東方拾得録   作:まほろばのーぶる

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第4話 吸血鬼には甘すぎる血

 『あまい』

 

 その言葉が、胸の奥で響いたまま消えなかった。

 

 森の怪物が言っていた言葉。

 

 そして今、目の前の少女がこちらを見つめる目にも、同じものが宿っている気がした。

 

「こんばんは、アリス」

 

 少女は楽しそうに言った。

 

 金色の髪。

 赤い服。

 背中には、不思議な翼。

 

 その翼には七色の結晶のようなものがぶら下がっていて、夜闇の中で小さく光っている。

 

 明るくて、無邪気で、綺麗な笑顔だった。

 

 けれど、アリスは警戒を解かなかった。

 

「……フラン。紅魔館から出てきて大丈夫なの?」

 

「聞いたら止められると思ったから、聞いてない」

 

「つまり無断ね」

 

「そうとも言うかも」

 

 少女は悪びれた様子もなく笑った。

 

 会話だけ聞けば、子どもの言い訳みたいだった。

 

 でも、アリスの人形たちはひとつも構えを解かない。

 

「用件は?」

 

 アリスが短く尋ねる。

 

 少女は答えなかった。

 

 ただ、部屋の中を見回す。

 

 棚。

 机。

 人形。

 

 そして、ボク。

 

 赤い瞳がこちらを向いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 

 見つかった。

 

 また、そう思った。

 

 少女の鼻が、ぴくりと動く。

 

「……ああ」

 

 小さな声だった。

 

 けれど、とても満足そうな声だった。

 

「やっぱり、ここだった」

 

「何が?」

 

「匂い」

 

 少女は、ボクを見たまま答えた。

 

「外を歩いてたら、甘い匂いがしたの。森の中から、ずっと」

 

 甘い。

 

 その言葉に、指先が冷たくなる。

 

 あまい。

 

 ちょうだい。

 

 森の中の声が、耳の奥でよみがえった。

 

「フラン」

 

 アリスが一歩、ボクの前に出る。

 

「その子は私の客よ」

 

「うん。見れば分かるよ」

 

「なら、近づかないで」

 

「どうして?」

 

「あなたが近づくと危ないから」

 

「私はまだ何もしてないわ」

 

「何かしてからでは遅いのよ」

 

 少女は、少しだけ首をかしげた。

 

 怒った様子はない。

 反省した様子もない。

 

 ただ、本当に不思議そうだった。

 

「匂いを嗅ぐだけでも?」

 

「あなたの場合、それだけで済まないでしょう」

 

 少女は人形たちの向こうから、じっとボクを見ている。

 

 その目は、森の怪物とは違っていた。

 

 濁っていない。

 飢えているだけでもない。

 

 もっと澄んでいて、もっと単純だった。

 

 おいしそうなものを見つけた。

 だから欲しい。

 

 ただ、それだけ。

 

「ねえ」

 

 少女が言った。

 

「あなた、名前は?」

 

「……ナナシ」

 

「ナナシ」

 

 彼女はその名前を繰り返した。

 

 まるで、味を確かめるみたいに。

 

「私はフランドール・スカーレット。紅魔館に住んでるの」

 

「紅魔館……?」

 

「吸血鬼のお屋敷よ。私は、その吸血鬼」

 

 吸血鬼。

 

 その言葉を聞いた瞬間、霊夢が言っていた危ないもの一覧が頭の中で勝手に開いた。

 

 できれば今すぐ閉じたい。

 

「血の匂いじゃないのに」

 

 ぽつりと、フランドールは言った。

 

「喉が渇く」

 

 部屋の空気が、はっきりと冷えた。

 

「……喉が?」

 

「うん。血を見たわけでもないのに、飲みたくなる。こんなの、初めてかも」

 

 飲みたくなる。

 

 その意味を、考えたくなかった。

 

 でも、考えなくても分かってしまう。

 

「フラン」

 

 アリスの声が低くなる。

 

「それ以上は駄目」

 

「少しだけ」

 

「駄目」

 

「壊さないようにするわ」

 

「その言い方をやめなさい」

 

 アリスの指先が動いた。

 

 人形たちが一斉に前へ出る。

 

 小さな身体が、ボクとフランドールの間に壁を作った。

 

 けれど、フランドールは笑っていた。

 

 楽しそうに。

 

 まるで、遊びが始まるのを待っているみたいに。

 

「アリス、意地悪ね」

 

「今夜はそういう役回りみたいだから」

 

「私はお願いしているだけよ」

 

「お願いで済まないから止めているのよ」

 

 フランドールが、一歩踏み出した。

 

 その瞬間、人形たちが動いた。

 

 光の弾が放たれる。

 細い糸が、夜の空気を切るように走る。

 

 なのに。

 

「え?」

 

 フランドールの姿が、ぶれた。

 

 次の瞬間には、彼女は人形たちの間にいた。

 

 小さな手が、そっと人形の腕を掴む。

 

 ぎしり。

 

 嫌な音がした。

 

「壊さないようにするの、難しいね」

 

 フランドールは困ったように笑った。

 

 人形が横へ弾き飛ばされる。

 

 壁にぶつかる音。

 裁縫道具が跳ねる音。

 カップの中身が揺れる音。

 

 全部が、一度に聞こえた。

 

「フラン!」

 

 アリスの声が鋭く響く。

 

 さらに数体の人形が飛び出した。

 

 糸が絡み、光が弾ける。

 

 けれど、止まらない。

 

 フランドールはほんの少し身じろぎしただけで、人形たちを木の葉みたいに振り払った。

 

 小さな身体。

 細い腕。

 幼い顔。

 

 なのに、その動きには、人間の形をした何かとは思えない力があった。

 

 吸血鬼。

 

 この子は、ただの女の子じゃない。

 

 アリスの人形でも、止められない。

 

「ナナシ、下がって!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

 下がる。

 

 そうしなきゃいけない。

 

 分かっている。

 

 でも、足が動かなかった。

 

 カップを持つ手だけが震えている。

 

 指先に力が入らない。

 

 カップが、手から滑り落ちた。

 

 床に当たって、鈍い音を立てる。

 

 温かかった飲み物が、床の上に広がっていく。

 

 フランドールは、もうボクのすぐ前にいた。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 赤い瞳。

 白い頬。

 小さな唇。

 

 その全部が、恐ろしいくらいはっきり見えた。

 

「怖い?」

 

 フランドールが聞いた。

 

 ボクは答えられなかった。

 

 喉が、動かない。

 

「怖がらなくてもいいのに」

 

 彼女はそう言って、そっと手を伸ばした。

 

 冷たい指先が、ボクの頬に触れる。

 

 逃げなきゃ。

 

 霊夢はそう言っていた。

 

 危ないと思ったら逃げる。

 誰かを呼ぶ。

 無理して立ち向かわない。

 

 でも、声が出ない。

 足も動かない。

 

 ただ、目の前の赤い瞳から逃げられなかった。

 

「血の匂いはしないのに、あなたを見ていると喉が渇くの」

 

 フランドールは、楽しそうに言った。

 

「変よね」

 

 背中の翼についた七色の結晶が、夜の光を受けてきらりと揺れる。

 

 その光が、妙に綺麗で。

 

 こんな時なのに、綺麗だと思ってしまった自分が怖かった。

 

「ねえ、ナナシ」

 

 フランドールが、ボクの名前を呼ぶ。

 

 初めて会ったはずなのに。

 

 その声は、まるでずっと前から知っていたみたいに近かった。

 

 彼女は笑った。

 

 お菓子をねだる子どもみたいに。

 

 ただ欲しいものを、素直に欲しいと言うみたいに。

 

「あなたの血、吸わせて?」

 

「駄目よ」

 

 即座に、アリスが言った。

 

 その声は、さっきよりずっと硬かった。

 

「その子に触らないで」

 

「どうして?」

 

「分かっているでしょう」

 

「壊さないわ」

 

「あなたの“壊さない”は信用できないの」

 

 フランドールは少しだけ唇を尖らせた。

 

「ひどいなあ」

 

「ひどくて結構よ」

 

 アリスが指を振る。

 

 人形たちが再び動いた。

 

 今度は攻撃ではなく、ボクを囲うように展開する。

 

 けれど、フランドールはその隙間を見つけるように、すっと身体を滑らせた。

 

 速い。

 

 目で追えない。

 

 人形の糸が彼女の腕に絡む。

 

 次の瞬間、糸が弾けた。

 

 その衝撃で、アリスの身体がわずかに後ろへ揺れる。

 

「アリス!」

 

「大丈夫!」

 

 けれど、声とは裏腹に、アリスの頬に細い傷が走っていた。

 

 赤い線が、白い肌に浮かぶ。

 

 血が、少しだけ滲む。

 

 それを見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 

 アリスが傷ついた。

 

 ボクを守ろうとして。

 

 ボクのせいで。

 

「……待って」

 

 気づけば、声が出ていた。

 

 小さな声だった。

 

 けれど、部屋の中の空気がぴたりと止まった。

 

「ナナシ?」

 

 アリスがこちらを見る。

 

 フランドールも、赤い瞳を細めた。

 

 ボクは震える息を吸う。

 

 怖い。

 

 怖いに決まっている。

 

 吸血鬼に血を吸わせるなんて、どう考えても怖い。

 

 でも、このままではアリスが傷つく。

 

 人形も壊れる。

 

 家だって壊れるかもしれない。

 

 それなら。

 

「フランドール」

 

 ボクは、できるだけ声を震わせないように言った。

 

「血が欲しいなら、ボクのを飲んでいいよ」

 

「ナナシ!」

 

 アリスの声が飛ぶ。

 

 でも、ボクは止まらなかった。

 

「ただし、条件がある」

 

「条件?」

 

 フランドールが楽しそうに首をかしげる。

 

「アリスを傷つけないこと。人形も壊さないこと。家も壊さないこと。あと、できれば床もこれ以上汚さないこと。掃除するのはたぶん人形さんたちだから」

 

「そこまで気にするの?」

 

「気にするよ。お邪魔してる家だし」

 

 自分でも、何を言っているのか少し分からなかった。

 

 でも、喋っていないと怖さに呑まれそうだった。

 

「それと、ちょっとだけ。ほんとにちょっとだけだからね」

 

「うん」

 

「あと、痛くしないで」

 

「大丈夫」

 

「本当に? 吸血鬼基準の大丈夫じゃなくて、人間基準の大丈夫でお願いしたいんだけど」

 

「大丈夫だよ」

 

「その軽さがすごく不安なんだけど」

 

 フランドールは笑った。

 

 さっきまでよりも、ずっと楽しそうに。

 

「あなた、変な子ね」

 

「ボクとしては、今日の幻想郷全体にその言葉を返したい気分だよ」

 

「怖いのに?」

 

「怖いよ。ものすごく怖い。できれば今すぐ布団に入って、今日のこと全部夢だったことにしたい」

 

「じゃあ、どうして?」

 

 フランドールの声が少しだけ低くなる。

 

 純粋な疑問だった。

 

 ボクは、アリスを見る。

 

 頬の傷。

 構えたままの人形たち。

 ボクの前に立とうとする背中。

 

「アリスが傷つくくらいなら、ボクで済む方がいい」

 

 そう言った瞬間、アリスの表情が変わった。

 

 怒ったような。

 痛そうな。

 

 そんな顔だった。

 

「ナナシ、それは――」

 

「大丈夫。ちゃんと条件つけたから」

 

「そういう問題じゃないわ!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

 けれど、その声を遮るように、フランドールがボクのすぐそばへ来た。

 

「いいよ」

 

 彼女は笑っていた。

 

「約束する。アリスも、人形も、家も、壊さない」

 

「床は?」

 

「床も、たぶん」

 

「たぶん……」

 

「吸うなら、首でいい?」

 

「待って待って待って、急に具体的になると怖さが跳ね上がるんだけど!?」

 

「腕でもいいけど、首の方がおいしそう」

 

「その評価、今すぐ取り下げてほしい!」

 

 フランドールは、ボクの悲鳴みたいな抗議を楽しそうに聞いていた。

 

 そして、そっとボクの肩に手を置く。

 

 冷たい。

 

 でも、乱暴ではなかった。

 

「痛くしないから」

 

「絶対?」

 

「たぶん」

 

「たぶんって言った! 今たぶんって言ったよね!?」

 

「動かないでね」

 

「話を聞いて!?」

 

 フランドールの顔が近づく。

 

 赤い瞳が細められる。

 

 白い牙が、ちらりと見えた。

 

 ボクはぎゅっと目を閉じる。

 

「痛くしないでね!? 本当に痛くしないでね!? あと変な毒とか入れないでね!? 吸血鬼の仕様が分からないから事前説明がほしいんだけど!?」

 

「大丈夫」

 

「それしか言わない!」

 

 次の瞬間。

 

 首筋に、ひやりとした感触が触れた。

 

 そして、牙が沈む。

 

「――っ」

 

 痛みは、なかった。

 

 少なくとも、思っていたような痛みはない。

 

 針で刺されるような鋭さも、肉を裂かれるような熱さもない。

 

 ただ、冷たいものが触れたと思った次の瞬間、身体の奥から何かを吸い上げられるような感覚がした。

 

 ぞくり、と背筋が震える。

 

 力が抜ける。

 

 息が、うまく整わない。

 

 怖い。

 

 怖いのに。

 

 妙に、気持ちが悪くない。

 

 むしろ、頭の奥がふわふわする。

 

 身体のどこかを撫でられているような、眠りに落ちる直前のような、変に甘い感覚が広がっていく。

 

「……え、待って」

 

 ボクは目を見開いた。

 

「これ、やばい。これ絶対やばいやつ。中毒成分とか注入されてないよね!? 吸血鬼ってそういう機能あるの!? フランドール、説明! 説明を要求するよ!」

 

 けれど、フランドールは答えなかった。

 

 首筋に顔を埋めたまま、ぴたりと動きを止めている。

 

「……フランドール?」

 

 アリスの声が揺れた。

 

 次の瞬間、フランドールの指がボクの肩を強く掴んだ。

 

 痛い。

 

 今度は、はっきり痛かった。

 

「っ、フランドール……?」

 

 彼女の喉が、小さく鳴る。

 

 ごくり。

 

 ごくり。

 

 血を飲む音が、耳元でやけにはっきり聞こえた。

 

 フランドールの身体が震えている。

 

 翼の結晶が、かすかに揺れている。

 

「……おいしい」

 

 吐息のような声だった。

 

「なに、これ」

 

 フランドールが顔を上げる。

 

 赤い瞳が、とろんと蕩けていた。

 

 頬は上気している。

 

 唇には、ボクの血がついていた。

 

「おいしい」

 

 もう一度。

 

 さっきよりも深く、熱のこもった声で。

 

「もっと」

 

「え」

 

「もっと、ちょうだい」

 

 ぞっとした。

 

 今度こそ、本当に。

 

 中毒になっていたのは、ボクじゃない。

 

 フランドールの方だ。

 

「フランドール、離れなさい!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

 人形たちが一斉に動いた。

 

 けれど、フランドールはボクを抱え込むようにして離さない。

 

 小さな腕なのに、まったく動かない。

 

 吸血鬼の膂力。

 

 その言葉が、頭の中で妙に冷静に浮かんだ。

 

「フランドールっ、ま、待って、約束、ちょっとだけって……!」

 

「うん」

 

 フランドールはうっとりと笑った。

 

「ちょっとだけ。もう少しだけ」

 

「それ、ちょっとだけって言わないやつ……っ!」

 

 牙が、もう一度首筋に沈む。

 

 血が抜けていく。

 

 身体が冷える。

 

 指先の感覚が遠くなる。

 

 アリスの声が聞こえる。

 

 人形が飛ぶ音。

 何かが壊れる音。

 フランドールの喉が鳴る音。

 

 全部が遠い。

 

「ナナシ!」

 

 アリスがフランドールの腕を掴む。

 

 けれど、引き剥がせない。

 

 フランドールの服の胸元に、赤い染みが広がっていく。

 

 ボクの血だ。

 

 そう理解するのに、少し時間がかかった。

 

 ……あれ。

 

 これ、まずいかも。

 

「フランドール?……そろそろ……店じまい、というか……閉店時間……」

 

 自分でも何を言っているのか分からない。

 

 膝から力が抜ける。

 

 視界が白くにじむ。

 

 アリスの叫び声が、ひどく遠く聞こえた。

 

 その時。

 

「そこまでよ!」

 

 鋭い声が、部屋を裂いた。

 

 赤い札が飛ぶ。

 

 眩しいほどの赤い光が、フランドールの背中に叩きつけられた。

 

「っ!」

 

 フランドールの身体が跳ねる。

 

 ボクを抱えていた腕が緩んだ。

 

「ナナシ!大丈夫か!」

 

 黒い影が飛び込んでくる。

 

 その黒い影がボクの身体を受け止めた。

 

 同時に、紅白の影がフランドールとの間に立つ。

 

「……霊夢」

 

 声が、ほとんど出なかった。

 

「喋らないでいい」

 

 霊夢は短く言った。

 

「魔理沙、押さえて。血が出てる」

 

「分かってる!」

 

 魔理沙の手が、ボクの首筋を押さえる。

 

 温かい。

 

 いや、ボクの身体が冷えすぎているのかもしれない。

 

 フランドールは部屋の向こうで膝をついていた。

 

 霊夢の札に押し返され、ようやくボクから離れている。

 

 赤い服の胸元が、さらに濃い赤で濡れていた。

 

 口元にも。

 指先にも。

 服の裾にも。

 

 ボクの血が、滴っている。

 

 フランドールはそれをぼんやりと見下ろしていた。

 

「……私」

 

 小さく呟く。

 

 さっきまで蕩けていた赤い瞳に、少しずつ焦点が戻っていく。

 

 そして、床に倒れかけているボクを見た。

 

 顔色の悪いボク。

 

 首筋を押さえられているボク。

 

 立つ力もなく、魔理沙に支えられているボク。

 

 そこでフランドールの表情が、初めて揺れた。

 

「……ごめんね」

 

 小さな声だった。

 

 誰に向けたのか分からないくらい、小さな声。

 

 霊夢は札を構えたまま、目を細める。

 

「今は帰りなさい。これ以上ここにいたら、容赦しない」

 

「うん」

 

 フランドールは素直に頷いた。

 

 けれど、その視線は最後までボクから離れなかった。

 

「ナナシ」

 

 名前を呼ばれる。

 

 その声は、さっきとは違っていた。

 

 甘くて、怖くて、少しだけ寂しそうだった。

 

「またね」

 

「または……できれば、安全基準を見直してからで……」

 

 言い切る前に、視界がぐらりと傾いた。

 

 フランドールが窓の方へ歩く。

 

 アリスの人形たちは、もう追わなかった。

 

 追えなかったのかもしれない。

 

 七色の結晶を揺らしながら、フランドールは夜の中へ消えていく。

 

 その後ろ姿を見ながら、ボクは思った。

 

 綺麗だ。

 

「ナナシ、寝るな」

 

 魔理沙の声がする。

 

「ナナシ!」

 

 霊夢の声もする。

 

 アリスも何かを言っている。

 

 でも、言葉が水の中みたいに歪んでいく。

 

 身体が重い。

 

 指先が冷たい。

 

 ああ。

 

 これは、まずい。

 

 そこで、限界だった。

 

 魔理沙の腕の中で、ボクの意識はふっと途切れた。

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