石造りの部屋の真ん中で、まるで絵画から飛び出してきたかのような美しさ、かわいさでその美少女は笑っていた。
まるで夜空に浮かぶ星のように綺麗な金色の髪。
優雅で、それでいてかわいらしく着こなしている赤い服。
……そして七色の結晶が揺れる、思わず息を止めるほどに美しい不思議な翼。
前に見た時と同じ姿だ。
「久しぶりね、ナナシ」
思わず身震いしてしまうほどに魔性を感じさせる明るいコロコロとした鈴のような声。
それでいて見つめてくるその緋色の瞳は、見るだけで心臓のあたりをそっとするどい爪で撫でられるような危うい輝きがある。
ボクはその吸い込まれそうなほどに美しい緋色の瞳に呑まれないように、かぶりを振って息をゆっくりと吸った。
「……え、えっと、久しぶり。フランドール」
「フランでいいわ。お姉様もそう呼ぶもの」
「……じゃあ、フラン?」
「うん!」
フランは嬉しそうに頷いた。
その様子だけ見れば、純真無垢な子供のようにも見える。
「……先に確認していいかな?」
ボクはとりあえず一番重要なことを確認するために改まってフランに向き合った。
「なあに?」
「今日は、いきなり噛まない。急に飛びつかない。血を吸わない。まずは会話から仲良くなろう。……ここまでは合意できる?」
そう言ってまずは自分の命の保証を、かなり低姿勢に願い出てみる。
そんなボクにフランは、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、口元に手を当ててくすりと笑う。
「ずいぶん細かいのね」
「いや細かくないよ!? 噛まない、飛びつかない、血を吸わない。全部、ボクの生存に関わる重要項目だからね?」
「ナナシが嫌なら……今日は……噛まないわ」
「“今日は”の部分にものすごく不穏な余白を感じるんだけど!?」
「……大丈夫よ……我慢するもの」
「そのよだれがたれそうな顔はちょっとかわいいけど、やっぱり怖いなぁ!」
そう言って一歩後ずさるボクの様子を見てフランは楽しそうに笑った。
前に会った時のように、いきなり距離を詰めてはこない。
ボクが一歩引けば、その距離の分だけ待ってくれる感じだ。
……たぶん。
念のため、ボクは後方に目を向けて出口の扉の位置をもう一度確認した。
吸血鬼の妹様との会話において、避難経路の確認は礼儀の一種だ……ということにして。
部屋の出口の扉の近くでは、レミリアが黙って面白そうに口元をにやにやとさせてこちらを見ていた。
壁に寄りかかるようにして立ち、妹とボクのやり取りを楽しそうに眺めている。
「ナナシ? 逃げようとしてる?」
「……し、してないよ?」
「でも出口を見てたわ」
「はい……ごめんなさい。見てました」
これ以上嘘をついたらすぐさまとびかかってきそうな気配を感じたので、即座に土下座して白状した。
遠慮なく土下座を敢行するボクの様子を見てフランがくすくす笑う。
レミリアは、呆れたように片眉を上げていた。
……くそう。
レミリアめ。
困ったときは助けてくれるって言ってたのに。
とりあえず、できるだけ恨めしそうに見えるように、ジト目でレミリアを見ておく。
そんなボクの視線を受けて、レミリアはますます面白そうに口元を手で隠してクスクス笑っている。
……解せない。
ひとまず部屋からの緊急脱出ルートの模索は諦めてフランに向き直る。
「……ボクは、君のことが怖くないとは言えないよ?」
そう正直に言うと、フランの笑みが少しだけ濃くなった。
「……でも、嫌いってわけじゃない」
さらにそう付け加えるとフランが少し驚いたかのように目をぱちぱちとさせた。
「怖いのに?」
「怖いと嫌いは、同じじゃないからね」
「そうなの?」
「少なくとも、ボクの中では別だよ。怖いものは怖い。でも、怖いからって全部を嫌いにしたら、たぶん何も見えなくなっちゃうから」
そう言って勇気を振り絞ってフランに一歩ずつ近づいた。
お話をするためにすぐ隣まで近づいたボクをフランはじっと見てきた。
緋色の目が、瞬きもせずにこちらを覗き込む。
……こんなとんでもない美少女にこうもまじまじ見つめられると、女の子同士であっても照れる。
「……変なの」
「……うん。そこは確かに否定しづらいね。幻想郷のみんなにもよく変って言われる」
「でも、面白いわ! どこから味わえばいいのか迷うくらいにはね!」
「……できれば、食べ物としてじゃなくて、話し相手として面白がってほしいかな」
「……それは、これから決めるわ」
「怖いよ!? そこは即答で決めてよ!?」
怖いこと言うフランに思わずツッコむと面白そうにケラケラと笑う。
レミリアも、扉の近くで小さくクスクスと笑っていた。
思わずツッコむと、フランは面白そうに笑った。
レミリアも、扉の近くで小さく笑っている。
……くそう。
この吸血鬼姉妹。
笑う姿だけは本当に様になっている。
こっちは絶賛、命の危険を感じているのに、美少女が楽しそうにしているだけで少し落ち着いてしまうのが悔しい。
ボクは美少女2人の楽しそうな笑い声に少しだけ肩の力を抜き、それから改めて部屋の中を見回した。
地下室、という言葉から寂しく閉鎖的な部屋を想像していたけれど……実際には、そこには物が多かった。
ぬいぐるみ。
本。
小さな箱。
奇妙な形の玩具。
綺麗に並べられたもの。
乱雑に積まれたもの。
どこかから持ち込まれたらしい、きれいな石。
ぼんやり光る木の枝みたいな、くねくねした黒い棒。
……思っていたより、ずっと生活感がある。
フランは、ボクの視線を興味深そうに追いながら言う。
「珍しい?」
「……うん。少し」
「ここにいたら欲しいものは、大体持ってきてもらえるの。あと、最近は外で見つけたものも置いてあるの」
「外で?」
「ええ。魔法の森とか、湖の近くとか。散歩するの」
フランは嬉しそうに近くのぬいぐるみを手に取った。
「たまにアリスのところへ行くと、人形とか、ぬいぐるみとか、お土産をもらうこともあるわ」
そう言って、フランはぬいぐるみを抱きしめる。
その姿は無邪気な幼い女の子のようで、めちゃくちゃかわいい。
……のだけれど、抱かれたぬいぐるみが、みちみちと不穏な音を立てているのでひゅいと微笑ましさの留飲が即座に下がった。
「……アリスは遊びに行くといつもお茶を出してくれるの。魔法のことを話したり、裁縫を教えてくれたり……」
フランはそこで、ちらりとボクを見る。
「この間は、あなたの匂いで少し興奮していたから、ちょっと警戒してたけどね」
「……確かに、あの日のフランは怖かったよ? 瞳孔ががん開きだったし」
「……たぶん、今もそうかも?」
そう言うフランの瞳は、赤かった。
ただ赤いだけじゃない。
瞳孔が、やや獲物を見つけた猫のそれに近い。
いや、猫ならまだかわいい。
猫はたぶん、首筋をじっと見ながら「食べないように我慢する」なんて言わない。
「と、とりあえず落ち着いてお話しようね? 急に飛びかかったりしないでね?」
超ビビりながらそう言うとフランはきょとんとしたあと、フランは少し首を傾げた。
「同じ人間でも魔理沙は全然警戒しないのに。ナナシは臆病なのね」
「臆病なのは否定しないよ……というか魔理沙? あの性格が悪い魔法使いの魔理沙のこと?」
「そう。その魔理沙よ」
「……魔理沙はたぶん、警戒心の置き場所がボクみたいな普通の人と違うんだよ」
言ってから、ボクは空中で命知らずなアクロバティックを決めながらボクの泣き顔を肴にしている魔理沙の顔を思い浮かべた。
……うん。
絶対今度何かしらで仕返ししてやる。
「魔理沙は、前にもここに来たことがあるのよ」
改めて魔理沙への復讐を誓ったところでフランが、何でもないことのように言った。
「霊夢もね」
「……霊夢と、魔理沙が?」
「ええ。お姉様が紅い霧を出した時にね」
……うん?
紅い霧。
どこかで聞いたことがある。
人里で慧音から聞いた、幻想郷の歴史。
幻想郷を紅い霧が覆った異変。
ボクはゆっくりと、扉のそばにいるレミリアを見た。
レミリアは澄ました顔で、いたずらっぽく笑っている。
「……あれって、レミリアがやったの?」
「昔の話よ」
「昔の話、で済ませていい規模じゃない気がするんだけど!?」
「幻想郷ではよくあることよ」
「幻想郷の“よくあること”の基準、絶対に壊れてるよね!?」
ボクが真顔で声を大にして言うと、フランが肩を揺らしてレミリアを指さして笑った。
「お姉様、怒られてるー」
「怒ってるというか、規模感に引いてるというか……」
「……ナナシ?」
そこまで言ったところで、レミリアが音もなくすぐそばまで来ていた。
気づいた時には、もうボクの首筋の近くに顔がある。
「今ここでその話を掘り下げるなら、私はあなたに吸血鬼式の歴史講義をすることになるわよ?」
「はい! すみませんでした! この話題は永遠に棚上げしときます!」
……ボクは姿勢を正してレミリアの視線から全力で目を逸らした。
これ以上この話を続けたら、命に関わる気配がする。
レミリアは満足げに「よろしい」と言って、ボクの首筋から顔を離した。
フランはそんなやり取りを見て、ますます楽しそうに笑っている。
「霊夢も魔理沙も、あの時はここまで来たわ。それからも、魔理沙はパチュリーのところに盗みに入るついでに、たまにここに遊びに来てくれるのよ?」
「……そ、そうなんだ」
「でも、魔理沙はすぐ別のことに興味を持つの。霊夢は面倒くさがるし、アリスは人形を壊さないか気を遣って疲れるし、咲夜は忙しいし、パチュリーは本から顔を上げないし」
フランはそこで、レミリアに視線を向けた。
「お姉様は遊んでくれるけど、すぐ勝負を終わらせようとするの」
「レミリア?」
思わずレミリアを見る。
レミリアは、こちらの視線に気づいても顔色ひとつ変えずに、少しだけ肩をすくめる。
「妹の相手をする姉として、適度なところで切り上げているだけよ」
「お姉様はすぐに『今日はここまで』って言うの」
フランはそう言って、棚の上に置かれた古い箱を指でつついた。
木でできた、しっかりした箱だ。
蓋には見慣れない模様が彫られていて、長く使われてきたのか、角のあたりが少し丸くなっている。
「私が勝ちそうになると、いつも用事を思い出すのよ」
「……私は紅魔館の主よ。用事くらいいくらでもあるわ」
「あ、お姉様、今ちょっと目を逸らした」
「……逸らしていないわ」
……ボクから見ても絶対に逸らしていたし、たぶんそういうことなんだろう。
でも、ここで深追いすると吸血鬼式の歴史講義第二幕が始まりそうなので、ボクは賢明にも黙っておいた。
フランは不満げに頬を膨らませながら、その箱を手に取って、机の上で蓋を開ける。
中から現れたのは、折り畳まれた盤と、小さな駒たちだった。
白と黒。
いくつもの形をした駒が、きれいに並んでいる。
王冠みたいなもの。
塔みたいなもの。
馬の頭みたいなもの。
丸っこいもの。
……何これ。
「……これは?」
「チェスよ」
「ちぇす?」
聞いたことがあるような、ないような響きだった。
少なくとも、今のボクの頭の中には、ちぇすが何なのかがまったく浮かんでこない。
フランは盤を机の上に広げる。
白と黒の格子が、地下室の灯りの下に現れた。
「駒を動かして、相手の王様を追い詰める遊び」
「……なるほど」
分からない。
でも、分からないなりに頷いた。
「ナナシ、分かってないでしょ」
「うん。ぜんぜん分かってない」
「正直ね」
「だって嘘をついたら、噛みつかれそうだからね」
そう返すと、フランは嬉しそうに笑った。
それから、白い駒をひとつ摘まみ上げる。
「でも、遊び方を覚えればできるわ」
その声は、さっきまでより少しだけ弾んでいた。
けれど、同時に、どこか慎重でもあるような、そんな声だった。
——この声の感じには、なぜか覚えがある。
期待しすぎないようにしている声。
諦めを、遊びに誘う明るさの奥に隠しているような声だった。
「私はね」
フランは盤の上に駒を並べながら言った。
「ちゃんと勝負がしたいの」
「……ちゃんと?」
「ええ。私が勝ったら相手が悔しがって、負けたら私が悔しくなるような勝負」
駒が、ひとつずつ盤の上に置かれていく。
白。
黒。
向かい合う形。
フランの指先が、黒い王様の駒に触れた。
「だから」
フランは顔を上げた。
赤い瞳が、まっすぐボクを見る。
「ナナシは、最後まで遊んでくれる?」
その問いは、軽かった。
ただの遊びの誘いみたいだった。
けれど、軽いからこそ、奥にあるものが見えた気がした。
退屈。
期待。
そして、期待しすぎないようにする諦め。
白と黒の盤を挟んで、フランドール・スカーレットがボクを待っている。
ボクはまだ、この遊びを知らない。
駒の名前も。
動かし方も。
勝ち方も。
何ひとつ分からない。
それでも。
この子が今、何を欲しがっているのかだけは、少し分かった気がした。