黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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2話同時投稿の2話目です


第19話 一発だけの準備

 医療班の椅子に座らされていると、艦内の変化は音で分かるようになる。

 

 いや、そんな能力は別に欲しくなかった。できれば普通に窓から宇宙を眺めて「わあ、宇宙だ」くらいの反応をしたかった。だが現実には、俺は椅子に固定され、簡易処置を受け、端末を伏せたまま、床や壁を通して伝わってくる振動でホワイトベースの状態を想像している。前世で見た宇宙船生活はもう少しロマンがあった気がする。少なくとも、出航直後に医療班で固定されている十二歳視点ではなかった。

 

 出航直後の大きなざわめきは、少しずつ形を変えていた。避難民の泣き声や負傷者のうめき声はまだある。けれど、そこに混じる乗員たちの声は、だんだん「逃げるための混乱」から「次に備えるための確認」へ変わっていく。担架の固定、負傷者の数、艦内損傷、格納庫の固定状況、進路維持。ひとつずつ報告が積み上がるたびに、ホワイトベースがただの避難場所ではなく、軍艦なのだと嫌でも思い知らされる。

 

『ブリッジより各区画。警戒態勢を維持。索敵範囲を広げます。不要な移動は控えてください。医療区画は負傷者の再確認、格納庫は状態確認を継続』

 

 ミライさんの声は相変わらず落ち着いていた。落ち着いているからこそ、言葉の中身が重い。索敵範囲を広げる。警戒態勢を維持。要するに、サイド7を出たから終わりではないということだ。原作ならこの後、ホワイトベースはシャア隊の追撃を受ける。ガンダムを積んだホワイトベースを、ジオンが見逃す理由なんてない。しかも今は黒赤の1号機までいる。細部はもう原作と違うが、危険が近づいてくる大筋だけは、たぶん変わらない。

 

 未来知識は攻略本じゃない。まして今のこれは、パッチノートなしの初見プレイで、敵の大筋だけ知っている感じである。いや、何その嫌なゲーム。せめてセーブくらいさせてほしい。

 

 端末を伏せたまま、指だけが少し動く。見ても結果は変わらない。父さんと母さんへの通信は、まだつながらない。搬送区画、搬入管制方面は確認不能。サイド7を離れた以上、確認はさらに難しくなる。死亡ではない。でも、無事とも言えない。何度も繰り返した言葉なのに、胸の奥では毎回別の形で引っかかる。

 

「レン君、聞こえて?」

 

 セイラさんの声が近くで聞こえた。彼女は負傷者の固定を確認しながら、こちらへ目だけを向けている。

 

「はい。画面は見てません」

 

「見ていなくても、手が端末を探しているわ」

 

「手の方が勝手に心配してるんです」

 

「その手も、あなたの一部でしょう」

 

「じゃあ俺の管理責任ですね。すみません」

 

 軽口を返したつもりだったが、声は少し乾いていた。自分でも分かる。完全には軽くならない。セイラさんもそれに気づいているのだろう。追及せず、ただ水の入ったパックを俺の横に置いた。

 

「飲みなさい。喉が乾いているはずよ」

 

「ありがとうございます。礼を言う相手が多すぎて、そろそろ管理表が必要です」

 

「その管理表を作る余裕があるなら、休む余裕もあるはずね」

 

「逃げ道が塞がれた」

 

「塞いでいるの」

 

 そう言われると、妙に安心する。逃げ道を塞がれるというのは普通あまり嬉しくないはずだが、今は違った。自分で判断すると、たぶん俺は無茶の方へ寄る。だから、止めてくれる人がいるのはありがたい。問題は、止められても頭の中だけは勝手に走ることだ。

 

『格納庫、1号機固定射撃案の条件を報告しろ。実行判断ではない。条件整理だ』

 

 ブライトの声が通信に乗った。

 

 医療区画の空気が少しだけ硬くなる。俺も背中を椅子に預けたまま、耳だけがそちらへ向いた。聞くなと言われても無理だ。自分に戻ってくる話だと分かっている。

 

『1号機、自由機動不可は変わりません。右脚部応答遅延、左腕部出力制限、姿勢制御不安定。肩背部の歪みも残っています。歩かせるのは無理です』

 

『固定射撃に必要な条件は』

 

『腰部と肩部を艦側補助アームで保持。脚部は格納庫固定具で完全固定。火器保持は機体単独では不可能です。艦側固定架台か補助アームで支える必要があります。照準補助と、仮接続のエネルギー供給ラインも要ります』

 

 格納庫側の整備員の声は、やけに実務的だった。無茶だと分かっているが、条件を出せと言われたから出している声だ。こういう時の技術者は怖い。できると言っているわけではない。できない理由を並べながら、それでも「やるなら何が必要か」を出してくる。父さんもそういうところがあった。できません、で終わらせるのではなく、やるならここが危ない、ここが足りない、ここが壊れる、と整理する。

 

 ……父さん。

 

 名前を呼びそうになって、俺は息を止めた。今それを考え始めると、頭がそちらへ引っ張られる。けれど次の戦闘は待ってくれない。戦争は、本当に人の都合を聞かない。まじでクソだ。

 

『使用火器は』

 

『予備ビームライフル、または仮接続ビーム火器を検討中です。ただし、1号機の正式装備ではありません。機体側との相性確認も不十分です』

 

『反動は問題になるのか』

 

『実体弾のような大きな反動で吹っ飛ぶ話ではありません。問題は照準保持とエネルギー供給です。1号機側の姿勢制御が信用できないので、固定しても射線がずれる可能性が高い。発射時の負荷でビーム収束が不安定になる可能性もあります。補助アームと火器側の接続がどこまでもつかも分かりません』

 

 その説明に、俺は小さく頷きかけて、すぐにやめた。セイラさんに見られている気配がする。だが、今の説明は正しい。ビームライフルはバズーカや実体弾の銃みたいに、撃った反動で機体が後ろへ吹き飛ぶものではない。問題はそこじゃない。壊れかけの1号機を艦の固定具で無理やり支えて、狙った方向へ安定して撃てるか。エネルギー供給は落ちないか。ビームの収束は乱れないか。火器と補助アームの接続はもつか。撃った瞬間に、照準系や警告表示が一斉に文句を言わないか。

 

 便利な切り札ではない。

 

 無理やり作る、一発だけの射線だ。

 

『撃てるとしても一発、よくて二発です。連射は無理です。撃墜目的にはできません。敵の接近妨害、進路制限、2号機の射線作りなら、可能性はあります』

 

『アムロ・レイの2号機を前提にした支援か』

 

『はい。1号機だけでどうにかする案ではありません』

 

 そこは大事だ。ものすごく大事だ。俺が1号機で撃墜戦果を取る話ではない。歩けない1号機を、無理やり砲台として使うだけだ。主役は白い2号機。アムロのガンダム。俺の役目は、必要なら一瞬だけ敵の動きを削ること。アムロの負担を少し減らすこと。進路を作ること。

 

 それでも、中に乗るのは俺になる可能性が高い。

 

『固定して撃つって、簡単に言うなよ』

 

 リュウさんの声が割り込んだ。さっきよりも少し強い。

 

『中に乗るのは子どもだ。しかも医療班で座ってるのがやっとの子どもなんだぞ。条件整理はいい。だが、条件が揃ったから使う、みたいな話にするな』

 

『分かっている』

 

 ブライトの返事は短かった。苛立っているのではなく、押さえている声だった。リュウさんの言うことは正しい。整備班の言うことも正しい。ブライトが条件を聞くのも正しい。正しいもの同士がぶつかって、誰も楽にならない。ホワイトベースの現実が、それだった。

 

『レン・イズミの状態は』

 

 今度は医療区画に話が向いた。俺は思わず姿勢を正そうとして、脇腹が少し痛んだ。

 

「姿勢を正す必要はありません」

 

 医療担当の女性が即座に言った。早い。監視が強い。

 

 セイラさんが通信へ応じる。

 

「医療班としては、安静継続です。意識はあります。会話もできます。ですが、疲労、打撲、軽度の脱水、強い緊張状態が残っています。今すぐMSに乗せる状態ではありません」

 

 はっきり言い切った。ありがたいが、同時に少し居心地が悪い。俺は戦力候補で、でも今は子どもで、患者だ。そのどれも間違っていないのが面倒だった。

 

『分かった。レン・イズミを動かす命令は出さない。固定射撃案は準備可否だけを確認する。実行判断は保留だ』

 

 その言葉に、医療区画の空気がわずかに緩んだ。俺も息を吐く。まだ乗れとは言われていない。まだ撃てとは言われていない。けれど、準備可否の確認は始まる。つまり、必要になった時のために道だけは作るということだ。

 

 道ができると、人はそこを通れる。

 

 それが怖い。

 

「顔が、今すぐ格納庫へ行くと言っているわ」

 

 セイラさんが静かに言った。

 

「そんな顔してました?」

 

「していたわ」

 

「医療班の椅子から発進する予定は本当にないです」

 

「予定ではなく、衝動の話をしているの」

 

 逃げ道がない。俺は少しだけ笑ってごまかそうとして、うまく笑えなかった。

 

「原作……じゃなくて、普通に考えて、追ってきますよね。向こうは新型を見た。白い2号機だけじゃなくて、黒赤の1号機もある。見逃す理由がない」

 

「普通に考えて、という言い方にしては、確信が強いのね」

 

「軍人の子なので、たぶん嫌な想像が先に走るんです」

 

「それだけではない気がするわ」

 

「……そこは、俺も説明が難しいです」

 

 嘘ではない。説明が難しいのは本当だ。未来知識なんて説明できないし、してはいけない。セイラさんは俺をじっと見たが、それ以上は踏み込まなかった。代わりに、短く言う。

 

「無茶と必要な判断の違いを忘れないで。あなたが倒れたら、1号機も動かないのでしょう」

 

「たぶん、動きません」

 

「なら、今あなたのするべきことは倒れないことよ」

 

「正論が強い」

 

「ええ。今日は正論で押すわ」

 

 やっぱり強い。セイラさん、敵に回したくないタイプだ。いや、味方でもかなり逃げ場がない。

 

 通路側から足音がして、アムロが顔を出した。格納庫側へ呼ばれていたのだろう。疲れた顔をしているのに、目だけは妙に冴えている。ガンダムを動かした後の緊張が、まだ抜けていないのだと思う。

 

「レン、また1号機に乗るのか」

 

「今は乗らない。医療班からも、セイラさんからも、たぶん椅子からも止められてる」

 

「椅子からも?」

 

「固定ベルトがなかなか強い」

 

「ふざけてる場合じゃないだろ」

 

「ふざけてないと、ちょっときつい」

 

 アムロは顔をしかめた。前にも似たようなことを言った気がする。たぶん、こればかり言っている。便利な言い訳は多用されがちだ。よくない。分かっている。でも今は、それくらいしか手元にない。

 

「乗りたいわけじゃないよ。今の1号機は歩けない。撃てるとしても、固定して一発。しかも当たるかどうかじゃなくて、まず狙った方向へ撃てるかどうかの話」

 

「それでも、乗るかもしれないんだろ」

 

「……必要なら、そうなるかもしれない」

 

「じゃあ乗るなよ」

 

 アムロの声は強かった。怒っているというより、怖がっている声だと思った。俺がまた乗ることを怖がっている。たぶん、アムロ自身がまた乗るかもしれないことも怖いのだろう。

 

「アムロだって、同じこと言われたら困るでしょ」

 

「僕は……」

 

「うん。だから俺も、簡単には言えない。乗るなって言いたいけど、言い切れない。ホワイトベースが危ないなら、白い2号機が必要になるかもしれない」

 

「レンは、いつもそうやって先に考える」

 

「考えないと怖いからね」

 

「考えても怖いだろ」

 

「それはそう」

 

 アムロは黙った。短い会話なのに、やけに疲れる。機械の話ならもっと楽だった。入力、出力、遅延、制御。そういう話なら、俺たちはもう少し普通に話せた。今は違う。俺たちの会話の向こうに、白い2号機と黒赤の1号機がある。出撃とか、固定射撃とか、そういう嫌な言葉がある。

 

 少し離れたところで、フラウが子どもたちを抱えたままアムロを見ていた。何か言いたそうで、でも言えない顔だ。カイは壁際で腕を組み、こちらをちらっと見てから視線をそらした。

 

「出ても終わりじゃなくて、次は子どもをまた機械に乗せるかどうかってか。冗談じゃないぜ」

 

 その言い方は皮肉っぽいが、正しい。冗談じゃない。本当にそうだ。ハヤトはカイの横で拳を握っていた。何かできることはないのか、と顔に書いてある。だが今はまだ、その気持ちをどこへ向ければいいのか分からないのだろう。

 

『索敵範囲、拡大します。現在、明確な接触はありません』

 

『通信、通常回線は混雑。救難信号の整理を継続中』

 

『格納庫、固定射撃案の準備可否確認に入ります。実作業はブリッジ判断待ち』

 

 通信が続く。まだ敵影ではない。まだ戦闘ではない。けれど、艦内の空気は確実に一段上がった。追撃の気配が、まだ姿を見せないまま近づいてくる。原作ならこの後が本番だ。今のホワイトベースには、原作にない黒赤の1号機がある。だからこそ、できることも増えた。危険も増えた。

 

『ブライト、固定射撃案は準備だけでも時間がかかります』

 

『分かっている。実行はまだ判断しない。ただし必要になってから条件を調べていては間に合わん。準備可否だけ確認しろ。繰り返す、準備可否だけだ』

 

 ブライトの声が艦内に響いた。

 

 準備可否だけ。

 

 その言葉は、命令としては慎重だった。だが、俺には重く聞こえた。準備ができると分かれば、必要になった時に使われる。使われるなら、中に座る人間がいる。白い2号機にはアムロ。黒赤の1号機には、たぶん俺。

 

 まだ撃たない。

 

 まだ乗らない。

 

 でも、一発だけの準備が始まろうとしている。

 

 俺は医療班の椅子に固定されたまま、伏せた端末に手を置いた。父さんと母さんの通信は、まだ返ってこない。格納庫の方から、補助アームを動かす金属音がかすかに聞こえた気がした。追撃はまだ見えない。けれど、ホワイトベースはもう、次の戦闘に備え始めていた。

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