外部センサーに反応あり、という報告が格納庫に流れた瞬間、俺は反射的に端末から顔を上げた。体はほとんど動いていないのに、頭だけが先に警戒へ切り替わる。追加の敵か。サイド7の中にまだザクが残っているのか。そう考えかけて、すぐに違う、と自分で止めた。原作なら、この段階で新しい敵が格納庫に襲ってくる流れではない。サイド7内部での戦闘は、ジーンたちの暴走とアムロの初戦で一区切りがつく。そこから避難民と物資をホワイトベースへ収容し、艦が出て、その後にシャア隊の追撃へ進む。少なくとも、俺の知っている流れではそうだった。
『ブリッジより各員。先ほどの反応は未確定。警戒は継続、収容と出航準備を優先してください。格納庫は新型機の固定を急いで』
ミライさんらしき落ち着いた声が、混乱しかけた空気を押し戻した。未確定反応。警戒継続。出航準備優先。つまり、今すぐ戦闘に入るわけではない。サイド7内部に追加の敵が来たわけでもない。混乱中のセンサー誤認か、外縁宙域側の警戒情報か、あるいは出航準備に合わせて広めに拾っただけか。とにかく、格納庫でまたザクが暴れるような展開ではないらしい。俺は少しだけ息を吐いた。少しだけだ。安心できる状況ではまったくない。
ただ、その一瞬の警戒で嫌でも分かった。俺の知っている原作は、もう細部までは信用できない。白い2号機の横に、黒赤の1号機が固定されている。俺がそれに乗って、ホワイトベースまで持ち込んでしまった。原作にないものが艦内に増えた以上、この先の細かい流れが全部同じになる保証はない。未来知識は大筋の地図にはなるが、足元地図にはなるが、足元の段差までは教えてくれない。便利そうで不親切な攻略本だ。しかも、こっちの命がかかっている。
「レン、今のは敵が来たって意味じゃねえ。顔が一気に固まったぞ」
横からリュウさんが声をかけてきた。俺は壁際に座ったまま、手元の端末を軽く握り直す。父さんにも母さんにも、まだつながらない。搬送区画、搬入管制方面は確認不能。そこだけは、センサーの未確定反応よりずっとはっきりしていた。
「分かってます。たぶん。ちょっと、嫌な想像が先に走りました」
「今のお前は走るな。想像もほどほどにしろ」
「体は走れないので、頭だけでもと思いまして」
「その頭が一番危ないんだよ」
リュウさんは呆れたように言ったが、声は少し柔らかかった。俺が軽口を返したことで、意識はあると判断したのかもしれない。実際、意識はある。頭も回っている。ただし、体は全然ついてこない。肩と背中は痛いし、指先はまだ少し震えている。水を飲んだはずなのに、喉の奥は乾いたままだった。今すぐもう一度コックピットに戻れと言われたら、たぶん体の方が先に反乱する。
目の前では、整備班がRX-78-1の周りに集まっていた。格納庫固定具に支えられた1号機は、立っているというより、何とか倒れずに済んでいるだけに見える。右脚の補助フレーム、腰部の固定、肩を押さえるアーム。さっきまでサイド7の通路で壁や床を使ってごまかしていた無茶が、外から見るとかなりひどい状態として返ってきていた。
「右脚部、応答遅延がまだ残ってる。負荷ログも赤いぞ」
「左腕は出力制限。これで武器を保持しろと言われても無理だ」
「姿勢制御も信用できないな。手動で変な逃がし方をしてる。いや、これをしないと倒れてたのか」
「肩と背中、擦過と歪み。壁で支えながら動いたんだろ。よくフレームが泣かなかったな」
若い整備補助が端末を見ながら、最後にきっぱり言った。
「これでまた出すのは無理だ」
正しい。ものすごく正しい。俺もそう思う。今の1号機で出撃なんて論外だ。自由歩行も戦闘機動もできない。ビームライフルは正式装備ではないし、シールドもない。ビームサーベルだって使えない。頭部バルカンの残弾も減っている。戦力候補ではあるかもしれないが、今は故障機に近い。少なくとも、これを今すぐ戦場へ戻すのは、機体にも俺にもよくない。
それでも、頭の片隅に嫌な発想がよぎった。歩けないなら、固定すればいい。動けないなら、撃つだけにすればいい。ワイヤーと補助アームで押さえて、進路を塞ぐように一発だけ撃つ。撃墜ではなく牽制。アムロの射線作り。……いや、今じゃない。今は出航準備と収容が優先だ。そもそも追加敵襲が起きたわけでもない。俺はその考えを頭の奥に押し込んだ。後で必要になるかもしれない。けれど、今ここで口に出すべきことではない。
「何かまた悪いこと考えた顔だな」
リュウさんが鋭い。
「失礼ですね。今はちゃんと悪いことを考えて、やめたところです」
「もっと嫌だな、それ」
「1号機も俺も、今日は休ませた方が長持ちすると思います」
「珍しく正しいことを言うじゃねえか」
「いつも正しいつもりです」
「そういうところが心配なんだよ」
俺が少し笑うと、リュウさんもほんの少しだけ口元を緩めた。場違いなやり取りだとは思う。けれど、こういう軽さがないと、今はたぶん呼吸が詰まる。父さんと母さんに連絡がつかない。サイド7は壊れた。ホワイトベースは逃げる準備で手一杯。そんな中で、俺まで完全に黙り込んだら、自分で自分が怖くなる。
「親御さんの件、もう一度確認を回した」
リュウさんの声が、少しだけ低くなった。
俺は笑いかけた顔を戻した。戻さざるを得なかった。
「搬送区画と搬入管制方面です」
「ああ。イズミ技術少佐と、イズミ技術大尉。名前と所属は通した。今の返答は、搬送区画が応答なし。搬入管制も応答なし。確認班はまだ進入不可。隔壁と気圧の問題が残ってる」
「所在確認不能、ですね」
「そうだ。死亡確認じゃない」
「はい」
死亡ではない。でも、無事とも言えない。何度も同じ言葉を頭の中で繰り返しているのに、少しも慣れない。確認できない、という状態が一番きつい。どこかで生きているかもしれない。負傷しているかもしれない。閉じ込められているかもしれない。最悪の可能性もある。それなのに、俺はここに座っている。今すぐ走って行けるなら行っている。でも行けない。行っても何もできない可能性が高い。それを理解できるのが嫌だった。
「ありがとうございます。確認、回してくれて」
「礼を言うのはまだ早い。こっちも結果を出せてねえ」
「それでもです。何もしてないより、ずっと助かります」
リュウさんは何か言いかけて、やめた。たぶん、俺が子どもらしく泣きついた方が扱いやすかったのだろう。自分でもそう思う。だが今の俺は、泣く場所を選ぶ余裕すらない。泣いたら止まらなくなりそうで怖い、というのもある。
セイラさんが負傷者の対応の合間にこちらへ来た。俺の顔を見て、手にした医療ケースを少し持ち直す。
「まだ座っていなさい。立ってよい状態には見えないわ」
「座ってるだけでだいぶ偉い気がしてきました」
「ええ。今はそれで十分よ」
「本当に褒められると、少し困ります」
「困るくらいなら、まだ大丈夫ね」
セイラさんは俺の手の震えを見て、無理に隠さないようにと短く言った。俺は素直に頷いた。彼女の視線は優しいが、鋭い。俺が冷静に見えることと、平気であることが違うのを分かっている目だった。
格納庫の反対側では、アムロがまだ白い2号機の近くで軍人と整備員に囲まれていた。マニュアルを見た、乗るしかなかった、何をどう操作したかなんて全部覚えていない。そんな断片が聞こえてくる。アムロは疲れているし、苛立ってもいる。民間人の少年に、戦闘記録の確認みたいなことを求める方が無理だ。それでも、大人たちは聞かなければならない。ガンダムを動かしたのがアムロだからだ。
視線が合った。アムロが少し迷ってから、こちらへ歩いてきた。周囲の大人たちは止めようとしたが、リュウさんが軽く手で制した。長話をさせるつもりはないが、少しは話させてやれ、ということらしい。
「レン、本当にあれに乗ってたのか」
「乗ってた。乗り心地は最悪だった」
「そんなふうに言うなよ」
「軽く言わないと、ちょっときつい」
アムロは言葉を詰まらせた。俺も、いつもの工作室みたいに話せたらよかったと思う。あの時なら、左右のバランスがどうとか、センサーの反応が遅いとか、そういう話で済んだ。今は違う。俺たちは二人とも、新型MSを動かした子どもとして見られている。アムロは民間人の少年。俺は軍人の子で、施設管理側の高官の息子。扱いは少し違うが、周囲の目にある困惑は似ていた。
「また乗るのか」
「今は乗らない。1号機も俺も、休んだ方がたぶん長持ちする」
「……そうか」
「アムロも休めるなら休んだ方がいいよ。顔、けっこうひどい」
「レンに言われたくない」
「それはそう」
ほんの少しだけ、会話の形が戻った。冗談というには弱い。けれど、完全に壊れてはいない。アムロは小さく息を吐き、白い2号機の方へ戻っていった。フラウが少し離れた場所から、その様子を見ていた。子どもたちを抱えているせいで動けないが、アムロにも俺にも何か言いたそうだった。俺は彼女に向けて、少しだけ笑ってみせた。安心させるほどの笑顔になったかは分からない。たぶん頼りなかった。それでも、何もしないよりはいいと思った。
「なんで子どもが二人もMSに乗ってんだよ……」
カイの声が聞こえた。いつもの皮肉っぽさより、怖さの方が濃い。ハヤトは黙っている。アムロと俺を交互に見るその目には、焦りのようなものが少し混じっていた。今はまだ、それが何なのか形にはなっていない。けれど、種だけは落ちた気がした。
『格納庫、1号機の状態を報告しろ。今すぐ動かせるのか、動かせないのか』
ブライトの声が通信に入った。リュウさんが整備班へ目を向け、若い整備補助が端末を見ながら答える。
「1号機、自由歩行不可。右脚部応答遅延、左腕部出力制限、姿勢制御不安定。肩部、背部に損傷。頭部バルカン残弾減少。ビームライフル、シールド、ビームサーベル、いずれも現状使用不可。今すぐの戦闘運用は無理です」
『固定はできるか』
「格納庫固定は可能です。移動させるより、まず固定して再調整が必要です」
『1号機は固定しろ。無理に動かすな』
その命令に、俺は少しだけ力が抜けた。今すぐもう一度乗れとは言われなかった。ありがたいと思うべきなのか、そんな状況になっていること自体を嫌がるべきなのか、よく分からない。
『レン・イズミ。施設管理のイズミ少佐の息子で間違いないか』
「はい。父は和泉技術少佐、母は和泉技術大尉です」
『君が1号機を動かしたことは確認している。事情は後で聞く。リュウ、その少年から目を離すな。だが拘束は後だ。今はホワイトベースを出す』
拘束は後。なかなか物騒な言葉だが、今すぐ縛られないだけましなのかもしれない。ブライトは俺を信用しているわけではない。危険人物、戦力候補、子ども。その三つを同時に見ている。だが、今は正式な処遇を決める余裕がない。俺もそれは分かる。分かるが、十二歳の子どもとしてはなかなか心臓に悪い。
「了解しました。逃げません。というか、今の足だと逃げてもすぐ捕まります」
『……無理はするな』
「はい」
通信の向こうで、わずかに間があった。ブライトは怒鳴らなかった。余裕がないのに、俺が子どもであることを完全には切り捨てていない。そのことに気づいて、少しだけ胸の奥が変な感じになる。
『ブリッジより各員。避難民収容を優先。負傷者は医療区画へ。未固定の物資は優先順位の低いものから放棄してください。ホワイトベースは出航準備を続行します』
ミライさんの声が再び流れた。落ち着いた声は、騒がしい格納庫の中で目印になる。整備員が走り、担架が通り、避難民が誘導され、白い2号機と黒赤の1号機が並んで固定されていく。原作ではここに黒赤の1号機はいない。俺もいない。だが今はいる。なら、このズレと一緒に逃げるしかない。
リュウさんが俺の前に立った。
「よし。お前は医療班に見てもらう。歩けるか?」
「座って返事できるかで答えろって話じゃなかったですか」
「次の段階に進んだんだよ」
「なら、歩けます。たぶん」
「たぶんは減点だな。肩貸す」
「ありがとうございます。今の俺、機体より先に固定具が必要かもしれません」
「人間用の固定具は医療班に頼め」
リュウさんに支えられながら立ち上がると、膝が少し笑った。笑わなくていい。今笑う担当は俺で足りている。俺は端末をもう一度見た。父さんと母さんへの通信は、まだつながらない。表示を閉じる。消えたわけではない。ただ、今は閉じるしかない。
格納庫の中で、白い2号機と黒赤の1号機が固定されている。片方は原作の主役機。もう片方は、俺が持ち込んでしまったズレ。どちらも今は、少年が動かした機体として大人たちに見られている。
まだ休めない。
でも、今は戦う時間ではない。ホワイトベースを出す時間だ。
俺はリュウさんに支えられたまま、医療班のいる方へ歩き出した。