気がつくと、ボクは森の中にいた。
木がある。
草がある。
見たことのない茸が、足元にぽこぽこと生えている。
「……うん。森だね」
少なくとも、博麗神社ではない。
背の高い木々が夜空を隠し、枝葉の隙間から落ちる月明かりだけが、かろうじて足元を照らしていた。
博麗神社で、何かに引っ張られた。
霊夢がそれを止めようとしてくれた。
魔理沙が手を伸ばしてくれた。
そこまでは覚えている。
けれど次に目を開けたら、ここだった。
「助かった結果が夜の森の中、というのは……これ、助かったで合ってるのかな」
ボクは胸元の麻袋を抱え直す。
そこには、霊夢が貼ってくれたお札があった。
妖怪避けのおまじない。
絶対ではないけれど、少しは妖怪に見つかりにくくなる。
霊夢はそう言っていた。
お札は、夜の森の中でほんのり淡く光っている。
その小さな光だけが、今のボクにはひどく頼もしかった。
「危ないと思ったら逃げる。誰かを呼ぶ。無理して立ち向かわない」
小さく繰り返す。
問題は、逃げる方向も、呼ぶ相手も、今のボクには分からないということだった。
右を見る。
木。
左を見る。
木。
前を見る。
やっぱり木。
「……文字通り森だね」
小さく呟いた声は、思ったよりも簡単に夜の中へ吸い込まれていった。
虫の声がする。
葉擦れの音がする。
どこか遠くで、何かが枝を踏む音もした。
その全部が怖くて、けれど、全部が森の音なのだと自分に言い聞かせる。
「落ち着こう。まず状況確認。ここは森。ボクは迷子。サバイバル能力なんてない。……うん、絶望的に遭難だね」
自分で言って、少しだけ泣きたくなった。
でも、泣いている場合ではない。
霊夢は逃げろと言った。
誰かを呼べとも言った。
なら、まずは人がいそうな場所を探すべきだ。
森の中に人が住んでいるかどうかは分からないけれど、魔理沙が言うには幻想郷なら魔法使いが普通にいるらしい。
つまり森に魔法使いの家があっても、たぶんおかしくはない。
……いや、普通に考えると普通普通って言われてるけどおかしい気もする。
でも、箒で空を飛ぶ魔法使いに連れてこられた直後のボクに、普通を語る資格はあまりない。
「よし。歩こう。立ち止まっているよりは、たぶんまし」
そう言って、一歩踏み出した。
その時だった。
「たすけて」
森の奥から、声が聞こえた。
小さくて、かすれていて、今にも消えそうな声だった。
ボクは足を止める。
「……誰かいるの?」
返事はない。
木の葉が揺れる音だけがした。
気のせいだったのかもしれない。
そう思いかけたとき、また声がした。
「たすけて」
やっぱり聞こえる。
明らかに怪しい。
知らない森の奥から、助けを求める声がする。
どう考えても怪しい。
近づいてはいけない。
それは分かる。
分かるのだけれど。
もし本当に誰かが倒れていて、助けを求めているのなら。
怖いから聞こえなかったことにする、というのは、たぶんできない。
霊夢は逃げろと言った。
無理して立ち向かうな、とも言った。
だから、本当は近づかない方がいい。
でも、確かめもしないで背を向けるのは、胸の奥がざわざわした。
「……ちょっとだけ。確認するだけ。危なそうだったら逃げる。これは立ち向かうのとは違う。確認。確認だから」
たぶん、言い訳だ。
でも、言い訳をしないと足が動かなかった。
ボクは声のした方へ、少しだけ歩いた。
「こっち」
ボクを誘導してくれているかのように声が続く。
「たすけて」
だんだんと聞こえてくる声が大きく近くなってきた。
……そこで、ボクは足を止めた。
少し、おかしい。
助けを求めているにしては、声が同じだった。
同じ高さ。
同じ調子。
同じ間。
まるで、覚えた言葉を繰り返しているみたいに。
「……えっと。本当に助けが必要なら、もう少し具体的に困っている内容を教えてもらえると、こちらとしても助かるんだけど……」
返事はなかった。
代わりに、草むらが揺れた。
がさり。
低い位置で、何かが動く。
木と木の間から、それは出てきた。
人の形に、少しだけ似ていた。
でも、人ではなかった。
背中を丸め、長い腕を地面につけている。
顔は影になってよく見えない。
ただ、口だけが妙に大きく見えた。
「たすけて」
それは、人の声で言った。
「こっち」
それが近づいてくる。
「こわくない」
「……いや、怖いよ?」
思わずツッコミながら、ボクは後ずさった。
逃げよう。
これは逃げた方がいい。
霊夢の言いつけを守る時が、たぶん今だ。
そう思った瞬間、それがぴたりと止まった。
ひくり。
ひくり。
鼻を鳴らすような音がする。
「あまい」
それは、小さく言った。
「におい」
その声は、さっきまでの「たすけて」とは違っていた。
欲しがるような。
見つけた、というような。
「ちょうだい」
背筋が冷たくなった。
今はっきり分かった。
助けを求めていたんじゃない。
——獲物を呼んでいたんだ。
「えっと、あげられるものは特にないんだけど……いや、あってもこの状況ではあげたくは——」
とにかくまずは話し合いで解決しようとしてみたが、言ってる途中で怪物が地面を蹴った。
低い姿勢のまま、獣みたいに飛び出してくる。
長い腕が、夜の闇を引っかくように伸びた。
届く。
そう思った直前、麻袋のお札がぱっと光った。
淡い光がボクの前に広がり、怪物は見えない壁にぶつかったみたいに弾かれた。
「……霊夢?」
震えた声で、その名前を呼んでいた。
もちろん、霊夢がここにいるわけじゃない。
返事があるはずもない。
それでも、麻袋に貼られた小さなお札は、確かにボクの前で光っていた。
神社で貼ってくれた、妖怪避けのおまじない。
霊夢、ありがとう。
今なら賽銭箱に全財産を入れてもいい。
……全財産、麻袋からっぽだけど。
助かった。
そう思った。
けれど。
「あまぁい」
怪物は逃げなかった。
「におぉぉい」
お札の光に触れたところから煙が上がっているのに、それでもこちらを見ている。
「あまぁぁぁぁい」
もう一歩、近づいてくる。
お札の光が、さっきより弱く揺れた。
まずい。
霊夢は言っていた。
絶対ではない、と。
小物相手ならそれなりに効く。
けれど、最初から狙いをつけてくるようなものには通じないこともある。
「えっと、これ以上近づいちゃうと君も怪我しちゃうよ?」
震える声で言いながら、ボクは後ずさった。
それでも怪物はジュジュジュと肉が焼けるような音と、タイヤが焼けるような匂いを発しながら近づいてくる。
一歩。
もう一歩。
かかとが木の根に引っかかった。
「わっ」
体が後ろに倒れ、尻もちをつく。
湿った土の冷たさが手のひらに広がった。
すかさず怪物の影が、ボクの上に落ちてくる。
長い腕が伸びる。
爪の先が、頬に触れる――寸前。
細い光が、森の暗がりを横切った。
糸、のように見えた。
けれど、それが本当に糸だったのか確かめる前に、小さな影が月明かりの中から舞い降りた。
小さな人形だった。
可愛らしい服を着た人形が、ボクと怪物の間にふわりと降りる。
その細い腕が、すっと前へ伸びた。
直後、光が弾ける。
怪物が横へ吹き飛んだ。
「え」
間の抜けた声が出た。
怪物が土を削りながら転がっていく。
けれど、それが起き上がるより早く、別の人形が飛んできた。
1つ。
2つ。
3つ。
人形たちは糸で吊られているように、けれど糸なんて見えないまま、夜の森を舞った。
怪物を囲むように位置を変え、淡い光の弾を一斉に向ける。
「そこまでよ」
落ち着いた声がした。
木々の間から、金髪の少女が歩いてくる。
青い服。
整った顔立ち。
その周りには、さらにたくさんの人形が浮かんでいた。
少女は慌てていなかった。
怒鳴りもしなかった。
ただ、少し迷惑そうに眉を寄せている。
「人の家の近くで、ずいぶん騒がしいわね」
少女が指先を動かす。
人形たちが一斉に構えた。
光の弾が、森の暗がりを照らす。
『グゴガアアァァァァアアア』
怪物は何か叫んだ。
けれど、その声はもう人の声ではなかった。
咆哮を上げた怪物は無数に浮かぶ人形たちに飛び掛かろうとした瞬間。
戦いは、あっという間に終わった。
怪物は人形たちが放つ光の弾の連撃で原型をとどめないほど潰れていき、最後には大きな光に弾かれて森の奥へ転がっていった。
動かなくなったのを見届けてから、少女はこちらへ振り返る。
「大丈夫?」
ボクはすぐには返事ができなかった。
胸がばくばくしている。
手も震えている。
でも、何とかうなずいた。
「……た、たぶん。たぶん、大丈夫」
「たぶん?」
「今のところ、手足は全部ついてるし、心臓も勝手に大騒ぎしてるだけだから……たぶん、大丈夫の範囲内かなって」
言ってから、自分でも少し無理があると思った。
少女は少しだけ眉を寄せる。
呆れたようにも、心配しているようにも見えた。
ボクは慌てて、頭を下げる。
「あの、助けてくれて……本当に、ありがとう」
「どういたしまして」
少女は少しだけ目を細めた。
「私はアリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
「魔法使い」
「ええ」
「……幻想郷、魔法使いの遭遇率が高くない?」
「他に誰に会ったの?」
「霧雨魔理沙」
「ああ」
アリスは、それだけでだいたい納得したような顔をした。
「魔理沙が関わっているなら、面倒事ね」
「今の一言に、すごく強い信頼と諦めを感じたよ」
「だいたい合っているわ」
少しだけ、肩の力が抜けた。
それでも、森の暗さは消えない。
さっきの怪物の声も、まだ耳の奥に残っている。
ボクは胸元の麻袋を握った。
「ボクは、ナナシ」
「ナナシ?」
「うん。名前が分からないから、ナナシ。仮だけど」
「……分かりやすい名前ね」
「それ、霊夢にも似たようなことを言われたよ」
アリスの視線が、ボクの麻袋に貼られたお札へ向かう。
「霊夢の札?」
「うん。妖怪避けのおまじないだって」
「なるほどね。それがあったから、まだ無事だったわけね」
「まだ、って言い方がちょっと怖いんだけど」
「実際、危なかったもの」
「……うん。そこは否定できない」
もう少し遅かったら、どうなっていたのか。
今は、考えない方がいい。
アリスは怪物が消えた森の奥を見た。
「それにしても、妙ね」
「妙?」
「霊夢の札があるなら、普通の妖怪はもう少し嫌がるはずよ。痛い思いをしてまで近づくなんて、よほど執着する理由があったのかしら」
あまい。
ちょうだい。
あの声が、耳の奥に残っている。
「……ボク、そんなにおいしそうに見えるのかな。自分では、あんまり食べ応えがあるタイプには見えないんだけど」
「そうね。食べ応えはなさそうね」
「そこは否定してほしかったな?」
「でも、あの妖怪はあなたに執着していた。見た目や量じゃなくて、別の何かに惹かれたんでしょうね」
「別の何か……」
「ええ。少なくとも、ただの迷子に向ける反応ではなかったわ」
アリスは少しだけ考え込むように、ボクを見た。
その視線は、森の怪物のものとは違う。
食べたいとか、欲しいとか、そういう目ではない。
警戒している。
たぶん、そういう目だった。
「あなた、どうしてこんな森の中に?」
「博麗神社にいたんだけど、足元に黒い円みたいなのが出てきて……霊夢が止めようとしてくれたんだけど、気づいたらここにいた」
「黒い円?」
「うん。冷たくて、引っ張られる感じがして……霊夢は、攫われるって言ってた」
アリスの表情が変わった。
さっきまでの呆れや心配が薄れ、思案の鋭さが前に出る。
「神隠しの術……いえ、でも霊夢が止めようとして、この森に飛ばされたのなら、術が歪んだのかもしれないわね」
「神隠し」
「何者かが、あなたをどこかへ連れて行こうとした可能性があるということよ」
「……ボクを?」
「そう」
「名前も記憶もない、今のとこ木偶の坊なボクを?」
「そこまで自分を低く見積もらなくていいわ」
少し強めに言われた。
ボクは口を閉じる。
霊夢にも似たようなことを言われた気がする。
謝るなとか、逃げろとか、自分を雑に扱うなとか。
今日だけで、ボクは大事なことをいくつも教えられている。
問題は、どれも実践難易度が高いことだ。
「とにかく、このまま森に置いておくのは危険ね」
アリスはそう言って、ボクへ手を差し出した。
「私の家が近いから、そこで休みなさい」
「いいの?」
「このまま放っておく方が気になるもの」
少しそっけない言い方だった。
でも、冷たくはなかった。
「ありがとう、アリス」
「歩ける?」
「たぶん」
「さっきから、たぶんばかりね」
アリスは呆れたように息を吐いた。
けれど、手は引っ込めなかった。
ボクはその手を借りて立ち上がる。
膝はまだ少し震えていた。
それでも、アリスは急かさなかった。
人形たちが、すっとボクたちの前後に散る。
まるで、小さな護衛みたいだった。
「……すごいね」
「何が?」
「人形たち。助けてくれたし、今も周りを見てくれてる」
「私の人形だもの。当然よ」
「当然って言えるくらい大事にしてるんだね」
アリスが少しだけ目を瞬かせた。
それから、ふいと視線を逸らす。
「……変なところを見るのね」
「そうかな」
「そうよ」
そう言う声は、少しだけ柔らかかった。
しばらく歩くと、木々の向こうに小さな灯りが見えた。
夜の森の中で、その灯りは驚くほど温かく見えた。
「着いたわ」
アリスの家は、洋風の静かな家だった。
中に入ると、本と布と糸の匂いがした。
棚には本が並び、机には裁縫道具が置かれている。
部屋のあちこちには、綺麗な人形たちがいた。
そのうちの1つが、こちらへ小さくお辞儀をする。
「……礼儀正しい」
「私の人形だもの」
「動くだけじゃなくて、挨拶もできるんだ」
「必要ならお茶も運ぶし、掃除もするわ」
「幻想郷の人形、ボクより生活力が高い可能性が出てきた」
「否定はしないわ」
「否定して」
アリスは小さく息を吐いた。
けれど、どこか楽しそうにも見えた。
「座っていて。今、温かいものを用意するから」
「ありがとう」
言われた通り、椅子に腰かける。
座った瞬間、体から少しだけ力が抜けた。
思っていたより、疲れていたらしい。
無縁塚で目を覚まして。
魔理沙に拾われて。
箒で空を飛ばされて。
霊夢に会って。
賽銭を入れて。
おまじないをもらって。
神隠しに遭って。
森で妖怪に襲われて。
今、アリスの家にいる。
並べてみると、ひどい。
「……記憶喪失の初日って、普通もう少しゆっくり手加減されるものじゃないのかな」
「何か言った?」
「ううん。今日という日に対する苦情を少し」
「そう」
アリスはそれ以上聞かなかった。
その距離の取り方が、ありがたかった。
やがて、人形が温かい飲み物を運んできた。
カップを両手で受け取る。
温かい。
指先の震えが、少しだけ落ち着いた。
「霊夢か魔理沙が迎えに来るまで、ここにいなさい」
「うん」
「勝手に外へ出ないこと。森で声がしても返事をしないこと。知らない草や茸を食べないこと」
「……待って。最後だけ急に、ものすごく小さい子への注意になってない?」
「あなた、小さい子でしょう」
「…………」
ボクは自分の手を見る。
小さい。
カップを持つにも、両手でちょうどいい。
「……反論材料が見つからない」
「でしょうね」
「でも、知らない茸は食べないよ。そこはちゃんとしてるよ」
「魔理沙は食べるわ」
「魔理沙は食べるんだ……」
やっぱり、あの人は普通じゃない気がする。
ボクはカップに口をつけた。
少し甘い。
その甘さに、手が止まる。
あまい。
森の中の声が、耳の奥でよみがえった。
「どうかした?」
「……ううん」
首を振ると、アリスはそれ以上聞かなかった。
部屋の中は静かだった。
外は夜更けの森だ。
窓の向こうには、木々の影が重なっている。
それでも、家の中は温かかった。
カップの中の湯気を眺めているうちに、ようやく呼吸が落ち着いてくる。
「アリス」
「何?」
「助けてくれて、ありがとう」
「さっきも聞いたわ」
「うん。でも、もう一回言っておきたくて」
アリスは少しだけ黙った。
それから、静かに言う。
「……どういたしまして」
その声は、さっきより少しだけ柔らかかった。
安心していいのかもしれない。
少なくとも、今だけは。
そう思った。
思ってしまった。
——その静けさを破ったのは、窓辺の人形だった。
ぴくり、と人形が顔を上げる。
次に、棚の上の人形が動きを止めた。
机の端で裁縫道具を片づけていた人形も、同じ方を見る。
窓の外。
暗い森。
アリスの表情が、すっと硬くなった。
「アリス?」
「静かに」
声は低く、細く、硬かった。
人形たちが音もなく配置を変える。
数体がボクの前に降り、数体が窓辺へ。
残りは扉の左右へ散った。
守られている。
そう分かったのに、安心できなかった。
守る準備をしてくれているということは、守らなければならない相手が近づいているということだから。
こん、こん。
扉が鳴った。
礼儀正しい音だった。
けれど、家の中の空気は一瞬で冷えた。
アリスが小さく息を吐く。
「……こんな時間に、礼儀正しく来る相手ほど面倒なのよね」
返事はない。
代わりに、扉の向こうから声がした。
「こんばんは、アリス」
幼い少女の声だった。
明るくて、無邪気で、楽しそうな声。
けれどアリスは、警戒を解かなかった。
「……もう夜遅いわ。歓迎はしないわよ」
アリスが扉の向こうへ、冷たい声を投げる。
扉の向こうで、少女がくすりと笑う気配がした。
「つれないわね。夜だから、遊びに来たのに」
その声は軽い。
まるで本当に、友達の家を訪ねただけみたいだった。
でも、人形たちはひとつも動かない。
アリスも、扉から目を逸らさない。
ボクは両手でカップを握ったまま、息をひそめていた。
温かかったはずの飲み物が、急に頼りなく感じる。
「ねえ」
扉の向こうの少女が、楽しそうに言った。
「ここにいるでしょう?」
その声が、ほんの少しだけ甘くなる。
「すごく、いい匂いの子」
指先が、カップの縁を強く握りしめた。
あまい。
森の中の声が、また耳の奥でよみがえる。
あの妖怪は、痛がりながらも近づいてきた。
霊夢のお札に焼かれても、逃げなかった。
その理由が、今になって形を変えて扉の向こうに立っている気がした。
取っ手が、ゆっくり回る。
アリスの指先が動いた。
人形たちが、一斉に構える。
そして、扉が開いた。
入ってきたのは、幼い少女だった。
金色の髪。
赤い服。
背中には、不思議な翼。
その翼には七色の結晶のようなものがぶら下がっていて、外の夜闇の中で小さく光っていた。
少女は、にこにこと笑っている。
明るくて、無邪気な笑顔だった。
けれど。
森の怪物よりも、ずっと静かで。
ずっと綺麗で。
ずっと、危ない。
そう思った瞬間、胸元の麻袋に貼られたお札が、かすかに熱を持ったかとおもうとすぐさま弾け飛んだ。
アリスが、低くその名を呼ぶ。
「……フランドール」
少女は笑ったまま、赤い瞳をこちらへ向けた。
見つかった。
なぜか、そう思った。
そしてずっと耳に残っていた言葉が、もう一度、胸の奥で響いた。
『あまい』