わたしのはなむこさん。   作:たけのこ教徒

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第3話

 

 ――身体が、まだ少し重い。

 けれど、さっきまでの冷たさはもう残っていなかった。

 布団の上に座ったまま、わたしは、そっと息を吐く。

 知らない場所。知らない人。

 それでも、不思議と“怖い”とは思わなかった。

 ミィルの体温が、腕の中にあるからかもしれない。

 

「……」

 

 そのとき、廊下の方から足音が近づいてきた。

 襖の向こうで、一瞬止まる気配。

 

「入ってもいいか?」

 

 男の子の声が襖越しに聞こえ、わたしは「はい、どうぞ」

と返す。

 そして、すっと襖が開かれる。

 

「……あ」

 

 現れたのは、ひとりの男の子だった。

 金色の髪が、まだ少し湿っている。お風呂上がりなのか、湯気のようなものをまとっているようにも見えた。着ているのは、わたしと同じような浴衣。

 背が高くて、少しだけ無表情。

 でも、その目はまっすぐこちらを見ていた。

 

「……大丈夫か?」

 

 低く、落ち着いた声。

 どこか、安心させる響き。

 

「……はい」

 

 自然と背筋が伸びる。

 その人は、少しだけ頷いた。

 

「オレ、正護。さっき……その、道で見つけて家まで運んで来たんだ」

 

「……!」

 

 思わず目を見開く。

 あの雨の中で聞いた声が、かすかに重なった気がした。

 

「……そう、だったんですね」

 

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 

「ありがとうございます」

 

 小さく頭を下げる。

 

「……いや、別に」

 

 ショーゴさんは頭をかき、少しだけ視線を逸らした。

 その仕草が、どこか不器用で――少しだけ、安心する。

 

「わたしは、レイチェル・ラディーナです」

 

「……レイチェル、か」

 

 名前を確かめるように、ゆっくりと口にする。

 そのとき――

 

「……くしゅっ」

 

 小さなくしゃみが、こぼれた。

 自分でも驚いて、思わず口元を押さえる。

 

「……あ」

 

「まだ冷えてるな」

 

 ショーゴさんがそう言った、ほとんど同時に。

 

「やっぱりね」

 

 灯子さんの声が後ろから重なった。

 振り向くと、いつの間にか部屋の入り口に立っている。

 

「お風呂、入ってきなさい。温まった方がいいわ」

 

「……でも」

 

「遠慮しなくていいの」

 

 やわらかく、けれど迷いのない声。

 

「そのままだと、また体調崩すわよ?」

 

「……はい」

 

 小さくうなずく。

 ミィルを抱き直してから、そっと布団を降りた。

 

「ミィルは?」

 

「その子はこっちで見てるわ。まだ寝てるみたいだしね」

 

 少しだけ迷ったあと、わたしは頷いた。

 

「……お願いします」

 

 ミィルをそっと灯子さんに預ける。

 

 手が離れる瞬間、ほんの少しだけ不安がよぎったけれど――

 

「大丈夫よ」

 

 灯子さんの一言で、不思議と落ち着いた。

 わたしは、そのまま部屋を後にした。

 

 ◇◆◇

 

 お風呂の中は、静かだった。

 湯気が、ゆらゆらと揺れている。

 お湯に身体を沈めると、じんわりと熱が広がっていく。

 

「……はぁ」

 

 思わず、息が漏れた。

 温かい。

 それだけで、こんなにも安心するなんて。

 目を閉じると、今日の出来事が浮かんでくる。

 雨。

 倒れた自分。

 あの声。

 そして――ここ。

 

「……」

 

 この家の人たちは、優しい。

 それは間違いない。

 灯子さんも、ショーゴさんも。

 何も知らないわたしに、手を差し伸べてくれた。

 でも。

 

「……どうしよう」

 

 ぽつりと、呟く。

 このまま黙っていていいのか。

 自分のこと。

 ここに来た理由。

 全部。

 ――知られたら、どうなるだろう。

 信じてもらえないかもしれない。

 それどころか、怖がらせてしまうかもしれない。

 

「……でも」

 

 ゆっくりと、お湯の中で指を握る。

 このままお世話になるなら。

 いずれは――巻き込んでしまう。

 隠していられるようなことじゃない。

 

「……」

 

 ミィルの顔が、浮かぶ。

 守らなきゃいけない。

 それだけは、絶対に変わらない。

 

「……いっそ」

 

 全部、話してしまった方がいいのかもしれない。

 そうすれば――

 でも。

 

「……まだ」

 

 すぐには、決められなかった。

 湯気の向こうで、答えはぼやけたまま揺れている。

 

 ◇◆◇

 

「……で、しばらくうちで預かるってことか」

 

 湯飲みを手に、オレは母さんを見る。

 リビングのテーブルには、湯気の立つお茶。

 外の雨音は、少しだけ弱くなっていた。

 

「そういうこと」

 

 母さんは、あっさりとうなずいた。

 

「行くあてもなさそうだったしね」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 オレは一口、お茶を飲む。

 温かさが喉を通って、少しだけ落ち着く。

 

「いいのかよ」

 

「何が?」

 

「いや……連れて来たオレが言うのも何だけど、見ず知らずの相手だろ」

 

 母さんは、少しだけ肩をすくめた。

 

「だからって、放っておく理由にはならないでしょ?」

 

「……」

 

 確かに、その通りだ。

 

「オレは別にいいけど」

 

 湯飲みをテーブルに置く。

 

「どうせやるなら、中途半端は嫌だし」

 

「へえ」

 

 母さんが少しだけ意外そうに見る。

 

「ちゃんと面倒見るつもり?」

 

「最初からそのつもりだよ」

 

 少しだけ眉をひそめる。

 

「途中で投げ出すとか、性に合わねえし」

 

 それに――

 口には出さないけど。

 こういうときに手を差し伸べるのが母さんだ。

 親父も、きっと同じことをする。

 まだ帰ってきてないけど、反対するとは思えない。

 ……口にしたことはないけど、オレは、そういう両親を――

 

「……ま、いいや」

 

 小さく息を吐く。

 

「とにかく、オレも賛成だ」

 

 母さんは、ふっと笑った。

 

「頼もしいわね」

 

「別に」

 

 視線を逸らす。

 そのとき、母さんは立ち上がった。

 

「じゃあ、軽く食べられるもの作るわ。あの子、まだ本調子じゃないし」

 

「おかゆか?」

 

「ええ」

 

 キッチンへ向かいながら、答える。

 鍋に水を入れる音が、静かに響く。

 オレはその背中をぼんやりと眺めながら、もう一度湯飲みを手に取った。

 雨はまだ、完全には止んでいなかった。

 

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