動けよガンダム!
叫んだところで、機械が根性で動いてくれるわけではない。
そんなことは分かっている。父さんにも何度も言われた。機械は気合いで動かない。入力があり、処理があり、出力がある。原因があって、結果がある。根性論で機械を扱うな。
でも、今だけは言わせてほしかった。
頼む。
動いてくれ。
操縦桿を少し前へ押す。
ほんの少し。
それだけのつもりだった。
なのに、コックピット全体が低く唸り、足元から嫌な振動が返ってきた。表示が一瞬遅れて変わる。右脚部応答遅延。姿勢制御補正中。腰部負荷上昇。赤と黄色が、まるで嫌がらせみたいに増えていく。
「重い……」
思わず声が出た。
いや、重いなんてもんじゃない。小型移動ユニットの一拍遅れとか、工作室で見ていた前のめりの沈みとか、ああいう可愛い話ではなかった。これは、巨大な体のどこかがこちらの命令を聞いていない感じだ。
入力は通っている。
でも遅れる。
遅れた上で、変なところへ力が逃げる。
父さんが言っていた。音、熱、振動、反応の遅れ。小さな違和感を放っておくと、大きな事故になる。
父さん。
これ、小さな違和感じゃない。
全部まとめて大事故予備軍だ。
俺は奥歯を噛み、操縦桿を戻した。強く押しすぎると倒れる。直感で分かった。というより、表示が全力で叫んでいる。姿勢制御が追いついていない。右脚が遅れ、左腕は出力制限。腰で逃がそうにも、腰の反応も遅い。
これ、MSじゃなくて壊れた大型重機だろ。
いや、重機に失礼かもしれない。整備の終わってない巨大兵器だ。動くか怪しいものを、十二歳の子どもがコックピットから無理やり起こそうとしている。
何それ怖い。
怖いが、止められない。
外でまた衝撃が響いた。整備区画の照明が揺れ、コックピット内の表示が一瞬乱れる。遠くから、金属が引き裂かれるような音。誰かの怒鳴り声。通信は拾えたり途切れたりを繰り返している。
『第三区画、応答しろ』
『搬送ラインが――』
『民間人を下げろ、そこは危険だ』
『新型の固定を――』
断片だけが耳に刺さる。
父さんと母さんの声はない。
俺は通信をもう一度投げかけようとして、やめた。今つながらないものを何度叩いても、状況は変わらない。分かっている。分かっているが、指が勝手に動きそうになる。
駄目だ。
今は泣くな。
今は探すな。
今はこいつを動かす。
俺はシートのベルトを引き直した。体が小さいせいで、固定位置が合っていない。座席が広すぎる。足も腕も、大人用の位置に少し届かない。補助調整を探し、手探りで位置を変える。完全には合わない。だが、ずれるよりはマシだ。
子どもの体、こういう時に本当に不利だな。
いや、今さら成長期を待っている暇はない。
再入力。
今度は足だけで動かそうとしない。腰を先に少し入れる。遅れる右脚を待つのではなく、遅れる前提で左側へ重心を逃がす。小型ユニットの時、アムロがログを見て、俺が沈みを見た。あれと同じだ。いや、同じと言うにはサイズが馬鹿みたいに違うが、考え方は同じ。
沈む前に、逃がす。
揺れる前に、支える。
止まる前に、見る。
「立て。いや、せめて倒れるな」
RX-78-1の膝が動いた。
遅い。
遅すぎる。
でも動いた。
機体が作業用固定具の中で、ぎしりと音を立てる。仮止めのカバーが外れ、被せものの一部がずり落ちた。視界の端で黒と赤の装甲が覗く。プロトタイプの1号機。ただ、今ここにある唯一の可能性。
『誰だ、1号機を動かしているのか!』
『パイロットは入っていないはずだぞ!』
『子どもが――おい、待て!』
外部音声が拾った声に、俺は返事をする余裕がなかった。
事情説明は後。
というか、説明できる気がしない。こんにちは、前世知識でここに来た十二歳です。1号機を守らないとたぶん全員詰みます。信じてください。
無理だ。
普通に無理。
俺は固定具解除の表示を見た。全部外すと倒れる可能性がある。残しすぎると動けない。作業用の右側固定を残し、左側だけを先に緩める。機体が傾く。すぐに腰を逆へ入れる。遅い。足が追いつかない。視界がぐらりと傾いた。
倒れる。
そう思った瞬間、俺は機体の左腕を壁側へ出そうとした。
出ない。
左腕部出力制限。
「今それ言うな!」
叫んでも変わらない。
腕が遅れる。なら、腕で支えるのを諦める。肩と背中。作業用の固定フレームへ背中を預ける。機体全体を一度受け止める。金属が軋む音。背中側の装甲に嫌な振動。だが、倒れない。
倒れなかった。
それだけで、心臓が跳ねた。
俺が少しでも入力を間違えたら、この1号機は整備区画の中で転ぶ。転んだら終わりだ。自分だけじゃない。周囲の作業員も、通路も、機体そのものも潰れる。戦う前に事故で失う。そんな最悪の冗談みたいなことが、普通に起きる。
コックピット内に、新しい警告が走った。
武装確認。
頭部バルカン、残弾表示あり。
他は空白。
ビームライフルなし。シールドなし。サーベルも確認できない。いや、使えるかどうか以前に、装備欄がほぼない。
「近接も射撃もないのにどうしろと……」
声が漏れた。
冗談みたいな状況だが、笑えない。頭部バルカンだけでザクを正面からどうにかするのは無理だ。バルカンは牽制かセンサー潰し、よくて装甲の薄い場所への嫌がらせ。主武装ではない。少なくとも、俺の中のガンダム知識ではそうだ。
戦えるかどうかじゃない。
壊させない。
今日の勝利条件はそれだ。
俺は機体を、整備区画の奥から少しずつずらした。通路の正面に立たせない。爆風や流れ弾が入りそうな線から外す。足が遅れる。腰で逃がす。肩で受ける。背中の固定具を使う。まともな操縦じゃない。巨大な不良品を、壁と床と残った固定具でだましだまし動かしているだけだ。
でも、一歩動いた。
次の一歩で、また崩れかけた。
右脚が遅れる。左脚に負荷。姿勢制御が一拍遅れで補正。コックピットが揺れ、体がベルトに叩きつけられる。痛い。だが、今は痛いだけで済んでいる。
「何やってるんだ!」
誰かの声が外部から聞こえた。知っている大人ではない。整備員か、軍人か。声が完全に怒っている。そりゃ怒る。普通は怒る。子どもが新型機を勝手に起動している。事故案件どころではない。
「すみません。説明は後でします」
外部スピーカーにつながったのか、自分の声が区画に響いた。
思ったより子どもの声だった。
この状況で、自分の声が子どもだと突きつけられるのはきつい。
「今ここにいると危ないです。通路側から離れてください。あと、この機体、倒れたら本当にまずい。近づかないで」
『倒れたらって、お前な――』
怒鳴り声の途中で、整備区画の外が光った。
爆風が遅れて来る。壁を叩く衝撃。瓦礫が通路側へ飛び込んだ。RX-78-1のセンサーが乱れ、視界の端に緑の巨大な影が映る。
遠い。
でも近い。
モノアイの光が、一瞬だけ見えた。
ザク。
画面の向こうで何度も見たはずの機体。
今は、ただの死の塊だった。
正面からは無理。
この1号機で、今あれと殴り合うのは無理だ。ビームサーベルもない。ライフルもない。シールドもない。足は遅れる。腕は制限。姿勢制御は信用できない。バルカンだけで撃破なんて、できるわけがない。
なら、正面に立つな。
視界を切れ。
狙われる線から外せ。
機体を守れ。
俺は頭部バルカンを選択した。
照準補正が遅い。いや、照準以前に首の反応が鈍い。俺はザク本体ではなく、通路の手前に転がる瓦礫と煙の濃い場所を狙った。直撃させる必要はない。撃破しない。視界を荒らす。音を作る。注意をずらす。
「撃つぞ」
誰に言ったのか分からない。
俺はトリガーを引いた。
頭部から短い連射音が響く。コックピット内に振動が走る。バルカンの弾が瓦礫を叩き、粉塵と破片が通路へ広がった。ザクの装甲には届かない。届いたところで大したことはない。
でも、視界は乱れた。
緑の影が一瞬止まる。
その間に、俺は1号機をさらに壁側へずらした。右脚が遅れる。左脚で受ける。腰を逃がす。肩を壁に擦る。警告が増える。構うな。壊すな。倒すな。
壊させない。
それだけだ。
通路の反対側で、避難していた作業員が走り抜けるのが見えた。ひとり、転びかけた子どもを抱え上げている大人もいた。全部は救えない。だが、今の牽制で、数秒は稼げたかもしれない。
数秒。
たった数秒。
でも、今はそれが命になる。
通信がまた乱れた。
『別区画で新型反応――』
『白い機体が――』
『待て、民間人が――』
『動いたぞ、もう一機――』
断片だけだった。
それでも、胸の奥で何かが動いた。
白い機体。
あっちは、アムロか。
見えない。
確かめに行く余裕もない。
でも、たぶん届いた。
アムロはアムロで、そこへ行った。
なら、俺がやることは変わらない。
白い方はアムロ。
俺はこいつを壊させない。
RX-78-1の足元がまた沈む。機体がわずかに前へ傾く。俺は反射で入力を入れ、遅れてくる右脚を待たずに腰で受けた。表示が赤くなる。警告音がうるさい。うるさいが、まだ動く。
動ける。
でも、戦えるとは言ってない。
俺は粉塵の向こうに揺れるモノアイの光を見ながら、操縦桿を握り直した。
アムロ、そっちは頼む。
俺は、この壊れかけの1号機を前へ出す。