黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第13話 白と黒が並ぶ

 閉じかける隔壁の方へ、1号機を向けた。

 

 向けた、という言い方は少し格好よすぎるかもしれない。実際には、まともに向いてくれない機体を、俺がシートの中で半分祈りながらねじっているだけだった。

 

 右脚が遅い。

 

 左腕は使えない。

 

 姿勢制御は信用できない。

 

 武装は頭だけ。

 

 そして今、サイド7の空気が抜けている。

 

 普通に考えれば、十二歳の子どもが壊れかけの新型モビルスーツに乗ってどうにかできる状況ではない。いや、普通に考えなくても無理だ。前世の俺が画面越しに見ていた時は、コロニーに穴が開いた場面を「うわ、やばいな」くらいで見ていた。今はその「やばいな」の中にいる。

 

 全然、感想の温度が違う。

 

『気圧異常。第三区画、隔壁閉鎖進行中』

『退避してください。指定避難経路へ移動してください』

『搬送ライン一部停止。作業員は指示に従って退避――』

 

 警告が重なって聞こえる。コックピット内の音声も、外から流れ込んでくる放送も、どれがどれだか分からなくなりそうだった。表示は赤と黄色で埋まっている。さっきまでの戦闘警告とは違う。これは、施設が死なないために人間を押し出そうとしている警告だ。

 

 俺は操縦桿を握り直した。

 

「戦うな。倒すな。塞ぐな」

 

 声に出した。

 

 言わないと、頭が余計な方向へ走りそうだった。

 

 ザクをどうこうする段階ではない。白い方はアムロだ。あいつが今どこで何をしているのか、全部は分からない。それでも、さっきの白い機体の動きと通信断片だけで十分だった。アムロは乗った。RX-78-2は動いた。俺は2号機に触っていない。

 

 なら、俺の仕事はこいつだ。

 

 RX-78-1。

 

 壊れかけの黒と赤の1号機を、ここで置いていかない。

 

 足を出す。

 

 右脚が遅れる。

 

 予想していた。していたが、予想していても怖いものは怖い。巨人の片足が遅れるというのは、人間の足がもつれるのとは訳が違う。機体全体が、ほんの少し傾く。その少しが、コックピットの中では崖に足をかけたみたいに感じる。

 

 俺は腰を先に逃がした。

 

 父さんが昔言っていた。動かす前に、荷重がどこへ行くかを見ろ。止める前に、逃げ道を作れ。機械は気合いで立たない。

 

 その言葉だけが、やけに鮮明だった。

 

 前へ行くのではなく、横へずらす。歩くのではなく、残った床のラインに機体を乗せる。壁際の補強フレームに肩をかすらせ、背部を一瞬だけ預ける。左腕は使わない。使えないものを使おうとすると、今度こそ姿勢が死ぬ。

 

 コックピットが揺れた。

 

「っ、くそ」

 

 悪態が漏れる。

 

 子どもらしくないとか、そういうことを気にしている余裕はなかった。今さらだ。新型モビルスーツに乗っている時点で、普通の子どもムーブはだいぶ遠くへ行っている。

 

 視界の端で、人が走っていた。

 

 作業員。避難民。負傷者を支える誰か。誰かに抱えられた子ども。非常灯の赤に照らされて、みんなの顔が同じ色に見える。

 

 俺が倒れたら、そこを塞ぐ。

 

 このサイズの機械が通路を塞げば、それだけで人が死ぬ。

 

「動け。いや、動きすぎるな。そこまででいい」

 

 自分で言っていて意味が分からない。

 

 だが、今の1号機にはそれくらいがちょうどよかった。大きく動かすと転ぶ。止めすぎると隔壁に閉じ込められる。歩かせるのではなく、逃がす。まさにそれだった。

 

 俺は通信を開いた。

 

「父さん、母さん、聞こえますか。レンです。応答してください」

 

 返答なし。

 

 分かっていた。

 

 でも送った。

 

「父さん、母さん。搬送区画、応答してください。レンです」

 

 ノイズ。

 

 その奥で、別の通信がかすかに混ざった。

 

『搬入管制、応答なし――』

『搬送ラインB、圧力低下――』

『確認班は入るな、閉鎖されるぞ!』

 

 胸の奥が、嫌な形で縮んだ。

 

 俺は表示を呼び出した。呼び出さなければよかったと、すぐに思った。

 

 搬送区画方面。

 

 赤。

 

 搬入管制方面。

 

 赤と黒。

 

 細かい状態は表示されない。権限が足りないのか、回線が死んでいるのか、それとも表示する意味がないほど壊れているのか。どれか分からない。分からないことが、一番きつい。

 

 死亡ではない。

 

 でも、無事とも言えない。

 

 軍の端末は、そういう一番嫌な場所に父さんと母さんを置いた。

 

「……もう一回」

 

 俺は通信を送った。

 

 つながらない。

 

 もう一度送った。

 

 つながらない。

 

 分かっていた。

 

 分かっていても、画面に出る接続失敗の文字は毎回別の刃物みたいだった。

 

 行けない。

 

 搬送区画へは行けない。今この1号機でそっちへ向かえば、たぶん途中で倒れる。倒れたら避難路を塞ぐ。仮に行けたとしても、俺に何ができる。十二歳の体で、壊れかけのMSで、穴の開いたコロニーで、父さんと母さんを探す?

 

 無理だ。

 

 普通に無理だ。

 

 それを理解できる自分が、少し嫌だった。

 

『新型機、動けるなら搬送導線へ出せ! 格納庫側で拾う!』

『無理だ、あの状態で歩かせるな!』

『なら引くしかないだろ! 隔壁に挟まれたら終わりだ!』

 

 外部スピーカーか、作業員の通信か。どちらにしても、俺のことだ。

 

 俺は喉の奥を動かした。

 

「こちらRX-78-1。自力歩行は無理です。搬送導線まで寄せます。引けるなら、引いてください」

 

 一瞬、通信の向こうが黙った。

 

『……子どもの声?』

 

 そうだよ。

 

 悪かったな。

 

 今その反応をしている場合じゃないだろ。

 

『誰だ、乗ってるのは!』

『後だ! 今は機体を回収する! 固定アームを出せ!』

『牽引ワイヤー準備! 足元に人を入れるな!』

 

 怒号が飛ぶ。

 

 その中に、少し低い声が混ざった。

 

『おい、中の坊主。聞こえるか。無理に立たせるな。こっちで引っかける。機体を右へ倒すなよ』

 

 リュウさん、だと思った。

 

 サイド7で何度か見たことがある。ホワイトベースの人間。軍人の中では声が柔らかい方で、でも今は完全に現場の声だった。

 

「倒したくて倒すわけじゃないです」

 

『言える元気があるなら上等だ。右肩を壁から離すな。左は捨てろ。足を止めるなよ、止めすぎると固まる』

 

「了解」

 

 言われるまでもない。

 

 でも、大人の声があるだけで少しだけ楽になった。

 

 RX-78-1の足元に、作業アームが伸びてくるのが見えた。白く光る誘導線。牽引ワイヤー。搬送補助用の固定具。普通ならモビルスーツを運ぶための設備なのだろう。今は壊れかけの1号機を、巨人ではなく荷物として扱っている。

 

 ありがたい。

 

 今のこいつは、荷物扱いされるくらいでちょうどいい。

 

 機体がまた揺れた。

 

 右脚が遅れ、腰が落ちる。視界が少し斜めになる。警告が増える。姿勢補正が勝手に入ろうとして、逆に動きが重なる。

 

「余計なことすんな」

 

 俺は補正を一段切った。

 

 切った瞬間、体がシートに押しつけられる。支えが消えたわけではない。ただ、機械が勝手にやろうとしていた無理を止めただけだ。ここからは俺が合わせるしかない。いや、十二歳に何をさせているんだこの機体。設計者を呼んでほしい。たぶん呼んでも父さんたちの知り合いなので、今は余計にきつい。

 

 ワイヤーが右腰付近の固定部に噛んだ。

 

『牽引入る! 中、衝撃来るぞ!』

 

「来てます!」

 

『まだ本番じゃない!』

 

「先に言ってください!」

 

 次の瞬間、機体が引かれた。

 

 世界が横にずれた。

 

 コックピットの内側で、体がベルトに食い込む。歯を食いしばった。視界が白くなりかける。右脚が床を擦り、背部がフレームに当たり、肩の外装が嫌な音を立てる。

 

 壊すな。

 

 でも止めるな。

 

 もう少し。

 

 もう少しだけ。

 

『隔壁、閉鎖まで二十!』

『避難者通過! 下げろ、下げろ!』

『1号機、導線に乗った! そのまま引け!』

 

 機体の足が、搬送ラインの上に乗った。

 

 乗ったというより、乗せられた。俺はそれに合わせて膝を殺し、腰を少し逃がし、倒れようとする重さを壁へ流した。自分でやっているのに、自分の操作ではないみたいだった。大きな機械の癖に、人間の肩を借りて歩く負傷者みたいに動く。

 

 いや、実際そんなものか。

 

 RX-78-1は負傷している。

 

 まだ戦う前から、もう負傷している。

 

 それを無理やり起こして、俺はここまで引っ張ってきた。

 

 格納庫へ向かう搬送導線の先に、白い光が見えた。非常灯とは違う。作業灯。ホワイトベースの中へつながる光だ。

 

 その手前で、また通信を送った。

 

「父さん。母さん。こちらレン。応答してください」

 

 接続失敗。

 

 分かっていた。

 

 分かっていたのに、息が詰まった。

 

『中の坊主、もうすぐ格納庫だ。意識あるか』

 

「あります」

 

『なら目を開けてろ。寝るなよ』

 

「寝られる状況じゃないです」

 

『それだけ言えりゃ十分だ』

 

 リュウさんの声が少しだけ笑った気がした。

 

 その直後、1号機がホワイトベースの格納庫へ引き込まれた。

 

 空気が変わった。

 

 音が変わった。

 

 広い。明るい。人が多い。怒号、機械音、警告、金属のきしみ、誰かの泣き声。格納庫は安全地帯なんかではなかった。むしろ混乱の中心に近い。それでも、サイド7の壊れた通路よりは、まだ人間が生きるために動いている場所だった。

 

『固定具を上げろ!』

『右脚を支えろ、膝が落ちる!』

『左腕は触るな、出力が死んでる!』

『中のパイロットを確認しろ!』

 

 パイロット。

 

 その言葉に、少しだけ笑いそうになった。

 

 パイロット。

 

 俺が。

 

 違うだろ。

 

 今日は、ただ壊れかけの機体を倒さないようにしていただけだ。

 

 RX-78-1の動きが止まった。

 

 完全に止まった瞬間、全身から力が抜けた。止まるって、こんなにありがたいことだったのか。父さん、動かすより止め方が大事って本当だったよ。できれば本人に直接言いたい。言いたいから、返事をしてくれ。

 

 俺はまた通信を送ろうとして、手が少し震えていることに気づいた。

 

 疲労か。衝撃か。怖さか。

 

 たぶん全部だ。

 

 外部カメラの視界が少し横へ動く。

 

 そこで、見えた。

 

 白い機体。

 

 RX-78-2。

 

 格納庫の中で、先に固定されている。装甲には戦闘の跡があり、まだ熱が残っているように見えた。白い。やっぱり白い。前世で何度も見た、あのガンダムだ。

 

 その少し離れた場所に、俺の1号機が固定されていく。

 

 黒と赤。

 

 支えられないと立てない、壊れかけのプロトタイプ。

 

 RX-78-2。

 

 RX-78-1。

 

 サイド7で生まれた二機のガンダムが、ホワイトベースの中に並んだ。

 

 誰かが息をのむ声が聞こえた。

 

 誰かが「あれも新型か」と言った。

 

 別の誰かが「子どもが乗っていたのか」と言った。

 

 俺はそのどれにも答えなかった。

 

 答える余裕がなかった。

 

 通信欄には、まだ接続失敗の文字が残っている。

 

 白と黒が並んだ。

 

 でも、父さんと母さんの声は、まだ返ってこなかった。

 

 コックピットハッチの外で人が動く。開放手順の表示が走り、外から強制解除が入る。冷たい空気が流れ込んだ。シートベルトを外そうとして、指がうまく動かない。仕方なく、少し遅れて外した。

 

 ハッチが開いた。

 

 格納庫の光が目に刺さる。

 

「おい、大丈夫か。意識はあるな」

 

 リュウさんが外から覗き込んでいた。

 

 俺は頷いたつもりだったが、ちゃんと動いたかは分からない。

 

「あります。たぶん」

 

「たぶんって顔じゃねえぞ。無理に立つな」

 

「立つ気はないです。というか、立ったらたぶん落ちます」

 

「正直でいい」

 

 リュウさんはそう言って、俺を引き上げる準備をした。

 

 その向こうで、アムロがこっちを見ていた。

 

 顔色は悪い。俺と同じくらい、いや、俺よりずっと色々なものを見た顔だった。白い方に乗った少年。RX-78-2を動かした少年。原作主人公。白いガンダムのパイロット。

 

 でも今そこにいるのは、工作室で機械の話をしていた二つ上の上級生だった。

 

「レン」

 

 アムロが言った。

 

「お前、あれに乗ってたのか」

 

 俺は少し息を吸った。

 

 喉が痛い。

 

「アムロこそ、白い方に乗ってたでしょ」

 

「乗るしかなかった」

 

「こっちも」

 

 それだけだった。

 

 それ以上は、どちらも言えなかった。

 

 言ったところで、何をどう説明すればいいのか分からない。アムロがガンダムに乗ることを知っていたなんて言えない。俺が1号機へ行くと決めていたなんて言えない。父さんと母さんに連絡がつかないことも、今ここで言葉にしたら、何かが崩れそうだった。

 

 フラウの声が遠くで聞こえた。

 

「アムロ、レンくん……」

 

 振り向く余裕はなかった。視界の端に、子どもたちを抱えるフラウの姿が見えただけだ。いつもの学校や工作室のフラウではない。顔は青く、目元は赤い。それでも小さい子たちの肩を抱いて、必死に立っていた。

 

 日常が壊れた。

 

 その言葉だけが、胸の奥に落ちる。

 

 リュウさんに支えられ、俺はコックピットから出た。

 

 足が床についた瞬間、膝が笑った。情けない。だが笑う膝があるだけ、まだマシだ。サイド7のどこかには、もう立てない人がいる。声を返せない人がいる。返せないだけで、生きているかもしれない人もいる。

 

 俺は端末を見た。

 

 父さん。

 

 母さん。

 

 もう一度、通信を送る。

 

 接続失敗。

 

 ホワイトベースの格納庫で、白い2号機と黒赤の1号機が並んでいる。

 

 周りはそれを見ている。

 

 でも俺は、失敗の文字から目を離せなかった。

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