね。ボーカルレスとか、キーボードレスとか」

 

「あー、確かにありますね」

麻弥が相槌を打った。

 

「でも、ギターがいないバンドって、あんまり聞いたことないなって」

 

彩が言うとイヴも大きく頷いた。

 

「確かにっ! わたしも、思い当たらないですっ」

 

「ギターって、バンドの土台みたいなところ、あるっスからね」

麻弥が少し考えながら言った。

 

「リズムも刻めるし、リードも取れるし、コードも弾ける。ある意味、一番、応用が利くパートっていうか」

 

「なるほど……だからいないと成立しにくいのね」

千聖が納得したように呟いた。

 

「うちのバンドも早くその穴が埋まるといいわね」

 

「だね! どんな人が来るのか楽しみ」

彩が目を輝かせて言った。

 

「頼もしい人が来てくれるといいですね」

イヴも期待に満ちた表情で言うと、四人は揃って頷き合った。

 

*

 

四人が会計を済ませて店を出ると、彩が時計を確認して明るい声を上げた。

 

「あ、もうこんな時間。お昼、みんなで食べに行かない?」

 

「いいですねっ! 実はおすすめのお店あるんです」

イヴが待ってましたとばかりに目を輝かせた。

 

「おすすめのお店?」

 

千聖が聞くとイヴは嬉しそうに頷いた。

 

「小料理屋さんなんですけどっ、美味しいものがたくさんあってっ」

 

「小料理屋……」

 

千聖の頭の中に、ふと記憶がよぎった。細い路地の奥にある、あの店。修司に連れて行ってもらった、あの場所。

 

「もしかして、細い路地の奥にある?」

 

千聖が確かめるように尋ねると、イヴは驚いたように目を丸くした。

 

「え、ご存知なんですかっ?」

 

「うん……前に、一度だけ連れて行ってもらったことがあって」

 

「そうなんですね! じゃあ話が早いですっ」

 

イヴが嬉しそうに笑うと、麻弥と彩も興味深そうに顔を見合わせた。

 

「行こう、行こう」

彩が弾んだ声で言うと四人は揃って歩き出した。

 

*

 

暖簾をくぐると懐かしい香りが千聖の鼻をくすぐった。カウンターの向こうから、女将がいつもの調子で顔を出す。

 

「おかえりなさい、イヴちゃん。あら……」

 

お千代さんはイヴの後ろに続く三人の顔を見て、少し驚いたように目を見開いた。それから、千聖の顔に気づくとさらに目を丸くする。

 

「あら、千聖ちゃん、だったかしら?」

 

「お久しぶりです」

千聖が頭を下げると、お千代さんはまじまじと二人を見比べた。

 

「それにしても、まさか千聖ちゃんがイヴちゃんのお友達だったなんてね」

 

「実はバンドのメンバーなんですっ。今日は他のメンバーも一緒でっ」

 

イヴが説明すると、お千代さんは驚いたように、彩と麻弥にも視線を向けた。

 

「あら、賑やかになったこと。まあまあ、とりあえず座って座って」

 

お千代さんに促されて、四人はカウンター席に並んで腰を下ろした。

彩と麻弥は店の温かい雰囲気に、興味深そうに店内を見回している。

 

「イヴちゃんがこんなに立派になって、お友達も連れてきてくれるなんて」

お千代さんが、しみじみと言いながらお茶を出してくれた。

「本当に、あっという間だったわねえ」

 

その言葉に千聖は、少し不思議に思いながら、イヴの方を見た。

二人の間には単なる、常連客と店主という以上の、何か親しい空気が漂っている。

 

「あの……お二人は、どういう……」

 

千聖が控えめに尋ねると、イヴが少し照れくさそうに笑った。

 

「あ、言ってなかったですねっ。お千代さんは、わたしのお父さんのお姉さんなんですっ。叔母さんなんですよっ」

 

「え……!」

 

千聖、彩、麻弥が、揃って驚きの声を上げた。

 

「それに、わたし、今、ここにホームステイさせてもらってましてっ」

 

「ホームステイ……!」

 

「実家がフィンランドなんですっ。こっちに来る時に、お千代さんが住まわせてくれることになってっ。もう、三年目になりますっ」

 

イヴがそう説明すると、お千代さんは目を細めて笑った。

「この子が、うちに来た時はまだ中学生だったのよ。それが今じゃ、高校一年生になって、立派にお仕事してバンドまでやって」

 

「お千代さんのご飯のおかげですっ」

 

イヴがにこにこと言うと、お千代さんは嬉しそうに厨房へと戻っていった。

 

「そうだったんだ……知らなかった」

 

千聖が言うと、イヴは少し照れたように頷いた。

 

「あんまり、自分から言うことでもなかったのでっ。でも、お千代さんのおかげで今のわたしがあるんですっ」

 

その言葉には、確かな感謝の響きが込められていた。

彩と麻弥もその温かい話に優しく耳を傾けていた。

お千代さんが次々と料理を運んできてくれた。

贅沢に薬味をたっぷりのせた冷しゃぶ、フルーツトマトと胡瓜の土佐酢和え、冬瓜の入った赤出汁、それに、十六穀米のご飯——どれも丁寧な仕事が伝わる、彩り豊かな献立だった。

彩とイヴ、麻弥もそれぞれの皿に舌鼓を打ちながら、賑やかな会話を続けていた。

 

「この冷しゃぶ、すごく美味しい……! お肉が柔らかくて、薬味もたっぷりで」

彩が感激したように言うと、お千代さんが嬉しそうに笑った。

「でしょう。夏に嬉しい、うちの人気メニューなの」

 

「このトマト、甘くて、瑞々しいですねっ! 土佐酢との相性も、抜群ですっ」

イヴも目を輝かせながらフルーツトマトを口に運んだ。

 

「冬瓜の赤出汁、優しい味っスね。じんわり染みます」

麻弥もしみじみと呟きながら汁物を口にした。

 

「十六穀米も、香ばしくてすごく美味しいです」

千聖が言うとお千代さんは満足げに頷いた。

「体にいいものをたくさん食べてもらいたくてね。若い子たちは特に」

 

厨房から戻ってきたお千代さんは、ふと思い出したように千聖に向き直った。

「そういえば、千聖ちゃん」

 

「はい?」

 

「修司くん、ちゃんとご飯食べてるの? あの子、放っておくとすぐジャンクフードばっかりになるでしょう」

 

「あ……」

千聖は思わず苦笑いを浮かべた。

 

「最近は、なるべく気をつけるようにはしてるんですけど。この間もこっそりハンバーガー食べようとしてたところ止めたばかりで」

 

「まあ、相変わらずねえ」

お千代さんが呆れたように、けれど、どこか嬉しそうに笑った。

「千聖ちゃんがいてくれて本当に良かったわ。あの子、一人だと栄養なんて全然考えないから」

 

「そんな……私も、まだまだですけど」

 

千聖が照れくさそうに答えたところで、店の入り口の暖簾がふわりと揺れた。

 

「……ん」

低い声とともに姿を現したのは、他でもない修司だった。

修司は店内を見回して思いがけない顔ぶれに軽く目を見開いた。

 

「……千聖?」

 

「修司さん!」

 

千聖が驚いて声を上げると、お千代さんが目を輝かせてカウンターから身を乗り出した。

 

「あら修司くん、いいところに! ちょうどあなたの話をしてたのよ」

 

「俺の話?」

 

修司が怪訝そうに眉を寄せると、お千代さんはにんまりと笑った。

 

「ちゃんとご飯食べてるかって。千聖ちゃんがしっかり見てくれてるみたいで安心したわ」

 

「……余計なことを」

 

修司は少しばつが悪そうに視線を逸らした。

それから、千聖の隣にいる彩、イブ、麻弥に目を向けると少し不思議そうな顔をした。

 

「……こっちは?」

 

「あ、紹介しますね。バンドのメンバーで」

千聖が順に紹介していく。

「キーボードの、若宮イヴさん。ドラムの、大和麻弥さん」

 

「丸山さんもメンバーになったのか」

 

修司が彩の方を見て言うと、彩がにこやかに頷いた。

 

「はい、お久しぶりです。バイト先で、いつもお世話になってます」

 

「丸山さんがボーカルに決まったのか」

 

「そうなんです! びっくりですよね」

 

彩が少し照れくさそうに笑うと、修司は軽く頷いた。

 

「あの店で見てた限り、真面目にやってたからな」

 

「そんな、恐縮です……!」

 

彩が嬉しそうに頬を染めた。修司はそれから、イヴと麻弥の方に目を向けた。

 

「初めまして、若宮イブですっ! チサトさんに、いつもお世話になってますっ!」

イヴが元気よく頭を下げた。

 

「大和麻弥です。よろしくお願いします」

麻弥も控えめに続いた。

 

「鷲須修司だ。千聖が世話になってるみたいだな」

 

修司が軽く頭を下げ返すと、イヴがぱっと目を輝かせた。

 

「あ、鷲須さんって、もしかしてチサトさんがよく話してる……!」

 

「イヴちゃん、それ以上は……!」

 

千聖が慌てて口を挟むと、イヴはきょとんとした顔をした。

 

「あれ、なんかまずかったですかっ?」

 

「別に、まずくはないが」

 

修司が面白がるように口の端を上げた。千聖は頬を赤らめながら小さくため息をついた。

 

「修司さんも座りますか? ちょうどみんなで食べてたところで」

 

千聖が話題を変えるように声をかけると、修司は少し考えるように四人の顔ぶれを見渡した。

 

「……邪魔じゃないなら」

 

「全然、邪魔じゃないですっ! ぜひ、一緒に!」

 

イヴが元気よく言うと、彩と麻弥も揃って頷いた。修司は小さく頷いて千聖の隣に腰を下ろした。

 

「なんだ四人揃っていい雰囲気じゃないか」

 

「今日みんなで練習してたんです。ベースの弦が切れちゃって、買いに行った帰りで」

 

千聖が説明すると修司は軽く頷いた。

 

「ちょうどいい時に会えたな」

 

お千代さんがそんな様子を微笑ましそうに眺めながら、修司の前に湯呑みを置いた。

 

「修司くんもたくさん食べていきなさいよ。同じもの用意するわね」

 

「……ありがたく」

 

修司が素直に頷くと千聖が少し身を乗り出してお千代さんに声をかけた。

 

「あの、お千代さん。修司さんの分、野菜多めにしてもらえますか」

 

「あら、いいわね。任せて」

 

お千代さんがにっこりと笑って厨房へと戻っていった。修司が少し呆れたような目を千聖に向ける。

 

「……お前な」

 

「栄養、偏ってるので。仕方ないです」

 

千聖が澄まし顔で言うと修司は小さく息をついた。

それを見ていた彩とイヴがくすくすと笑いを堪えている。

しばらくしてお千代さんが、修司の前に皿を置いた。

冷しゃぶと土佐酢和え、赤出汁、十六穀米——そこにもう一品、湯気の立つ小鉢が添えられていた。

 

「はい、これ、サービス。焼き茄子の生姜醤油和え」

 

「……これは?」

 

「野菜多めにって、千聖ちゃんから頼まれちゃったから」

 

お千代さんがいたずらっぽく笑うと、修司はばつが悪そうに千聖の方をちらりと見た。

千聖は思わず頬が熱くなるのを感じた。

 

「な、なんですか」

 

「……何も言ってない」

 

修司がそっけなく答えて箸を手に取る。その様子を見ていたイヴが堪えきれずに噴き出した。

 

「チサトさん、鷲須さんのこと、しっかりお世話してるんですねっ! 素敵ですっ!」

 

「お、お世話とか、そういうんじゃなくて……!」

 

千聖が慌てて否定すると、彩もにこにこと会話に加わった。

 

「でも、いいよね。ちゃんと気にかけてくれる人がいるって」

 

「彩ちゃんまで……!」

 

千聖の顔がますます赤くなっていく。麻弥も静かに、けれど確かに笑いを噛み殺していた。

お千代さんは、そんな一同を見渡しながら、うんうんと満足げに頷いた。

 

「修司くん、いい子に大事にされてるじゃないの。本当に、良かったわねえ」

 

「……余計なお世話だ」

 

修司がそっぽを向きながら、焼き茄子に箸をつける。その耳がわずかに赤くなっているのを、千聖は見逃さなかった。

 

「美味しい」

修司がぽつりと呟くとお千代さんが嬉しそうに笑った。

「でしょう。たくさん召し上がれ」

 

美味しい料理と賑やかな会話が続く中、修司がふと思い出したように箸を止めた。

「そういえば」

 

「はい?」

千聖が修司の方を向くと、修司は四人の顔を順に見渡した。

「バンド名は決まってるのか」

 

「あ……」

千聖は少し言葉に詰まった。

 

「まだ、決まってないんです。メンバーが揃ったばかりでそこまで話が進んでなくて」

 

「そうなのか」

 

「みんなで考えようかって話には、なってるんですけど」

彩が補足するように言った。

 

「候補とかもまだ全然出てないですっ。わたしたちも、そろそろ考えないとって、話してたところでっ」

イヴも少し困ったように付け加えた。

 

「バンド名かあ……確かに大事っスよね。第一印象、決まっちゃうし」

麻弥も腕を組みながら考え込むように呟いた。

 

「難しいですよね。五人全員がしっくりくる名前じゃないと」

 

千聖が言うと修司は軽く頷いた。

 

「まあ、焦ることでもないだろう。ちゃんと五人揃ってから考えればいい」

 

「そうですね」

千聖が小さく微笑んだ。

 

「その時が楽しみです」

 

彩が目を輝かせながら言うと、皆がそれぞれの思いを込めて頷いた。

カウンターにはこれから始まる新しい物語への静かな期待が満ちていた。

 

*

 

食事を終える頃には、外はすっかり夕暮れの色に染まっていた。

 

「ごちそうさまでした、お千代さん。すごく美味しかったです」

 

千聖が言うとお千代さんは満足げに笑った。

 

「また、みんなで来てちょうだいね。今度は五人揃って」

 

「はい、必ず」

 

彩が元気よく答えると、お千代さんは嬉しそうに手を振った。

暖簾をくぐって外に出ると、夕方の風が心地よく頬を撫でた。

イヴと麻弥、彩は、まだ話し足りない様子で賑やかにおしゃべりを続けている。

修司と千聖は、その少し後ろを並んで歩いていた。

 

「今日も色々あったな」

修司がぽつりと呟いた。

 

「はい。まさかお千代さんのお店で会えるとは思ってませんでした」

 

千聖はそう言いながら隣を歩く修司をそっと見上げた。

 

「弦が切れたおかげで、今日は色んなことがありました」

 

「悪いことばかりじゃなかったみたいだな」

 

「はい。おかげでみんなのことをもっと知れた気がします」

 

千聖がそう言って微笑むと、修司も小さく口元を緩めた。

夕陽に照らされた街を五人分の足音がしばらくの間、賑やかに響いていった。

バンドはまだ名前を持たない。けれど確かな絆とこれから始まる物語への期待が静かに芽生え始めていた。

 

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