クロエダ探偵事務所   作:向花いかく

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第2話「Recollection」

 

 

 助手席で揺られていたルイは隣に座っているシグマを見た。

 彼は運転席に座って前を見据えている。

 

 このトラックにはカーオーディオはおろか、エアコンすらついていない。

 ルイは沈黙に耐えられないタイプの人間ではないが、人と話すことが好きなのも事実である。しかし、甘味を摂取して多少機嫌が良くなったとはいえ、今のシグマに話しかけるのは憚られた。

 そこでルイは、懐から白いカセットテープを取り出すと、ベルトに提げてあるテープレコーダーに挿入する。

 

 蓋を閉めて再生ボタンを押し、イヤホンから流れて来た音声を聞きながら、ルイは今回の依頼の発端について思い起こし始めた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

──数日前。

 

 

 両手で広げた新聞紙を眺めつつも、ルイはその向こうから覗く女性を観察する。

 カジュアルなツイード生地のワンピースに、肩まで伸びた金髪を片側に纏めたサイドテール。

 昨今のトレンドをふんだんに取り込んだファッションからは、彼女が流行に敏感な人物であることが窺える。

 

 依頼人の名前はエリカ・アマリ。

 ラクルガムの有名店、ギャリティで働くウェイトレス。

 

 ルイが持っていたのは、彼女が持参した2週間前の日付が入ったラクルガムのとある地方(ローカル)紙。

 依頼の内容は、その一角にひっそりと掲載されていた、一人の男の自殺についてだった。

 

 

「あれは、自殺なんかじゃありません!」

 

 

 今回の依頼の核は、彼女のこの一言に尽きるだろう。

 

 

「私は見たんです、人の運命が変わった瞬間を。彼が希望を取り戻すのを」

 

 

 彼女の話では、亡くなった男性は遺体発見の前日にギャリティに訪れていたというのだ。

 

 そこで、自殺願望のあった彼はギャリティのオーナーと賭けをして大金を手に入れ、心機一転。気持ちを新たに店を去ったというのである。

 

 

「この事は警察に?」

 

「いえ、賭けの件はオーナーに秘密にしてほしいと言われていたので……」

 

「大丈夫ですよ。お客様の秘密は守ります」

 

 

 心配そうにルイを見るエリカに対し、安心させる為にそう返した。

 

 記事によれば、亡くなった男性――ザック・ロー・スタインの死因はビルの屋上からの転落死。

 現場に争った形跡は存在せず、貴重品が持ち去られた様子も無かった。

 加えて彼は亡くなる数日前に、不祥事により勤務先の会社を解雇されていたという。

 警察が自殺と判断するのも無理はない。

 

 しかし――

 

 

「エリカさんの望みは、彼の死が自殺ではなく、事件性のある物であるという証明をして欲しいということですね?」

 

「はい……」

 

 

 エリカは肯定しながら、うなだれるように頭を下げた。

 その返答を聞いたルイは顎に手を当て、考えを巡らす様子を見せる。

 

 

「ふむ……」

 

「やっぱり、依頼は受けてもらえないのでしょうか……?」

 

 

 伏し目がちにルイを盗み見るような様子でエリカは呟く。

 普通の探偵事務所であれば、このような依頼はすぐに断られてしまうだろう。

 そもそも探偵は通常、警察が捜査するような案件に介入するような仕事はしない。

 

 エリカの顔を見れば、既に何件も断られてきた後であることは容易に察せられた。

 

 クロエダ探偵事務所は、所長であるルイを含めても2人しか調査員が居ない、弱小事務所である。

 はじめからこのような場所に依頼しようと思うような物好きが滅多に現れるはずもなく、訪れる客は大抵、今のエリカと同じような顔をしているのだ。

 そんなわけで、この探偵事務所には他所からたらい回しにされてきた、厄介な依頼ばかりが舞い込んでくる。

 ルイは背筋をピンと伸ばし、胴の前で手を組むと、口を開いた。

 

 

「いえ。その依頼、我々が引き受けましょう」

 

 

 無理難題を押し付けられる事の多いクロエダ探偵事務所だが、その解決率は高いのである。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「着いたぞ」

 

 

 思索に耽っていたルイはシグマから声を掛けられる。

 窓の外を見れば、乾燥地帯特有のひび割れたアスファルトが目立つ駐車場へと辿り着いていた。

 

 

「どうもありがとう」

 

 

 ルイはシグマに礼を言うと、助手席から降りた。

 

 

「……だが、やはり君の運転は少々荒いな」

 

「文句があるなら自分でやれ」

 

 

 免許は持ってるだろとシグマが続けると、ルイは眉尻を下げる。

 

 

「前にも言ったが……私に運転は向いていない。些細な事でも深く考えてしまう質だからね。交通法規に則った咄嗟の判断は不得手だ」

 

「なら、新しく運転係でも雇うんだな」

 

「それは良いアイデアだ。我々の(もと)で働きたいという人が居れば、の話だが」

 

 

 

 

 

 駐車場から少し歩いた場所にある雑居ビル。

 それに面する道路の上にルイとシグマは居た。

 

 遺体発見直後であれば封鎖されて近寄ることもできなかったであろうが、記事が出てから数日経った今では既に警察や検察の姿はなく、誰でも通れるようになっていた。

 

 ビル横の裏路地に入れば、屋外に備え付けられた非常階段が存在した。鉄骨だけで構成され、所々に見える錆から長年風雨に曝されてきた事がわかるそれは、フェンスや鍵で封鎖されているわけでもなく、部外者でも容易に使用することができる状態である。

 ザックはこれを使用して屋上へと上がったのだということは想像に難くない。

 

 

「ふむ……」

 

 

 ルイは階段を見上げながら顎に手を当てていたかと思うと、突如後ろについてきていたシグマの方へ振り返る。

 

 

「では、頼むよ」

 

 

 そう言ってシグマに対して両手を広げるルイ。

 その様子を見て、シグマは呆れた様にため息をついた。

 

 

「これくらい自分で上れ」

 

「階段で十階まで上るのは私にとって重労働なんだ」

 

「……なら、()()を使わせろ」

 

 

 ルイの言い分に対して、シグマはルイの胸元を指差して言う。

 それを見たルイは、開いていた両腕を自分を抱きしめるように閉じると、半歩後ろに下がってシグマに猜疑の目を向けた。

 

 

「くだらん真似はやめろ。さっさと出せ」

 

 

 シグマが苛ついた声でそう言うと、ルイは悪戯が露顕した子供のような表情をしたが、すぐに見慣れた微笑へと戻る。

 

 

「冗談だ。……だが、()()を使う必要は無いだろう?」

 

 

 そう言いながら、ルイは懐から1つのカセットテープを取り出した。

 それはとある曲名のラベルが貼られた、一見平凡なカセットテープだったが、その透明なケースの中に巻かれている磁気テープは黒ではなく、リーフグリーンの輝きを放っていた。

 

 

「私を抱えて登る程度、君なら楽勝のはずだ」

 

 

 そう言ってルイはテープを懐にしまい直すと、再び両手を広げたポーズをとった。

 シグマは面倒そうに首の後ろを掻いていたが、両手を広げたまま固まっているルイの姿を見ると観念した様に呟く。

 

 

「貧弱な下等生物が……」

 

 

 シグマはルイの背中と膝の裏に腕を通すと、軽々と抱え上げる。

 そのままシグマは踏み込んだかと思うと、横にあったダンプスター(移動式ゴミ箱)の上に跳び乗った。

 そこから勢いをそのままに階段の手すりや室外機、ダクトなどに次々と跳び移り、2人はあっという間に屋上へとたどり着いた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「手すりも十分な高さがあるし、途切れている箇所もない。足を滑らせて落ちた線は消えたね」

 

 

 暫く屋上を調査した後、ルイはそう口にしながら立ち上がる。

 

 

「そんなの、下調べの時点で分かってただろ」

 

「先ほども言ったが念のためだよ。実際に見てみないと分からない事もある」

 

 

 シグマへ背を向けたまま返すルイ。

 

 

「で? お前が見て、なんか新しい証拠でもあったのか?」

 

「いいや」

 

「はぁ?」

 

 

 口をあんぐりと開け、顔を(しか)めるシグマ。

 

 

「警察の捜査に見落としは無かった、という事だよ」

 

「チッ、無駄足かよ」

 

「いいや、違う」

 

 

 悪態を()くシグマの言葉を否定し、ルイは続ける。

 

 

「この現場には自殺を裏付ける要素が多くあり、それを否定する要素も無かったんだ」

 

「簡潔に言え」

 

「現状、彼の自殺を否定する要素は依頼人の話のみだ。しかし反対にそれを真実と仮定した場合、現場にあるはずのものが無かった」

 

 

「分かるかい?」と言いながらルイは振り返った。

 問いかけられたシグマは、腕を組んで上を向く。

 

 

「…………金か」

 

 

 僅かな静寂の後に、シグマがそう口にした。

 

 

「正解。やっぱり地頭は良いね」

 

「当たり前だ」

 

「もう少し依頼に興味を持ってくれるともっと良いんだけどね」

 

 

 そんなルイの願望は、すました顔をしたシグマに受け流される。

 

 

「彼が賭けで手にしたという大金。そんなものが発見されれば、動機が揺らぐ。警察も自殺と断定する事も無かっただろう」

 

あの女(依頼人)の話が事実だという証拠も無ぇだろ」

 

「それはこれから確かめていけば良い。それよりも今知りたいのは警察が回収した遺留品の詳細だ」

 

 

 それを聞いたシグマは、何か思い当たった様な顔をすると険しい目でルイを睨む。

 

 

「……おいまさか」

 

「一旦車に戻って電話をかけてみるとしよう」

 

 

 ルイの提案を聞いたシグマは、苦虫を嚙み潰したような表情で肩を落とした。

 

 

「そんな顔をしなくたっていいじゃないか。彼はいい子だよ?」

 

「俺様は嫌いだ」

 

「それなら問題はないね。君が好きな人間なんていないだろう?」

 

「……チッ」

 

 

 シグマはその後もぶつぶつと不満をあらわにしていたが、ルイの提案自体を否定することはせず、渋々駐車場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 かつて地球の周囲に無数に存在した人工衛星、そして数多の基地局や海底ケーブルは、そのほとんどが姿を消した。

 文明が数世紀後退したと言われる()の大戦による爪痕を、人類は未だ完全に克服出来ていない。

 かくして現在における通信手段は固定電話が主流となっている。

 

 故に、ルイの所有するこのトラックに存在する車載電話機はそれなりに貴重な物なのである。

 

 

『ル、ルイさん、どうして急に?』

 

「ちょっとお願いがあってね。カイト君、今話せるかい?」

 

 

 受話器の向こうから聞こえてくる声は上擦っており、緊張を隠しきれていない。

 

 

『も、もちろんです!』

 

「それはよかった。仕事中かと懸念していたんだが」

 

 

 ルイと通話しているのはカイト・エース。

 以前とある依頼を調査していた時に知り合って以来、何かとルイとの接点を持とうとしてくる、連邦捜査局の若手捜査官である。

 シグマには「金魚のフン」呼ばわりされているが、ルイからは「いい子」という評価を得ている。

 しかし残念なことに、当人にとっては後者の評価も素直に喜べるものではない。

 

 

『あ、いや、仕事中ではあるのですが……ルイさんの頼みより大切な事は無いですから』

 

「あまり時間をいただく訳にはいかないね。手短に伝えよう」

 

 

 ルイは依頼の詳細な内容は伏せ、ザックの遺留品について知りたい旨をカイトに伝えた。

 カイトは「あ、そういうお願いですか……」と僅かに落胆する様子を見せたが、快く承諾したのであった。

 

 

 

 

 

『現場から押収した遺留品は、遺体の身に着けていた衣類と腕時計に加えて、屋上に揃えて置かれていた靴と財布や名刺などが入ったビジネスバックでした』

 

「それで全てかい? 遺書は?」

 

『はい。遺書は無かったそうです』

 

 

 カイトの報告を聞き、ルイは思考を巡らせる。

 

 直前に不破が生じていたとはいえ、ザックには妻子が居た。自殺であれば、家族に対して何かしらのメッセージを残すのではないか?

 しかし、敢えて残さないという選択を彼がしたという可能性も否定できない。

 

 自殺という前提を覆す要因にはなりえないと考え、次の質問に移る。

 

 

「貴重品は持ち去られていなかったんだったね?」

 

『はい。腕時計も安物では無かったですし、財布の中にも少なくない額が入っていたのですが、手付かずでした』

 

「少なくない、というのはどれくらいだい?」

 

『おおよそ1700ドルです』

 

 

 ギャリティにおける2000クレジットを全て換金した場合、150万ドル相当となる。

 ルイの仮説通り、彼が賭けで手にしたという大金は現場に残されていなかった事が判明した。

 

 

「……取り敢えず、聞きたかったことは以上だ。どうもありがとう」

 

『いえいえ! 他に何か知りたい事は無いですか?』

 

 

 カイトの言葉を聞き、ルイは僅かに考える素振りを見せてから返答する。

 

 

「では……ザック氏の奧様が今どこにいるか、調べてもらえると有難い」

 

 

 依頼人の話によるとザックは、クビにされた事を知って妻が出て行ってしまったと話していたという。彼の死に直接的に関わっている可能性は低いが、一度会って話をしておきたいとルイは考えていた。

 

 

『奥さんの居場所ですか……分かりました』

 

「いいのかい? 仕事中なんだろう?」

 

 

 ルイがそう訊ねるが、カイトは毅然とした態度で答える。

 

 

『ルイさんの頼みって事は、きっと大事なことだと思うので』

 

「……度々危ない橋を渡らせてしまってすまないね。こんなことを頼めるのは君だけだよ」

 

 

 ルイがそう言った直後、受話器の向こう側から息を吞むような音が聞こえて来た。

 

 

『……あの』

 

「なんだい?」

 

 

 少しの間の後、微かに震えた声色でカイトが切り出した。

 

 

『もしよければ、今度一緒にご飯でも食べに行きませんか?』

 

「ああ、是非いこう」

 

『ほ、本当ですか!?』

 

「これだけ世話になっているんだ、断る理由は無いさ」

 

 

 喜びを隠しきれずに聞き返してきたカイトに対し、ルイは当然と言った様子で答えた。

 

 

『じゃ、じゃあ! お店の希望とかありますか?』

 

「オードアベニューのS&Vはどうかな? 最近シグマが行きたがっていてね」

 

 

 ルイがそう提案すると、受話器の向こう側からの声が途切れ、僅かな静寂が訪れた。

 

 

「……カイト君?」

 

『……あ、はい。詳しい日取りはまた今度にしましょう』

 

 

 先程の弾むような声色から一転したカイトの言葉を最後に、通話は切れた。

 

 

「ああは言っていたが、やはりカイト君も忙しかったようだね……」

 

 

 そう呟きながら隣で通話を聞いていたシグマの方を向くと、ルイは自身が凝視されていることに気がついた。

 

 

「シグマ、どうかしたかい?」

 

「……いいや」

 

 

 そう答えつつも訝しむような表情で見てくるシグマに、ルイは首を傾げるのだった。

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