ダンジョンマスターは世界の下請管理職 〜剣と魔法かと思ったら、スペースコロニーとディストピアだったので配下を育てて乗っ取ります〜 作:土瓶サバ
朝の鐘が、村に響いた。
村の名前はアウル。
どこにでもある、小さな農村だ。
井戸から桶を引き上げながら、ミナは顔を上げた。
空の向こう、正面。
地平線の先が持ち上がるように、青い水面が広がっている。
壁に見えるけれど、あれは壁ではない。
リングの先の海だ。
朝靄の向こうで、森と畑と町並みが帯状に連なり、その上を白い光の筋が渡っている。
中心側に浮かぶ細長い光源群。
人々はそれを太陽と呼ぶ。
ミナにとっては、ただのいつもの景色だった。
「見上げながら水汲むな。手を滑らすぞ」
背後から声が飛んできて、ミナは慌てて桶を抱え直した。
振り向くと、背の曲がった祖父が杖を突いて立っている。
「ねえ、おじいちゃん。村の近くにダンジョンができたら、どうするの」
「どうするも何も、選べるもんじゃない」
祖父は杖の先で地面を突いた。
「ダンジョンは昔からある。山崩れや川の氾濫みたいなもんだ。近づけば死ぬ。だが、行かなきゃ食えない奴もいる」
言葉がそこで途切れる。
祖父の兄は若い頃、ダンジョンに挑んで帰ってこなかった。
そんな話は村のいたるところにある。
ミナはその話を何度も聞かされている。
だからダンジョンは怖い。
だからダンジョンは、金になる。
矛盾した二つの話を、村の子供たちは最初からセットで教えられる。
祖父を家に送り届けて、ミナは村の中央へ向かった。
小さな広場と石造りの教会。
教会の壁にはリングを模した環状の紋章と、その中心に白い点を描いた印が掲げられている。
奉られているのはマザーノード。
村人はふつうノード様と呼ぶ。
ミナは中に入る代わりに、石段の前で足を止めてぺこりと頭を下げた。
「ダンジョンがこっちに近づきませんように」
村人の祈りの定番だ。
昼前になると、広場に面した酒場兼食堂が開き始める。
木製の看板は、すでにかかっていた。
中からは肉を焼く匂いと、粗い笑い声が漏れている。
「おう、ミナ。手が空いてるなら皿を運べ」
カウンターの向こうから女将が顔を出した。
肩幅の広い、声の大きな女性だ。
ミナはエプロンを巻いて酒場に入った。
テーブルの一つに、リオンとエルノが座っている。
リオンは村の若者の中では体格がよく、畑仕事だけでは収まりきらない感じがある。
エルノは小柄で、いつも軽口を叩いている。
別の席に、見慣れない顔が二つあった。
革鎧、使い込んだ短剣、肩にかけた採取袋。
村の者ではない。
どこから流れてきたのかも分からない。
エルノがリオンの肩を小突いた。
「探索者かな。気になってるだろ」
「見てただけだ」
「見てただけって顔じゃないだろ」
リオンは、よそ者探索者から目を逸らした。
「ギルドに登録すれば、軽い仕事くらいはあるんだろ。森の獣狩りとか、浅いダンジョンの下見とか」
エルノが言うと、リオンは少しだけ低い声で返す。
「下見で死んだ奴もいる」
リオンの従兄は、街でギルドに入って、そのまま戻ってこなかった。
三年前のことだ。
だからリオンは探索者をなめてはいない。
ただ、村の中だけで一生を終えることにも納得していない。
「だから、軽い気持ちではやらない」
「軽い気持ちでは、ね」
エルノは茶化すが、少し安心した顔をしている。
ミナが皿を運んでいると、すみのよそ者探索者の会話が耳に入った。
「北の森か」
「薬草と獣だな。森の浅いところだけだ」
女将が皿を置きながら口を挟む。
「北の森に入るのかい」
「入口だけだ。村の子供も入る場所だろ」
「荒らすんじゃないよ」
探索者の一人が軽口で笑った。
「黒魔石でも拾えりゃ、借金も消えるんだがな」
「夢見すぎだ。伝説級のモンスターから出るような代物だぞ」
「ダンジョンの奥に転がってることもあるって言うぞ」
「それこそ夢見すぎだ。実際に見つけた奴なんて見たことない」
女将が低い声で言った。
「変な気を起こすんじゃないよ」
「だから、ダンジョンなんて探してないって。薬草を見に行くだけだ」
女将は探索者から目を離さずに続けた。
「ダンジョンってのは何があるかわからない。人に擬態するモンスターもいるって話だ。森のモンスターとはわけが違うんだよ」
「分かってるって」
探索者は笑いながら立ち上がった。
一人が銅貨を置く。
「日が高いうちに森へ入って、夕方までに戻る。薬草だけだ」
女将は言った。
「奥へは行くんじゃないよ」
「分かってる」
だが、ミナには分かっているように見えなかった。
リオンが少し顔を上げた。
「森も奥まで行けば帰ってこない奴もいる」
よそ者探索者は振り返って笑った。
「だから、入り口だけだって言ってるだろ」
そう言って、二人は酒場を出ていった。
北の森の方角へ。
リオンとエルノは、まだ席に残っている。
エルノがリオンを見る。
「お前もああなりそうで怖いんだよ」
「ああはならない。俺は依頼が出たら行くってだけだ」
ミナはそのやり取りを聞きながら、空いた皿を集めていた。
リオンは怖い話をしているのに、どこか楽しそうにも見える。
ミナはそれが少し不安だった。
でも、村の若者が外に出たい気持ちも分かる。
皿を片付けて、ミナは酒場の外に出た。
北の森が見える。
食べるものがない時に、木の実を拾いに行く場所だ。
鳥の声とうさぎの足跡しかなかった、静かな森。
そこに、さっきのよそ者たちが向かった。
リオンとエルノは、まだ酒場の中で何かを話している。
ミナは北から吹いてくる風を、いつもより冷たく感じた。