わたしのはなむこさん。   作:たけのこ教徒

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第10話

 

 レイチェルとミィルが家で暮らすようになって、数週間が経った。

 最初の頃は、レイチェルも遠慮ばかりしていた。

 食事のたびに「手伝います」と立ち上がるくせに、いざ母さんに何か頼まれると、失敗しないようにひどく慎重になる。親父に話しかけられると、少し背筋を伸ばして、丁寧すぎるくらい丁寧に返事をする。

 けれど、最近は少しずつ変わってきた。

 朝は母さんと一緒に味噌汁を作ったり、洗濯物を畳んだりするようになった。親父がニュースを見ていると、隣で首を傾げながら質問することもある。

 ミィルもすっかり馴染んでいた。

 見た目だけなら、灰色の小さなマスコットみたいな生き物だ。近所の子供に見つかるたびに「かわいい」と撫でられている。

 本人――いや、本獣は喋れないふりをしているので、撫でられても大人しく尻尾を揺らしているだけだ。

 まあ、後で部屋に戻ると文句を言ってるらしいけど。

 そんな日々の中で、ようやくレイチェルの手続きが一通り終わった。

 明日からオレと同じ中高一貫校に通う。

 ただ、オレは高等部二年で、レイチェルは中等部二年だ。

 

 

 夕食を終えた後、リビングには少し妙な緊張感があった。

 

「……えっと」

 

 廊下の向こうから、レイチェルの声がする。

 

「入っても、大丈夫ですか?」

「もちろんよ」

 

 母さんが笑って答える。

 

 少しして、リビングの扉がゆっくり開いた。

 入ってきたレイチェルは、うちの学校の制服を着ていた。

 白い襟のセーラー服。

 濃い色のスカート。

 胸元には歪んだ三角タイ。

 普段の柔らかい服装とは雰囲気が変わって、少し大人びて見える。

 

「……どう、でしょうか」

 

 レイチェルは照れくさそうに、両手でスカートの端を軽く押さえていた。

 

「似合ってるぞ」

 

 親父が即答した。

 

「かわいいじゃない」

 

 母さんも満足そうに頷く。

 足元では、ミィルが尻尾をふりふり揺らしていた。

 喋れないふりをしているから何も言わない。

 でも、ものすごく嬉しそうだ。

 

「セーラー服にしたんだな」

 

 オレが言うと、レイチェルはこくりと頷いた。

 

「はい。ブレザーも素敵だったんですけど……こっちの方が、少し憧れていた感じに近くて」

 

「うち、変わってるよな。女子はセーラーかブレザー選べるし、男子も詰襟かブレザー選べるし」

「ショーゴさんは、詰襟なんですよね」

「まあな。なんとなく」

 

 本当は、ネクタイを結ぶのが面倒なだけだっただけだ。

 そんなことを思っていると、レイチェルが胸元の三角タイに手をやった。

 

「でも、これが少し難しくて……」

 

「あら、まだ不安?」

 

 母さんが近づく。

 

「はい。えっと……こう?」

 

 レイチェルが鏡の前で結び直そうとする。

 けれど、タイは妙な形で更にねじれてしまった。

 

「あ、違う違う。そこはこっちに通すの」

「こっち……ですか?」

「そう。そこに通して、軽く整える」

「……こう?」

「そうそう。上手」

 

 レイチェルの表情がぱっと明るくなる。

 

「できた……!」

 

 その顔が妙に嬉しそうで、親父が小さく笑った。

 

「明日は早いからな。忘れ物しないようにしろよ」

「はい」

 

 レイチェルは真面目に頷く。

 その視線が、ふとオレに向いた。

 

「ショーゴさんは……どう思いますか?」

「ん?」

「制服……変じゃないですか?」

 

 少し不安そうな顔。

 オレは改めてレイチェルを見る。

 銀がかった灰色の髪に、セーラー服はよく似合っていた。

 少し現実離れしているのに、ちゃんとこの家のリビングに馴染んでいる。

 

「似合ってると思うぞ」

 

 自然にそう言った。

 レイチェルは一瞬だけ目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。

 

「……ありがとうございます」

 

 母さんがにこにこしている。

 なんだよ、その顔。

 

「学校、楽しみかい?」

 

 親父が聞く。

 

「……はい」

 

 レイチェルは少し迷ってから、はっきり頷いた。

 

「少し緊張もしています。でも……楽しみです」

「まあ、」

 

 オレはソファの背にもたれながら言う。

 

「下級生にも何人か知り合いいるから、困ったら声かけられるようにしとく」

「え?」

「女子同士じゃなきゃ分かんねぇこともあるだろ」

 

 レイチェルは少し驚いたように瞬きをした。

 

「……いいんですか?」

「別に。顔が広いの、こういう時くらい使わないとな」

「ありがとうございます」

 

 レイチェルは小さく頭を下げた。

 

「助かります」

「おう」

 

 母さんが時計を見る。

 

「さて、明日は早いんだから、そろそろ休みなさい」

「はい」

 

 レイチェルは制服の裾を少し気にしながら、自分の部屋へ戻っていった。

 ミィルもその後を、とてとてと追いかける。

 リビングの扉が閉まる直前、ミィルがこちらを振り返って、尻尾を一度だけ振った。

 まるで、「任せなさい」とでも言っているみたいだった。

 

 ◇◆◇

 

 部屋に戻って、わたしは制服からパジャマに着替えた。

 丁寧に畳もうとして、少し迷う。

 明日また着るものだから、トーコさんに教わった通り、ハンガーに掛けることにした。

 セーラー服が、部屋の壁際で静かに揺れている。

 それを見ていると、胸が少しだけ熱くなった。

 明日になれば。

 わたしは学校へ行く。

 友達ができるかもしれない。

 知らない景色が見られるかもしれない。

 お母さんが話してくれた外の世界を。

 今度は、自分の目で見られる。

 

「楽しみ?」

 

 ベッドの上で丸くなっていたミィルが、小さな声で聞いてきた。

 

「……うん」

「不安じゃなくて?」

「……少しは」

 

 わたしは布団に入りながら、制服を見つめる。

 

「……でも、楽しみの方が大きいかな」

「そう」

 

 ミィルは少しだけ笑ったように見えた。

 

「昔からそうなんだから」

「……そうかな?」

「そうよ。思い立ったら止まらないんだから」

「……それは、ちょっと反省してる」

「ちょっと?」

「……ちゃんと」

 

 ミィルは満足そうに尻尾を揺らした。

 

「ならよろしい」

 

 わたしは小さく笑って、布団を肩まで引き上げる。

 明日が来る。

 新しい場所。

 新しい人たち。

 新しい一日。

 

「さ、もう寝ましょ?」

「うん」

 

 部屋の灯りを消す。

 暗くなった部屋の中で、ハンガーに掛かった制服だけが、窓から入る淡い光にぼんやり浮かんで見えた。

 

「おやすみ、ミィル」

「おやすみ、レイチェル」

 

 目を閉じる。

 胸の奥に残っている不安ごと、明日への楽しみが静かに膨らんでいく。

 眠りに落ちる直前。

 わたしはもう一度だけ、明日の自分を想像した。

 

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