部屋の空気が静まり返る。
ミィルは一度だけ目を閉じ、小さく息を吐いた。
「本当は……ショーゴが襲われていなくても、今日ちゃんと話すつもりだったの」
レイチェルもオレも、黙って続きを待つ。
「今日、レイチェルが学校へ行っている間に、私はゲートがあった場所へ行ってきたわ」
「あの廃教会か」
「ええ」
ミィルは頷く。
「確認したかったの。帰るためのゲートがどうなっているか」
そこまで聞いて、嫌な予感がした。
「……結果は?」
オレが聞く。
ミィルはほんの少しだけ目を伏せた。
「完全に壊れていたわ」
短い言葉だった。
だけど、その重さは十分すぎるほど伝わってきた。
「完全に?」
「ええ」
ミィルは静かに頷く。
「応急処置どころじゃなかった。修復方法も、今の私には見当もつかないくらい壊れていたわ」
レイチェルが小さく息を呑む。
「じゃあ……」
震える声だった。
「わたしたち……帰れないの?」
その問いに、ミィルはすぐには答えられなかった。
沈黙。
それだけで十分だった。
「現時点では……ね」
「……」
レイチェルの笑顔が消えた。
ゆっくり俯く。
膝の上で両手を握り締める。
ぎゅっと、白くなるほど強く。
その肩が、小さく震えていた。
家出同然で飛び出したとはいえ。
レイチェルには帰る家がある。
父さんと母さんがいる。
いつか帰れる。
そう信じていたはずだ。
それが、帰れないかもしれない。
その現実は、想像以上に重かった。
オレも何て言えばいいのか分からず、黙っていた。
「でも」
ミィルが続ける。
「もっとおかしい事があったの」
「まだあるのか?」
「ええ」
その表情は真剣だった。
「ゲートの痕跡を調べたら、私たちと、レイチェルを追ってきたあの人以外の痕跡が残っていたの」
「……え?」
レイチェルが顔を上げる。
「誰かが……通ってきたって事?」
「そういう事になるわ」
ミィルは頷いた。
「しかも一つじゃない」
部屋がまた静かになる。
「三つ……いえ」
ミィルは首を横に振る。
「四つ」
「四つも?」
「全部、私の知らない気配だった」
オレは思わず腕を組む。
「その中の一つが……」
ミィルはオレを見る。
「今日、ショーゴを襲った影だったんじゃないかと思う」
「根拠は?」
「廃教会を出る時」
ミィルは少し遠くを見る。
「誰かに見られている気がしたの」
風。気配。
振り返っても誰もいなかった。
「でも」
ミィルは小さく呟く。
「気配だけは、確かにあった」
オレは今日の出来事を思い返す。
昼。帰り道。
バイトへ向かう時。バイト帰り。
何度も感じた視線。
全部。繋がっていたのかもしれない。
「じゃあ」
オレが言う。
「オレを狙ってた理由は?」
「まだ分からない」
ミィルは首を振る。
「でも」
一拍置く。
「花婿、という言葉だけは気になるわ」
部屋に沈黙が落ちる。
誰も答えを持っていない。
だから、考えても仕方がなかった。
「……帰れないなら」
オレはゆっくり口を開く。
二人がこちらを見る。
「帰れる方法を探せばいい」
レイチェルが目を丸くした。
「影も、ゲートも、能力も……分からない事ばっかだけどさ」
肩をすくめる。
「知らないまま困ってても進まないだろ」
レイチェルは少しだけ笑った。
本当に少しだけ。
「……うん」
その返事を聞いて。
ミィルも表情を和らげた。
「ありがとう、ショーゴ」
「礼を言われる事じゃない」
そう返すと。
ミィルが急に胸を張った。
「それと!」
「ん?」
「私も記憶を辿って調べるわ!」
「記憶?」
「もちろん」
得意げに鼻を鳴らす。
「レイチェルに勉強も魔法も教えてきたんだから。本に書いてあった事くらい全部覚えてるわ」
「全部?」
「全部よ」
少し自慢げだった。
「そりゃすごいな」
「もっと称えなさい」
その一言に思わず笑ってしまう。
オレは紙袋から残っていたホットサンドを取り出した。
「ほら」
「!」
ミィルが目を輝かせる。
「褒美」
「ふふん」
得意そうな顔で受け取る。
一口。もぐもぐ。
その瞬間。
ミィルの尻尾がぶんぶん揺れ始めた。
「美味いか?」
「……悪くないわね」
全然説得力がない。
尻尾が止まっていない。
レイチェルも思わず笑った。
少しだけ、部屋の空気が軽くなる。
「で」
オレは改めて聞く。
「そのゲートを壊した気配だか影だかを、どうにかすればいいんだな?」
「取り敢えずはね」
ミィルは頷いた。
「でも今は情報が少なすぎる」
「確かにな」
「廃教会も調べたいけど」
ミィルはため息をつく。
「明日は外へ出ないってトーコと約束したし」
「それ以前に」
オレは苦笑する。
「銃声の犯人はオレだ」
「そうだったわね」
三人で苦笑した。
「じゃあ明日は」
オレは指を折る。
「能力について勉強」
「うん」
「ゲートについて調べる」
「ええ」
「帰る方法を探す」
「もちろん」
「そのためには」
ミィルが真剣な顔になる。
「ショーゴ」
「なんだ?」
「あなたの能力を安定して使えるようになってもらわないと」
「ああ」
オレも頷く。
「あの影はオレを狙ってるんだろ?」
「理解が早くて助かるわ」
ミィルが小さく笑う。
「あの影については、もう少し情報が集まってから話す」
「分かった」
レイチェルも静かに言った。
「……わたしも協力する」
オレは頷く。
「頼りにしてる」
レイチェルが少し照れくさそうに笑う。
ミィルもホットサンドを食べ終え、小さく頷いた。
やる事は山積みだ。
能力の事。
レイチェル達が帰る方法。
廃教会。
あの影。
そして、"花婿"という謎の言葉。
「……面倒な事になったな」
思わず苦笑する。
でも、もう知らなかった頃には戻れない。
だったら。前へ進むしかない。
三人で。
一つずつ解決していけばいい。
そんな気がしていた。