東方拾得録   作:まほろばのーぶる

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第9話 名無しの歴史

 教室の中に入ると、子供たちの視線が一斉にこちらへ向いた。

 

 さっきまで外から聞こえていた声が、今は目の前にある。

 

 好奇心。

 

 少しの警戒。

 

 それから、知らない子が来た時特有の、遠慮のない観察。

 

 ボクは包みを足元に置き、できるだけきちんと背筋を伸ばした。

 

「では、ナナシ。まずは簡単なところから始めよう」

 

 黒板の前に立った慧音が、穏やかに言う。

 

「よろしくお願いします」

 

「これは読めるか?」

 

 慧音は紙に筆を走らせた。

 

 山。

 

 川。

 

 人。

 

 里。

 

 それから少し間を空けて、短い文を書く。

 

 人は米を食べ、水を飲む。

 

「読めます」

 

 ボクはそのまま読み上げた。

 

「山。川。人。里。……人は米を食べ、水を飲む」

 

「よし」

 

 慧音は頷いた。

 

 そこまでは、本当に簡単だった。

 

 問題は、その次だった。

 

「では、これはどうだ」

 

 慧音が出した紙には、細かな字で記録のような文章が書かれていた。

 

 ぱっと見ただけで、子供向けではないと分かる。

 

「……簡単なところから始めるって話じゃなかった?」

 

「……始めた。今から少し確かめる」

 

「落差が急」

 

「分からなければ、分からないでいい」

 

「……逃げ道を用意されると逆に怖いんだけど」

 

 霊夢が横から紙を覗いた。

 

「何よ、それ」

 

「昔の異変の記録を、名前を伏せて書き直したものだ。今回は、どこまで文脈を読めるかを見るために使う」

 

「……ああ、そういうこと」

 

 魔理沙も覗き込んで、すぐに眉を寄せた。

 

「うわ。知ってる話でも、こう書かれると面倒だな」

 

 ボクは紙に目を落とした。

 

 そこには、こんな内容が書かれていた。

 

 ある夏、幻想郷の空が紅い霧に覆われた。

 

 霧は日光を遮り、人里にも届いた。

 

 妖怪たちは動きやすくなり、人間たちは不安を覚えた。

 

 ただし、霧を広げた者の目的は、人間の里を直接襲うことではなかった。

 

 この異変を収めるには、何を調べるべきか。

 

 ボクは少し考えた。

 

「……霧を全部払うより、霧を出している中心を探すべきだと思う」

 

「……なぜ?」

 

「広がった霧は結果だから。外側から払っても、出している場所が残っていたらまた増える」

 

「中心は、どう探る?」

 

「日光を遮って得をする相手を探す……かな。人里を直接襲う目的ではないなら、霧そのものに別の理由があるはず。たとえば、日差しが苦手な者が昼間も動きたい、とか?」

 

 霊夢が少しだけ目を細めた。

 

 魔理沙は感心したように言う。

 

「……そこまで読めるのか?」

 

「読めるというか、そういう形に見える」

 

「形?」

 

「うん。被害の広がりと、目的が同じとは限らない。里まで霧が来てるからって、里が狙いとは限らないと思う」

 

 慧音は静かに頷き、次の紙を出した。

 

「では、次だ」

 

「……まだあるの?」

 

「今のは入口だ」

 

「入口から内容が濃いよ」

 

 今度の記録には、こうあった。

 

 春になっても雪が止まず、幻想郷に春が来なかった。

 

 各地から春の気配が失われ、その力は一か所へ集められていた。

 

 異変の原因は寒さそのものではなく、春を集める行為にあった。

 

 この異変を収めるには、何を見極めるべきか。

 

「寒さの原因じゃなくて、春の行き先」

 

 ボクは紙を見ながら言った。

 

「春が消えたんじゃなくて、集められてる。なら、どこに集まってるかを探すべきだと思う」

 

「なぜ集めたと思う?」

 

「ただ寒くしたいだけなら、春を集める必要はない。集めた春を使って、何かを起こそうとしてる。春っぽく言うなら、咲かせる、満たす、眠っているものを動かす……そういう目的があるはず」

 

 霊夢が小さく息を吐いた。

 

「……だいたい合ってるわね」

 

「だいたい?」

 

「細かい名前は知らないんでしょ」

 

「知らない。だから、仕組みだけ」

 

「仕組みだけでそこまで行くのが変だけれど」

 

「変って言われても困る」

 

 慧音は三枚目の紙を出した。

 

「では、これはどうだ」

 

「慧音、だんだん試験というより尋問みたいになってない?」

 

「……そんなことはないぞ」

 

「その言い淀み方でわかっちゃうよ?」

 

 慧音は少しだけ口元を緩め、最後の紙を出した。

 

「では、これで最後にしよう」

 

 紙には、花のことが書かれていた。

 

 季節外れの花が幻想郷の各地で咲き乱れた。

 

 花は美しく、しかし異常なほど多かった。

 

 原因は花そのものではなく、本来行くべき場所へ行けないものが、花に宿ったことにあった。

 

 この異変を収めるには、花を刈ればよいか。

 

「よくない」

 

 ボクは首を横に振った。

 

「花は結果で、原因じゃないから」

 

「では、原因は何だと思う?」

 

「“本来行くべき場所へ行けないもの”が何かを考える。花に宿れるなら、目に見える物じゃなくて、もっと形の薄い……というよりは形がないものだと思う」

 

「たとえば?」

 

「……魂とか、幽霊とか。そういうもの?」

 

 教室が静かになった。

 

「花を刈っても、宿っているものの行き場が戻らないなら、たぶん別の形で残る。だから、花じゃなくて流れを直す必要がある」

 

 慧音は、しばらく黙っていた。

 

 霊夢も魔理沙も、何も言わなかった。

 

 子供たちは、内容が難しすぎたのか、ぽかんとしている。

 

「ナナシ」

 

「はい」

 

「今の記録に、心当たりがあるのか?」

 

「ないよ?」

 

 ボクは正直に答えた。

 

「赤い霧も、春が集まる話も、花の話も、何も知らない」

 

「……では、なぜ答えられた?」

 

「え? 文に書いてあることを並べただけだよ?」

 

「並べただけで、そこまで読める者は多くない」

 

「……そうなの?」

 

 慧音は頷いた。

 

「少なくとも、これは寺子屋を学び舎として勧誘するための確認ではない」

 

「……だよね。途中から明らかに難しかったもん」

 

 魔理沙が笑った。

 

「霊夢、お前よりあいつの方が説明うまいかもしれないぜ」

 

「……うるさいわね。私は解決する側なの」

 

「解説役ではないと」

 

「そうよ」

 

「開き直ったな」

 

 霊夢は軽く魔理沙を睨んだ。

 

 慧音は黒板に、いくつかの名を書いた。

 

 博麗神社。

 

 人間の里。

 

 妖怪の山。

 

 迷いの竹林。

 

 魔法の森。

 

「では、これは分かるか?」

 

「読めはするね」

 

「意味は?」

 

「博麗神社は、今住ませてもらってるところ。人間の里はここ。魔法の森は、昨日ひどい目にあったところ」

 

「妖怪の山は?」

 

「分からない。名前からして、今のボクは近づかない方がよさそう」

 

 子供たちがくすりと笑う。

 

「迷いの竹林は?」

 

「分からない。でも入ったら迷いそう」

 

「そのままだな」

 

「名前が親切だよね」

 

 慧音は少しだけ声を落とした。

 

「では、先ほど紙に記録されていた異変が、いつ、誰によって、どのように解決されたかは?」

 

「分からない」

 

「赤い霧の中心がどこだったかは?」

 

「分からない」

 

「春を集めた者の名は?」

 

「分からない」

 

「花に宿ったものの正体は?」

 

「……推測はできるけど、知ってはいない」

 

 ボクはもう一度記録された紙を見る。

 

 文字は読める。

 

 記録の筋道も追える。

 

 でも、それがこの土地で本当に起きたことだという実感はない。

 

「話としては読める。でも、歴史としては知らない」

 

 自分で言って、少し変な気分になった。

 

「答えは出る。理由も分かる。でも、どこでそういう考え方を覚えたのか分からない」

 

 ボクは自分の頭を軽く指で叩いた。

 

「棚に本だけ残ってて、誰が並べたのか分からないみたい」

 

 教室が静かになった。

 

 慧音は何も言わず、ボクを見ていた。

 

 怖くはない。

 

 でも、見逃さない目だった。

 

「そうか」

 

 やがて慧音は筆を置いた。

 

「記録は読める。物事の筋道も立てられる。知らない出来事でも、文面から要点を抜き出せる」

 

「おかげで、自分の機能がいくつか確認できたよ」

 

「機能、という言い方は少し気になるが」

 

「他の言い方が、まだ見つからなくて」

 

 慧音は苦笑した。

 

 けれど、すぐに表情を引き締める。

 

「ただ、君自身の歴史が見えない」

 

「ボク自身の?」

 

「ああ。幻想郷のことを知らないのは、外から来たなら当然だ。だが、外の土地の名も、昔話も、歌も、誰かに教わった覚えもない」

 

「……うん」

 

「知識はある。だが、過去と結びついていない」

 

 その言葉は、妙に胸の奥に沈んだ。

 

 過去と結びついていない。

 

 それは、まさにボクのことだった。

 

 慧音は、少しだけ声を柔らかくした。

 

「今日はここまでにしよう。十分だ」

 

「うん。ありがとうございました」

 

 

 

 

 

 

 ボクが頭を下げると、途端に子供たちがわっと寄ってきた。

 

「ナナシ、すごい!」

 

「どうしてそんなに分かるの?」

 

「外から来たの?」

 

「ナナシって本当に名前なの?」

 

「髪の毛真っ白できれいだね!」

 

 一度に聞かれて、ボクは少しだけ後ろへ下がる。

 

「じゅ、順番にお願い。ボクの処理能力にも限界があるから」

 

「しょりのうりょく?」

 

「一度にたくさん来ると、頭の中ですってんと転ぶという意味だよ」

 

「……頭って転ぶの?」

 

「たまに転ぶ」

 

 子供たちが笑った。

 

 ひとりの男の子が、じっとボクを見る。

 

「ナナシって変な名前だな」

 

「そうだね。かなり直球の仮名だね」

 

「嫌じゃないの?」

 

「嫌ではないよ。呼びやすいでしょ?」

 

「うん。覚えやすい」

 

「そこが売りなのです」

 

「売りなの?」

 

「……たぶん」

 

 また笑い声が上がる。

 

 最初の距離は、そこで少し縮まった。

 

「ねえ、遊ぼ?」

 

 女の子が聞いてきた。

 

「遊ぶの? ……うん、いいよ」

 

 霊夢と慧音に視線を向けて確認すると、2人とも頷いてくれた。

 

「何して遊ぶの?」

 

「人数がいるなら、しりとりもできるし、なぞなぞもできるし、石を使う遊びもできるね」

 

「石?」

 

「そう。石をいくつか置いて、順番に取っていく遊び。最後の石を取った方が負け、とか」

 

「何それ!」

 

「やる!」

 

 子供たちはすぐに食いついた。

 

 慧音が少しだけ困ったように眉を上げる。

 

「こら、まだ寺子屋の中だぞ」

 

 けれど、そう言った後、慧音はすぐに柔らかく笑った。

 

「まあ、少しならいいだろう。庭で遊びなさい」

 

「はい!」

 

 子供たちが一斉に返事をした。

 

 気がつけば、ボクは寺子屋の庭で子供たちに囲まれていた。

 

 地面に線を引く。

 

 小石を並べる。

 

 簡単なルールを説明する。

 

「いい? この遊びは、強い人が勝つんじゃなくて、よく考えた人が勝つ遊びだよ」

 

「じゃあナナシが勝つじゃん」

 

「大丈夫。ボクは今から少し弱くなるからね」

 

「弱くなれるの?」

 

「ふっふっふ! 手加減という便利な技術があるのだ」

 

「すごい!」

 

「手加減は便利技能だからね。君たちも将来、身につけることができるさ」

 

 そう言って分かりやすく得意げな顔を作って、ゲームの盤面を準備する。

 

 子供たちが笑いながら小石を取っていく。

 

 途中で間違える子がいると、ボクは答えを言わずに聞いた。

 

「今、残りはいくつかな?」

 

「えーっと、5」

 

「次に2つ取ったら?」

 

「3」

 

「その次、相手は何個取れる?」

 

「……あ」

 

「気づいた?」

 

「気づいた!」

 

 ぱっと顔が明るくなる。

 

 それを見ると、胸の奥が少し弾んだ。

 

 できた、と誰かが笑う瞬間は、見ていて楽しい。

 

 その後は、しりとりをしたり、なぞなぞを出したり、地面に丸を描いて陣取りのような遊びも教えたりした。

 

 勝った子は飛び跳ね、負けた子は悔しがり、次は勝つと騒いだ。

 

 慧音は少し離れたところで、その様子を見ていた。

 

 腕を組みながらも、目元は優しい。

 

 霊夢は縁側の端に腰かけて、お茶を飲んでいる。

 

 魔理沙は子供たちに混ざって、本気で石取り遊びに参加していた。

 

「よし、私の勝ちだな!」

 

「魔理沙、大人げない」

 

「勝負は勝負だぜ」

 

「子供相手に全力を出す大人は、後で反省文を書くべきだよ」

 

「なんでだよ」

 

 アリスはその横で人形を動かし、子供たちに小さな劇を見せている。

 

 子供たちはそれにも歓声を上げた。

 

 寺子屋の庭は、しばらくとても賑やかだった。

 

 けれど、楽しい時間はいつの間にか進む。

 

 陽が傾き始めた頃、霊夢が立ち上がった。

 

「そろそろ戻るわよ」

 

「え、もう?」

 

 ボクが言うより先に、子供たちが声を上げた。

 

「ナナシ、帰っちゃうの?」

 

「また来る?」

 

「次はさっきの石のやつ、続きやろうよ!」

 

「なぞなぞも!」

 

 袖を引かれ、手を掴まれ、ボクは少し困って笑った。

 

「ええと、ボクにもいろいろと労働の予定があってね」

 

「ろうどう?」

 

「神社で働くの」

 

「ナナシ、働くの?」

 

「住み込み雑用係見習いだからね。肩書きは長いけど、やることは多分雑用」

 

「雑用係なんだから雑用でしょ」

 

 子供たちがまた笑う。

 

 その時、慧音が近づいてきた。

 

「ナナシ」

 

「はい」

 

「今度は、教える側として手伝ってほしい」

 

「ボクが?」

 

「ああ。君は説明がうまい。子供たちがどこで分からなくなっているか、よく見ている。何より、答えを先に渡さない」

 

「……そうなの?」

 

「そうだ。子供たちが、自分で気づくように待てる。だから君がいい」

 

 慧音の声は、まっすぐだった。

 

「もちろん、毎日でなくていい。神社の仕事もあるだろう。空いた時で構わない」

 

「でも、ボクでいいの?」

 

「君がいい」

 

 そう言われて、少しだけ言葉に詰まった。

 

 君がいい。

 

 その言葉は、思っていたより胸に残った。

 

「それに、もちろん手伝ってくれた分の報酬も渡す」

 

「……報酬」

 

 思わず復唱してしまった。

 

 魔理沙がにやりと笑った。

 

「お、目の色が変わったな」

 

「慧音先生!」

 

「慧音でいいぞ」

 

 ボクは背筋を伸ばした。

 

「慧音! 次回の勤務日はいつになりそうですか?」

 

「急にやる気だな」

 

「労働には対価がある。ボクは社会の仕組みを尊重するよ」

 

「現金なやつめ」

 

 魔理沙が笑う。

 

「あんたが言うな」

 

 霊夢が即座に言った。

 

「霊夢、今のは私への偏見だぜ」

 

「事実よ」

 

「否定が早いな」

 

 慧音は小さく笑った。

 

「では、詳しいことはまた相談しよう。無理のない範囲で頼む」

 

「うん。改めてよろしくお願いします」

 

 ボクが頭を下げると、子供たちがまた声を上げた。

 

「ナナシ先生?」

 

「先生なの?」

 

「先生見習い?」

 

「雑用係見習い兼、先生見習い?」

 

「肩書きがどんどん増えていく……」

 

 ボクが呟くと、魔理沙が笑った。

 

「いいじゃないか。賑やかで」

 

「名刺が必要になったらどうしよう」

 

「名刺?」

 

「肩書きを書く小さい紙だよ」

 

「それならお前のは紙が足りなくなりそうだな」

 

 魔理沙の言葉に子供たちが、また笑った。

 

 寺子屋の庭に、夕方の風が通っていく。

 

 こうしてボクは、住み込み雑用係見習いに加えて、先生見習いという肩書きまで手に入れた。

 

 

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