第六十二章
―炎神―
―最後の理性―
巨大な氷槍が一直線にレイカへ迫る。
避けられない。
受け止める体力も残っていない。
レイカは静かに目を閉じた。
「……ユリ。」
その瞬間だった。
「っ……!!」
ユリの身体が震える。
氷槍が止まった。
黒く染まっていた瞳が一瞬だけ元の蒼へ戻る。
「……レイ……カ。」
ポタージュが叫ぶ。
「動くな!!」
闇がさらにユリを締め付ける。
しかし。
ユリは歯を食いしばる。
「……いや。」
「もう……。」
「あなたには……。」
「従わない。」
身体中が震える。
それでも一歩。
また一歩。
レイカの前へ立った。
レイカは目を見開く。
「……ユリ?」
ユリは振り返らない。
小さく笑った。
「ごめんね。」
「待たせた。」
その瞬間。
奥で儀式を続けていたメザンが静かに振り向く。
「……ほう。」
「自力で術式を破るか。」
ゆっくり右手を上げる。
黒い槍が空中へ現れた。
「ならば。」
「用済みだ。」
槍が一直線に飛ぶ。
レイカは動けない。
ユリだけが気付く。
そして。
躊躇なく飛び出した。
ドスッーー。
鈍い音が神殿へ響く。
黒い槍は、
ユリの胸を深く貫いていた。
⸻
―崩れる世界―
「…………。」
時間が止まる。
レイカの思考も止まった。
ユリはゆっくり振り返る。
苦しそうに笑う。
「……よかった。」
「間に……合った。」
血が零れる。
レイカは震える手で支える。
「おい。」
「喋るな。」
「傷が開く。」
ユリは首を横へ振る。
「レイカ。」
「大丈夫。」
「愛してる。」
「自分を責めないで……。」
最後まで言えなかった。
力が抜ける。
レイカの腕の中へ倒れた。
「……ユリ?」
返事はない。
静寂。
神殿中が静まり返る。
ウインナーも。
声が出ない。
⸻
―炎神―
レイカは俯いたまま動かない。
煙草が床へ落ちる。
火が消える。
長い沈黙。
そして。
小さく呟いた。
「…………もう。」
「どうでもいい。」
誰にも聞こえないほど小さな声。
その瞬間。
ドクン。
神殿が震えた。
レイカの身体から、
今まで見たことのない黒炎が溢れ出す。
床が燃える。
石が溶ける。
空気が歪む。
メザンが初めて表情を変えた。
「……加護が暴走した?」
炎が神殿全体を覆う。
レイカはゆっくり立ち上がる。
その瞳に感情はない。
ただ黒い炎だけが揺れていた。
⸻
―裁き―
ポタージュが後退る。
「待ちなさい!」
「止まりな――」
言葉は最後まで続かなかった。
レイカが消えた。
一瞬。
ポタージュの横へ現れる。
「……え?」
斬撃。
一太刀。
二太刀。
三太刀。
止まらない。
四。
五。
六。
七。
八。
九。
十。
神速。
誰にも見えない。
「や……め……。」
炎飛が黒炎を纏う。
レイカが初めて口を開く。
感情のない声。
「……死ね。」
炎飛が振り抜かれる。
黒炎がポタージュを包む。
「ぎゃああああああ!!」
身体が燃える。
魂ごと焼かれる。
悲鳴は次第に小さくなり、
やがて何も残らなかった。
灰すら残らない。
完全消滅。
それでもなお、
黒炎は燃え続けていた。
それが全てを燃やしていると、
レイカは気づいていた。
―暴走―
黒炎は止まらなかった。
レイカの意思とは関係なく。
怒り。
悲しみ。
絶望。
その全てを喰らうように、炎は神殿中へ広がっていく。
床が砕ける。
柱が燃える。
古代文字が次々と焼き消えていく。
「っ……!」
ウインナーが顔を上げる。
「レイカ!」
「止まるんだ!」
返事はない。
黒炎は、
瞬く間に、
仲間たちの身体まで飲み込んでいく。
ウインナー。
ブリトー。
ダイフクー。
シャーベット。
ケン。
ドロップ。
そして、ユリ。
誰一人動かない。
炎は容赦なく全てを包み込んだ。
レイカは立ち尽くしたまま、その光景を見ている。
止めることも。
消すこともできない。
暴走した炎神の力は、もはや主であるレイカの命令すら受け付けなかった。
「…………。」
黒炎だけが静かに燃え続ける。
⸻
―最後の敵―
炎の向こう。
ゆっくりと一人の影が歩いてくる。
メザンだった。
衣服の一部は焼け焦げている。
それでも笑っていた。
「見事だ。」
「まさか自ら全てを焼くとは。」
レイカは答えない。
瞳には黒炎だけが揺れている。
メザンは静かに闇を纏う。
「その姿。」
「もはや人ではない。」
「ならば。」
「俺様も遠慮はせん。」
闇が神殿中へ溢れ出す。
黒炎。
黒い闇。
二つの力が真正面からぶつかり合う。
轟音。
神殿そのものが悲鳴を上げた。
⸻
―神域―
レイカが消える。
メザンも消える。
次の瞬間。
神殿中へ無数の衝撃波が走った。
誰にも見えない。
剣戟だけが響く。
一閃。
二閃。
三閃。
黒炎が闇を裂く。
闇が炎を呑み込む。
互いに一歩も譲らない。
メザンが笑う。
「いいぞ!」
「これだ!」
「これほどの力!」
「だから貴様が欲しかった!」
レイカは無言。
返事はしない。
ただ斬る。
斬る。
斬る。
その姿は、もはや人ではなかった。
⸻
―限界―
だが。
黒炎が揺らぐ。
「……。」
レイカの身体が小さく震えた。
腕から力が抜ける。
視界が霞む。
炎神の暴走。
その反動が、一気に身体へ襲いかかる。
黒炎が少しずつ小さくなる。
膝が折れた。
炎飛を杖にして、ようやく立っている。
メザンは静かに距離を取る。
そして。
初めて勝利を確信した笑みを浮かべた。
「終わりだ。」
右手を掲げる。
巨大な闇の槍がゆっくりと姿を現す。
「これで。」
「全て終わる。」
レイカは動かない。
いや。
動けない。
炎神の反動は、身体の自由を完全に奪っていた。
静かな神殿。
燃え続ける黒炎。
闇の槍がゆっくりと振り下ろされようとしていた――。