東方拾得録   作:まほろばのーぶる

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第6話 目覚めたら神社でした

 

 朝の光が、障子越しに差し込んでいた。

 

 薄い白に透けた光。

 畳の匂い。

 どこかで鳥が鳴く声。

 

 それから、ほんの少しだけ、お茶の香り。

 

 目を開けて最初に思ったのは、知らない天井だ、ということだった。

 

「……知らない天井」

 

 口に出してから、すぐに首を傾げる。

 

「……いや、昨日から知らない場所ばっかりだから、今さら感がすごいね」

 

 体を起こす。

 

 布団は柔らかかった。

 身体は軽い。

 頭もすっきりしている。

 

 むしろ、ここ数日の中で一番よく眠れた気さえする。

 

「……おお」

 

 ボクは自分の手を握ったり開いたりした。

 

 動く。

 

 足も動く。

 

 頭も痛くない。

 

 首筋に少し違和感はあるけれど、思っていたよりずっと平気だ。

 

 昨日の夜、フランドールに血を吸われた。

 

 たしか、たくさん吸われた。

 

 そのあと霊夢と魔理沙が来て、アリスも何か叫んでいて、フランドールが帰っていって、それから。

 

 それから、意識が途切れた。

 

 そこまでは覚えている。

 

「……で、今は朝」

 

 ボクは深く息を吸った。

 

「つまり、よく寝た」

 

 結論が出たところで、襖の向こうが急に静かになった。

 

 誰かがいる。

 

 そう思った次の瞬間、襖が勢いよく開いた。

 

「ナナシ!」

 

 入ってきたのは霊夢だった。

 

 その後ろに、魔理沙とアリスもいる。

 

 3人とも、こちらを見て固まった。

 

 ボクは布団の上で正座して、ぺこりと頭を下げる。

 

「おはようございます」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙。

 

 長い沈黙。

 

 やがて魔理沙が、ぽつりと言った。

 

「元気そうだな」

 

「うん。すごくよく眠れたよ」

 

「よく眠れた?」

 

 霊夢の眉がぴくりと動く。

 

「昨日、あれだけ血を吸われて倒れたのに?」

 

「そう言われると、急に寝起きの感想として不謹慎な気がしてきた」

 

「気がするじゃなくて、だいぶそうよ」

 

 霊夢は頭を押さえた。

 

 アリスは信じられないものを見るようにボクを見ている。

 

「本当に、具合は悪くないの?」

 

「うん。ちょっと首が気になるくらいで、体は軽いよ。むしろ寝起きとしては好調」

 

「好調……」

 

 アリスが小さく呟く。

 

 その声には、安心と困惑が半分ずつ混ざっていた。

 

 魔理沙が布団のそばまで来て、ボクの顔を覗き込む。

 

「顔色も悪くないな。昨日は真っ青だったのに」

 

「そうなの?」

 

「真っ青だったぜ。正直、かなり焦った」

 

「……そっか」

 

 ボクは少しだけ目を伏せた。

 

 覚えている。

 

 魔理沙の腕。

 霊夢の声。

 アリスの叫び。

 

 それから、フランドールの赤い瞳。

 

「心配かけたんだね。ごめん」

 

「謝る前に、まず無事だったことを喜びなさい」

 

 霊夢がぴしゃりと言った。

 

 昨日も似たようなことを言われた気がする。

 

 謝るな。

 逃げろ。

 自分を雑に扱うな。

 

 今日の課題に加えておこう。

 

「うん。じゃあ……心配してくれて、ありがとう」

 

 ボクは改めて頭を下げた。

 

「霊夢も、魔理沙も、アリスも。助けてくれてありがとう」

 

 霊夢は少し視線を逸らした。

 

「別に。目の前で倒れられたら、放っておけないでしょ」

 

「私は迎えに行っただけだぜ」

 

「私は、守り切れなかったわ」

 

 アリスが静かに言った。

 

 その声に、胸が少し痛くなる。

 

「そんなことないよ。アリスが助けてくれなかったら、森で妖怪に食べられてたと思うし。家にも入れてくれたし、お茶もくれたし、人形さんたちも守ってくれたし」

 

「でも、あなたは私の家で血を吸われた」

 

「それは……」

 

 言いかけて、言葉に詰まる。

 

 アリスの顔は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 

 ボクは少し考えてから、口を開いた。

 

「それは、フランドールがちょっと強引だったからで、アリスが悪いわけじゃないよ」

 

「そういう話じゃないの」

 

「……うん。たぶん、そういう話じゃないんだろうな、とは思ってる」

 

「分かっているなら、もう少し自分を大事にしなさい」

 

 アリスの声が少し強くなる。

 

「あなた、昨日、自分の血を差し出したでしょう」

 

「……うん」

 

「私や人形を守ろうとしたのは分かるわ。でも、あんなことを軽く言わないで」

 

「軽く、言ったつもりは……」

 

 なかった。

 

 そう言いかけて、止まる。

 

 怖かった。

 本当に怖かった。

 

 でも、たぶんアリスから見れば、ボクはずいぶん簡単に自分を差し出したように見えたのだろう。

 

「……怖かったよ」

 

 ボクは正直に言った。

 

「すごく怖かった。でも、アリスが怪我するのも怖かった。人形さんたちが壊れるのも嫌だった。だから、ボクで済むなら、その方がいいかなって」

 

 その瞬間、部屋の空気が少しだけ重くなった。

 

 霊夢が眉間にしわを寄せる。

 

 魔理沙が困ったように帽子のつばを触る。

 

 アリスは、苦そうな顔をした。

 

「そういうところよ」

 

「え?」

 

「そこが危ないのよ、ナナシ」

 

 アリスは静かに言った。

 

「誰かが傷つくより、自分が傷つく方がまし。そう考えるのは、優しさだけじゃないわ」

 

「……優しさだけじゃない?」

 

「自分を守るべきものの中に入れていない、ということよ」

 

 ボクは何も言えなかった。

 

 霊夢が腕を組む。

 

「昨日言ったでしょ。戦えないなら逃げる。誰かを呼ぶ。無理して立ち向かわない」

 

「でも、逃げられなかったし、呼ぶ相手も……」

 

「だからって自分を簡単に差し出すな」

 

 魔理沙が言った。

 

 いつもの軽い声ではなかった。

 

「誰かを助けたいなら、一緒に助かる方法を探すんだ。自分だけ支払いに出すな」

 

「……支払い」

 

「お前、自分を賽銭みたいに差し出しかけたんだぜ」

 

 その言い方に、少しだけ胸が詰まる。

 

 でも同時に、妙に分かりやすかった。

 

 賽銭。

 

 捧げるもの。

 

 差し出すもの。

 

 胸元の麻袋が、かすかに揺れた気がした。

 

「……うん」

 

 ボクは小さく頷いた。

 

「すぐには直せないかもしれないけど、覚えておく。ボクも、守るものの中にできるだけ入れる」

 

「そこは絶対に入れなさい」

 

 霊夢が言う。

 

「努力目標じゃなくて?」

 

「実行」

 

「はい」

 

 即答した。

 

 逆らう空気ではなかった。

 

 そこでようやく、魔理沙が少し笑う。

 

「まあ、元気そうで何よりだな」

 

「うん。ご心配をおかけしました」

 

「かけすぎよ」

 

 霊夢がぼそりと言った。

 

 もっともだった。

 

 ボクはもう一度、3人を見る。

 

 何か、お礼をしたい。

 

 助けてもらった。

 守ってもらった。

 心配してもらった。

 

 言葉だけでは足りない気がした。

 

 何か形になるものを渡せたらいいのに。

 

 そう思った瞬間。

 

 胸元の麻袋が、ぽう、と淡く熱を持った。

 

「……ん?」

 

 ボクは麻袋を見る。

 

 昨日まで空っぽだったはずの袋。

 

 賽銭箱の前で小銭を出した、不思議な袋。

 

 今、その袋の内側から、何かが触れる感覚がした。

 

「どうした?」

 

 魔理沙が覗き込む。

 

「いや、麻袋が……なんか、温かい」

 

「温かい?」

 

 霊夢とアリスの表情が変わる。

 

 ボクは恐る恐る袋の口を開いた。

 

 中を覗く。

 

 そこには、いくつかのものが入っていた。

 

 小銭。

 

 昨日賽銭箱に入れた分より、明らかに多い小銭。

 

 それから、光沢のある糸束。

 

 細く、滑らかで、月明かりを閉じ込めたような上質な糸。

 

 そして、よく分からない小さな金属片。

 

 星の形に似た、鈍く光る欠片だった。

 

「……増えてる」

 

 ボクは呟いた。

 

「いや、増えるって何。袋って普通、勝手に中身が増えるものじゃないよね?」

 

「普通は増えないな」

 

 魔理沙が即答する。

 

「幻想郷基準でも?」

 

「そこは物による」

 

「……基準が揺らいだ」

 

 霊夢は無言で小銭を見つめていた。

 

 とても真剣な顔だった。

 

 ボクはその視線の意味を察する。

 

「……霊夢」

 

「何」

 

「これ、賽銭箱に入れてくる」

 

「そう」

 

 声は平静だった。

 

 でも、目が少しだけ輝いていた。

 

 たぶん、かなり嬉しいのだと思う。

 

 ボクは布団から出る。

 

「待ちなさい。急に動いて大丈夫なの?」

 

 アリスが止めようとする。

 

「大丈夫。すごく元気」

 

「それが一番不思議なのだけれど」

 

「不思議は後で考えよう。今は賽銭が先」

 

「霊夢の教育がもう効いてるじゃない」

 

「いい教育でしょ」

 

 霊夢が胸を張った。

 

「神社的には」

 

「神社的には、ね」

 

 魔理沙が笑う。

 

 ボクは小銭を握りしめて、さっそく小走りで部屋を出た。

 

 廊下をお行儀よく早歩きで、境内へ向かう。

 

 朝の博麗神社は、昨日よりもずっと穏やかに見えた。

 

 鳥居。

 石畳。

 社殿。

 そして、賽銭箱。

 

 昨日ここで賽銭を入れて、霊夢におまじないをもらった。

 

 あの札がなければ、たぶん森で助からなかった。

 

 ボクは賽銭箱の前に立ち、小銭をそっと投げ入れる。

 

 からん。

 

 乾いた音が、朝の境内に響いた。

 

 昨日と同じ音。

 

 でも今日は、少しだけ違って聞こえた。

 

「……お礼です」

 

 小さく言う。

 

 誰に向けた言葉なのかは、自分でもよく分からなかった。

 

 神様にか。

 

 霊夢にか。

 

 それとも、ボクをここまで繋いでくれた何かにか。

 

「急に飛び出すから何事かと思ったわ」

 

 後ろから霊夢の声がした。

 

 振り返ると、霊夢が腕を組んで立っている。

 

 魔理沙とアリスも一緒だった。

 

「ごめん。でも、賽銭は鮮度が大事かなって」

 

「聞いたことないわね」

 

「今作った」

 

「でしょうね」

 

 霊夢は呆れたように言った。

 

 けれど、その口元は少しだけ緩んでいる。

 

「でも、ありがとう」

 

 小さな声だった。

 

 ボクは目を瞬かせる。

 

「霊夢が素直にお礼を言った」

 

「何よ」

 

「いや、今のは記録しておいた方がいい貴重な瞬間なのかなって」

 

「するな」

 

「はい」

 

 魔理沙が横で笑っている。

 

「よかったな、霊夢。神社に住み着いたら毎日賽銭が入るかもしれないぜ」

 

「それは悪くないわね」

 

「そこは否定しないんだ」

 

 ボクは苦笑して、次に糸束を取り出した。

 

「これは、アリスに」

 

「私に?」

 

「うん。昨日、家とか人形さんたちとか、いろいろ巻き込んじゃったから。お詫びというか、お礼というか」

 

 アリスは糸束を受け取った。

 

 指先でそっと撫でる。

 

 その瞬間、表情が変わった。

 

「……これ」

 

「変なものだった?」

 

「逆よ。かなり上等な糸だわ。人形用に使うには贅沢なくらい」

 

「おお。よかった。ちゃんとお礼っぽい」

 

「どこから出てきたの?」

 

「麻袋から」

 

「その袋、何なの?」

 

「ボクが一番知りたい」

 

 アリスは糸を見つめ、それからボクを見る。

 

「本当に、もらっていいの?」

 

「もちろん。アリスに渡そうと思ったら出てきたから、たぶんアリス用だと思う」

 

「……不思議な理屈ね」

 

「昨日から不思議なことしか起きてないので、細かいところは勢いで処理してる」

 

「処理しないで考えなさい」

 

「はい」

 

 怒られた。

 

 今日だけで何回目だろう。

 

 けれど、アリスは糸を大事そうに持ってくれた。

 

 それが少し嬉しかった。

 

「で、私は?」

 

 魔理沙が期待に満ちた顔で身を乗り出す。

 

「魔理沙には、これ」

 

 ボクは麻袋から、星の形に似た小さな金属片を取り出した。

 

 鈍く光っていて、何に使うのかは分からない。

 

 けれど、なんとなく魔理沙に渡すものだと思った。

 

「お、なんだこれ」

 

「分からない」

 

「分からないものを渡したのか」

 

「魔理沙なら分からないものほど喜ぶかなって」

 

「よく分かってるじゃないか」

 

「喜ぶんだ……」

 

 魔理沙は金属片を指先で転がし、目を輝かせた。

 

「魔力を少し含んでるな。星の欠片……いや、鉱石か? 面白いぜ」

 

「面白そうならよかった」

 

「ナナシ、お前その袋すごいな」

 

「ボク自身はだいぶ怖くなってきたよ」

 

「調べる価値があるな」

 

「今、魔理沙の目が研究者というより蒐集家の目になってる」

 

「気のせいだぜ」

 

「その“だぜ”でだいたい誤魔化せると思ってない?」

 

 魔理沙は笑ってごまかした。

 

 たぶん図星だ。

 

 ひとまず、3人へのお礼はできた。

 

 問題は、これからのことだ。

 

 霊夢も同じことを考えていたらしい。

 

「で、ナナシ」

 

「うん」

 

「あんた、これからどうするつもり?」

 

 境内に、朝の風が吹いた。

 

 どうする。

 

 そう聞かれて、ボクは麻袋を握る。

 

 無縁塚で目を覚ました。

 

 魔理沙に拾われた。

 

 霊夢におまじないをもらった。

 

 アリスに助けられた。

 

 フランドールに血を吸われた。

 

 妖怪に狙われる理由も、神隠しに遭った理由も、まだ分からない。

 

 分からないことばかりだ。

 

 でも、ひとつだけ分かる。

 

 ボクひとりでは、たぶん危ない。

 

「……霊夢」

 

「何」

 

「ボクを、しばらく神社に置いてください」

 

 霊夢は眉を上げた。

 

 魔理沙とアリスもこちらを見る。

 

 ボクは慌てて続けた。

 

「も、もちろん、ただでとは言わないよ。掃除でも、水汲みでも、雑用でも、できることは何でもする。賽銭も……出せるかは袋次第だけど、出たら入れる。だから、住み込みで働かせてください」

 

「ずいぶん潔いわね」

 

「昨日の件で学びました。ボクはひとりで行動すると、だいたい危ない」

 

「だいたいどころか、かなり危ないな」

 

 魔理沙が言う。

 

「否定できないのがつらい」

 

「でも、神社に置くのが一番安全かもしれないわね」

 

 アリスが言った。

 

「少なくとも、霊夢の目が届く場所なら、普通の妖怪は近づきにくいわ」

 

「普通じゃないのが来る可能性は?」

 

「あるわ」

 

「そこは包んでほしかった」

 

「包んでも現実は変わらないもの」

 

「アリス、たまに霊夢みたいなこと言うね」

 

「それ、褒めてるの?」

 

「判断が難しい」

 

 霊夢はため息をついた。

 

「まあ、いいわ」

 

「いいの?」

 

「昨日みたいに勝手にどこかへ飛ばされても面倒だし、妖怪に狙われても面倒だし、あんたを探し回るのも面倒。だったら、最初から目の届くところにいた方がましよ」

 

「理由の全部に面倒が入ってる」

 

「大事な判断基準よ」

 

「でも、置いてくれるんだ」

 

「雑用するんでしょ?」

 

「する。超頑張る」

 

「じゃあ、しばらく住み込み。掃除、水汲み、留守番。あと、勝手にどこかへ行かないこと」

 

「はい」

 

「知らない声について行かないこと」

 

「はい」

 

「吸血鬼に血を差し出さないこと」

 

「……はい」

 

「今、間があったわね」

 

「いや、不可抗力でまた吸われそうだと思って……もうしない方向で前向きに……」

 

「実行」

 

「はい」

 

 霊夢の圧が強かった。

 

 ボクは深く頭を下げる。

 

「よろしくお願いします、霊夢」

 

「はいはい」

 

 霊夢は雑に返した。

 

 でも、その雑さが少し安心する。

 

 魔理沙がにやにやしながら言う。

 

「よかったな、ナナシ。今日から神社の雑用係だ」

 

「言い方に夢がない」

 

「巫女見習いよりは現実的だろ」

 

「巫女見習い……」

 

 少し想像する。

 

 赤白の服を着た自分。

 

 掃除をしている自分。

 

 賽銭箱の前で参拝客を待っている自分。

 

「……賽銭箱の前で営業努力する係ならできるかも」

 

「やめなさい」

 

 霊夢が即座に止めた。

 

「神社の品位が下がる」

 

「でも賽銭は増えるかも」

 

「……」

 

「霊夢、迷わないで」

 

 魔理沙が笑った。

 

 アリスも小さく笑っている。

 

 朝の博麗神社に、少しだけ穏やかな空気が戻った。

 

 昨日の夜が嘘みたいだった。

 

 けれど、首筋に残る違和感が、全部が現実だったと教えてくる。

 

 フランドールの赤い瞳。

 

 甘い、という声。

 

 ボクの血を欲しがった妖怪たち。

 

 まだ何も終わっていない。

 

 でも、今は。

 

 ここにいていいと言われた。

 

 それだけで、少しだけ息がしやすくなった。

 

「では、改めて」

 

 知らない声がした。

 

「新しい居候さんの誕生、ということかしら?」

 

 ボクは振り返った。

 

 そこに、美人なお姉さんがいた。

 

 金色の髪。

 上品な服。

 手には扇。

 

 いつからそこにいたのか分からない。

 

 さっきまで誰もいなかったはずの場所に、まるで最初から会話に混ざっていたみたいな顔で立っている。

 

「……えっと」

 

 ボクは瞬きをした。

 

「どちらさまですか?」

 

 霊夢がものすごく嫌そうな顔をした。

 

 魔理沙が「あー」と言った。

 

 アリスが警戒するように目を細める。

 

 美人なお姉さんは、楽しそうに微笑んだ。

 

「八雲紫。通りすがりの、ただの妖怪よ」

 

「ただの妖怪」

 

 ボクは霊夢を見る。

 

「霊夢」

 

「何」

 

「幻想郷の“ただの”って、信用していい言葉?」

 

「一番信用しちゃ駄目なやつよ」

 

「だよね」

 

 紫と名乗ったお姉さんは、扇で口元を隠してくすくす笑った。

 

「まあ、失礼ね」

 

「初対面で急に出てくる人に、信用の審査は厳しめにいきたいかなって」

 

「賢い子ね」

 

「褒められてる気がしない」

 

 紫の視線が、ゆっくりとボクに向けられる。

 

 優しいようで、底が見えない目だった。

 

 その目で見られた瞬間、ボクはなぜか背筋を伸ばした。

 

 怖い、というより。

 

 全部、見透かされそうな感じがした。

 

「あなたが、ナナシね」

 

「……うん」

 

「よく眠れた?」

 

「すごく」

 

「それは何より」

 

 紫は微笑む。

 

 けれど、その笑みの奥で、何かが静かに動いている気がした。

 

「では、少しお話しましょうか」

 

「お話?」

 

「ええ」

 

 紫は扇を閉じた。

 

 ぱちん、という小さな音が、朝の神社に響く。

 

「あなたを隠そうとしたものと、あなたの血に寄ってきたものについて」

 

 風が止まった気がした。

 

 さっきまでの軽い空気が、少しだけ変わる。

 

 霊夢が眉をひそめる。

 

 魔理沙が帽子のつばに触れる。

 

 アリスが糸を握りしめる。

 

 そしてボクは、胸元の麻袋をそっと押さえた。

 

 居場所ができたと思った朝。

 

 そのすぐ隣で、まだ知らない厄介ごとが、静かに口を開けていた。

 

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