― 黒炎の旅路 ―
冷たい風が、大地を静かに撫でていく。
灰色の雲に覆われた空の下、
一人の旅人がゆっくりと歩いていた。
全身を覆う黒いローブ。
深く被ったフードの奥から覗く瞳には、
かつての鋭さは残っていても、
生気だけが失われていた。
その右手には、一振りの刀。
そして、
ローブの袖口からは黒い炎が細く漏れ出している。
まるで生き物のように揺れながら。
「……。」
レイカは何も言わず、
その炎を握り潰すように拳を強く握った。
しかし黒炎は消えない。
押さえ込もうとするほど、
その熱は身体の奥から溢れ出してくる。
白炎は、もう使えない。
ユリを人間へ戻したあの日。
願いと引き換えに失ったものは、
あまりにも大きかった。
そして今、神の力は暴走を始めている。
自分の意思とは無関係に。
誰も巻き込みたくない。
だから仲間の前から姿を消した。
それなのに——。
遠くから悲鳴が響いた。
「助けてくれぇ!!」
レイカは足を止める。
盗賊に囲まれた旅人。
震えながら必死に抵抗している。
レイカは小さく息を吐いた。
「……。」
助けなければ。
その想いだけで身体が動く。
一歩。
また一歩。
盗賊の一人が振り返る。
「誰だ、お前——」
言葉は最後まで続かなかった。
抜刀。
一閃。
盗賊たちは一瞬で地へ伏した。
だが——
「っ……!」
黒炎が刀身から噴き上がる。
炎は地面を焼き、木々を包み込み、
倒れた盗賊たちを飲み込んでいく。
止まらない。
止められない。
「……止まれ。」
低く呟く。
黒炎は応えない。
まるで嘲笑うように燃え続ける。
「……止まれ!!!」
願いは届かない。
炎は辺り一帯を焼き尽くし、ようやく静かになった。
旅人だけが震えながら立っていた。
「た、助けていただいて……」
その声に、レイカは振り返らない。
感謝を受け取る資格など、自分にはない。
助けた命よりも、多くの命を奪った。
そんな自分が英雄であるはずがない。
黒いローブだけが風に揺れ、レイカは静かに歩き出した。
その背中は、どこまでも孤独だった。
一方その頃——
ある王国の広場では、四人が旅支度を整えていた。
ウインナー。
ドロップ。
ケン。
そして、一人の少女。
ユリ。
誰もが口数少なく準備を進めている。
重苦しい空気を破ったのはウインナーだった。
「……ユリさん。」
「……はい。」
「一つだけ、聞いてもいい?」
ユリは優しく微笑み、頷く。
「僕たちのこと……本当に覚えてない?」
その問いに、ユリは少し困ったように目を伏せた。
「……ごめんなさい。」
「皆さんとは、今日初めて会ったような気がします。」
沈黙。
ドロップは視線を逸らす。
ケンは拳を握り締めた。
ウインナーは最後の希望を込める。
「じゃあ……」
「レイカって名前は?」
ユリは不思議そうに首を傾げた。
「レイカ……?」
「どなたですか?」
その一言で、空気が止まった。
誰も返事ができない。
しばらくして、ユリが小さく口を開く。
「でも……。」
「皆さんと話していると。」
「初めて会った気がしないんです。」
「胸が……少しだけ温かくなるというか。」
「どうしてなのか、自分でも分からなくて……。」
ドロップは涙を堪えながら笑った。
「それなら大丈夫!」
「きっと、その気持ちは本物だから!」
ケンも照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「兄ちゃんも、きっとそう言う。」
ウインナーは静かに頷いた。
「ユリさん。」
「僕たちと一緒に来てくれない?」
「レイカを探す旅でもあるけど……」
「君自身の記憶を探す旅にもなる。」
「それに、一人で旅をするよりも。」
「みんなで旅をした方が楽しい。」
ユリは三人の顔を見渡した。
誰も嘘をついているようには見えない。
それどころか、自分のことを本気で心配してくれている。
その温かさが、どこか懐かしかった。
「……お願いします。」
その言葉に、三人はようやく笑顔を見せた。
同じ頃。
街道の分かれ道。
ブリトーたちも旅立とうとしていた。
「ここからは別行動だな。」
ブリトーが腕輪を見つめながら言う。
「僕たちもレイカを探す。」
「その道中にある遺跡も調べて回る。」
ブリトーは静かに続ける。
「レイカを探す手掛かりも欲しい。」
「それに……サラミッドへ帰る方法も。」
ダイフクーが豪快に笑う。
「また会えるさ!」
シャーベットも穏やかに頷いた。
「あとは情報交換だね。」
その隣で、パルが肩をすくめる。
「ったく、面倒な旅になりそうだ。」
「けど、お前一人じゃ心配だからな。」
ブリトーは苦笑する。
「心配してくれてるのか?」
「勘違いすんな。」
「助けてもらった分を返すだけだ。」
「……ありがとな。」
「礼なんか言うな、気持ち悪ぃ。」
そう言いながらも、パルは少しだけ笑っていた。
ウインナーが手を差し出す。
「また会おう。」
ブリトーも応える。
「ああ。」
「何かあれば風で知らせる。」
それぞれが違う道へ歩き出す。
同じ願いを胸に。
夜。
崖の上に、一人の黒い影が立っていた。
月明かりだけが、その背中を照らしている。
レイカは静かに空を見上げた。
その瞬間——
黒炎が全身を包み込む。
「……っ。」
膝をつく。
苦しい。
熱い。
それでも叫ばない。
「……もう。」
掠れた声が漏れる。
「誰も失いたくない。」
黒炎は答えるように激しく燃え上がる。
レイカはゆっくりと立ち上がった。
助けを求めない。
誰にも会わない。
誰も失いたくない。
その想いだけを胸に、再び歩き出す。
黒いローブが夜風に揺れた。
その背中を知る者は、今はもう誰もいない。
第二部――開幕。