黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第12話 穴が開く

 前へ出す。

 

 そう決めた。

 

 決めたのだが、決めただけで前へ出られるなら、さっきからこんなに警告音は鳴っていない。

 

 RX-78-1は、俺の入力に一拍遅れて反応した。いや、一拍というには遅すぎる。こっちが「右」と言ってから、機体が「今の右ですか?」と聞き返してくる感じだ。戦場で確認の返事を待っている暇はない。普通に困る。というか、死ぬ。

 

「右脚、遅い。左腕、使えない。姿勢制御、信用できない。武装、頭だけ」

 

 口に出して確認する。

 

 笑えるくらい悪条件だ。

 

 笑えないけど。

 

 粉塵の向こうで、緑の巨体が動いた。モノアイの光がこちらを向いたように見える。完全に狙われているかは分からない。けれど、この黒と赤の1号機が動いたことで、少なくとも注意は引いた。

 

 それだけでもまずい。

 

 だが、それだけでも意味はある。

 

 ザクの正面に立つな。

 

 通路の線から外れろ。

 

 整備区画の奥に戻るな。

 

 壊させるな。

 

 俺は機体を左へずらした。足で歩くというより、壁と床と残った固定具を使って、体を滑らせる感覚だ。まともなパイロットが見たら怒ると思う。いや、パイロット以前に整備員が泣くかもしれない。だが、今は正しい操縦より倒れない操縦が大事だった。

 

 右脚が遅れる。

 

 機体が沈む。

 

 腰を逃がす。

 

 警告。

 

 肩が壁を擦る。

 

 また警告。

 

「うるさい。分かってる」

 

 警告に言い返しても仕方ない。

 

 でも言わないと、こっちの気が持たない。

 

 外部カメラの端で、避難している作業員が見えた。さっきのバルカンで巻き上げた粉塵が、まだ通路側を濁らせている。その隙に数人が走っている。走るな、と母さんに言われていた。でも今は走れ。今だけは走っていい。というか走れ。

 

「通路側、開けます。こっちへ来ないでください」

 

 外部スピーカーに声を乗せる。

 

 子どもの声が、巨大な機体から響いた。

 

 自分でも変な感じだった。

 

『あの機体、誰が――』

『下がれ、巻き込まれるぞ!』

『民間人を先に出せ!』

 

 返事は混乱していたが、人は動いた。

 

 それでいい。

 

 説明は後。

 

 後があるなら、の話だけど。

 

 ザクが一歩踏み出した。瓦礫が砕ける音がする。巨体の動きだけで、通路の空気が押されるようだった。俺は頭部バルカンをもう一度選ぶ。狙うのはザク本体じゃない。装甲に傷をつけようなんて考えるな。そんな欲を出したら、こっちが詰む。

 

 狙うのは足元。

 

 瓦礫。

 

 煙。

 

 センサーの前。

 

「もう一回、嫌がらせ」

 

 トリガーを引く。

 

 短い連射。コックピットに細かい振動。バルカン弾が通路の床と壁を叩き、粉塵がさらに濃くなる。ザクのモノアイが揺れた。こちらへ踏み込むのを一瞬ためらったように見える。

 

 効いている。

 

 倒せてはいない。

 

 でも、止められてはいる。

 

 数秒だけ。

 

 たった数秒だけ。

 

 俺はその数秒で、1号機をさらに壁側へ押し込んだ。右脚が遅い。左腕が使えない。なら、背中と肩と腰で逃がす。父さんの教材でやった負荷分散の最悪版だ。いや、父さんも、まさか息子がガンダムで壁を使って立つとは思っていないだろう。

 

 父さん。

 

 通信を投げる。

 

 反応なし。

 

 母さん。

 

 接続失敗。

 

 胸の奥が削れる。

 

 行きたい。

 

 搬送区画へ。搬入管制へ。二人がいるかもしれない場所へ。

 

 でも、今そこへ向かったら、この1号機はザクの前に背中を晒す。通路もふさぐ。人の逃げ道も潰す。俺も死ぬ。誰も助からない。

 

 分かっている。

 

 分かっているから、きつい。

 

 通信がまた乱れた。

 

『白い機体、ザクに接触――』

『民間人だぞ、誰が乗っている!』

『止めろ、そこは――』

『駄目です、制御が――』

 

 白い機体。

 

 アムロ。

 

 直接は見えない。粉塵と隔壁と通路の向こうだ。だが、音が変わった。さっきまでの破壊音とは違う。巨大なもの同士がぶつかる重い音。金属がねじれる音。何かが床を滑る音。

 

 RX-78-2が動いている。

 

 アムロが、動かしている。

 

 さすがだ、なんて簡単には言えない。

 

 あいつも今、訳が分からないまま必死のはずだ。フラウのことも、避難している人のことも、たぶん全部頭にある。その上で、あの白い機体に乗っている。

 

 アムロ、そっちは頼む。

 

 俺はもう一度、1号機の姿勢を戻した。

 

 その時、ザクの影が粉塵を裂いて動いた。

 

 こちらへ来る。

 

 まずい。

 

 正面から来るな。

 

 来るなと言って来ない敵なら苦労しない。

 

 俺は機体を下げようとして、反応の遅さに舌打ちしかけた。下がる動作が遅い。なら横へ逃がす。いや、横も遅い。だったら、粉塵の濃い側へ頭だけ向ける。バルカンでさらに視界を荒らす。

 

 ザクのモノアイではなく、その少し手前。

 

 床。

 

 割れた外装材。

 

 配管の破片。

 

 撃つ。

 

 粉塵が弾ける。

 

 ザクの足が一瞬止まる。

 

 その向こうで、白い影が動いた。

 

 見えたのは一瞬だけだった。白い装甲。赤と青の差し色。巨大な腕。ザクにしがみつくような、押し返すような動き。

 

 原作の場面。

 

 画面の向こうで何度も見たはずの、始まり。

 

 でも今は、名場面じゃない。

 

 災害だ。

 

 人が逃げている。壁が壊れている。父さんと母さんに連絡がつかない。工作室の先生やフラウがどうなったかも分からない。俺は壊れかけの1号機で、倒れないようにするだけで精一杯だ。

 

 白い機体が、ザクを押し込んだ。

 

 通信が割れる。

 

『危ない、そこは――』

『誘爆する!』

『下がれ!』

『白い新型が――』

 

 次の瞬間、光が走った。

 

 音より先に、白い閃光が視界を焼いた。

 

 衝撃。

 

 RX-78-1が横から殴られたように揺れる。警告表示が一気に増えた。姿勢制御。右脚部。腰部負荷。外部センサー乱れ。俺の体はベルトに叩きつけられ、息が詰まった。

 

「ぐっ……!」

 

 倒れる。

 

 今度こそ倒れる。

 

 俺は反射で操縦桿を引いた。右脚を待つな。腰で受ける。肩を壁へ逃がす。左腕は諦める。背中の装甲で衝撃を受ける。金属の悲鳴がした。コックピットの中まで嫌な音が響く。

 

 でも、倒れなかった。

 

 倒れなかっただけだ。

 

 外の空気が変わった。

 

 最初は音だった。警報音の種類が切り替わる。低く押し込むような非常警報に、さらに鋭い音が重なった。次に、耳がおかしくなるような圧が来る。体の内側から引かれるような、変な感覚。

 

 壁面表示が切り替わる。

 

 気圧異常。

 

 隔壁閉鎖。

 

 区画退避。

 

 進入禁止。

 

 赤い文字が、次々に増える。

 

 作業員の顔色が変わった。軍人の怒鳴り声の質も変わる。さっきまでの「攻撃された」という混乱ではない。もっと根本的な、ここにいること自体が危ないという声だ。

 

 俺は、暗い画面の中で、赤い文字を見た。

 

 これが、穴か。

 

 知っていた。

 

 知っていたのに、止められなかった。

 

 アムロがザクを倒す。ザクが爆発する。コロニーに穴が開く。ホワイトベースへ避難する。前世では流れとして覚えていた。アニメの始まりとして、事件として、設定として。

 

 今は違う。

 

 空気が抜ける。

 

 人が叫ぶ。

 

 隔壁が閉まる。

 

 ここはもう、壊れていく場所だ。

 

「アムロ、やったのか……」

 

 やった。

 

 でも、やってしまった。

 

 責める言葉ではない。アムロがやらなければ、もっと死んでいたかもしれない。あの白い機体が動かなければ、ザクはさらに奥へ進んでいたかもしれない。

 

 それでも、穴は開いた。

 

 知っていた通りに。

 

 俺がここにいても、止められなかった。

 

 父さん。

 

 母さん。

 

 通信を送る。

 

 接続できない。

 

 もう一度。

 

 接続できない。

 

 表示は冷たい。

 

 ただそれだけを返してくる。

 

 胸の奥が、今度は削れるどころでは済まなかった。何かがごっそり抜ける感じがした。だけど、泣く時間はない。探しに行く時間もない。隔壁が閉まる。避難経路が変わる。ここにいたら、1号機ごと閉じ込められる。

 

 今できること。

 

 今、できることだけを見ろ。

 

 RX-78-1を壊さない。

 

 動ける範囲で、退避導線へ向かう。

 

 アムロのガンダムには触れない。

 

 ホワイトベース方面へつながる道を探す。

 

 父さんと母さんは――

 

 そこだけ、考えが止まった。

 

 止めるな。

 

 今止まったら、全部終わる。

 

 俺は操縦桿を握り直した。

 

 1号機の表示は相変わらず赤と黄色だらけだった。駆動系も姿勢制御も、まともに信用できない。だが、まだ動く。動くなら、動かす。

 

『整備区画、退避! 隔壁が閉まるぞ!』

『新型を放棄しろ、今は人命優先だ!』

『待て、あれが動かないと通路が塞がる!』

 

 誰かが叫んでいる。

 

 放棄。

 

 そうした方が合理的なのかもしれない。

 

 でも、俺にはできない。

 

 この1号機は、もうただの機体じゃない。俺がここまで来て、無理やり起こして、倒れないように支えた機体だ。これをここで失ったら、この先の俺にできることが大きく減る。

 

 それに、通路を塞いでいるのも事実だ。

 

 動かすしかない。

 

「どいてください。通路を開けます」

 

 外部スピーカーに声を乗せる。

 

 やっぱり子どもの声だった。

 

 でも、今はそれでいい。

 

「この機体、まだ動きます。まともには動きません。でも、どかすくらいならやります」

 

『お前、何者だ!』

 

「説明は後で!」

 

 何回これを言えばいいんだ。

 

 でも本当に後だ。

 

 後があるなら。

 

 俺は1号機の右脚を少しだけ前に出した。遅い。沈む。腰で受ける。壁を使う。肩で逃がす。バルカンはもう撃たない。今は弾を残す。次に何があるか分からない。

 

 通路の奥で、また白い閃光が揺れた。

 

 遠い。

 

 でも、そこに白い機体がいる。

 

 アムロがいる。

 

 なら、俺は俺の道を開ける。

 

 サイド7の警報が鳴り続けている。

 

 学校も、工作室も、朝食の食卓も、さっきまで普通だった通路も、全部同じ場所にあるはずなのに、もう同じ場所ではなかった。

 

 ここはもう、日常の場所じゃない。

 

 逃げる場所を考えなければならない。

 

 父さんと母さんに連絡がつかないまま、俺は壊れかけの1号機を、閉じかける隔壁の方へ向けた。

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