中等部校舎へ向かう。
高等部の校舎とは渡り廊下で繋がっているが、普段オレが来ることはほとんどない。
だからこそ。
「おはようございます、相馬先輩!」
「おう、おはよう」
廊下ですれ違った後輩に挨拶される。
「先輩、この前ありがとうございました!」
「気にすんな」
「また助っ人お願いします!」
「機会があったらな」
そんなやり取りを何度か繰り返しながら歩く。
その様子を見ていた一年生らしい生徒が、
「あれ誰?」
「相馬先輩だよ」
「高等部の?」
「結構有名だよ」
なんて話しているのが聞こえた。
別に有名になりたいわけじゃないんだけどな。
そんなことを思いながら廊下を歩いていると。
「あれ?」
聞き覚えのある声がした。
「相馬先輩?」
振り返る。
そこにはブレザーを少し着崩した女子生徒が立っていた。
「よっ、愛衣」
「珍しいですね。相馬先輩が中等部来るなんて」
愛衣が不思議そうな顔をする。
「頼みがある」
「はい?」
「今日そっちに転校生が入る」
「ああ!」
愛衣が手を叩く。
「噂になってました!」
そしてニヤニヤし始めた。
「先輩の彼女ですか?」
「違う」
即答した。
「母さんの友人の子だ」
「あ、そうなんですか」
「今日からここ通うからフォロー頼む」
愛衣は一瞬で察した顔になった。
「あー、なるほど」
「男のオレには相談しにくい事もあるだろ?」
「分かりました!」
愛衣が胸を叩く。
「任せて下さい!」
頼もしい。
「舞依と美以にも言っていいですか?」
「頼む」
「了解です!」
元気よく敬礼する。
なんで敬礼なんだ?
◇◆◇
自分の教室へ戻る。
ホームルーム前のざわめきの中、自分の席へ座った。
何気なく窓の外を見る。
中庭。
そこを歩いている人影が見えた。
「あ」
思わず声が漏れる。
セーラー服姿のレイチェルだった。
隣には母さん。
さらに教師らしい女性が一緒に歩いている。
職員室から教室へ向かっているのだろう。
昨日まで家にいたはずなのに。
こうして制服を着て学校を歩いている。
それが妙に不思議だった。
「なあ、正護」
草下の声で我に返る。
「どうした?」
「最近帰るの早くないか?」
「まあ、ちょっとな」
「ふーん」
草下はそれ以上聞かなかった。
代わりに。
「何かあったら言えよ?」
そう言った。
オレは少しだけ笑う。
「おう。サンキュー」
◇◆◇
担任の先生と一緒に教室へ入る。
緊張する。
ものすごく。
教室中の視線が集まっている気がした。
「それでは紹介します」
先生が言う。
「今日からこのクラスで学ぶことになった、レイチェル・ラディーナさんです」
わたしは一歩前へ出る。
「レイチェル・ラディーナです」
声が少し震えた。
「よろしくお願いします」
頭を下げる。
すると。
「かわいい」
「髪綺麗」
「外国人だ」
そんな声が聞こえてきた。
先生が笑う。
「今日は転校初日だから、一限目は交流会にしましょう」
教室が盛り上がった。
その瞬間。
わたしはクラスメイト達に囲まれていた。
「髪染めてるの?」
「……いえ、地毛です」
「違うの!?」
「すごい綺麗!」
「どこから来たの?」
「……アイルランドです」
「おー!」
「日本語上手!」
質問が次々飛んでくる。
頭が追いつかない。
「好きな食べ物は?」
「……甘いもの全般です」
「わかる!」
「日本にはいつ来たの?」
「数週間前です」
「なんで日本に?」
「お母さんの友達がショーゴさんのお母さんで……」
昨日まで家で相談していた内容を思い出しながら答える。
「家の事情で、ショーゴさんのお家でお世話になってます」
「あー!」
誰かが声を上げた。
「相馬先輩の家?」
「そうです」
すると。
「相馬先輩いい人だよね」
「わかる」
「後輩にも優しいし」
「面倒見いいし」
そんな声が聞こえた。
なんだか少し嬉しくなる。
その時。
「みんなちょっとどいてー」
元気な声がした。
人垣を割って三人の女の子がやって来る。
「私は愛衣!正護先輩にフォローを頼まれたの」
ブレザーを少し着崩した女の子。
「舞依です」
ブレザーをきちんと着た優しそうな雰囲気の女の子。
「美以です」
眼鏡をかけたセーラー服の女の子。
「よろしくね!」
愛衣が笑う。
「困ったら何でも言って!」
「緊張してると思うけど大丈夫だからね」
舞依が優しく言う。
「授業で分からないところあったら教えるから」
美以も頷いた。
胸の奥が少し温かくなる。
「……ありがとう」
自然にそう言えた。
◇◆◇
二時限目以降。
初めて見る教科書。
初めて聞く授業。
初めて座る教室。
やっぱり緊張はした。
チャイムが鳴るたびに少しびくっとしてしまうし。
先生に当てられそうになるたび背筋が伸びる。
それでも、ショーゴさんが教えてくれていた内容も多かった。
数学も。
英語も。
思っていたより分かる。
授業についていける。
それが少し嬉しかった。
◇◆◇
昼休み。
「レイチェル!」
愛衣さんが駆け寄ってくる。
「相馬先輩と会うんでしょ?」
「……はい」
「私たちも行っていい?」
舞依さんと美以さんも後ろにいた。
少し迷ったけれど。
わたしは勇気を出して言った。
「……一緒に行く?」
三人の顔がぱっと明るくなる。
「行く!」
「もちろん」
「ありがとうございます」
中庭へ着くと、ショーゴさん達が先に待っていた。
「おー」
手を振ったのは、昨日家でも名前を聞いた男の子だった。
「来た来た」
わたしは持っていた二つの弁当のうち一つをショーゴさんへ渡す。
「おっ、サンキュー」
ショーゴさんが受け取った。
「母さん?」
「うん」
「なるほど」
納得したように頷く。
わたし達が席へ座ると、ショーゴさんが口を開いた。
「そういや紹介してなかったな」
そう言って隣を指差す。
「こいつが草下」
「どうもー」
草下さんが軽く手を上げる。
「帰宅部エースやってます」
「何のエースですか?」
思わず聞いてしまった。
「さあ?」
本人も分かっていなかった。
「ただの帰宅部だろ」
ショーゴさんが呆れたように言う。
みんな少し笑った。
続いてショーゴさんがもう一人を見る。
「こっちが館花」
「バスケ部だ」
館花さんは人懐っこい笑顔を浮かべる。
「正護にはいつも助っ人頼んでる」
「勝手に人を便利屋扱いするな」
「助かってるのは事実だから」
館花さんは悪びれない。
最後に。
「で、こっちが名古」
「よろしく」
眼鏡をかけた穏やかな男の子が微笑む。
「野球部です」
「よろしくお願いします」
わたしも頭を下げた。
すると館花さんが笑う。
「そんな固くならなくていいぞ」
「うん」
草下さんも頷く。
「正護の知り合いなら大歓迎だ」
「誰目線だよ」
ショーゴさんが突っ込む。
そのやり取りに、自然と肩の力が抜けた。
そのまま皆で輪になって座る。
「初日どうだった?」
名古さんが聞く。
「楽しかったです」
本心だった。
「よかった」
舞依さんが笑う。
「正護の家なんだって?」
草下さんが言う。
「そうです」
「だから最近帰るの早かったのか」
館花さんが頷く。
「めっちゃ納得した」
草下さんも頷く。
「保護者してるもんな」
名古さんが言った。
「誰が保護者だ」
ショーゴさんが即座に否定する。
「してるじゃん」
「してるな」
「してるね」
三方向から言われていた。
少しだけ笑ってしまう。
その様子を見た愛衣さんが小声で言った。
「やっぱり優しい先輩だよね」
「うん」
舞依さんが頷く。
「安心した」
美以さんも微笑む。
わたしは周りを見回した。
みんな笑っている。
知らない場所だったはずなのに。
知らない人ばかりだったはずなのに。
不思議と居心地が悪くない。
むしろ――来てよかった。
そんなことを思いながら。
わたしは少しだけ笑った。