レイチェルの学校初日。
本来なら私もこっそりついて行くべきなのかもしれない。
でも。
今日だけは別にやるべき事があった。
朝、学校へ向かう前。
ショーゴに改めて話を聞かれていた時、ふと思い出したのだ。
私たちがこの世界へ来た時の事を。
いや。
正確には、思い出したというより違和感に気付いた。
「そういえば……」
私はレイチェルの膝の上で尻尾を揺らした。
「どうしたの?」
制服姿のレイチェルが首を傾げる。
「ゲートよ」
「ゲート?」
「私たちが落ちてきた場所」
レイチェルが小さく目を見開いた。
「……あ」
思い出したらしい。
私は続ける。
「正直、あの時はそれどころじゃなかったのよ」
傷を負ったレイチェル。
不安定なゲート。
知らない世界。
追ってきた祖父の部下。
考える事が多すぎた。
「でも、今なら調べられるわ」
「調べる?」
「ええ」
私は頷いた。
「ゲートの様子だけ見ておきましょう」
もし壊れていたとしても。
「応急処置くらいならできるはずよ」
そう思った。
レイチェルは少し安心したような顔をする。
「ねえ、ショーゴ。この辺りに寂れた石造りの建物ってあるかしら?」
「寂れた石造りの建物?」
「そうよ」
「あー」
ショーゴは納得した顔になる。
「ならあそこだな」
「知ってるの?」
「丘の上にある廃教会」
即答だった。
私は少し驚く。
「有名なの?」
「近所じゃ有名だな」
ショーゴは苦笑した。
「昔から噂になってる場所だ」
「噂?」
「お化けが出るとかなんとか」
「お、おばけ……」
レイチェルが少し青ざめる。
「廃墟だから崩れて危ないってんで大人から言われているが、子供の肝試しスポットだよ」
「ショーゴさんも?」
「昔一人で行った」
当然のように言う。
レイチェルが呆れた顔になった。
私は思わず笑う。
「ま、何にも出なかったがな」
「ひとりで大丈夫?」
レイチェルが聞く。
私は鼻を鳴らした。
「誰に言ってるのよ」
「でも」
「大丈夫よ。ちょっと行ってくるだけよ」
「それはそうだけど……」
「レイチェル」
私は少しだけ優しい声で言う。
「あなたは学校を楽しんできなさい」
今日をどれだけ楽しみにしていたか知っている。
だから。
余計な心配をさせたくなかった。
「……うん」
レイチェルが頷く。
「ありがとう、ミィル」
「任せなさい」
私は胸を張った。
◇◆◇
街外れの丘。
風が強い。
雑草がざわざわと揺れている。
その先に。
古びた石造りの建物があった。
「ここね」
廃教会。
ショーゴの言っていた通りだった。
割れた鐘楼。
崩れた祭壇。
砕けたステンドグラス。
苔むした壁。
誰も管理していないのだろう。
自然に侵食されている。
「ショーゴは昔ここで肝試ししたらしいけど」
辺りを見回す。
「何も出なかったそうね」
小さく笑う。
「まあ、普通はそうよね」
そして礼拝堂跡へ降り立った。
そこだった。
私たちがこの世界へ現れた場所。
見える人にしか分からない。
感覚的な痕跡。
世界と世界を繋いでいたゲートの残滓。
私は意識を集中させる。
探る。
読み取る。
そして。
「……壊れてる」
小さく呟いた。
完全に。
跡形もなく。
ゲートが死んでいた。
私は眉をひそめる。
「おかしいわね」
本来、世界を繋ぐゲートはそう簡単には壊れない。
自然に閉じる事はある。
だが、こんな壊れ方は異常だ。
私は痕跡をさらに探る。
「あの人が壊した?」
すぐに首を振った。
ありえない。
そんな事をしたら。
私たちを連れて、自分も帰れなくなる。
あの人は融通が利かないし、頑固だ。
でも、愚かではない。
やる理由がない。
「じゃあ……」
壊れかけのゲートを無理やり通ったせい?
その可能性はある。
私はさらに深く探る。
そして。
「……なにこれ」
思わず声が漏れた。
もう一度調べる。
「おかしい」
さらに調べる。
「そんなはずない……」
三回。四回。と何度も確認する。
それでも、結果は変わらない。
「……変ね」
私は首を傾げた。
もう一度。
慎重に。
痕跡をなぞる。
結果は同じ。
何度調べても変わらない。
だから認めるしかなかった。
「……なにこれ」
私は息を呑む。
私たちの痕跡がある。
レイチェル、私。
そして、あの人。
そこまではいい。
問題は。
その先だった。
「私たちとあの人以外に……」
誰かが通っている。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
いや--、
「四つ……?」
私は目を見開いた。
知らない。
全部知らない。
そのどれもが。
私の記憶にない。
特に最後の一つ。
妙に冷たい。
まるで長い時間を眠っていたような。
そんな違和感があった。
背筋に嫌なものが走る。
「そんな……」
もし。
もし本当に。
この痕跡が正しいなら。
私たちがゲートを通った後で他にも何かが、こちらへ流れ込んだ事になる。
「どこへ行った……?」
分からない。
何も。
分からない。
私は完全に壊れたゲートを見つめた。
修復できる?分からない。
かかる時間は?分からない。
方法は?もっと分からない。
そもそも。
本当に直せるの?
自信がなくなっていく。
あの人なら知っているかもしれない。
でも、あの人だって知らない可能性がある。
「最悪……」
私は呟く。
「このまま帰れない?」
初めて。
そんな考えが頭をよぎった。
帰ったら。
レイチェルに何て言う?
ショーゴには?
しばらく黙って立ち尽くす。
風が吹く。
雑草が揺れる。
割れた鐘楼が軋む。
そして。
私は小さく息を吐いた。
「……これは、ちゃんと話さないといけないわね」
レイチェルと。ショーゴにも。
まだ、確証がない。
余計な不安を与えるだけだ。
今日はレイチェルにとって初めての学校。
あんなに楽しみにしていた。
それでも、これは隠してはいけない問題だ。
「帰りましょう」
私は踵を返した。
その時。
風が吹いた。
思わず振り返る。
「……?」
誰もいない。
崩れた礼拝堂。
揺れる雑草。
割れたステンドグラス。
それだけ。
私は数秒だけ警戒する。
気配を探る。
異常はない。
何も見つからない。
「……気のせいよね」
そう呟き。
私は廃教会を後にした。
誰もいなくなった礼拝堂。
風が吹く。
砕けたステンドグラスの破片に光が反射する。
その奥。崩れた祭壇の影で。
ほんの一瞬だけ。
何かが動いた。
けれど。
それを見る者は、もう誰もいなかった。