「……ごめんなさい」
わたしは、もう一度そう言った。
膝の上で握った手が、小さく震えている。
ショーゴさんはベッドに座ったまま、何も言わない。
ミィルも静かだった。
部屋の中には、時計の秒針だけが小さく響いている。
わたしはゆっくり息を吸った。
「……最初から、話すね」
逃げない。
今度は、ちゃんと。
「わたしがいた場所は……この世界じゃないの」
ショーゴさんの眉がぴくりと動く。
けれど何も言わない。
ただ聞いてくれていた。
「ミィルが言ったみたいに、わたし達は追われてる」
「……」
「でも、悪いことをして逃げてきたわけじゃないの」
少しだけ視線を落とす。
「わたしのお母さんは……元々この世界の人じゃない、この世界のお父さんと出会って結婚したの」
「……え?」
ショーゴさんが顔を上げた。
「親父さんが……この世界の人?」
「うん」
小さくうなずく。
「お母さんは昔、お父さんと出会って……一緒になって、元の世界へ帰って来たって聞いてる」
思い出す。
小さい頃。
お母さんが笑いながら話してくれたことを。
知らない街の景色。
夜でも明るい世界。
空を飛ぶ鉄の鳥。
たくさんの人。
たくさんの出会い。
『お父さんと出会った時ね――』
楽しそうに話す顔が好きだった。
わたしはその時間が好きだった。
「お母さんとお父さんの話、わたし好きだったの」
自然と、少しだけ笑みが浮かぶ。
「お母さんがすごく楽しそうだったから」
少しだけ間を置いて。
「……だから、憧れてた」
声が小さくなる。
「わたしも外の世界を見てみたいって」
「……」
「素敵な出会いとか、してみたいって思ってた」
言い終わったあと、なんだか少し恥ずかしくなった。
視線を逸らす。
「……なんか、変かな?」
「いや」
ショーゴさんは即座に否定した。
「別に変じゃねえよ」
「……っ」
胸が少しだけ軽くなる。
でも。
まだ終わってない。
「お父さん達から……来る方法だけは聞いてたの」
隣でミィルが小さくため息を吐いた。
「もちろん私は反対したのよ?」
「……うん」
「でも聞かなかったのよ、この子」
「……ごめん」
「昔からそうなんだから」
ミィルが呆れた顔をする。
その様子に、ショーゴさんが少しだけ笑った。
ほんの少しだけ、空気が和らぐ。
「家を出て……外の世界へ行こうとした」
「……家出か」
「……う」
言い方がそのまますぎる。
「結果的にはそう……かな」
「そうね」
ミィルが頷いた。
「完全に家出よ」
「ミィル……!」
「事実でしょう?」
ぐうの音も出ない。
ショーゴさんが口元を押さえて肩を震わせている。
笑ってる。
なんで。
「……で?」
少し落ち着いたショーゴさんが聞いてくる。
わたしは再び表情を引き締めた。
「外の世界へ繋がるゲートの前で、追いつかれたの」
「追ってきた人に?」
「うん」
思い出す。
あの時の声。
『お嬢様、お戻りください』
静かな声だった。
『今ならまだ間に合います』
『おじい様もご心配されています』
「帰りましょうって言われた」
「でも行ったんだな」
「……うん」
小さく頷く。
「嫌だったから」
ミィルが耳を下げた。
「向こうも本気じゃなかったのよ」
「……え?」
「拘束するつもりだったの」
ミィルの顔が少し険しくなる。
「でも私が飛び出して、それで攻撃が逸れて……ゲートが壊れた」
「それで……」
「気づいたら、雨の中だった」
そして。
ショーゴさんと出会った。
わたしは膝の上で手を握りしめる。
「……今日ショーゴさんを襲った人」
喉が少し苦しくなる。
「多分、わたし達を追ってきた人」
「……」
「きっと、ショーゴさんから何か感じたんだと思う」
ミィルが続ける。
「レイチェルを抱き上げた時、この子の力が少し移ったのよ」
「それに私のマーキングもあった」
「……マーキング?」
「目印みたいなもの」
ショーゴさんの顔が微妙に引きつる。
「だから敵だと思われたの」
俯く。
「……ごめんなさい」
手が震える。
「本当は巻き込みたくなかった」
「わたしが勝手に飛び出して」
「ショーゴさんは何も悪くないのに」
「……」
沈黙。
怖かった。
怒られるかもしれない。
当然だと思った。
でも。
「……なるほどな」
ショーゴさんは頭を掻いた。
「……え?」
「いや、意味分かんねぇ」
「え」
「異世界とか、幻獣とか、エネルギーとか」
ベッドに倒れ込む。
「情報量が多すぎる」
「……」
「……」
数秒の沈黙。
「でもまあ」
ショーゴさんが天井を見たまま言う。
「今さら出てけってのも違うだろ」
わたしは目を見開いた。
「……え?」
ショーゴさんは起き上がる。
「巻き込まれたのは確かだけどさ」
「オレ、お前ら助けたの後悔してねえし」
「……っ」
「だから」
ショーゴさんが立ち上がって、手を差し出した。
「改めてよろしくな、レイチェル」
頭の中が真っ白になる。
しばらく動けなかった。
「ほら、レイチェル」
ミィルが呆れた声を出す。
「う、うん」
慌てて立ち上がる。
そして。
震える手を伸ばした。
「……よろしく、お願いします」
ぎゅっと握る。
温かかった。
その横で。
「当然、私も含まれてるわよね?」
ミィルが偉そうに胸を張った。
「……お前もか」
「当然よ」
ショーゴさんは苦笑しながら、小さな前脚とも握手した。
その瞬間だけは。
さっきまでの重たい空気が、少しだけ消えた気がした。