わたしのはなむこさん。   作:たけのこ教徒

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第8話

 トーコさんに連れられて、わたしの日用品を揃えるための買い物を終えた頃には、空はもう茜色に染まり始めていた。

 歯ブラシ、タオル、部屋着。

 

 「これも必要でしょう?」と自然に籠へ入れていくトーコさんに、わたしは何度も「そんな、そこまで……」と言ったけれど、トーコさんにこにこと笑うだけだった。

 家へ戻り、買ってきた物を客間へ収納し終える頃には、外はかなり暗くなっていた。

 その時だった。

 ベッドの上で丸くなっていたミィルが、ぴくりと耳を立てる。

 

「……ミィル?」

 

 ミィルは勢いよく立ち上がった。

 灰色の尻尾が逆立っている。

 

「レイチェル、まずい事になったわ」

 

 低い声。

 いつもの軽い調子じゃない。

 

「ショーゴが襲われたわ」

「……え」

 

 思考が、一瞬止まる。

 

「……嘘」

「朝、念のためマーキングしておいて正解だった」

 

 ミィルの目が細くなる。

 

「正護が危ない」

「……っ」

 

 胸が嫌な音を立てる。

 頭が真っ白になりそうになるのを無理やり押さえ込んだ。

 

「……行くよ、ミィル」

「ええ、急ぐわよ」

 

 ミィルが部屋を飛び出す。

 小さな身体で階段を駆け下り、玄関を前脚でかりかりと掻いた。

 わたしも慌てて後を追う。

 キッチンでは、トーコさんが夕飯の支度をしていた。

 味噌汁の香りがする。

 いつも通りの、温かな光景。

 なのに。

 今はそれが、妙に遠く感じた。

 

「トーコさん」

 

 声が少しだけ震える。

 

「ミィルが外に出たがってるから、少し散歩に行ってきます」

「そうなの?」

 

 トーコさんが振り返る。

 その目が、わたしを映す。

 一瞬だけ--本当に、一瞬だけ。

 表情が変わった気がした。

 けれど。

 

「暗くなってきてるから、早めに帰ってきなさいね?」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

「……はい」

 

 わたしは小さくうなずいて、家を飛び出した。

 

 ◇◆◇

 

 ミィルを追って走る。

 夜の住宅街。

 街灯がぼんやり道を照らしている。

 

「こっちよ!」

 

 ミィルが角を曲がる。

 その先。

 

「……っ!」

 

 ショーゴさんが倒れていた。

 アスファルトの上に、うつ伏せで。

 

「ショーゴさん!」

 

 駆け寄る。

 周囲に人影はない。

 けれど。

 空気が妙だった。

 冷たい。

 重い。

 人払いの結界が残っているから騒ぎになっていないんだ。

 

「……どう、ミィル?」

 

 わたしは震える声で尋ねる。

 ミィルは正護さんの側へ降り立ち、小さな前脚を身体へ触れさせた。

 

「かなり力を吸われてるわね……」

 

 険しい顔。

 

「レイチェル、まだ本調子じゃないだろうけど、あなたの力を分けてあげて」

 

「……うん」

 

 わたしは正護さんの左手を両手で包み込む。

 冷たい。

 ゆっくり息を吐く。

 そして、自分の内側の力を流し込んでいく。

 じんわりと。

 染み込ませるように。

 急ぎすぎないように。

 少しずつ。

 少しずつ。

 すると。

 正護さんの指先が、微かに動いた。

 

「……ッ」

 

 閉じていた瞼がゆっくり開く。

 

「……レイチェル……?」

 

 ぼやけた視線がこちらを向く。

 

「……と、ミィルか? どうした……?」

「……散歩してたら、ショーゴさんが倒れてたから」

 

 我ながら苦しい言い訳だった。

 

「倒れてた……?」

 

 ショーゴさんは眉を寄せる。

 そして次の瞬間。

 

「――そうだ、オレ……!」

 

 勢いよく身体を起こした。

 

「アイツは!?」

 

 辺りを見回す。

 呼吸が荒い。

 ショーゴさんは腹を押さえて、制服をめくった。

 わたしは思わず、ばっと後ろを向く。

 

「た、確かに貫かれたはずだ……」

 

 困惑した声。

 

「傷がない……でも、妙な痛みだけ残ってる……」

「夢……じゃねぇよな……?」

 

 ショーゴさんが頭を押さえる。

 わたしは言葉に詰まった。

 もう誤魔化せない。

 絶対に。

 ショーゴさんは、わたしたちのせいで巻き込まれた。

 ミィルを見る。

 ミィルは小さく首を横に振った。

 “今はまだ”

 そう言いたげに。

 けれど。

 もう限界だった。

 

「……ショーゴさん」

「……ん?」

「歩ける?」

 

 少し沈黙してから、ショーゴさんは立ち上がる。

「ああ……たぶん、大丈夫だ」

 

 まだ顔色は悪い。

 でも、立てている。

 わたしは小さく息を吸った。

 

「……帰った後で、話したいことがあるの」

「……話?」

「うん」

 

 胸が痛い。

 自分のせいで巻き込んでしまった。

 隠したままでいれると思っていた。

 でも。

 もう無理だ。

 今日のこと。

 昨日のこと。

 全部。

 ショーゴさんにだけは話さなきゃいけない気がした。

 

 ◇◆◇

 

 帰り道は静かだった。

 街灯の明かりだけが、夜道をぼんやり照らしている。

 正護さんは時折腹を気にするように押さえていた。

 ミィルは少し前を歩きながら、周囲を警戒している。

 誰も、ほとんど喋らなかった。

 やがて家が見えてくる。

 玄関の灯りが、暗い夜の中でやけに暖かかった。

 扉を開いた瞬間。

 

「おかえり。あら、一緒だったのね?」

「ああ、そこでばったりとな」

 

 トーコさんの声がした。

 いつも通りの声。

 けれど。

 リビングから出てきたトーコさんは、ショーゴさんを見るなり一瞬だけ目を細めた。

 

「……何かあったの?」

「……」

 

 ショーゴさんが言葉を詰まらせる。

 わたしも俯いたまま黙ってしまった。

 短い沈黙。

 でも、トーコさんは、それ以上聞かなかった。

 

「とりあえず、ご飯にしましょうか」

 

 逃げ道を作るみたいに、穏やかにそう言った。

 

「……はい」

 

 その優しさが、少し苦しかった。

 

 ◇◆◇

 

 食事を終えたあと。

 わたしとミィルは、ショーゴさんの部屋へ来ていた。

 机。

 本棚。

 無造作に置かれた教科書。

 男の子の部屋だ、と思う。

 正護さんはベッドへ腰掛けたまま、しばらく黙っていた。

 そして。

 

「……あれ、なんだったんだ」

 

 低い声で言う。

 

「オレ、刺されたよな」

「……」

「なんで傷がない」

 

 部屋の空気が重くなる。

 わたしは、ゆっくり口を開こうとして――

 

「まあ、当然の疑問よね」

 

 ミィルが喋った。

 

「…………は?」

 ショーゴさんが固まる。

 数秒。

 本当に数秒、完全に停止した。

 それからぎこちなくミィルを見る。

 

「……今、喋った?」

「喋ったわよ」

「……」

「ちなみに最初から喋れるわ」

「……」

 

 ショーゴさんは無言で顔を覆った。

 

「マジかよ……」

 しばらくそのまま黙り込んでから、ゆっくり顔を上げる。

 

「……そういや」

「なに?」

「ミィルって何の動物なんだ?」

 

 数秒の沈黙。

 ミィルがぱちぱちと瞬きをする。

 

「私?」

「お前以外いねぇだろ」

「ふふん」

 

 なぜか得意そうに胸を張った。

 

「私はカーバンクルよ」

「……カー、なんだって?」

「カーバンクル」

「……」

「……」

「……」

 

 ショーゴさんが真顔になる。

 

「いや待て、もっと狐とかフェネックとか、そういうのじゃねぇのか」

「何よその扱い!」

 

 ミィルが尻尾をぶわっと膨らませた。

「高貴なる幻獣に向かって失礼ね!」

「いや急に幻獣とか言われても……」

 

 頭を押さえるショーゴさん。

 完全に処理落ちしていた。

 でも。

 さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ和らいでいた。

 わたしは小さく息を吸う。

 そして。

 

「……ショーゴさん」

 

 声をかける。

 ショーゴさんがこちらを見る。

 

「今日……何があったの?」

「……え?」

「何で、倒れてたの?」

「あー、信じてもらえるか分かんないが、襲われたんだよ。こう、後ろからドスって腹貫いてな」

 

 ショーゴさんは腕で突くような動作をする。

 わたしは、その動作を見て嫌な予感がした。

 

「襲った人、どんな人だった?」

 

 正護さんは眉を寄せた。

 少し思い出すように視線を逸らしてから。

 

「……黒い外套着てた」

「!」

「背が高くて、帽子を深く被ってたから顔は見えなかった」

「……」

 

 ミィルの表情が変わる。

 いつもの軽い雰囲気が消えていた。

 わたしも、嫌な予感が的中した事を感じた。

 

「……やっぱり」

 

 小さく呟く。

 

「ミィル?」

「レイチェル」

 

 ミィルは真っ直ぐわたしを見る。

「もう隠してる場合じゃなさそうよ」

 胸が、きゅっと苦しくなる。

 逃げられない。

 もう、全部話さなきゃいけない。

 わたしは震える手を握った。

 

「……ごめんなさい」

「本当は、巻き込みたくなかった」

 

 

 

 

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