その日の朝、千聖のスマートフォンに、事務所からの一斉連絡が届いた。
「ギターオーディション、告知されたって」
千聖が呟くと、通話越しに、彩の声が弾んだ。
『本当ですか!? 』
千聖は、公式サイトを開いた。トップページには、大きく躍る文字で、告知が掲載されている。
『新結成ガールズバンド ギタリスト大募集』
その下には千聖たちの練習風景の一部を編集した、短いティザー映像が添えられていた。
「思ってたより、大々的ね」
千聖が呟くと、彩も、興奮気味に相槌を打った。
『SNSでも、もうトレンド入りしてます! すごい勢いで拡散してくれてて』
*
昼過ぎ、四人は、事務所の会議室に集められた。藤城が、資料を配りながら、オーディションの詳細を説明していく。
「今回のオーディション、想定以上の反響が出ている。すでに、応募の問い合わせが、殺到している状況だ」
「そんなに……」
千聖が、驚いたように呟いた。
「RESONANCEの効果は、思った以上に大きいな。話題性を考えれば、悪くない流れだ」
藤城は、資料をめくりながら、続けた。
「選考は、二段階に分けて行う。まず、一次選考」
「一次は、どういう内容なんですか?」
彩が、興味深そうに尋ねると、藤城は、資料の一部を指し示した。
「書類審査と、演奏音源の提出だ。応募フォームに、簡単なプロフィールと、これまでの演奏経験を書いてもらう。それと合わせて、指定した楽曲の演奏を、音源で送ってもらう」
「音源だけなんですね」
千聖が言うと、藤城は、頷いた。
「まずは、基礎的な演奏力と、音楽性を見る段階だ。あまりに応募が多いと、直接会って審査するだけでも、日数がかかりすぎる」
「どれくらいの応募、見込んでるんですか?」
麻弥が尋ねると、藤城は、少し考えるように顎に手をやった。
「今の反響だと、数百は下らないだろうな。あるいは、それ以上か」
「数百……」
イブが、ぽかんとした表情で呟いた。
「そんなに、たくさんの人が……」
「それだけ、注目されてる企画ってことだ」
藤城は、そう言うと、資料の最後のページを開いた。
「一次選考を通過した者だけが、二次の、対面オーディションに進める。そこで初めて、実際に会って、演奏や人柄を見ることになる」
「対面では、どんな感じになるんですか?」
千聖が尋ねると、藤城は、少し目を細めた。
「そこは、また改めて詰める。まずは、一次の結果が出てからだな」
*
会議室を出たあと、四人は、廊下を歩きながら、それぞれの思いを口にしていた。
「数百人かあ……」
彩が、少し圧倒されたように呟いた。
「その中から、一人選ばれるんですね」
「厳しい戦いになりそうっスね」
麻弥も、腕を組みながら言った。
「でも、それだけ、たくさんの人が興味持ってくれてるってことですよねっ」
イブが、前向きに言うと、千聖も、頷いた。
「うん。きっと、本当にギターが好きで、私たちのバンドに興味を持ってくれた人が、たくさんいるんだと思う」
「その中に、運命の一人がいるんですね」
彩が、少し感慨深そうに言った。
「どんな人なんだろう」
「楽しみですね。想像すると、ワクワクします」
イブが、目を輝かせながら言うと、四人は、揃って、これから始まる新しい出会いへの期待を、静かに膨らませていった。
窓の外には、初夏の日差しが、明るく差し込んでいた。誰も知らない、五人目のギタリストが、この街のどこかで、この告知を目にしているかもしれない——そんな予感を抱きながら、千聖は、そっと空を見上げた。
*
数日後、事務所には、大量の応募データが届き始めていた。藤城のデスクには、山のような資料と、演奏音源の入ったファイルが並んでいる。
「思った以上の数だな……」
藤城は、パソコンの画面をスクロールしながら、独り言のように呟いた。応募総数は、すでに三百を超えていた。
スタッフが、手分けをして、一つ一つの音源を確認していく。その中には、確かな実力を感じさせる演奏もあれば、まだ発展途上の、初々しい演奏も混ざっていた。
「藤城さん、ちょっと、これ、聴いてもらえますか」
若いスタッフが、そう言って、一つのファイルを再生した。
流れてきたのは、テクニカルなフレーズを、事もなげに弾きこなす、鮮やかな演奏だった。指定曲のアレンジも、随所に個性が光り、ただ楽譜通りに弾くのではなく、自分なりの解釈を加えている。
「……これは」
藤城は、思わず、身を乗り出した。
「プロフィール、見せてくれ」
スタッフが差し出した書類には、応募者の名前と、簡単な経歴が記されていた。
——氷川日菜。高校生。ギター歴、実質、数ヶ月。
「数ヶ月……?」
藤城は、思わず、目を疑った。
「この演奏で、数ヶ月?」
「はい、そう書いてあります。ただ……」
スタッフが、少し困ったように、備考欄を指し示した。そこには、簡潔に、こう書かれていた。
『なんとなく、応募してみました。ギター、得意です』
「……ずいぶん、あっさりした志望動機だな」
藤城は、思わず、苦笑した。それでも、演奏の質は、本物だった。基礎はしっかりしているのに、どこか、型にはまらない自由さがある。まるで、才能に任せて、感覚のまま弾いているような、そんな印象を受けた。
「もう一度、聴かせてくれ」
藤城は、椅子に深く座り直すと、改めて、その演奏に耳を傾けた。
画面に表示された、応募者情報の写真には、屈託のない笑顔を浮かべた、一人の少女が写っていた。どこか、こちらの想像を軽々と超えてくるような、そんな予感を抱かせる笑顔だった。
「面白いな……この子」
藤城は、そう呟くと、そのファイルに、通過候補の印をつけた。
*
その夜、自室でスマートフォンをいじっていた日菜のもとに、一件の通知が届いた。
『一次選考、通過のお知らせ』
「……お、るんっ♪」
日菜は、画面を見て、あっさりとした様子で呟いた。特に驚いた様子もなく、まるで、天気予報でも確認するかのような、軽やかな反応だった。
メッセージには、演奏音源が高く評価されたこと、二次の対面オーディションに進むことが、簡潔に記されていた。
「へえ、受かったんだ」
日菜は、ベッドに寝転んだまま、指先で画面をスクロールした。応募したこと自体、そこまで深く考えていなかった——なんとなく、SNSで見かけた告知に、興味を惹かれただけだった。
『新結成ガールズバンド、ギタリスト募集』
その文字を見た瞬間、体が勝手に動いて、気がついたら、応募フォームを埋めていた。特に、強い決意があったわけでも、綿密な準備をしたわけでもない。ただ、なんとなく、面白そうだと思っただけだった。
「るんっ♪ 楽しくなってきたかも」
日菜は、通知画面を見つめながら、小さく笑った。それから、ふと、姉の顔が頭に浮かんだ。
——紗夜に、言ったら、なんて言うかな。
真面目で、努力家の姉のことを思うと、日菜は、少しだけ、複雑な気持ちになった。自分は、そこまで頑張ったつもりもないのに、するりと結果がついてくる——そのことを、姉が、どう受け止めるか。
「まあ、いっか」
日菜は、あっさりと、その考えを頭の隅に追いやった。深く考えすぎるのは、性に合わない。今は、ただ、次のステップに進めることが、素直に楽しみだった。
「二次、どんな感じなんだろ。楽しみ」
日菜は、ギターケースを、そっと引き寄せた。まだ見ぬ、これからのバンドメンバーたちのことを、ぼんやりと思い浮かべながら、日菜は、指先で、軽やかにギターの弦を弾いた。澄んだ音が、静かな部屋に、心地よく響いていった。
*
一次選考の結果が出揃った日、四人は、事務所の会議室に集められた。藤城が、タブレット端末を操作しながら、資料を投影する。
「一次選考、無事に終わった。応募総数は、最終的に、千人を超えていた」
「千人……本当に、すごい数ですね」
彩が、圧倒されたように呟いた。
「その中から、書類と音源審査で絞り込んで、二次に進むのは、この十名だ」
藤城が、スクリーンに、通過者のリストを表示した。名前と、簡単なプロフィール、演奏歴が、一覧になって並んでいる。
「せっかくだから、皆にも、事前に見ておいてほしい。一緒にやっていくかもしれない相手だからな」
千聖たちは、それぞれ、真剣な表情で、リストに目を通し始めた。
「みんな、それぞれで面白い経歴ですね」
彩が、興味深そうに呟いた。バンド経験者もいれば、独学でギターを続けてきた人、コンクールでの受賞歴を持つ人など、様々な顔ぶれが並んでいた。
「あ……」
不意に、麻弥が、リストの一つの名前を見て、声を漏らした。
「どうしたの、麻弥ちゃん」
彩が尋ねると、麻弥は、少し驚いた様子で、画面を指差した。
「この子……氷川日菜って、ジブンの、同じ高校の同級生っス」
「本当ですか!?」
千聖が、驚いたように身を乗り出した。
「はい、間違いないっス。クラスは違うんスけど、名前と顔、覚えてます」
麻弥は、プロフィール写真に表示された、屈託のない笑顔を見つめながら、続けた。
「学校でも、結構、有名なんスよ。なんでも、すぐできちゃう天才肌っていうか。運動も、勉強も、飛び抜けてて」
「そんな子が、ギターも……」
イブが、感心したように呟いた。
「演奏、聴いてみたんスけど、正直、びっくりしました。基礎はしっかりしてるのに、なんか、型にはまらない自由さがあって」
麻弥が、少し興奮気味に言うと、藤城も、頷いた。
「俺も、あの音源には、驚かされたよ。数ヶ月しかギター歴がないと聞いて、なおさらな」
「数ヶ月……!?」
彩とイブが、揃って声を上げた。
「それで、あの演奏……」
千聖も、改めて、リストの中の名前を見つめた。氷川日菜——まだ会ったことのない、その人物への興味が、静かに膨らんでいくのを感じていた。
「同じ学校の子が、こうやって候補に入ってるなんて、なんか、不思議な感じっス」
麻弥が、しみじみと呟いた。
「二次選考、楽しみになってきましたね」
彩が、笑顔で言うと、皆が、それぞれの期待を込めて頷いた。
会議室での話し合いが一段落したところで、藤城が、資料を一枚、追加で配った。
「二次選考の詳細も、決まった。実技審査と、面談だ」
「実技は、どんな形式になるんですか?」
千聖が尋ねると、藤城は、資料を指し示しながら説明した。
「候補者一人一人に、指定曲を演奏してもらう。それに加えて、こちらで用意した簡単なセッション課題もこなしてもらう予定だ」
「セッション課題……」
彩が、興味深そうに繰り返した。
「一人で弾けても、バンドとして噛み合うかどうかは、また別の話だからな。実際に、音を合わせてもらって、相性を見る」
藤城は、そう言うと、四人の顔を、順に見渡した。
「そこで、皆にも協力してもらいたい」
「私たちが、ですか?」
千聖が、少し驚いたように聞き返した。
「ああ。セッション課題では、お前たち四人にも、実際に演奏に加わってもらう。一緒に音を出して、その場の空気感まで、しっかり見極めたい」
「私たちも、演奏するんですねっ!」
イブが、目を輝かせて言った。
「ジブンも、頑張ります」
麻弥も、気合の入った表情で頷いた。
「じゃあ、それまでに、しっかり準備しておかないと」
千聖が言うと、藤城は、頷いた。
「セッション課題の曲は、まだ仮のものだが、決まってる。今日中に、それぞれのパート譜を配る」
*
その日の午後、四人は、スタジオに集まり、セッション課題の楽曲を、初めて合わせてみることになった。ミディアムテンポの、爽やかな曲調——ギターのフレーズが加わることを前提に、あえて、隙間の多いアレンジになっている。
「ギターのパート、想像しながら弾くの、ちょっと不思議な感じっスね」
麻弥が、譜面を見ながら呟いた。
「うん、なんか、パズルのピースが、一個だけ足りないみたい」
千聖も、頷きながら言った。
「その空いてる部分に、日菜さんとか、他の候補の人たちが、どんな音、乗せてくるのか、楽しみです」
彩が、期待に満ちた声で言った。
「みんなの色が、加わったら、どんな曲になるのか、想像つかないですねっ」
イブも、わくわくした様子で言った。
四人は、それぞれのパートを、何度も繰り返し練習した。演奏の精度を上げることはもちろん、誰が加わっても、自然に馴染めるような、柔軟な演奏を意識しながら。
「なんか、今までとは違う緊張感、ありますね」
彩が、休憩中に、ぽつりと呟いた。
「うん。私たちが、選ぶ側でもあるんだなって、実感する」
千聖が言うと、彩は、頷いた。
「一緒に音楽やっていく相手だから、ちゃんと、見極めないとね」
「責任、重大っスね」
麻弥が、少し真剣な表情で言った。
「でも、それだけ、大事な選択ってことでもありますっ」
イブが、力強く言うと、四人は、それぞれ、気持ちを新たに、練習を再開した。
窓の外の空は、いつの間にか、茜色に染まり始めていた。二次選考の日が、少しずつ、近づいていた。
*
その夜、日菜のスマートフォンに、新しい通知が届いた。
『二次選考のご案内』
「お、来た来た」
日菜は、寝転んだまま、画面をスクロールした。日時と、集合場所、そして、当日の流れが、簡潔にまとめられている。
『実技審査』の文字を見て、日菜は、少しだけ、目を輝かせた。
「セッションも、あるんだ」
一人で弾くだけじゃなくて、誰かと音を合わせる——その響きに、日菜は、素直に心を惹かれた。
「どんな人たちなんだろ」
まだ見ぬ、バンドメンバーたちのことを、ぼんやりと思い浮かべる。強いて気合を入れるでもなく、それでいて、確かな高揚感が、胸の奥に、静かに広がっていった。
日菜は、通知画面を、もう一度、指でなぞった。カレンダーアプリを開き、その日付に、小さく予定を書き込む。
「楽しみになってきたかも」
日菜は、そう呟くと、枕元に置いてあったギターを、そっと引き寄せた。指先で、軽やかに、弦を弾く。澄んだ音が、静かな部屋に、心地よく響いていった。
「るんっ♪」