第六十一章
―憎悪―
―操られた心―
神殿へ静寂が流れる。
ゆっくりと立ち上がるユリ。
俯いたまま、一歩。
また一歩。
レイカへ歩いてくる。
「……ユリ。」
返事はない。
その瞳は深い闇に染まり、
かつての優しさは微塵も残っていなかった。
ユリの口元だけが、不自然に笑う。
「――信じなさい。」
聞き覚えのある声。
ポタージュだった。
レイカは静かに刀を構える。
「……まだ生きていたか。」
ユリの身体がゆっくり顔を上げる。
「この娘の憎悪に呼ばれたのです。」
「君も絶望を知りなさい。」
その声はユリではない。
完全にポタージュだった。
⸻
―憎悪の剣―
「行きます。」
ユリが消える。
「!」
レイカの横を氷の刃が通り抜ける。
石畳が一瞬で凍り付いた。
「速い……。」
レイカは紙一重でかわす。
しかし。
今まで知るユリの動きではない。
一切迷いがない。
一切躊躇がない。
殺すためだけの動き。
「レイカ!!」
ウインナーが叫ぶ。
しかしレイカは答えない。
視線はユリだけを見ていた。
「……目を覚ませ。」
小さく呟く。
届かない。
ユリは再び地を蹴る。
「氷華流――」
無数の氷柱が神殿中へ広がる。
レイカは炎飛で切り払う。
しかし。
「っ!」
肩。
腕。
頬。
細かな傷が増えていく。
回復しない。
この神殿では、不老不死も意味を成さない。
血がゆっくり床へ落ちた。
⸻
―戦えない理由―
「どうした。」
ポタージュが笑う。
「反撃しないのですか?」
レイカは答えない。
ユリの拳を受け流す。
蹴りを避ける。
刀で弾く。
それだけ。
「なぜ攻撃しない。」
「それでは勝てませんよ。」
レイカは静かに言う。
「……勝つ必要はない。」
「戻すだけだ。」
ポタージュは笑った。
「愚かですね。」
「では。」
「殺します。」
ユリの身体がさらに加速する。
氷が舞う。
拳。
蹴り。
肘。
膝。
氷華流の体術が、一切の容赦なくレイカを襲う。
レイカは防ぐ。
避ける。
受け流す。
しかし。
一撃。
また一撃。
確実に体力を削られていく。
⸻
―揺れる心―
「ユリ!!」
レイカが叫ぶ。
初めて声を荒げた。
「帰ってこい!!」
その瞬間だった。
ユリの動きが、一瞬だけ止まる。
瞳が小さく揺れる。
「…………。」
「……レイ……カ……?」
微かな声。
レイカは表情を緩める。
「そうだ。」
「俺だ。」
「帰ってこい。」
しかし。
次の瞬間。
黒い闇がユリの身体を覆う。
「黙りなさい。」
ポタージュの声。
「あなたの憎悪はこんなものではない。」
「まだ。」
「眠っていなさい。」
ユリの瞳が再び黒く染まる。
「……っ。」
レイカは歯を食いしばる。
「……それだけ、苦しんでいるんだな……。」
⸻
―崩れていく身体―
戦いは長引く。
神殿中へ氷が舞う。
レイカの服は裂け、
身体には無数の傷。
右腕は痺れ、
左脚からは血が流れる。
呼吸も荒い。
それでも。
一度も刀を振るわない。
ウインナーは悔しそうに拳を握る。
「レイカ……。」
レイカは攻撃を受けながら、
ユリに声をかける。
「俺のことを。」
「……殺したいんだよな。」
「……すまない。」
「苦しませて……。」
⸻
―追い詰められる英雄―
ポタージュは満足そうに笑う。
「素晴らしい。」
「やはり愛とは弱さですね。」
「その弱さが。」
「君を殺します。」
ユリが静かに右手を掲げる。
神殿中の氷が集まり始める。
巨大な氷の槍。
レイカはゆっくり炎飛を構えた。
もう避けられない。
傷も限界だった。
ポタージュは静かに告げる。
「終わりです。」
ユリの腕が振り下ろされる。
その瞬間――
レイカは静かに目を閉じた。
「……ユリ。」
その名を呼ぶことしかできなかった。
巨大な氷槍が、一直線にレイカへ迫る。