黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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2話同時投稿の1話目です


第二章 白と黒とホワイトベース
第18話 宇宙に出ても休めない


 ホワイトベースがサイド7を離れてから、艦内の揺れは少しだけ変わった。

 

 出航の時の、何か重いものを無理やり引き剥がすような振動ではない。今はもっと低く、長く、床の奥を流れていくような震えだ。医療班の椅子に固定されたまま聞いていると、艦そのものが大きな息をしているみたいに感じる。俺は小さなモニターに映る外部映像を見ていた。サイド7の港湾区画はもうかなり遠い。壊れた構造物も、赤い警告灯も、モニター越しだとただの点や線になっていく。

 

 遠ざかれば遠ざかるほど、現実感が薄くなるかと思った。けれど、実際は逆だった。サイド7を離れた以上、父さんと母さんの確認はさらに難しくなる。端末を見ても、通信はつながらない。搬送区画、搬入管制方面は確認不能。確認班進入不可。表示は冷たいほど変わらない。死亡ではない。でも、無事とも言えない。確認できないまま離れてしまった。その事実が、艦内の振動に合わせて胸の奥を削ってくる。

 

「レン君、聞こえて? 画面を見続けないこと。酔うわよ」

 

 セイラさんが負傷者の様子を見ながら言った。医療班の中は出航前より少し静かになっていた。静かになったというより、全員が疲れて声を落としただけかもしれない。担架は固定され、椅子も固定され、避難民の一部は壁際で身を寄せ合っている。泣き続けていた子どもも、今はしゃくり上げるだけになっていた。

 

「大丈夫です。椅子に固定されてる分には、今日一番安定してます」

 

「その言い方をする時点で、安定していないのだけれど」

 

「医療班の椅子から発進する予定はないので安心してください」

 

「発進などと言わないで。嫌な予感がするわ」

 

 セイラさんはそう言って、俺の端末へ視線を落とした。責めるわけではない。取り上げるわけでもない。ただ、見すぎるなと言っている。俺は端末を伏せた。画面を消しても、表示は頭の中に残っている。結局あまり意味はない。だが、セイラさんの言う通り、見続けていたら本当に画面の文字に飲まれそうだった。

 

『ブリッジより各区画。サイド7港湾区画からの離脱を確認。各員、出航後の損傷確認を急いでください。医療区画は負傷者固定を維持。格納庫は新型機固定状況を継続報告』

 

 ミライさんの声が流れた。淡々としているが、少しだけ息が深い。操艦に集中している声だ。ホワイトベースはサイド7を出た。だが、出たから安全というわけではない。むしろ、ここからがホワイトベースの本当の逃避行だ。原作なら、サイド7を出た後にシャア隊の追撃が来る。前世で見ていた時は、ここから宇宙での戦闘、ホワイトベースの初期の逃走劇が始まる流れだった。

 

 今はまだ戦闘じゃない。でも、戦闘は近い。

 

 それを知っているのが嫌だった。サイド7を離れたばかりで、父さんと母さんのことも確認できていない。体もまともに動かない。医療班の椅子に座らされている。なのに、頭の奥ではもう次の追撃を数えている。未来知識は便利だが、精神衛生にはかなり悪い。攻略本でもないくせに、不安だけは先に出してくる。しかも今は別バージョン混じりだ。白い2号機だけでなく、黒赤の1号機もホワイトベースにある。この時点で、細部はもう原作と違う。

 

 それでも、追撃が来る大筋はたぶん変わらない。

 

『ブライト、進路は維持できています。ただ、艦内の固定状況が完全ではありません』

 

『未固定物資の確認を続けろ。人員と新型機を優先する。警戒を緩めるな。まだ安全圏ではない』

 

 ブライトの声は硬い。出航できたことに安堵している暇もないのだろう。避難民、負傷者、新型機、子ども二人、パオロ艦長の負傷、慣れていない乗員。そこへ追撃の可能性まで乗る。十九歳前後の人間に背負わせるには、普通に重すぎる。だが、だからといって誰かが代わってくれるわけでもない。宇宙世紀、若者への負荷が高すぎる。

 

 医療区画の通路側では、フラウが子どもたちをなだめていた。小さな子が「おうちに帰るの」と聞き、フラウはすぐに答えられなかった。答えられるわけがない。サイド7は遠ざかっている。帰れるかどうかなんて、誰にも分からない。彼女は少しだけ唇を噛み、それから「今はここにいてね」と言った。嘘ではない。でも、答えでもない。今はそれしか言えない場面だった。

 

「出たら終わりじゃないのかよ……」

 

 カイの声が少し離れた場所から聞こえた。文句というより、ぼやきだった。サイド7を出れば助かる。そう思いたかったのだろう。俺だって思いたかった。だがホワイトベースは避難船ではない。連邦の新型を積んだ軍艦だ。ジオンが見逃してくれる理由はない。

 

 ハヤトは黙って格納庫側の通路を見ていた。白い2号機と黒赤の1号機がある方向だ。アムロが乗った機体。俺が乗った機体。二人とも、ついさっきまで同じサイド7の少年だった。それが今は、艦の中で特別な扱いを受けている。ハヤトの顔には、不安と焦りと、まだ形になっていない対抗心みたいなものが混じっていた。普通の少年なら、たぶんそれが自然だ。何かしなければならない気がする。でも、何をすればいいか分からない。そういう顔だった。

 

『格納庫、1号機の再確認を報告しろ』

 

 ブライトの声に、格納庫側の通信が少しざわついた。

 

『1号機、自由歩行不可。右脚部応答遅延は継続。左腕部出力制限、姿勢制御不安定。肩部、背部の歪みあり。頭部バルカン残弾減少。現状、自由機動戦は不可能です』

『2号機は』

『機体確認は継続中。アムロ・レイ本人の状態も確認中です。疲労は強いですが、機体そのものは1号機より状態がいい』

 

 当然だ。白い2号機は原作の主役機で、アムロが乗るべき機体。黒赤の1号機は、俺が守ったが壊れかけている。ここで同じように扱われたら困る。俺は格納庫へ行きたい気持ちを抑えた。見たところで修理が進むわけではない。今の俺が行っても邪魔になるだけだ。分かっている。分かっているが、やっぱり気になる。

 

「今、立とうとした?」

 

 セイラさんがこちらを見た。

 

「立とうとしたというか、気持ちだけ少し格納庫に向かいました」

 

「体は行かせません。よろし?」

 

「ですよね」

 

「ええ。医療班の判断としても、私個人としてもよ」

 

 個人としても、と言われると少し弱い。俺は素直に背中を椅子へ預けた。体のあちこちが痛む。座っているだけなら大丈夫、という軽口は言えるが、本当に大丈夫なわけではない。足には力が入りにくいし、手の震えも完全には止まっていない。頭は動いているのに、体がついてこない。今の俺、機体より先に再調整が必要かもしれない。いや、本当に笑えない。

 

『1号機は出せない。だが使える可能性があるなら、条件を出せ』

 

 ブライトの声が少し低くなった。

 

 格納庫側で、一瞬だけ間が空いた。

 

『自由機動は無理です。戦闘に出すなら自殺行為に近い。ただ……固定したままなら、射撃姿勢だけは作れるかもしれません』

 

 その言葉に、俺は端末から顔を上げた。

 

 来た。

 

 頭の片隅に押し込んでいた嫌な案が、別の誰かの口から出た。歩けないなら固定すればいい。動けないなら撃つだけにすればいい。出航後の防衛戦なら、格納庫固定具、補助アーム、ワイヤー、艦側固定架台を使って、1号機を砲座にする。予備ビームライフルか、仮接続のビーム火器を使う。もちろん正式装備ではない。エネルギー供給も保持も反動処理も怪しい。連射不可。撃墜目的ではなく、進路制限、接近妨害、アムロの射線作り。

 

 理屈だけなら、成立するかもしれない。

 

 成立してほしくない理屈だった。

 

『固定したまま、だと?』

 

『はい。腰部と肩部を艦側の補助アームで保持し、脚部は固定具で殺します。左腕は使えません。武器保持は機体単独では無理です。艦側の固定架台か補助アームが必要になります。予備のビームライフル、または仮接続火器が使えれば、射撃だけなら可能性があります』

 

『発射時の負荷は』

 

『危険です。反動で吹っ飛ぶというより、照準保持とエネルギー供給が不安定になります。1号機側の姿勢制御が信用できないので、固定しても射線がずれる可能性が高い。補助アームと火器側の接続も、どこまでもつか分かりません』

 

 医療区画にいる俺でも分かるくらい、無茶な話だった。便利な新武装案ではない。壊れかけの機体を、艦の部品で押さえつけて、どうにか一発だけ撃たせる案だ。失敗すれば1号機がさらに壊れるというより、そもそも狙ったところへ撃てない。中に乗る人間にも、負荷と警告表示がまとめて返ってくる。そして、その中に乗る候補はたぶん俺だ。

 

 リュウさんの声が割り込んだ。

 

『簡単に言うな。中に乗るのは子どもなんだぞ』

 

 少しだけ、胸が緩んだ。止めてくれる大人がいる。それは、今の俺にはかなり大きい。

 

『分かっています。だから条件だけです。今すぐやる話ではありません』

 

『条件でもだ。レンの状態を見ただろ。あいつは今、医療班で座ってるのがやっとだ』

 

『リュウ、分かっている』

 

 ブライトの声にも迷いがあった。飛びつかない。だが切り捨てもしない。戦力不足の現実を見ているからだ。白い2号機は動かせるかもしれない。だがアムロも疲れている。黒赤の1号機は歩けない。けれど、固定すれば撃てるかもしれない。子どもを使いたくない。でも使わなければ艦が危ないかもしれない。矛盾だらけだ。

 

『1号機は自由機動できない。固定射撃案は条件だけ整理しろ。実行判断はまだしない。レン・イズミを動かすな。医療班の判断を優先する』

 

「よし」

 

 思わず小さく声が出た。

 

 セイラさんがこちらを見る。

 

「今の『よし』は何に対して?」

 

「まだ動かされないことに対してです。俺としても、医療班の椅子から発進する予定はないので」

 

「予定がないだけで、考えてはいるのね」

 

「……少しだけ」

 

「レン君」

 

「はい」

 

「無茶と必要な判断は違うわ。今のあなたは、その境目を勝手に踏み越えそうに見える」

 

 セイラさんの言葉は静かだったが、かなり刺さった。俺は返事に少し詰まった。自分でも分かっているからだ。原作なら追撃が来る。ホワイトベースは戦力不足。アムロの負担を全部にするのはまずい。1号機が固定砲台として使えるなら、使わない選択肢も怖い。そこまで考えてしまう。

 

 でも、俺は十二歳で、今は医療班の椅子に座らされている。

 

 この事実も、同じくらい重い。

 

「踏み越えないように、努力します」

 

「努力ではなく、今は従いなさい。よろし?」

 

「はい」

 

 こういう時、セイラさんは強い。というか、逃げ道を塞ぐのがうまい。俺は端末を握り直し、今度は画面を見なかった。

 

 通路側にアムロが来ていた。格納庫から呼ばれた帰りなのか、顔にまた疲れが増えている。俺を見て、それから通信が流れていたスピーカーを見た。

 

「レン、また1号機に乗るのか」

 

「乗りたいわけじゃないよ。今の俺も1号機も、整備待ちだし」

 

「じゃあ乗るなよ」

 

「それを言える状況なら、俺もそうしたい」

 

「……宇宙に出たら安全じゃないんだろ」

 

 アムロの声には、疑いよりも確認が混じっていた。俺は未来知識を話せない。だから、言える範囲だけ選ぶ。

 

「普通に考えて、向こうも追ってくるでしょ。新型を見逃す理由がない。白い2号機だけでも十分まずいのに、黒赤の1号機まであるし」

 

「黒赤の方は動けないんだろ」

 

「動けない。そこは強めに主張したい」

 

「でも、撃てるかもしれないって」

 

「かもしれない、だよ。しかも、たぶん撃った後に機体も俺も文句を言うやつ」

 

 アムロは顔をしかめた。

 

「軽く言うなよ」

 

「軽く言わないと、ちょっときつい」

 

「そればっかりだ」

 

「便利なんだよ、この言い訳」

 

 アムロは何か言いかけて、やめた。たぶん怒りたいのだと思う。心配もしているのだと思う。だが、自分もまたRX-78-2に乗る可能性がある。だから強く言えない。俺も同じだ。アムロに「乗るな」とは言えない。言いたいが、言えない。ホワイトベースが生き残るためには、たぶん白い2号機が必要になる。

 

 フラウが少し離れた場所からアムロを見ていた。子どもたちを抱えたまま、不安そうに。アムロはその視線に気づいたのか、少しだけそちらを見て、すぐに目を逸らした。今のアムロには、何かを約束する余裕がないのだろう。

 

『ブリッジより各区画。警戒を継続。索敵範囲を広げろ。ただし未確認情報で艦内を混乱させるな。格納庫は2号機の確認を続行。1号機固定射撃案は条件整理のみ。実行判断は保留する』

 

 ブライトの命令が流れる。艦内がまた少し動き出す。出航したから終わりではない。休めるわけでもない。むしろ、ここから先のために、みんなが次の不安を抱え始めている。

 

 俺は椅子に固定されたまま、深く息を吸った。父さんと母さんの確認はできていない。サイド7は遠ざかった。原作なら、この後に追撃が来る。今のホワイトベースには、白い2号機と黒赤の1号機がある。細部はもう違う。それでも、危険だけは近づいてくる。

 

 歩けない1号機。

 

 動けない俺。

 

 それでも、固定すれば撃てるかもしれない。

 

 その考えが、嫌なほど現実味を帯びて、医療班の白い照明の下に落ちてきた。俺は端末を伏せたまま、格納庫の方から聞こえる固定具の金属音に耳を澄ませていた。

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