-風と炎の決勝戦・前編-
-決勝前夜-
夜。
街の喧騒は、
昼間より少しだけ静かになっていた。
けれど完全に眠っているわけではない。
遠くの酒場から聞こえる笑い声。
路地裏で誰かが怒鳴る声。
窓の外を通る荷車の軋む音。
治安の悪い街は、
夜になってもどこか落ち着きがなかった。
宿の屋上。
レイカは手すりにもたれ、煙草を咥えていた。
夜風に白い煙が流れる。
「……。」
明日は男子決勝。
相手はウインナー。
かつてハウスで出会った、
心を閉ざしていた少年。
風と出会い、仲間と出会い、
少しずつ強くなった少年。
今では、もう。
ただ守られるだけの子供ではない。
「隣、いいかい?」
声がした。
レイカは視線だけを向ける。
ブリトーだった。
「……珍しいな。」
「少し、話がしたくて。」
ブリトーは手すりの横に立つ。
しばらく二人は黙って夜空を眺めた。
先に口を開いたのは、ブリトーだった。
「明日は、どう戦うんだ?」
レイカは煙を吐く。
「……なぜそんなことを聞く。」
ブリトーは少しだけ拳を握る。
「学びたいから。」
「強く、なりたい。」
その言葉に、
レイカは横目でブリトーを見る。
ブリトーの目は、本気だった。
コリーに負けた悔しさ。
ウインナーに追いつきたい焦り。
パルを救いたいという願い。
その全部が、静かに滲んでいる。
レイカは煙草を灰にし、答えた。
「……明日は体術のみでいくつもりだ。」
「ウインナーの土俵で戦う。」
ブリトーは目を細める。
「え……?」
「それでも君に勝てる人は少ないだろうな。」
「どうだろうな。」
「アイツもなかなか早い。」
「それに。」
レイカは夜空を見上げる。
「風との噛み合いが良くなってる。」
「昔とは別物だ。」
ブリトーは静かに頷いた。
「早く、君たちに追いつきたい。」
レイカは少しだけ声を低くする。
「焦ると躓くぞ。」
「分かってる。」
「でも、焦らずにはいられない。」
「……。」
ブリトーは左腕の腕輪に触れる。
「僕は、まだ弱い。」
「力は増えた。」
「技も増えた。」
「でも、戦い方がまだ浅い。」
「コリーに負けて、よく分かった。」
レイカはしばらく黙っていた。
やがて。
「負けを認められるなら、伸びる。」
ブリトーが顔を上げる。
「え?」
「負けを言い訳にする奴は止まる。」
「負けを材料にする奴は伸びる。」
レイカは淡々と言う。
「お前は後者だ。」
ブリトーは目を丸くした。
そして、少しだけ笑う。
「……君に褒められるとは思わなかった。」
「褒めてない。」
「そうかい?」
「調子に乗るなと言ってる。」
ブリトーは小さく笑った。
「ありがとう。」
レイカは面倒そうに顔を逸らす。
「礼を言うことじゃない。」
風が吹く。
しばらくして、
ブリトーは手すりから離れた。
「明日、見ているよ。」
「体術だけで、どこまで戦えるのか。」
「学べたらいいな。」
ブリトーは扉へ向かいかけ、
ふと振り返る。
「レイカ。」
「なんだ。」
「僕も、いつか君に挑む。」
レイカは少しだけ口元を緩めた。
「……順番待ちが増えるな。」
「その時まで、負けないでくれ。」
「負けることは無い。」
ブリトーは静かに笑って、
屋上を後にした。
残されたレイカは、
新しい煙草を取り出しかけてやめる。
夜空を見上げる。
「……追いつきたい、か。」
遠い昔。
自分も、誰かに追いつきたかったのだろうか。
そんなことを考えながら、
レイカは静かに目を閉じた。
その頃。
宿の中庭。
ウインナーとドロップは、
並んでベンチに座っていた。
街の夜空はあまり綺麗ではない。
けれど、
雲の切れ間から見える月は穏やかだった。
ドロップは膝の上で手を組んでいる。
「明日。」
「うん。」
静かに頷く。
「レイカと戦う日が来るなんて、少し不思議だよ。」
ドロップはウインナーを見る。
「怖い?」
「少し。」
ウインナーは素直に答えた。
「でも、楽しみでもある。」
「レイカは、僕に色んなものを見せてくれたから。」
「強さも。」
「厳しさも。」
「誰かを守る覚悟も。」
ドロップは優しく微笑む。
「ウインナーも、たくさん強くなったよ。」
「今日の試合だって、すごかった。」
「オムレットとの空中戦も。」
「Xとの試合も。」
「風が、すごく綺麗だった。」
ウインナーは少し照れる。
「ありがとう。」
ドロップは少しだけ視線を落とす。
「私も、負けちゃった。」
「でも、悔しいけど、嫌な負けじゃなかった。」
「シュリンプさん、本当に強かった。」
「流すってことの奥深さを知った気がする。」
ウインナーは頷く。
「ドロップは、まだまだ強くなるよ。」
「そうかな。」
「うん。」
「だって、悔しいって言えるから。」
ドロップは小さく笑う。
「それ、レイカみたいなこと言うのね。」
「そう?」
「うん。」
「少し似てきた。」
ウインナーは苦笑する。
「それは褒め言葉?」
「もちろん。」
二人は笑った。
少しだけ沈黙が流れる。
ドロップは、
そっとウインナーの手を取る。
左手首のブレスレットが、
月明かりに淡く光った。
「明日。」
「勝ってほしい。」
ウインナーは彼女を見る。
「うん。」
「でも。」
ドロップは少しだけ強く手を握る。
「勝ち負けより。」
「ちゃんと全部ぶつけてきて。」
「レイカもきっと、それを望んでる。」
「中途半端に遠慮したら、怒られるわよ。」
ウインナーは目を閉じる。
レイカなら。
確かにそう言うだろう。
「手加減するな。」
「全力で来い。」
あの低い声が、頭に浮かぶ。
「……うん。」
「全力で行く。」
「僕が今、どこまで届くのか。」
「ちゃんと確かめてくる。」
ドロップは笑った。
「それでこそ、私の恋人ね。」
ウインナーは少し頬を赤くする。
「……ありがとう。」
ドロップは肩を寄せる。
「応援してる。」
「誰よりも。」
ウインナーは静かに頷いた。
夜風が二人の間を通り抜ける。
決勝前夜。
それぞれが、
それぞれの想いを胸に抱いていた。
-男子決勝-
翌日。
闘技場は、
大会が始まって以来最大の熱気に包まれていた。
観客席は立ち見まで埋まり、
入口には入り切れなかった観客が押し寄せている。
男たちは賭け札を握りしめ、
女たちは選手の名を叫び、
子供たちは目を輝かせて舞台を見つめていた。
司会者の声が響く。
「皆様、お待たせいたしました!」
「ついに!」
「男子トーナメント決勝戦!!」
歓声が爆発する。
「ここまで圧倒的な強さで勝ち上がってきた、炎の怪物!」
「レイカ選手!!」
舞台の片側からレイカが現れる。
黒い服。
細身の体。
煙草はない。
いつも大切に身につけている刀はない。
「……刀を持っていないぞ!?」
「どういう事だ?」
観客が騒ぎ出す。
だが、レイカは構わず歩き出す。
ゆっくり歩くだけで、空気が変わる。
観客が息を呑む。
そして。
「そしてもう一人!」
「風と共に舞い、強敵を次々に退けてきた優しき風の使い手!」
「ウインナー選手!!」
反対側からウインナーが歩いてくる。
いつもの穏やかな表情。
だが、その瞳には強い決意が宿っていた。
応援席では仲間たちが見守っている。
ドロップは胸の前で手を握りしめていた。
「……ウインナー。」
ユリが隣で優しく声をかける。
「大丈夫。」
「彼は強いわ。」
「うん。」
「分かってる。」
それでも、心臓の鼓動は速い。
ケンは身を乗り出している。
「お兄ちゃん!」
「ウインナー兄!」
「どっちも頑張れー!!」
ダイフクーが腕を組む。
「どっち応援してんだお前。」
「両方!」
ブリトーは静かに舞台を見つめていた。
シャーベットも隣で眼鏡を押し上げる。
「この試合は、ただの決勝ではないな。」
「今の二人の到達点を測る試合だ。」
ブリトーは頷く。
「見逃せない。」
舞台中央。
レイカとウインナーが向かい合う。
しばらく無言。
先に口を開いたのはレイカだった。
「……刀は置いてきた。」
ウインナーが目を瞬かせる。
「え?」
レイカは首を軽く鳴らす。
「体術と、風の加護だけで行く。」
「お前の土俵でやってやる。」
そして。
低い声で告げた。
「全力で来い。」
ウインナーの表情が変わる。
嬉しさ。
緊張。
覚悟。
その全てが混じった笑顔。
「……うん。」
「ありがとう。」
レイカは少しだけ眉を寄せる。
「礼を言う場面じゃない。」
「そうかも。」
ウインナーは風を纏う。
「でも。」
「嬉しいんだ。」
開始の鐘が鳴る。
「男子決勝!」
「開始!!」
その瞬間。
二人の姿が消えた。
観客席がざわめくより早く、
舞台中央で衝撃音が響く。
拳と拳。
膝と肘。
蹴りと踏み込み。
目で追えない速度で、二人はぶつかり合っていた。
レイカは最低限の動きで攻撃を捌く。
ウインナーは風の後押しを受けながら、角度を変え、
距離を変え、連続で仕掛ける。
一撃。
二撃。
三撃。
レイカの腕がウインナーの拳を逸らす。
ウインナーはそのまま風を踏み、背後へ回る。
「速いな。」
レイカが呟く。
背後からの蹴り。
レイカは振り返らずに肘で止めた。
鈍い音。
ウインナーの身体が少し後ろへ弾かれる。
だが、すぐに風で体勢を戻す。
ダイフクーが思わず立ち上がった。
「……ウインナー、ついて行ってるぞ。」
シャーベットも目を見開いていた。
「俺たちは、もう敵わないかもな。」
「悔しいけど。」
ブリトーが静かに言う。
「悔しいけど、僕も、そう思う。」
ケンは目を輝かせている。
「すごい!」
「俺も早くあんな風になりたい!」
ユリは、ほんの少しだけ緊張した表情で見つめていた。
レイカが怪我をしないか。
ウインナーが無理をしないか。
そのどちらも、気になっている。
ドロップは落ち着かない様子で、何度も手を握り直していた。
「頑張って……。」
「ウインナー……!」
舞台上。
ウインナーが一気に距離を詰める。
風が足元で弾ける。
「風のエチュード!」
掌から放たれる風圧。
しかしレイカは、それを真正面から受けず、身体を半回転させて流す。
その流れのまま、拳がウインナーの腹部へ向かう。
ウインナーは風で横へずれる。
紙一重。
風が頬を切る。
「危な……!」
「気を抜くな。」
レイカは既に次の位置にいた。
拳が飛ぶ。
ウインナーは両腕で受ける。
重い。
体術だけ。
それなのに、一撃が岩のように重い。
「くっ……!」
ウインナーの足が舞台を滑る。
だが、風が背中を支える。
倒れない。
レイカの瞳がわずかに細くなる。
「これでも倒れないか。」
ウインナーは笑う。
「…まだ、始まったばかりだよ。」
再び二人が走る。
今度はウインナーが風を細かく刻む。
足元。
背中。
肩。
肘。
身体の各部に風を流し、動きを補助する。
まるで風と一体になったような動き。
レイカはそれを受けながら、淡々と見ていた。
「風を乗せるだけじゃない。」
「身体の使い方が変わったか。」
ウインナーは答えない。
答える余裕がない。
拳を放つ。
蹴りを放つ。
風で加速する。
レイカの腕がそれを受ける。
弾く。
逸らす。
だが一発。
ウインナーの拳がレイカの頬をかすめた。
観客席がどよめく。
「当たった!?」
「今、レイカに当たったぞ!」
レイカは少しだけ顔を横へ向けたまま、止まる。
ウインナーも止まる。
静寂。
レイカが口元をわずかに上げた。
「……やるな。」
ウインナーの胸が熱くなる。
それは、どんな歓声よりも嬉しい一言だった。
「ありがとう。」
「でも。」
「まだ行くよ。」
「……来い。」
再び二人がぶつかる。
舞台はすでに、
何度も踏み込まれた跡でひび割れていた。
砂埃が舞う。
風が吹き荒れる。
それでも、二人の動きは鈍らない。
むしろ加速していく。
司会者すら言葉を失っていた。
観客も同じだった。
ただ、見ているしかない。
そこにあるのは、勝敗だけではない。
長い旅の中で積み上げてきた信頼。
憧れ。
師弟にも似た関係。
親友にも似た距離。
その全てが、拳と風に込められていた。
やがて。
ウインナーが大きく後ろへ跳んだ。
呼吸が荒い。
レイカもわずかに肩で息をしている。
だが、その差はまだある。
明確に。
届きそうで、届かない。
その距離が、ウインナーには見えていた。
「……やっぱり、強いね。」
レイカは静かに答える。
「お前も強くなったな。」
ウインナーは目を閉じた。
風が、静かに集まる。
これまでとは違う風。
優しいだけではない。
速いだけでもない。
深く、重く、静かな風。
観客席のドロップが息を呑む。
「……ウインナー?」
ブリト―も目を細める。
「風が変わった。」
レイカはウインナーを見つめる。
「……。」
ウインナーは目を開く。
「この技は昔。」
「僕が犠牲にならないと使えなかった。」
風が舞台を包み始める。
「でも今は。」
「風が護ってくれるから。」
「安心して放つことができる。」
レイカの表情がわずかに引き締まる。
ウインナーは笑った。
「レイカ!」
「行くよ!」
風が一気に膨れ上がる。
「風のシンフォニー・第四番――」
その名を告げようとした瞬間。
会場全体が、静寂に包まれた。
誰もが感じていた。
次の一撃で、この試合の流れが変わると。