「うーん」
年の頃五十位の痩せぎすの男が、レントゲン写真を見つめていた。シワのない白衣に、それとは合わない無精ひげ。マシロの主治医であるヤマザキは一つ頷くと、マシロへ視線を向ける。
「うん。随分良くなってきましたね。この分なら、来週にも退院してもいいかもしれませんね」
退院という言葉にマシロは心躍らされた。
だって、トレーニングが出来る!いややるのだ!
「でもトレーニングは駄目ですよ」
「えっ……」
「長くアスリートでいたいでしょう?」
ヤマザキはそう言って笑った。
マシロはもう、そういわれてしまえば頷くしかない。
「まあ、あなたのポケモン……そうですね。ランのポケモンに騎乗してのウォーキングと言いますか、流すくらいならいいでしょう」
___________________________________
「ああ、気持ちいい……」
久々の感覚にマシロは酔いしれていた。
いつもより高い視点。
規則正しいリズム。
流れる風も心地よく感じる。
少し視線を下ろせば、僅かに黄色がかった色合いの白。ふさふさとした鬣が見える。
一歩ごとに揺れるその鬣に指を通せば、僅かにごわついた感触が返って来た。
マシロは病院の中庭にある池の周りをウインディに騎乗して散歩していた。
この池は入院患者の憩いの場として設置されている。池にはカモや白鳥が泳ぎ、彼らに餌をやる患者の姿もちらほらと見える。池の周りには一周200メートルほどの遊歩道が整備されており、患者のリハビリにも利用されていた。
その遊歩道をマシロを背に乗せたウインディはゆっくりとしたペースで歩いていた。
久しぶりに主人を乗せたウインディは主人に従順な性格もあり、どこかわくわくとした様子で歩いている。少し浮ついた気持ちがその歩みに出ていたのか、今にも駆けだしてしまいそうな気配を纏ったウインディの首元をマシロは指で掻いてやる。
「駄目だよ。走ったら怒られるのは私なんだから」
マシロの声に短く鳴いてウインディは答えた。
本当に歩くだけ。
鞍も無く、ましてや体を固定する器具もない。
ただそれが出来ることが無性に嬉しい。なんだ私も結構バカなのかもしれない。先日アドバイスをした兄の顔を思い浮かべながら一人で笑ってしまう。
「すみません」
「はい?」
そんなうきうきとした気持ちの一人と一体に声をかけてくる人がいた。
マシロはウインディに声の方に体を向けて止まるように指示を出した。
そこには見知らぬ男性が二人立っていた。
年の頃は大体14、5歳くらい。
男性というには若すぎる気もするし、男の子というには成長しすぎているくらいの彼らはニコニコと嬉しそうに笑いながら、
「ヒガ選手。ヒガ・マシロ選手ですよね」
と言いながら近寄ってくる。
ああ、ファンの人かなと思いながら、マシロはウインディの首元を叩いた。ウインディはマシロが降りやすいように足を折って体勢を低くする。
「はい」
地面に降り立ったマシロに対し、二人は「すげえ本物だ」などと言って興奮している様子だった。握手を求めてきたので、怪我のない右手でそれぞれ握手する。
そんな二人にマシロは一つ疑問に思ったことを口にする。
「ところで、この場所は一般の方は立ち入りが禁止されているはずですが……」
そう、その二人は一見して怪我や病気には見えず、病院着なども来ていないことから入院患者には思えなかった。さらに言うならこの場所に入るには患者の付き添いなどでも入館証が必要なはずだがそれも見当たらない。
「ああ、それはですね……」
二人はそれぞれカバンからケースを取り出すと、蓋を開けて中を見せてきた。
中にはジムバッジと呼ばれるバッジが四つ光っていた。
「実は俺たち先日やっと四つ目のバッジをゲットしたんです」
「これで『じくうのゆがみ』にも入ることが出来るってことです」
ジムバッジは各地方にあるポケモンジムと呼ばれる場所で取得することが出来る。取得方法については一個目、二個目は座学とペーパーテストでクリアできるが、三つ目からは実技が追加され、四つ目からはポケモンバトルが組み込まれてくる。これ以降の取得方法については割愛するが、ポケモンリーグに参戦するにはバッジ8つの取得が最低条件とされており、全部取得するにはかなりのバトルセンスが要求されてくる。
そして目の前の彼らは四つ目のバッジをゲットしたという。
という事は彼らはポケモン達の領域への立ち入りを許可されているという事。
ポケモン達がこの世界に現れたのは大体100年前。
彼らの世界【彼方】とこちらの世界が一部、重なり合ったことから行き来が可能になった。
当初は不安定だった繋がりも、技術の進歩によってだいぶ安定するようになってきている。各地にあるポケモンセンターに併設されている『ウルトラホール』と呼ばれる次元の穴を潜ればいつでも向こうとこちらを行き来できるのだ。かがくのちからってすげー。
しかし、例外が存在する。
それは『じげんのゆがみ』と呼ばれるものの存在だ。
突発的に発生するそれは時間も場所も指定せずに突然現れる次元の穴であり、おおよそ半径100メートルから大きいもので300メートルほどの範囲が一時的に【彼方】と交わる。その時間はおおよそ10分程度。
出現した『じげんのゆがみ』内にはポケモン達が出現し、気ままに過ごして『じくうのゆがみ』が無くなれば消えていく。そのような場所だ。
話は戻るが、バッジ4つを持っていれば単独でここに立ち入りポケモンを自分で捕まえる事が可能になる。
ポケモンを持たない人やバッジの数が3個以下の人は外からの立ち入りが禁止されている。
理由は簡単で危険だからだ。
『じくうのゆがみ』内には主のいないポケモン達がいるが、彼らは野生と呼ばれ人を襲う事があるのだ。だから当然自衛の手段が必要になる。
ポケモン達はその性質上、通常の物理攻撃は効果が薄い。あくまでポケモンの技によってダメージを与えなければ実体化を解くことは出来ない。
だからこそ、ポケモンバトルという実技を突破したバッジ4個以上あるトレーナーしか立ち入ることは出来ないのである。
『じくうのゆがみ』は発生する場所も時間も分からないが、その予兆は現在感知することが出来る。おおよそ発生の72時間前には大体の発生場所が検知でき、さらに4時間前にはかなり正確に発生場所範囲を特定できるようになった。
これにより発生前にその場所にじげん警報が発令され、人々は避難することが可能なのだ。
「要するに『じくうのゆがみ』がこの辺で発生するから、入って来たってことですか」
「そうです。下見に来ました。俺ら強いポケモンをゲットして、リーグトレーナーになろうと思っているんです。な、」
「おう」
『じくうのゆがみ』内はウルトラホールと違い繋がる場所がランダムであり、確かに強いと言われるポケモンを捕まえる事が出来るかもしれない。
ウルトラホールは安定している反面、繋がっている場所が固定されているので目当てのポケモンが生息している場所まで移動しなくてはいけないのが難点と言われている。そして移動したからと言って出会える訳でもない。何日もかけた行動が空振りに終わることもあるのだ。
ならばと、ポケモンガチャなどと呼んで『じくうのゆがみ』に挑む人もいる。彼らもそうなのだろう。
マシロは強いポケモンを持っているのが強いトレーナーの条件ではないし、ポケモン達の世界【彼方】を旅をするのも有意義なんだけど、と思いつつも口には出さない。代わりに二人に告げるのだ。
「『じくうのゆがみ』に入ることは止めませんが、それは病院の立ち入り禁止エリアに入っていい理由になりませんよ」
「あ、あー。あははは」
二人はバツが悪そうに笑いながら、一歩。そして二歩と下がると頭を下げ、方向転換。いきなり走り出した。
あっという間に遠ざかっていく二人を眺めながらマシロはポケットから携帯端末を取り出した
確かに病院の周辺にじくう警報が発令されている。
発生までのタイムリミットはおおよそ60時間らしい。発生場所によっては病室を移動しなければいけないかもしれない。
マシロはそこまで考えると携帯端末をしまって、ウインディの顎の下を撫でた。
「なんだか、調子が狂っちゃったな。……部屋に戻ろうか」
ウインディは頭を地面に下ろして不服そうに声を上げた。
___________________________
「お、おっけー。ここまでくりゃあ大丈夫だろ」
「あ、ああ」
息を整えながら、シロタとコバヤシは言葉を交わした。
こっそり状況を確認するつもりだったが、有名人を見つけて思わず声をかけてしまった。まさか、立ち入り禁止場所に入っていることを職員以外に咎められると思っていなかった。想定外の事態に思わず走って逃げてきてしまったのだ。
「まあ、だけど大体つくりは分かったから、時間通りに決行な」
「だな」
ポケモンガチャを諦めるような二人ではなかった。
___________________________
時間は既に深夜になっていた。
ウインディの背に乗る許可が出てから3日目。初日はあの無断侵入してきた2人と出会って、すぐに病室に戻ってしまったが、翌日からは時間を目一杯使って遊歩道を歩き続けた。
まだ本格的な『ラン』の練習には程遠い内容だが、やはり身体にはブランクともいうべき違和感がある。
また、調整が必要だなと考え今後の練習プランを一人で練っていく。出来ること出来ないことを整理して、自分の身体で確認し、再度プランを練り直す。このサイクルがマシロは嫌いではなかった。
しかし、夢中になってこんな時間まで起きている訳では無い。ふと、外から聞こえた物音に窓の外へ視線を向けると池の周りの遊歩道に4人の人影が見える。
彼らは揃いの制服に身を包み、腰にはモンスターボールを付けている。彼らはポケモンレンジャーと呼ばれる人達で、専ら『じくうのゆがみ』の対応やポケモン達の世界である『彼方』における人命救助等を仕事とするポケモン対応のエキスパート達だ。
時間を確認すると夜中の0時47分を示している。
じげん警報を確認すると『じくうのゆがみ』の発生時刻のおおよそ15分前だった。
恐らく周辺の確認と人払いを行ってきたのだろう。
理由は分からないが、ポケモン達は『じくうのゆがみ』からは出てこない。発生範囲が分かっていればそこにいなければ安全なのである。
彼ら4人は何やら話した後、近くのベンチ前に並ぶ。
ベンチには男性が一人、腰掛けていた。色の濃いサングラスに、胸の前で重ねられた両手は一本の杖の上に乗せられていた。背後には尖った頭部と、白く豊かなヒゲをもったポケモンが浮いていた。強力な念動力を武器に戦うフーディンと呼ばれるポケモンだった。
彼は暇なのか、男の声には耳を傾けず手に持ったスプーンをくるくると回している。
声は聞こえないが、話が終わったのだろう。
4人は敬礼すると散り散りに走り去っていく。持ち場へと行くのだろう。彼らが散開した後、薄っすらとシャボン玉の膜の様なものが浮かび上がってきた。
まもなく『じくうのゆがみ』が出現する。
七色の輝きを持った膜はその前兆であった。もう暫くすればより濃さを増し、膜の内側にポケモン達が姿を見せるだろう。傍から見ている分にはとても綺麗なものだ。
マシロ以外にもチラホラと窓を開けている部屋が見える。
そして時間は深夜1時2分。
完成された虹色のドームの中にポケモン達が現れる。
見る限りは、マダツボミにウツドン。それにスリープにイワークといったポケモンが見える。
「えーと、他には」
緑がかった灰色が見えた。
タンポポの様な尻尾に尖った頭。ヨーギラスだ。進化すればバンギラスへと進化する。バンギラスはとても強力だが扱いの難しいポケモンだ。
ヨーギラスはヨチヨチと歩き回り、気まぐれに花壇の花をつついたりしていた。
進化後からは想像出来ない可愛さだ。
そして、そんなヨーギラスに紅白にボールが叩きつけられた。ヨーギラスは光の粒子になり、ボールに吸い込まれる。
ボールは揺れることなく口を開け、ヨーギラスが再び実体を取り戻した。
「あー、クソ。逃げられた」
「ボールは沢山持ってきたからガンガン投げようぜ」
勝手に敷地に入ってきたあの二人だった。
二人はボストンバッグ、いっぱいに詰め込まれたボールを、ヨーギラスに向かって投げ始めた。不意打ちで当てた一投目以外はヨーギラスに避けられ、中々当たらない。
当たってもすぐにボールから出てしまい、捕まる様子はない。
「あーあー駄目だよ。捕まらないよ」
ポケモンを捕まえるには、弱らせる若しくは信頼を結ぶ事が必要だ。
ポケモンにどんな形であれ、認めさせなければいけない。力をあるいは人格を。それ無しでは捕まるものも捕まらないだろう。ましてやヨーギラスはプライドの高いポケモンだ。
ただボールを投げれば捕まるものではない。
時間も無いし、どうせ捕まらないだろうと思い2人の動きを見ていたが、マシロは思わず立ち上がる。
叫ぶ様な勢いで声を上げた。
「逃げて!」
マシロを見上げた2人の顔は、濃い茶色にのまれあっという間に見えなくなってしまった。
−−−−−−−−−−−−−−−
「な、何だよこれ」
「なんか、なんだ」
シロタとコバヤシはモンスターボールを手にしたまま、動けなくなっていた。視界は最悪、ほぼ何も見えない。身体にはパチパチと小さななにかが当たる。
砂だ。
影が見えた。
自分達の背丈を超える影が。
全身を音圧が叩く。
バンギラスがゆっくりとした動作で2人の前に姿を現した。先ほどまで自分たちが追い回していたヨーギラスとは比較にならない巨体。
その目には嗜虐の色が見える。ポケモン達の中にはこういった個体がいる。自分よりも弱い個体をなぶるような個体が。
バンギラスのすなおこしによって、『じくうのゆがみ』は砂の牢獄へと様変わりしている。
2人は逃げることも忘れて、ただただ捕食者の挙動を見守る事しか出来ない。バンギラスの太い尻尾が左右に振られ、そして金属の輝きを帯びる、『アイアンテール』だ。
バンギラスは金属の光沢を持つ尻尾を見せつける様にゆっくりと、持ち上げる。
「ひっ」
2人は両手を上げて、身を守ろうとする。だが上げた両腕ごと潰されてしまうだろう。
轟音。
身構える2人の全身を衝撃が襲った。無様にゴロゴロと地面を転がる。
だが生きている。
「駄目だよ。せめて自分のポケモン位は出さないと」
声の方に視線を向けると、両手を前に突きだした形で動かないフーディンと濃いサングラスをかけた男。
彼はオールバックにまとめられた髪を撫で上げながら、ため息をついた。杖をコツコツとならしながら。
「じゃないと僕達じゃ守ってあげられなくなる時がある」
砂の渦の向こう側から、咆哮を上げバンギラスが迫っていた。
「しつこいな」
フーディンは指示を待つまでもなく、技を発動していた。
きあいだま。
かくとうタイプの大技だ。膨大なエネルギー故に制御が難しいはずのその攻撃は、バンギラスの身体に直撃し彼の体力を削り切った。
嘘の様に砂嵐はなくなり『じけんのゆがみ』も同時に消え去る。
残されたのは、シロタとコバヤシの2人とポケモンレンジャーのサングラスの男。そしてその部下の4人。
「立てるかい?」
「い、いや、腰が抜けちゃって。あはは。怪我は多分ないッス」
どうやら腰を抜かしてしまい立つことの出来ない2人を見下ろし、
「いや、そうか。それでも構わない。ならば肝に命じておくといい」
男はサングラスを外す。
そこには顔の右上から左の頬の辺りまでを横断する、大きな傷があった。目を横断している事から視力を失っているだろう。
何か巨大な爪の様なものでつけられた傷をなぞり、男はニヤリと笑う。
「無謀が過ぎるとこんな風になるぞ」
「は、はい」
「わかれば宜しい。ああ、僕はオオクボ。この辺を仕切らせてもらっているポケモンレンジャーだ」
オオクボは、犬歯をむき出しに笑うとシロタとコバヤシの肩に手を置く。
「また、君達とは会うかもしれない。だから、これから説教だ。みっちりとね。バッチ4つのトレーナーに相応しい人間になってもらうよ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
凄い練度の技だった。
最初のきあいだまの直撃でバンギラスを転倒させたことから、分かっていたがあの威力と精度を保ったまま2発目を放てるとは思わなかった。あれほど明確に敵意剥き出しで襲いかかってくるバンギラスを目の前に、平常心を保つというのは難しい。
乱暴ではあるが、一撃目でダメージを与えると同時に、バンギラスと2人の距離を確保。
そして、恐らく一撃で終わらないという認識を、彼とポケモンは共通認識として持っていたのだろう。すなあらしの渦中ではバンギラスのとくしゅな攻撃への耐性は跳ね上がる。それも考慮にいれての立ち回り。二撃目できっちり決めていた。
そして、他のレンジャー隊員達もポケモン達と共に臨戦態勢を整えていた。
バンギラスは強大なポケモンだが、これ程の布陣なら一溜まりもない。完璧に近い立ち回りだったのだろう。
ポケモンレンジャーの方々に引きずられるように連れて行かれる2人を見ながら、マシロは感嘆のため息をついて眠りにつくのだった。
じげんのゆがみとじくうのゆがみが混在していました。
今後は『じくうのゆがみ』警報については『じくう警報』と呼ぶことにいたします。失礼いたしました。