―過ち―
―先生と子―
静寂。
巨大な神殿には風だけが吹いていた。
レイカは古代封印術式によって地に倒れ、
炎飛もまた静かに床へ転がっている。
仲間たちは影を倒した反動で意識を失い、
黒い球体の中で動かない。
立っているのは、二人だけ。
ウインナー。
そして――スパム。
影を纏ったスパムは、
昔と変わらぬ優しい笑みを浮かべていた。
「……さあ。」
「始めよう。」
「ウインナー。」
ウインナーは静かに拳を握る。
「先生……。」
その言葉を口にした瞬間、
自分でも少し苦しそうな表情になる。
「聞きたいことはたくさんある。」
「でも。」
「今日で全部終わらせる。」
「終わったら、教えてもらう。」
「何故、先生がそうなったのか。」
「……いきます。」
風が静かに吹き抜けた。
スパムは優しく頷く。
「……そうか。」
「やっぱり君は優しすぎる。」
次の瞬間だった。
神殿中の影が、
一斉にウインナーへ襲い掛かった。
―影の猛攻―
無数の影。
狐。
狼。
蛇。
人。
闇が様々な形へ姿を変える。
「……!」
ウインナーは風を纏う。
「風よ!」
身体がふわりと浮いた。
地面ではなく、風の上を走る。
影が追い掛ける。
「速い。」
しかし影もまた地面を這うように追い付いてくる。
スパムは静かに微笑んだ。
「昔は転ぶことも多かったのに。」
「軽やかに動いている。」
影が槍となり突き刺さる。
ウインナーは身体を捻る。
一本。
二本。
三本。
紙一重で避け続ける。
「まだまだ!」
風が身体を押す。
一瞬で距離を詰める。
「風のエチュード!」
しかし。
スパムの前へ影の壁が立ちはだかった。
「届かない…!」
風が壁を切り裂く。
しかし新たな影が湧き出る。
終わりがない。
スパムは穏やかな口調のまま言った。
「君は優しい。」
「だから迷いがある。」
「攻撃に躊躇がある。」
ウインナーは首を振る。
「違う。」
「もう迷っていない。」
「あなたを止める。」
「子ども達のためにも!」
風がさらに強く吹き始めた。
―崩れていく影―
長い攻防。
影は何度も砕かれる。
しかし。
スパムの身体から溢れる闇が、
新たな影を生み出し続けていた。
その時だった。
スパムの肩から、黒い影が一枚剥がれ落ちる。
「……。」
スパム自身も気付く。
「ふふ……。」
「限界が来てるみたいだね……。」
影が少しずつ崩れていく。
「……っ。」
頭を押さえ、その場に膝をつく。
影が揺らぐ。
遠い記憶が脳裏に蘇る。
寒かった。
腹も減っていた。
雨に濡れた石畳の上で、
小さな少年は動けなくなっていた。
「……お腹、すいた。」
誰にも気付かれないまま、
眠るように意識が遠のいていく。
その時だった。
「この子を連れて帰りましょう。」
優しい女性の声。
温かな腕が、自分を抱き上げた。
目を覚ました場所は、小さな孤児院だった。
「今日から、ここがあなたのお家ですよ。」
その言葉が、どれほど嬉しかったか。
初めて温かい食事を食べた。
初めて柔らかい布団で眠った。
初めて、「おかえり」と言われた。
あの日、自分は救われた。
孤児院で、一人の少女と出会う。
いつも笑顔で、誰よりも優しかった。
泣いている子がいれば隣に座り、
怪我をした子がいれば真っ先に手当てをする。
いつしか二人は、同じ夢を見るようになった。
「大人になったら。」
「ここを、もっと素敵な場所にしよう。」
「子ども達が笑って暮らせる家にしよう。」
少女は笑う。
スパムも笑った。
その未来を、疑うことはなかった。
しかし。
その夢は、ある日突然壊れた。
孤児院の裏で行われていた、
本当の仕事を知ってしまったからだ。
子ども達は売られていた。
金のために。
商品として。
泣き叫ぶ子ども。
暴力。
人体実験。
そして――
最も大切な少女も、その犠牲になった。
「やめろ!!」
必死に助けようとした。
間に合わなかった。
命は助かった。
だが身体には、一生消えない傷が残った。
後遺症。
終わることのない治療。
薬。
入院。
高額な医療費。
どれだけ働いても追いつかない。
何も守れなかった。
ある夜。
スパムは孤児院の院長の部屋へ向かった。
その手には一本のナイフ。
「……お前だけは。」
「許さない。」
その夜。
孤児院の院長は息絶えた。
孤児院は、自分が継いだ。
「もう二度と。」
「こんな思いをする子どもは出さない。」
そう誓った。
子ども達を育てた。
笑わせた。
食べさせた。
必死だった。
しかし現実は残酷だった。
食料が足りない。
薬代が払えない。
治療費も増え続ける。
妻の容態は悪くなる一方だった。
そんなある日。
一人の貴族が孤児院を訪れた。
「子どもを一人、養子に迎えたい。」
机の上へ積まれる金貨。
スパムはその金貨を見つめる。
その金で、薬が買える。
食事も用意できる。
子ども達も救える。
長い沈黙の末、小さく呟いた。
「……これで。」
「みんな助かる。」
その日、一人の子どもを送り出した。
幸せそうな家族だった。
子どもも笑っていた。
「これなら。」
「間違っていない。」
そう信じた。
しかし。
現実は、そんなに甘くなかった。
治療費は終わらない。
借金は増える。
薬代は膨れ上がる。
次第に、選ぶ余裕すら失っていく。
善人。
悪人。
関係なくなった。
金さえ払えば、子どもを渡した。
「……すまない。」
「すまない。」
心の中で何度も謝りながら。
それでも止まれなかった。
そんな時だった。
暗闇の中から、一つの声が聞こえた。
「苦しいか。」
「……誰だ。」
「全部、私に任せろ。」
「お前の苦しみも。」
「迷いも。」
「優しさも。」
「全部、私が引き受けてやる。」
スパムは静かに目を閉じた。
「頼む。」
「家族を救いたい。」
「子ども達を守りたい……。」
「……愛する人を守りたいんだ。」
その瞬間。
影がゆっくりと身体へ入り込んでいく。
優しかった心。
迷う心。
罪悪感。
涙。
少しずつ、少しずつ奪われていく。
残ったのは――
「金さえあれば、全て救える。」
その歪んだ信念だけだった。
そして。
ウインナーの目の前で、
スパムの瞳が一瞬だけ昔の優しい色へ戻った。
「……先生?」
スパムは苦しそうに頭を押さえた。
「まだ……。」
「早い……。」
「まだ駄目だ……。」
「もう手遅れなんだ……。」
影が再び身体を覆う。
ウインナーは構える。
「先生!」
「もうやめるんだ!」
スパムは苦しそうに笑った。
「私は。」
「止まれないんだ。」
「もう。」
「止まり方を忘れてしまった。」
―風のレクイエム―
影が最後の力を解放する。
巨大な闇。
神殿全体を覆い尽くす。
ウインナーは目を閉じた。
風が優しく頬を撫でる。
レイカとの修行。
ドロップの涙。
子ども達の笑顔。
先生と過ごした孤児院の日々。
全部が頭をよぎる。
静かに息を吸う。
「必ず。」
「僕が止めてみせる。」
「先生……。」
「もう、苦しまないで。」
風が静かに集まりだす。
深く、重い、静かな風。
どこか、悲しさがある。
神殿中の風が一つになる。
そして、風に乗ってスパムへ
瞬く間に近づく。
「なっ…!」
スパムは不意を突かれ、動けない。
そしてウインナーの掌が、
スパムの胸へ触れる。
「風のシンフォニー。」
「……第四番。」
風が唸る。
「風の――レクイエム。」
切ない風が影ごとスパムを包み込む。
そしてそれは、球体を描いていく。
暴発、圧縮を繰り返す。
スパムは避けなかった。
静かに目を閉じる。
圧縮された風が影のみを削る。
影が悲鳴を上げる。
そして―――
パリン。
何かが砕ける音がした。
闇が剥がれ落ちる。
結晶のように散りばめられながら。
神殿に静寂が戻る。
―本当の先生―
スパムはゆっくりと膝をついた。
眼鏡が石畳へ落ちる。
その瞳から黒い闇は消えていた。
穏やかな笑顔。
昔、孤児院で子ども達へ向けていた笑顔だった。
その目には、涙が流れている。
「……ウインナー。」
「……こっちにおいで。」
その声に、もう敵意はなかった。
ウインナーは技の反動で、
ゆっくり歩み寄るしか出来なかった。
「先生……。」
スパムは小さく笑う。
「最後まで。」
「君は本当に優しい子だった。」
「……すまない。」
その一言だった。
同時に、
スパムの身体が黒い粒子へ変わり始める。
腕。
肩。
胸。
少しずつ消えていく。
「……先生!」
スパムは自分の身体を見つめ、小さく息を吐いた。
「影に身を委ねた代償か。」
「……当然だね。」
それでも、
その表情はどこか安らかだった。
ウインナーは何も言えない。
ただ、先生の前に立ち尽くしていた。
スパムは静かに目を閉じる。
「……ありがとう。」
「止めてくれたのが。」
「ウインナーで良かった。」
「あの時。」
「道に捨てられていた君。」
「救ってよかった。」
「……愛しているよ、ウインナー。」
最後の言葉を残し、
スパムの身体は風に溶けるように消えていった。
その瞬間。
神殿中を覆っていた術式が、
音を立てて崩れ始める。
古代文字が一つ、
また一つと消えていく。
封印されていたレイカの身体からも、
黒い術式が解け落ちた。
「……っ。」
レイカがゆっくりと目を開く。
仲間たちも次々に意識を取り戻す。
しかし。
最奥では、なお黒い光が渦巻いていた。
メザンは一度も振り返らず、石板へ闇を注ぎ続けている。
「ようやく終わったか。」
その低い声だけが、静かな神殿に響いた。
そして、
祭壇ではなおもパルの光が吸い上げられ続けていた。
ブリトーが拳を握る。
「パル……!」
最終決戦は、まだ終わっていない。