これで呪霊との戦いへの備えが十分かと言えば、それは希望的観測だった。
600年前、屋跨斑となる前のダラさんもまた呪術師として戦ってきた経験から断言できた。
たしかに薫はダラさんビームの射撃能力については折り紙付き。
呪力タンクが薫の何倍もある日向や、特級呪霊のダラさんを相手に実戦レベルのサバゲ―など日頃から撃ちまくっていた。
そのため当たれば一撃必殺のビームを以てすれば呪霊戦で十分に通用するレベルだった。
だが身体能力は一般人レベル。
そして呪術師にとって最も重要な“心の強さ”は未知数。
言ってしまえばこのままでは薫の力は甘く見積もっても三級に届くかどうかだろう。
屋跨斑の情報に届くためには、最低でも準一級術師となる必要がある。
生半可な鍛え方では届かない。それこそ文字通り必死にならなければ。
そのイバラの道を歌姫は用意することを約束した。高専で徹底的に薫をしごくと。
(シゴく? と薫と日向が浮かべた薄笑いをダラダラダラさんがひっぱたいた)
ダラダラダラさんも同意した。徹底的に、薫の心が折れるくらいに鍛えて欲しいと。
2人の思惑は共通していた。できれば薫にはダラさんのことは諦めて、普通の生き方をしてほしいのだ。
その後、歌姫にとっても辛い日々が続くことになる。
普段は生徒たちに好かれる彼女が、薫を鍛える時だけは心を鬼にした。
訓練や任務でボロボロになっても立ち上がり続ける薫の姿に、胃が痛くなる毎日。
それでも薫の天真爛漫な笑顔に、歌姫は救われた。
呪霊を祓い一息ついた薫と加茂。
「・・・・? 戻らないぞ?」
呪霊を倒しても、見上げた空が帳のように暗いまま。呪霊の結界に閉じ込められたのであれば、その呪霊を倒せば結界から出られるのが常。その感触を知る加茂は、今回の異界というイレギュラーに冷汗を流した。
『まさかあの呪霊の言った通り、私たちはもう元の世界に戻れないというのか?』
嫌な予感が加茂の胃を障る。
そんな加茂の肩に薫がポンと手を置いた。
「先輩、とりあえずコレを腕に着けてください」
ケロッとした顔で薫が差し出したのは木製のミサンガだった。
「綱守いいます。これを肌に触れさせとけば、とりあえず瘴気から身を守れます」
薫の言う通り、綱守に触れた瞬間に加茂は体が少し軽くなったのを感じた。
加茂が綱守を腕に巻いている間に、薫は懐からナイフを取り出して自らの髪を切った。
「何をしているんだ?」
「ウチ用の綱守を作ってます。先輩に渡したんは昔ダラさんに作ってもらったもんなんで」
薫は髪を編み込んで、そこに唾液を垂らして含ませて、それを符で巻いたものを自らの腕に付けた。
「そっちにはダラさんとウチの唾液が含まれてますんで、そっちのご利益がこっちにも反映されます。たぶん」
「そうか」とスルーしながらも理解した加茂。だが他の者がいたら“呪霊と薫の唾液が入ったお守りとは?”等々と何回かツッコむだろう。
そんな加茂にかまうことなく薫は「ほな行きましょか」と異界の森の中へと歩き始めた。
どこに行くのか、と加茂は尋ねなかった。行く宛も考えつかない自分と違い、薫には何か考えがあるのだろうと。
加茂は薫の背を追いながら、ふと思いに行きあたった。
もしこのまま元の世界に戻れなかったとして、心残りを今のうちに晴らしたいと。
「三十木谷。今のうちに聞いておいてもいいか?」
「何ですん?」と振り返る薫。
「他の者たちに頼んだらしいな。お前が屋跨斑と戦う時には助けて欲しい、と」
「はい」
正確には薫がダラさんを祓うことになったら、その時には一緒に戦ってほしい。そう薫は西宮や東堂、三輪、真依、メカ丸、新田、そして歌姫に頼んでいた。
「どうして俺に声をかけなかった?」
加茂の問いに、薫は「仲間外れされて寂しかったとかですか?」とニヤっと返した。
「違う。等級を考えれば私を外す理由が不明だからだ」
少し違わなかった。この話を聞いた時、加茂はのけ者にされたことも少し根に持っていた。
だが薫は即答した。
「そのお願い、逆にウチがダラさんを助けている間は手を出さんでくださいってことなんです。そうなると先輩は御三家やないですか。呪霊を助けるんを見て見ぬフリするって、立場的にマズいかなって。だから声かけんかったんです」
加茂は「そうか」と小さく唸った。隠れていた薫なりの配慮を見つけだせなかった自分を恥じた。
「改めて認めよう。キミは立派な呪術師だ」
しみじみと感じた加茂。
そんな彼の横を一体の呪霊が横切った。
「なっ!」
「あ、先輩。それ大丈夫なやつです」
そう薫が言った時にようやく加茂は呪霊の全体像を確認できた。まるでバッタかコオロギのような異形、大きさは人間を一回り大きくしたような怪物だった。
「齧骨っていうらしいです。屍肉にしか興味ないんで別に危なくないですよ。ウチもクリスマスん時にトナカイ代わりに乗ったくらいですから」
加茂が正確に呪霊の恐ろしさを分析しようとする傍から届けられる薫の余計な情報。
とりあえず薫の言う通り、こちらに興味すら無いようだと判断できた頃には齧骨の姿は通り過ぎた後だった。
「・・・三十木谷、お前は異界を知るだけでなく来た事もあるのでは?」
そう加茂が問いかけたのと同時に薫が「あった!」と大声をあげた。
薫が興奮気味に指さした先、そこには一軒の古めの家があった。廃村から消えたという家だろうか。
しかもほんのりとだが、家の中から灯火のような明かりが見える。
「何かいるのか?」「いるんやと思います、誰かが」
加茂は警戒した。異界に潜む呪霊の全容が分からない以上、そこに害意があるのかも不明。
だがそんな警戒する加茂を差し置いて、薫は家の玄関に行き「おっじゃましまーす!」と元気な声で戸を開けたのだ。
「み、三十木谷!」
大きな声を出すことで何か脅威を呼び寄せてしまう恐れから、加茂は声を殺しながら叫んだ。薫の元気な声が響いた時点で手遅れなのだが。
だが異界に似つかわしくない薫の元気な声に救われた者がいた。
異界の家の中には2人の男たちがいた。廃村に行き行方不明になったという元村民である。
「に、人間?」「た、助けに来てくれたのか?」
村民は携帯の明かりに照らし出された人間・薫の姿に安堵しつつも、薫の素っ頓狂なテンションに幻か現実かを判断できずにいた。
「生きていたのか」
後から家に入ってきた加茂も、村民の姿に驚きを隠せなかった。ここでようやくマトモな人が入ってきたことで村民も本当の意味で安堵を覚えた。
村民たちは弱ってはいたものの、大きな怪我をしていなかった。
加茂は2人を手当てし、薫は綱守を新たに作って2人に渡した。
「三十木谷。キミは行方不明の人が生きていると信じて探していたのか」
「あのドデカ呪霊、祓っても人の骨とか残らなかったやないですか。だから食べられておらんと思って。齧骨も無関心モードやったし、ワンチャンまだ生きとるなって思って」
加茂は薫の冷静で的確な判断に感心せずにはいられなかった。
「しかし、よく無事でいたものだ」
「この家、まだ人が住まんようになって十何年も経ってないんやないかなと思います。だから結界としての働きが生きとったんが救いでした。でも早く見つけれんかったら、瘴気に呑まれて身体が死んだもんやと勘違いして危なかったですよ」
テキパキと村民たちに手当てを施す加茂に対して、薫はまだまだ手間取りながらの手当てだった。
それでも村民からすれば神か仏か。ありがたさから涙を流して薫と加茂を拝んだ。
だが問題はここから。加茂は冷汗を流した。元の世界に戻る方法について、薫が何も言っていなかったことが気になった。
おそらく薫が過去に異界に行ったのは、ダラさん・屋跨斑が手引きしたことで成したのだろう。ならば薫自身はその術を持ち合わせていないのではないか?
そんな加茂の心配をよそに、薫は携帯を取り出した。
「あっ、もしもし姉ちゃん。ウチ今、神隠し現在進行形。鳥居ポータル一丁おなしゃーす」
「・・・なんで電話が通じるんだ?」
加茂よ、もっと先にツッコむべきところはあるのではないか。
だが薫に導かれるまま村民と加茂は共に家の外に出ていき・・・
なにか分からないゲートのような物に入るように誘導され・・・
抜けた先は晴れた空だった。
「えっ? 加茂!?」
加茂たちが抜け出た先は集落の駐車場だった。突如として姿を現した加茂に驚きの声をあげたのは歌姫だった。
「あっ、歌姫先生も来てたんですか?」
村民、そして最後に姿を現した薫のいつも通りの姿。その様子に歌姫は驚きながらも薫を思わず抱きしめていた。
「まったく、アンタたちは。アンタたちはぁ!」
加茂と薫が行方不明になったと聞き、任務で近くにいた歌姫が調査に来ていたのだ。
その二人の元気な姿、そして無事に村民を助け出したことで歌姫の涙腺は崩壊していた。
もうこれ以上、薫に厳しく指導なんてできない。そう歌姫は思えて仕方がなかった。
その後、村民は救助の礼にと、特産のマンゴーを加茂と薫に贈った。
食べごろになるまでもう少し熟成させたほうがいいとアドバイスも添えられ。
だが薫は「舌噛んだのが浸みて痛いんで」と、それを三輪に譲った。