五人が揃って初めて顔を合わせる日がやってきた。
事務所の会議室にはすでに千聖、彩、イヴ、麻弥の四人が集まっていた。
「緊張しますね……」
彩がそわそわと扉の方を見つめながら呟いた。
「私もなんかドキドキしてる」
千聖も小さく深呼吸をした。
やがて扉が開き藤城とともに日菜が姿を現した。
「おー、みんな揃ってる。」
日菜は緊張した様子もなく軽やかに手を振った。
「改めてよろしく」
「よろしくお願いします、日菜さん」
千聖が言うと彩とイヴもそれぞれにこやかに挨拶を返した。
麻弥は同じ学校の顔として、少し照れくさそうに軽く会釈した。
「これでようやく全員揃ったな」
藤城が五人の顔を順に見渡しながら言った。
「長い道のりだったが、ここからが本当のスタートだ」
五人はそれぞれ顔を見合わせた。
ようやく完成したこの五人での初めての時間――その実感がじわじわと胸に広がっていく。
「それじゃあ、まず」
藤城はそう言うと手元の資料をテーブルに置いた。
「バンド名を発表する」
会議室の空気が一瞬、張り詰めた。
「これまで社内で何度も議論を重ねてきた。お前たち五人のカラー、それぞれの個性、そして、これから目指す方向性――全部を踏まえて決めさせてもらった」
藤城は一拍置いてからはっきりと告げた。
「バンド名は、『Pastel*Palettes』だ」
「Pastel・Palettes……」
彩がその響きを確かめるように呟いた。
「パステルカラーの、絵の具箱、ってことですか?」
イヴが興味深そうに尋ねると藤城は頷いた。
「そうだ。パレットには、色んな色が一つに並んでる。お前たち五人がそれぞれ違う個性を持ってるが、一つに並んだ時、綺麗な絵を描ける――そんな意味を込めた」
「素敵な名前ですね」
千聖がしみじみと呟いた。
「ジブンたちの色が集まって、一つの作品になる感じ、いいっスね」
麻弥も感慨深そうに頷いた。
「るんっ♪てする! 気に入った」
日菜もあっさりとけれど満足げに言った。
「Pastel*Palettes、か」
彩がその名前をもう一度、口の中で転がすように呟いた。
「私たちの、バンド名……」
五人の間に静かなけれど確かな感慨が広がっていった。
*
バンド名の発表のあと、藤城は改めて資料を配り直した。
「さてここからは、デビューに向けての具体的な話をする」
「デビューまでどれくらいかかるんですか?」
千聖が尋ねると藤城は少し考えるように言った。
「準備期間を含めて、半年ほどを見込んでいる。その間お前たち五人には、それぞれ別々の動き方をしてもらう」
「別々、ですか?」
彩が首をかしげた。
「ああ。デビューの瞬間に最大限のインパクトを出すためには、仕込みが必要だ」
藤城はそう言うと五人の顔を順に見渡した。
「今からお前たち一人一人に、それぞれの『裏の仕事』を割り振る」
*
「まず、白鷺君」
藤城は資料をめくりながら言った。
「これまで通り女優業に専念してもらう。むしろ今まで以上に本業のキャリアを積み上げてほしい」
「バンドのことは匂わせないってことですか?」
千聖が聞くと藤城は頷いた。
「ああ。映画の主演、ドラマの準レギュラー――お前の女優としての市場価値を極限まで高めておきたい」
「それは……」
「デビューの日に世間がこう思うようにするためだ。『あの白鷺千聖が、なぜ今さらアイドルバンドを?』ってな」
藤城は少し笑みを浮かべながら続けた。
「その飢餓感とギャップが、大きければ大きいほどインパクトも大きくなる」
「わかりました……頑張ります」
千聖は少し緊張した面持ちで頷いた。
「次、若宮君」
藤城がイヴの方に目を向けた。
「お前は専属モデルとして、ハイブランドへの進出を狙う。パリ・コレクションの日本オーディション、原宿系・モード系の雑誌の表紙――どんどん、挑戦していってほしい」
「わたしがモデルとしてっ?」
イヴが目を輝かせた。
「ああ。それともう一つ頼みたいことがある」
藤城は少し意味深に続けた。
「私服の自撮りで、ショルダーキーボードのキーホルダーとか、鍵盤モチーフのアクセサリーをさりげなく何度も写り込ませてほしい」
「それは……?」
「ファンの間で小さな噂を作っておくためだ。『イヴちゃん最近、鍵盤にハマってるの?』ってな」
「なるほどですっ! 伏線、仕込むんですねっ!」
イヴが楽しそうに言うと藤城は頷いた。
「次、大和君」
「はい」
「お前は事務所の裏方スタッフとして働きながら、『サポートドラマー』として、色んなバンドのレコーディングやライブに参加してもらう」
「色んなバンドに、っスか」
「ああ。音楽業界の玄人たちの間で、『Wisteria Agencyに、とんでもない技術を持つ奴がいる』って口コミをしっかり広げておきたい」
藤城は資料を指し示しながら続けた。
「音楽専門誌や評論家への仕込みもそれで済ませておく」
「責任重大っスね……でも、燃えてきました」
麻弥が少し興奮気味に言った。
「次、氷川君」
「はーい」
「お前にはYouTubeやTikTokで顔や制服を隠した、『弾いてみた』動画を週一ペースで投稿してもらう」
「あ、それ面白そう」
日菜がすぐに乗り気になった。
「アニソンや、ボカロ曲――お前のアレンジ力で好きに弾いてくれ。狙いはネット上で『この謎の天才ギタリストは誰だ』って、大きく話題になることだ」
「 やってみる」
「デビューの日に『実はPastel*Palettesの氷川日菜でした』って答え合わせをする。その爆弾を今から仕込んでおくわけだ」
藤城はそう言うと最後に彩の方を見た。
「そして、丸山君」
「はい……」
彩が少し緊張した面持ちで藤城を見つめた。
「お前には顔を隠した音声のみのラジオ風配信をしてもらう」
「配信……?」
「ああ。タイトルは、『百回落ちた研究生の部屋』」
「百回……」
彩が少し苦笑いを浮かべた。
「これまで何度もオーディションに落ちてきたお前の泥臭い本音のトークだ。夢を諦められない女の子のリアルな葛藤――それを隠さず話してほしい」
「そんな惨めな話、聞いてもらえるんでしょうか……」
彩が少し不安げに呟くと藤城は首を振った。
「惨めなんかじゃない。それはお前にしか語れない、本物の物語だ」
藤城の言葉に彩は、はっとしたように顔を上げた。
「技術や知名度がなくてもお前には、共感してくれる人がきっといる。デビュー前から一番、熱心に応援してくれるファンを作っておけるはずだ」
「……やります」
彩は小さくけれど確かな決意を込めて頷いた。
*
五人分の、それぞれの役割が出揃ったところで藤城は、資料を閉じた。
「それぞれ見え方も進み方も全然違う。だが全てデビューの日に向けた大事な準備だ」
「バラバラに動くの、なんか不思議な感じですね」
千聖が少し呟くと彩が頷いた。
「でも同じ日に向かって進んでいくんですよね」
「そうだ。半年後お前たち五人が同じステージに立つ瞬間――そこで全部が繋がる」
藤城の言葉に五人はそれぞれ顔を見合わせた。
「なんか、燃えてきましたっ!」
イヴが元気よく拳を握った。
「ジブンもサポートドラマー頑張ります」
麻弥も気合の入った表情で言った。
「るんっ♪ 弾いてみた動画、楽しみ」
日菜も軽やかに笑った。
「私も女優として負けないように頑張ります」
千聖が言うと彩も少し緊張した面持ちながらしっかりと頷いた。
「わたしも……頑張ります。自分の言葉で」
五人の視線が自然と互いに交わった。
まだ見ぬデビューの日――その先にある景色をそれぞれが静かに思い描いていた。
*
会議が一通り落ち着いたところで、藤城は資料をまとめながらゆっくりと席を立った。
「今日はここまでにしよう。五人ともお疲れ様」
「お疲れ様でした」
五人がそれぞれ頭を下げる中藤城はふと千聖の方に視線を向けた。
「白鷺君はちょっと残ってくれ。話がある」
「……はい」
千聖は少し戸惑いながらも頷いた。
彩たちが心配そうに千聖を見るが千聖は小さく笑って大丈夫という仕草をした。
「じゃあ残りの四人は適当に親睦を深めておいてくれ。白鷺君もすぐ合流するから心配するな。」
「わかりました」
彩が答えると藤城は頷いて千聖とともに会議室を出た。
*
藤城の執務室に移ると椅子に腰を下ろし千聖にも向かいの席を勧めた。
「堅い話じゃない。ただ少し確認しておきたいことがあってな」
「はい」
「ネットの掲示板についてなんだが」
「……掲示板、ですか?」
千聖は少し身構えるように藤城を見た。
「お前の噂になってるスレ。知ってるか」
「……いえ、知りません。見たこと、ないです」
千聖が少し戸惑ったように答えると藤城は意外そうに片眉を上げた。
「そうか。見てないのか」
「はい……そういうのあまり自分から調べたりしないので」
「まあ、それが賢明かもしれないな」
藤城は小さく頷いた。
だがそのあと少し言いにくそうに続けた。
「ただ、一応、知っておいた方がいい。もう、名前まで出てる」
「……え?」
千聖は思わず息を呑んだ。
「鷲須修司、って名前だ。あのスレで何度も挙がってる」
「……」
千聖は言葉を失ったように藤城を見つめた。
「どこから漏れたのかは分からない。だがもうネット上では半ば公然の噂になってる」
藤城はそう言って少し目を細めた。
「自分が世間からどう見られてるか。お前はちゃんと把握してるか」
「……全然、知りませんでした」
千聖が震えるような声で答えると藤城は小さく頷いた。
「それでいい。今まで見ずに済んでたならそれに越したことはない」
藤城は少し口調を緩めて続けた。
「普通、名前まで出てこういう噂が立ったら釘を刺すところだ。相手が誰だろうと関係を清算させるつもりで話をする」
「……」
「だがお前たちの場合はちょっと違う」
藤城は少し苦笑のような表情を浮かべた。
「あのスレを見た限りお前を守ろうとする声の方が圧倒的に多かった。叩くどころかむしろ応援する空気さえあった。非常に稀有な例だ」
「……そう、だったんですか」
千聖は少し驚いたように目を見開いた。
「だから今すぐ何かを決めろとは言わない。ただ世間がお前をどう見てるかは知っておいて損はない」
藤城ははっきりとそう言った。
「それでも油断はするな。これから露出が増えれば同じことが別の形で火種になることもある」
藤城はそう言ったあと少し声を落とした。
「ただ、一つだけはっきりさせておきたい。会社として把握しておく必要がある」
「……はい」
千聖は小さく息を呑んだ。
「本当なのか。鷲須修司って男と付き合ってるのか」
藤城はまっすぐに千聖を見た。
千聖は少しの間、黙り込んだ。だがここではぐらかしても意味がないことは分かっていた。
「……はい。本当です」
千聖ははっきりと答えた。
「そうか」
藤城は特に驚いた様子も見せずに小さく頷いた。そして少し表情を緩めると、ふっと笑った。
「君も、年頃なんだな」
「……」
千聖は少し頬を赤らめた。
「別に咎めてるわけじゃない。俺個人としては微笑ましく思うよ」
藤城はそう言って少し目を細めた。
「ただプロとして今、守るべきものがあるということは忘れないでくれ」
藤城は改めて口調を引き締めた。
「相手がどういう人間かはもうスレで大体、分かってる。それに君のことは信用も信頼もしてる。だから今、何かを問い詰めるつもりはない。ただ会社として何かあった時にまったく把握していないという状態だけは避けたかった」
「……ご心配おかけしてすみません」
千聖が頭を下げると藤城は首を横に振った。
「謝ることじゃない。むしろ正直に話してくれて助かった」
藤城は少し表情を緩めた。
「繰り返すが今すぐ何かを決めろとは言わない。ただ、何か動きがあれば必ず先に俺に相談してくれ。それだけは約束してほしい」
「はい……約束します」
千聖が答えると藤城は小さく頷いた。
「よし話はこれだけだ。休憩室、行ってこい。みんな待ってるだろう」
「はい失礼します」
千聖は一礼して執務室を出た。
*
休憩室の扉を開けると、彩、イヴ、麻弥、日菜の四人がすでに賑やかに談笑していた。
「千聖ちゃん! お疲れ様」
彩がほっとしたように笑顔で手を振った。
「大丈夫でしたか?」
「うん大丈夫。心配かけてごめんねイヴちゃん」
千聖が輪の中に加わるとイヴが嬉しそうに言った。
「ちょうど改めて自己紹介しようって話してたんですっ!」
「自己紹介?」
「せっかく五人揃ったので。ちゃんと順番に話してみましょう」
彩がにこやかに提案した。
「じゃあ、あたしから」
日菜があっさりと切り出した。
「氷川日菜。ギター担当。双子のお姉ちゃんが一人いるんだけど、あたしとは正反対で。紗夜っていって花女に通ってるんだけど昔からきっちりしてる人で」
「え、花女? わたしも、花女だよ!」
彩が驚いたように声を上げた。
「紗夜さんってもしかしてわたしと同じクラスの子かも」
「そうなの?」
「髪が長くてストレートで風紀委員やってる」
「そうだよ!あたしと同じ髪の色」
日菜があっさりと言うと彩は改めて感心したように頷いた。
「紗夜さんって、日菜ちゃんの、双子のお姉さんだったんだ。知らなかった!」
「よく言われる。似てないって。それにあたしは羽丘だし」
日菜はくすっと笑ったあとふと独り言のように呟いた。
「……最近、あんまり口きいてくれないんだけどね。『関わらないで』って言われちゃって」
「え……」
彩が少し戸惑ったように日菜を見た。
「なんでか分かんないんだけどね。あたし何か悪いことしたのかな」
日菜はそう言って小さく首をかしげた。
そこには深刻さというより本当に分からないという純粋な戸惑いだけがあった。
「そっか……」
彩はそれ以上、何も聞けずにただ小さく頷いた。
「それ、すごい自己紹介っスね」
麻弥が横から苦笑しながら呟いた。空気をわざと軽くするように。
「次、ジブンで」
麻弥が続けた。
「大和麻弥。ドラム担当。元スタジオミュージシャンっス。機材の話になると、つい喋りすぎちゃうのでその時は止めてもらえると助かります」
「わたし、聞きたいですっ! 機材の話っ」
イヴが目を輝かせながら言うと麻弥は少し嬉しそうに頬を緩めた。
「じゃあ次わたしですねっ」
イヴが元気よく手を挙げた。
「若宮イヴですっ! キーボード担当。実家はフィンランドで今は、叔母さんのところに下宿させてもらってますっ。ブシドーの心を日々、学んでいますっ!」
「ブシドー、相変わらず、気になるっス」
麻弥が小さく笑うとイヴはきょとんとした顔をした。
「あれ何かおかしいですかっ?」
「ううん、イヴちゃんらしくていいと思う」
彩が優しく言うとイヴは嬉しそうに頷いた。
「次、わたしですね」
彩が少し姿勢を正して続けた。
「丸山彩です。ボーカル担当。ずっと、アイドルになるのが夢で……今もまだ全然、自信ないことばっかりですけど。精一杯、頑張ります」
「彩ちゃんの声、本当に素敵だから自信持って」
千聖が言うと彩は照れくさそうに笑った。
「ありがとう、千聖ちゃん」
「最後、私だね」
千聖が改めて皆の顔を見渡した。
「白鷺千聖です。ベース担当。普段は女優の仕事をしています。バンドは今回が本当に初めての経験で……皆に色々、教えてもらうこと多いと思う。よろしくお願いします」
千聖が頭を下げると四人もそれぞれ笑顔で頷いた。
「改めてよろしくお願いします五人で」
彩が言うと皆が声を揃えた。
「よろしくお願いします!」
休憩室には賑やかな笑い声がしばらくの間、絶えることなく響いていた。
窓の外には夕暮れの光が優しく差し込んでいた。
Pastel*Palettesという名前を得た五人の新しい時間がここから静かに始まっていった。