薫が呪術高専京都校に入学するため、応神町を出る日となった。
日向は町に残り、ダラダラダラさんから巫術を授かることに。あらゆる状況を想定し、屋跨斑と相まみえる日に備える。
何パターン、何十、何百の状況が想定されるだろう。その備えの99%が無に帰することは間違いない。ただ一つの突破口さえ見つかればよいが、その一つの道さえ閉ざされる可能性すらある。それでもただ耐え忍ぶしかない。
忍耐と苦悩の日々が日向を待つ。その負担を薫は心配した。
だが日向は自分のこと以上に薫にも待つ苦難の日々を憂いた。
屋跨斑を祓う大役。それに備える修行の日々がどれほど薫を苦しめるか。
そして屋跨斑が、ダラさんがどのような状態にあるか不明なまま、その根源となる犯人への憎悪、復讐心を募らせることが薫の心をどれほど闇に堕とすか。
出発直前。ダラダラダラさんが薫に贈ったはなむけの言葉。
「薫。高専でお主はいつものお主のままで過ごせ。辛い日々があろうと、いつものように楽しむ時間を作れ」
ダラダラダラさんの言葉に薫は目を丸くした。
「日向もじゃが、憎みたくなる何者かがいたとしても、かつてのワシのように復讐心に呑まれるな」
この言葉に日向と薫は顔を合わせ「「うん」」と元気よく答えた。
「たとえワシが戻ったとして、修羅となったお主らの顔を見ても誰と分からんかもしれん。そうならぬよう、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
ダラダラダラさんの望む、町で自由奔放に暮らした頃のまま、高専へと入学した薫。
その結果が、諸先輩方を含む高専関係者を振り回しまくることになるとは・・・
事情を知る歌姫は後に語った。もうちょっと大人しくしておくように言いつけておくべきだったのではないか?と。
2018年9月某日。東京・京都姉妹校交流戦を明日に控えたその日。
冷蔵庫で熟成させていたマンゴーが行方不明になったことにショックを受け、足元がおろそかになっていた三輪が足を踏み外して捻挫した。
さすがに万全でない三輪を交流戦に出すわけにはいかない。
だが東京校の参加者は二年が3名と一年が2名を予定している。そのため元々、京都校の6人に対して人数が足りない。
このまま京都校も当初の参加参加予定、三年3名と二年2名のままで交流戦に挑んでもよし。
もしくは・・・急遽一年生1名を参加させるか。新田か薫か。
ここで歌姫が推したのは薫だった。というより、ちょうど薫が東京校に行っていたため都合が良かった。
その日、薫は東京校に来ていた。任務ではなく治療の私情であるため制服ではなく私服。清楚系白ワンピース姿で。
治療は舌。噛んだ舌の傷がなかなか治らず、詠唱時に痛んで支障があるため。東京校の医師・家入に反転術式で治してもらいに行っていたのだ。
「いやぁ、御気怠校医姉様に舌を動けるようにしてもらうって、なかなかに中々ですなぁ!」
京都校で起きていることなど露知らず、テンション高めに東京校で諸手挙げしていた。
「おっ、キミが三十木谷薫だね」
治療を終えた薫を迎えに来たのは五条悟だった。
三輪から事前に五条の写真を見せてもらっていた薫はすぐに誰かを理解できた。
「あっ、生五条悟先生だ」
「生五条で~す」
ノリの良さに、薫はすぐに五条と打ち解けた。
その後、名刺交換ならぬお土産交換(生八つ橋と東京バナナ)もそこそこに、五条は薫を学長室へと案内を始めた。
「? 校長先生に会えるんですか?」
「そ。面談だよ」
面談? と初耳な薫。
実は前日、歌姫が根回ししてくれていたのだ。
三十木谷薫を一級術師に推薦してほしい、と。五条悟と東京校学長の夜蛾正道に。
薫が一日でも早く屋跨斑に届くためにも一級術師への推薦は早いほうがいい。
そのための実績は先の異界で薫が討伐した呪霊について、加茂が“特級呪霊相当とみて間違いない”と証言したことで立証された。
だが歌姫は失念していた。当の薫に推薦のことを伝え忘れていた。
五条に薫のことを頼んだ時点でストレスがMAXに達していたのが悪かった。
そして五条自身も『ぶっつけ本番で対処できなきゃどのみち無理でしょ』ということで薫には何も伝えていなかった。
そんな事情を全く知らないまま、薫は夜蛾の前に立たされることとなった。
強面な学長・夜蛾はぬいぐるみを作っている最中だった。薫は「手芸の先生?」と思わずつぶやいた。
「・・・悟、お前はまたか」
夜蛾の機嫌が少し悪そうに薫には見えた。時刻は14時05分。
「蝶野さんみたいや。ひょっとしてウチ、今からビンタされる?」
「ガッデムはたまに言うよ。意識してるのかもね」
薫の言葉よりも五条の言葉に眉をピクッとさせた夜蛾。薫は苛立ちの矛先がなんとなく誰に向いているのか理解した。
「京都校一年、三十木谷薫です。本日は怪我を治していただきありがとうございました」
深く頭を下げる薫。
だがその挨拶もスルーして夜蛾は口を開いた。
「三十木谷。キミは特級呪霊・屋跨斑を、あわよくば救うために呪術師になったそうだな」
「はい。そうですよ」
通常の呪術師であれば耳を疑う薫の即答。だが夜蛾は構わず質問をぶつけた。
「もしも屋跨斑と民間人の命、天秤にかけられた場合、お前はどうする?」
その問いに薫が答える直前、先ほどまで夜蛾が作っていたぬいぐるみが突如として動き出して薫の顔面にキックを繰り出した。
「ぐへっ!」
ぬいぐるみの攻撃とは思えない重い蹴りに薫は面食らった。
「俺の質問中、そいつがキミを攻撃し続ける。そのまま答え続けろ。ちなみにその子の名前はティニー」
夜蛾の主義では、人は窮地にこそ本音が出る。
ティニーの肉弾戦の強さは薫では手を焼くほどだった。だからこそ夜蛾は薫の本音を引き出そうとした。
その悠長ながらも重い攻撃をうけながら、薫は「今、ティニーが優先事項になっちゃってます」とツッコんだ。
「そりゃそうだ」と、五条もさすがにツッコんだ。
だが薫は直後に答えた。
「そんなん、誰か人を見捨ててダラさん優先させたって。ダラさんが喜ばん!」
「他人の、呪霊の感情のためにお前は戦うのか? その呪霊が誰かの死を。お前の死を望んでいたとしても同じことを言えるのか?」
「ダラさんがそんなこと望むわけがない! ダラさんのこと知らんと勝手な事言わんでください!」
ボディに一撃が入り、床に倒れ込みながらも薫は叫ぶように答えた。
「屋跨斑はお前の一族が祀る土地神だったそうだが、今もそうとは限らん。体の所有権を奪われ人を喰らい、お前にすら牙を向くことに躊躇いの無い獣と化していても同じことを言えるのか?」
夜蛾が冷徹に、それでいて本質を突いた言葉。そこに薫がどう答えるかを五条は見守った。
「ウチは・・・」
薫は腹を押さえながら痛々しく立ち上がった。息も絶え絶え。喉の奥から肺が飛び出そうな苦しさの中、薫は叫んだ。
「ウチはダラさんを救います。もしダラさんがヤンチャゴッドに戻ってて、それを後悔したまま戻ってくるのは救いとは考えません」
ダラさんが悪霊と化していれば薫が責任もって祓う。それは歌姫から聞いた薫の最初の決起と同じ。それが本心だったのだろうと夜蛾と五条は感じ取った。
「呪霊が人に危害を加えることを悔いるとでも?」
「ダラさんは、アンタらが思ってるよりずっとおっぱいが大きくて、そんでもって呪霊でも神様でもなくて人間の心を持ってるんです! ダラさんが悲しい顔をするくらいなら、悲しい想いをさせた奴ごとウチが全部ケリをつけます!」
肺に残った空気を全て出し切って叫んだ薫は、脳の酸素が尽きたようにガクッと膝から崩れ落ちた。
だが床に突っ伏せる直前に夜蛾がその体を受け止めた。
「合格だ」
薫が初心と変わらぬまま、その偽りない心で屋跨斑と相対する覚悟がある。それを確信した夜蛾は優しく言い放った。
「キミを一級術師に推薦するかは明日以降に決めることにする」
「一級? 推薦?」
キョトンとする薫の様子に、夜蛾は五条を睨んだ。五条は「終わりよければ」と肩をすくめた。
そして夜蛾もまた『この様子、明日の交流戦に自身が補欠エントリーされていることも知らんな』と察し、身内贔屓もあって『俺も黙っておこう』と決めた。
こうして面談を終えた薫。
五条に「さすがにボロボロなまま校内を歩くわけにいかないでしょ」と言われ、洗面所に案内され。
その先で顔を洗っていた少女に「あっ、真依先輩も来てたんですか!」と声をかけたところ、「あ゛」と何故か苛立たれ。
気まずい雰囲気を、通りすがりのパンダに救われたのだった。