― 初めまして ―
森を抜ける風は穏やかだった。
暴走の傷は癒えていない。
それでもレイカとウインナーは並んで歩いていた。
しばらく沈黙が続く。
やがてレイカが足を止めた。
「……一つだけ。」
「約束してほしいことがある。」
ウインナーも立ち止まる。
「何?」
レイカは少しだけ視線を落とした。
「ユリには。」
「俺のことを話さないでくれ。」
ウインナーは驚いたように顔を上げる。
「でも!」
「レイカ!」
「それじゃ……。」
レイカは首を横に振る。
「駄目だ。」
「でも!」
「ユリには知る権利がある!」
「敵討ちだって!」
「全部――」
「だからだ。」
レイカの声が静かに響く。
「思い出した先に待っているのは。」
「幸せじゃない。」
「俺が。」
「敵だったという事実だけだ。」
ウインナーは唇を噛む。
「でも。」
「全部知らないままで生きるなんて。」
「残酷だよ。」
レイカは苦笑した。
「残酷なのは分かってる。」
「だけど。」
「あいつには。」
「笑っていてほしい。」
「それだけだ。」
「レイカは?」
その問いに、レイカは少しだけ目を細める。
「俺はいい。」
「……。」
「俺が選んだ道だ。」
沈黙。
風だけが二人の間を吹き抜ける。
「これは。」
「俺の我儘だ。」
「だから。」
「頼む。」
その一言に、ウインナーは目を閉じた。
昔から知っている。
レイカは一度決めたことだけは、絶対に曲げない。
何度説得しても。
何度止めても。
必ず、自分で背負う。
長い沈黙の末。
ウインナーはゆっくり頷いた。
「……分かった。」
「約束する。」
レイカも小さく頷く。
「……ありがとう。」
二人は再び歩き始めた。
森の出口まで、あと少しだった。
「ウインナー!」
遠くから声が聞こえる。
「ウインナー兄ちゃん!」
木々をかき分け、ドロップとケンが駆け寄ってきた。
「やっと見つけた!」
「心配したんだからね!」
ケンは勢いよく走ってきたが、その足が止まる。
「……。」
その視線の先。
黒いローブを纏う青年。
「兄ちゃん……。」
レイカは少し困ったように笑った。
「……悪い。」
たった二文字。
それだけで十分だった。
ケンの目には涙が浮かぶ。
「本当に。」
「本当に兄ちゃんなんだな……。」
ドロップも安堵したように息を吐く。
「生きてて良かった。」
レイカは照れ臭そうに視線を逸らした。
その様子を見て、ウインナーは小さく笑う。
「説明するよ。」
ウインナーはレイカのことを簡潔に話した。
炎神。
暴走。
姿を消した理由。
そして。
ユリの記憶。
話を聞き終えた二人は黙り込んでいた。
やがてレイカが静かに口を開く。
「一つだけ。」
「頼みがある。」
三人はレイカを見る。
「ユリには。」
「何も話さないでくれ。」
ドロップは目を伏せる。
「……本当に。」
「それでいいの?」
「あぁ。」
「俺が決めた。」
「思い出させるつもりはない。」
ケンも何か言おうと口を開く。
しかし。
レイカの表情を見て、何も言えなかった。
「……分かった。」
ドロップが静かに答える。
「約束する。」
ケンも頷いた。
「兄ちゃんがそう決めたなら。」
レイカは小さく頭を下げた。
「ありがとう。」
村へ戻ると、
騒ぎは少しずつ落ち着きを取り戻していた。
壊れた家を直す者。
荷物を運ぶ者。
そして。
怪我人を治療する、一人の少女。
「はい。」
「これで大丈夫。」
優しく微笑むユリに、村人は何度も頭を下げていた。
「ありがとう。」
「本当に助かった。」
「そんな。」
「私は当たり前のことをしただけです。」
その笑顔を見た瞬間。
レイカの足が止まる。
変わっていない。
誰かのために笑う顔も。
困っている人を放っておけない優しさも。
何一つ変わっていなかった。
ただ一つ。
自分との思い出だけが、そこにはなかった。
胸の奥が静かに痛む。
それでもレイカは表情を崩さない。
「ユリ。」
ドロップが声を掛ける。
「みんな!」
ユリは嬉しそうに駆け寄ってくる。
「無事だったんだね!」
「うん。」
「心配かけてごめん。」
笑い合う四人。
その輪の外に、レイカは静かに立っていた。
ユリは不思議そうに首を傾げる。
「あれ?」
「その人は……?」
空気が止まる。
ウインナーも。
ドロップも。
ケンも。
誰も言葉が出ない。
レイカはゆっくり前へ歩いた。
胸の奥が締め付けられる。
本当なら。
名前を呼びたかった。
もう一度。
笑い合いたかった。
それでも。
自分で決めた。
この人の幸せを守ると。
レイカは小さく微笑んだ。
「……初めまして。」
「レイカだ。」
「この前はすまなかった。」
ユリも柔らかく笑い返す。
「初めまして。」
「私はユリです。」
差し出された手。
レイカは一瞬だけその手を見つめる。
そして、そっと握り返した。
「大変だったんですよね……。」
「落ち着かれて何よりです。」
「あらためて。」
「よろしくお願いします。」
その温もりは、何も知らない温もりだった。
レイカは静かに頷く。
「あぁ。」
「よろしく。」
その笑顔を見つめながら。
レイカは心の中だけで、
誰にも聞こえないように呟いた。
( ……これでいい。 )
( これが、お前の幸せなら。 )
そう言い聞かせるように、静かに目を閉じた。