― 風の愛想曲(セレナーデ) ―
黒炎が森を呑み込む。
木々は音を立てて燃え、地面は黒く焼け焦げていく。
その中心には、頭を抱え苦しむレイカの姿があった。
「来るなぁぁぁぁぁっ!!」
轟音と共に黒炎が爆発する。
吹き荒れる熱風に、
ウインナーは腕で顔を庇いながら必死に踏みとどまった。
「レイカ!」
返事はない。
あるのは、獣のような唸り声だけ。
黒炎はさらに勢いを増し、周囲を焼き尽くしていく。
「このままじゃ……!」
ウインナーは拳を強く握った。
( レイカは、まだ戦ってる。 )
( あの黒炎の中で。 )
( だったら僕は――。 )
「絶対に諦めない。」
風が吹く。
優しく。
しかし、力強く。
ウインナーの身体を淡い緑色の風が包み始める。
「風よ……。」
「僕に力を貸して。」
その瞬間。
森全体の風が、一斉にウインナーへ集まり始めた。
葉が舞う。
枝が揺れる。
黒煙さえも風に巻き込まれ、渦を描いていく。
レイカがゆっくり顔を上げた。
その瞳に映るのは、ただ黒炎だけ。
何も見えていない。
「……ッ!」
黒炎が一直線に放たれる。
ウインナーは大きく跳躍した。
風を足場に空を駆ける。
「遅い!」
空中で身をひねり、黒炎を紙一重でかわす。
着地と同時に地面を蹴る。
一瞬でレイカの懐へ潜り込む。
「目を覚まして!」
拳を振るう。
しかし。
レイカは片手で受け止めた。
そのまま黒炎が腕を這う。
「くっ……!」
風で炎を吹き飛ばし距離を取る。
( 強い……。 )
( これが炎神に飲まれたレイカ。 )
それでも。
昔のような圧倒的な差は感じなかった。
受け止められる。
避けられる。
渡り合える。
「やっと……。」
ウインナーは自然と笑っていた。
「やっとここまで来れたんだ。」
レイカが駆ける。
黒炎を纏った拳。
ウインナーは風を纏った拳で迎え撃つ。
――ドォンッ!!
衝撃が森を震わせる。
互いに数歩後退。
再び踏み込む。
炎。
風。
炎。
風。
激しい攻防が続く。
「レイカ!」
「聞こえてるんでしょ!」
返事はない。
黒炎だけが答える。
何十合目かの衝突。
ウインナーはレイカの拳を受け流し、
その身体を投げ飛ばした。
レイカは空中で体勢を立て直し、木へ着地する。
黒炎が枝葉を焼く。
「お願いだから……!」
「戻ってきてよ!」
その叫びに。
レイカの身体が一瞬だけ止まった。
「……。」
しかし次の瞬間。
黒炎がさらに激しく燃え上がる。
「ガァァァァッ!!」
苦しそうな叫び。
炎神が抵抗している。
「そうか……。」
ウインナーは静かに目を閉じた。
「レイカを倒すんじゃない。」
「レイカを助けるんだ。」
ゆっくりと息を吸う。
風が止まる。
森が静まり返る。
黒炎だけが揺れている。
そして。
ウインナーは静かに両手を広げた。
「これが……。」
「僕が辿り着いた答え。」
足元から柔らかな風が流れ始める。
一つ。
また一つ。
風が音色を奏でる。
まるで森そのものが歌っているようだった。
「……レイカ。」
「僕、風の加護の真髄に辿り着いたんだよ。」
「必ず、助ける。」
「――風のシンフォニー・第零番。」
風が幾重にも重なり、美しい旋律を描き始める。
黒炎は飲み込もうと襲い掛かる。
しかし、その風は戦わない。
押し返さない。
ただ優しく包み込む。
「――風の愛想曲(セレナーデ)」
その瞬間。
優しい風がレイカを包んだ。
黒炎が揺れる。
暴れる。
抵抗する。
だが風は離れない。
怒りを受け止めるように。
悲しみを抱きしめるように。
静かに。
穏やかに。
黒炎を包み続ける。
「ガァァァァァァッ!!」
レイカが苦しそうに叫ぶ。
黒炎が何度も噴き上がる。
そのたびに風は優しく寄り添う。
まるで「もう大丈夫だ」と語りかけるように。
やがて。
激しく燃え盛っていた黒炎が、
少しずつ小さくなっていく。
「くっ……そ、何だこの風は…!?」
やがて、炎の加護の神の意思が遠くなる。
右手から溢れていた炎が消え。
瞳に宿っていた黒い光が揺らぐ。
「……ぁ。」
レイカの膝が崩れた。
風は静かに消えていく。
森を包んでいた熱気も、少しずつ薄れていった。
ウインナーはゆっくりと歩み寄る。
肩で息をしながら。
全身傷だらけになりながら。
「レイカ……。」
返事はない。
レイカは地面に片膝をついたまま、
荒く息を繰り返している。
やがて、
その閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。
黒炎ではない。
見慣れた、あの瞳がそこにはあった。
黒炎は消えた。
だが、その身体は今にも、
崩れ落ちそうなほど傷だらけだった。
ウインナーも同じだった。
服は焼け焦げ、腕には無数の切り傷が刻まれている。
二人の間には、しばらく言葉がなかった。
風が木々を揺らす音だけが静かに響く。
やがてレイカが口を開いた。
「……ウインナー。」
「本当に、強くなったな。」
ウインナーは苦笑する。
「やっと言ってもらえた。」
「ずっと、その一言が聞きたかった。」
レイカは小さく笑い、すぐに表情を曇らせた。
「だからこそ……。」
「俺は、お前たちの前から姿を消した。」
「……。」
「これ以上、一緒にいれば。」
「必ず傷付ける。」
「実際に、さっきもそうだった。」
ウインナーは静かに首を振る。
「違う。」
「レイカは最後まで戦ってた。」
「黒炎の中で。」
「僕には分かった。」
レイカは目を閉じる。
「……止められなかった。」
「俺じゃ。」
「だから離れた。」
「それしか方法がなかった。」
ウインナーは一歩近付いた。
「一人で苦しむことが、方法だなんて思わない。」
「レイカ。」
「僕たちは仲間だよ。」
「……仲間だからこそだ。」
レイカは静かに言う。
「仲間だから。」
「巻き込みたくなかった。」
「また誰かを傷付けるくらいなら。」
「俺一人で全部終わらせる。」
「全部って何?」
ウインナーの声が強くなる。
「全部一人で背負って。」
「全部一人で決めて。」
「それで本当に終わると思ってるの?」
レイカは答えない。
沈黙だけが流れる。
そして。
「……ユリの記憶を消したのは。」
「俺だ。」
その言葉に、ウインナーの身体が固まる。
「……え?」
レイカは視線を逸らしたまま続けた。
「あいつには。」
「普通の人生を歩いてほしかった。」
「俺といた記憶がある限り。」
「あいつは幸せになれないと思った。」
「だから。」
「俺を忘れさせた。」
ウインナーは拳を強く握る。
「そんな……。」
「そんな理由で……。」
レイカは何も言わない。
「仲間との記憶まで消すなんて!」
その瞬間だった。
レイカがゆっくり顔を上げる。
「……違う。」
短く。
はっきりと。
「俺は。」
「俺だけの記憶を消してくれ。」
「そう頼んだはずだ。」
「……え?」
今度はウインナーが言葉を失う。
レイカも驚いたように目を細める。
「ユリは……。」
「お前たちのことまで忘れていたのか?」
「覚えてないよ!」
「僕も!」
「ドロップも!」
「ケンも!」
「誰一人、覚えてなかった!」
長い沈黙。
レイカは額に手を当て、小さく息を吐いた。
「……そういうことか。」
「バンキング。」
「最後の最後で……やってくれたな。」
苦笑とも諦めともつかない表情だった。
「俺は。」
「ユリから俺だけを消してくれと言った。」
「仲間との思い出まで奪うつもりなんてなかった。」
ウインナーはゆっくり問い掛ける。
「じゃあ。」
「レイカも今、初めて知ったんだね。」
「あぁ。」
「想定外だった。」
「……だが。」
「もう変えられない。」
「どうしてそう決め付けるの!」
ウインナーの声が森へ響く。
「まだ会ってもいないのに!」
「ユリは!」
「ずっと苦しんでるんだよ!」
レイカは目を閉じた。
「だからだ。」
「だから会えない。」
「なんで!」
「思い出したら。」
「また苦しむ。」
「また俺が傷付ける。」
「そんなの!」
「レイカが決めることじゃない!」
ウインナーは叫ぶ。
「ユリがどうしたいか!」
「レイカは聞いたの!?」
レイカは黙る。
「聞いてないでしょ!」
「勝手に全部決めて!」
「勝手に一人で消えて!」
「それが優しさだと思ってるの!?」
レイカはゆっくり拳を握る。
「……優しさじゃない。」
「俺の我儘だ。」
その答えに、ウインナーは言葉を失う。
レイカは続けた。
「俺は怖い。」
「また、大切なものを傷付けるのが。」
「今度こそ。」
「取り返しがつかなくなる。」
「だから。」
「近付かない。」
「それが一番安全なんだ。」
ウインナーは首を横に振る。
「違う。」
「レイカ。」
「それは逃げてるだけだ。」
レイカの瞳が揺れる。
「僕は。」
「さっき黒炎の中にいた。」
「それでも。」
「レイカは最後まで僕を殺せなかった。」
「それが答えじゃないの?」
「まだ。」
「レイカは負けてない。」
「まだ戦えてる。」
レイカは小さく笑った。
「……甘いな。」
「その甘さが、お前の良いところでもある。」
そう言って立ち上がる。
足元はふらついている。
それでも前を向く。
ウインナーはその背中へ声を掛けた。
「どこへ行くの!」
レイカは立ち止まる。
振り返らない。
「わからない。」
「俺に宛なんてない。」
ボロボロの身体でレイカに近づき、腕を引く。
「じゃあ!僕たちと一緒に旅をしようよ!」
「今はブリトー達と別れちゃったけど。」
「一人になろうとしないで……。」
「頼むから……。」
「二度も勝手に居なくならないで……。」
ウインナーは涙が堪えきれない。
その涙をレイカは、悲しい目で見つめる。
「……すまない。」
「どんな選択肢を選んでも。」
「悲しませてしまうんだな。」
「もう、俺のことは忘れ────」
「忘れるわけない!!!!!」
突然の怒号にレイカは驚く。
「どんな気持ちで探してたと思ってるんだ!」
「一人で抱えるなって言ったのはレイカだ!」
「なんでそれを君がしているんだ……。」
「そんなの……辛すぎる……。」
「僕は、そんなことさせない為に。」
「これだけ強くなったんだ。」
ウインナーはレイカを抱き寄せる。
「……みんなに話せなくてもいいから。」
「僕には本当のこと、教えてよ。」
「頼むから、一人を選ばないで。」
「その辛さを知ってるからこそ、止めてるんだ。」
「もう、誰も、失いたくない……。」
涙が止まらないウインナーを、
優しく抱きしめ返し、
「………本当にすまなかった。」
「ありがとう。」
「落ち着いたら、俺の話を聞いてくれ。」
「一人にして、悪かった。」
子供のように泣きじゃくるウインナーを、
弟のように、頭を撫で、抱きしめた。
レイカは、人の温もりを久しぶりに感じた。