黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第2話 野菜と端末の使用時間

 制御教材は、思っていたよりちゃんとしていた。

 

 いや、子ども向けだからと少し舐めていた。申し訳ない。宇宙世紀の子ども向け教材、普通にレベルが高い。絵は丸っこいし、説明もやさしい。キャラクターみたいな整備ロボが「入力を確認しよう」とか言ってくる。そこだけ見ると完全に幼児向けだ。

 

 ただ、その中身が笑えない。

 

 入力。出力。遅延。安全装置。異常検知。手動停止。再起動手順。負荷が一定以上になった時の出力制限。これを「楽しく学ぼう」みたいな顔で出してくる。

 

 前世の俺が三十五歳の社会人だったから分かる。これは子ども向けの皮をかぶった、かなりまともな基礎教材だ。というか、普通に大人でも最初の研修で使える。宇宙世紀、教育方面の技術はすごい。戦争方面に使わなければもっとよかったのに。

 

 父さんは教材を俺の前に置き、透明なカバー越しに中の小さな部品を指で示した。

 

「これは入力スイッチ。ここで命令を出す。こっちは制御部だ。入力を受け取って、どう動かすかを決める。そしてここが出力部。実際に動く部分だな」

 

「おすと、うごく?」

 

「基本はそうだ。ただ、押した瞬間に何でも動くわけじゃない。安全確認が入る。動かしていい状態か、止めるべき状態か、機械自身が判断することもある」

 

「かしこい」

 

「賢いというより、そう作っている。機械は勝手に賢くなるわけじゃない。誰かが、そう動くように設計するんだ」

 

 父さんの説明は、子ども相手としては少し細かい。

 

 だが、たぶんこれでもかなり噛み砕いてくれている。父さんは連邦軍の技術少佐だ。サイド7の施設管理や搬送区画にも関わっている。前世記憶が戻る前なら「父さんすごい」で終わっていたと思う。

 

 今の俺からすると、すごいより先に怖い。

 

 施設管理。搬送区画。技術少佐。サイド7。

 

 単語の並びがもう嫌だ。V作戦の匂いがする。いや、まだ確証はない。俺が勝手に前世知識で疑っているだけだ。だが、サイド7で連邦軍技術系の親。しかも施設と搬送に関わる。どう考えても普通の家庭設定ではない。

 

 家庭環境が攻略情報みたいに見えるの、本当に嫌なんだが。

 

「レン、聞いているか」

 

「あ、うん。きいてる」

 

「そうか? 少し遠い目をしていたぞ」

 

「きかいが、かってにうごいたらこわいなって」

 

 我ながら、なかなか便利なごまかしだった。嘘ではない。機械が勝手に動いたら怖い。特に宇宙世紀の機械はでかい。モビルスーツが勝手に動いたら普通に災害である。

 

 父さんは少し真面目な顔で頷いた。

 

「その感覚は大事だ。機械は便利だが、危険でもある。動くものは人を助けるが、間違って動けば人を傷つける。だから安全装置があるし、点検がある」

 

「てんけん」

 

「動かす前に見る。動かした後にも見る。音、熱、振動、反応の遅れ。小さな違和感を放っておくと、大きな事故になる」

 

 音。熱。振動。反応の遅れ。

 

 俺はその言葉を頭の中で反復した。

 

 絶対に役に立つ。役に立つ場面なんて来てほしくないが、たぶん来る。こういう基礎が、後で生死を分ける。少なくとも前世の創作ではそうだったし、現実の機械でもたぶんそうだ。

 

 いや、未来の戦場で「父さんの子ども向け制御教材が役に立ちました」とか、なかなか笑えない。

 

「じゃあ、うごくまえに、ちゃんと見る」

 

「ああ。見るだけではなく、考えることだな。なぜそう動くのか。なぜ止まるのか。なぜ遅れるのか。理由を探す癖をつけるといい」

 

「りゆう」

 

「そうだ。機械は理由なく壊れたりしない。見つけられるかどうかは別だが、必ず原因はある」

 

 父さんはそう言って、教材の小さなスイッチを押した。

 

 透明カバーの中で小さなアームが動く。ぎこちないが、可愛げのある動きだった。子どもなら普通に喜ぶ。前世三十五歳の記憶がある俺でも、ちょっと楽しい。

 

 問題は、俺がその動きを見ながら、どこをいじれば反応速度が上がるかを考えてしまうことだ。

 

 駄目だ。

 

 やりすぎるな。

 

 今の俺は「機械に興味がある子ども」であって、「前世知識込みで制御を最適化しようとする不審な幼児」ではない。後者は危険すぎる。字面からして通報案件である。

 

「レン?」

 

「これ、もういっかい見たい」

 

「いいぞ。ただし今日は分解しない」

 

「しないよ」

 

「本当か?」

 

「たぶん」

 

「たぶんを付けるな」

 

 ばれている。

 

 父さんは困ったように笑った。怒っているわけではない。たぶん、機械好きな子どもが中を見たがっていると思っているのだろう。実際、間違ってはいない。中身はかなり違うが。

 

 この日から、俺は父さんの前で教材を触るようになった。

 

 入力して、動きを見る。止める。もう一度動かす。わざと間違えた入力をして、安全装置がどう反応するか確認する。もちろん、やりすぎない範囲でだ。

 

 すぐに全部理解した顔はしない。

 

「むずかしい」と言う。

 

「もういっかい」と言う。

 

 時々失敗する。

 

 時々、分かっていないふりもする。

 

 ……いや、これ、思ったより精神に来るな。

 

 前世で仕事をしていた時、分からないふりをするのはあまり好きじゃなかった。分かるなら分かると言いたいし、できるならできると言いたい。だが今はそれが危険だ。何でも分かる子どもは、可愛いを通り越して怖い。

 

 だから、少し賢い。少し変わっている。少し機械が好き。

 

 この「少し」に命をかけることになるとは思わなかった。人生、いや転生、何が起きるか分からない。

 

 そして、俺の生存戦略は父さんだけでは成立しなかった。

 

 夕方、母さんが帰ってきた。

 

 母さんは連邦軍の技術大尉だ。搬入管制や現場指揮補佐に関わっている。父さんより雰囲気は柔らかいが、仕事の話になると目がかなり鋭い。前世の俺が見ても、現場で頼られるタイプだと思う。

 

 ただ、家では普通に母親だった。

 

「レン、今日も教材ばかり見ていたの?」

 

「ばかりじゃないよ。ちょっと」

 

「あなたのちょっとは長いのよ」

 

 母さんは上着を脱ぎながら、俺と教材を交互に見た。

 

 笑ってはいるが、目がチェックしている。さすが管制系。家庭内でも監視精度が高い。いや、褒めている場合ではない。

 

「ちゃんと外で遊んだ?」

 

「あそんだ」

 

「何をしたの」

 

「はしった。あと、ころんだ」

 

「転んだの?」

 

「ちょっとだけ」

 

 母さんは俺の膝を見た。小さな擦り傷がある。正直、痛みは大したことない。だが母さんは棚から消毒セットを出してきた。

 

「ちょっとでも手当てはします。怪我は小さいうちに見なさい」

 

「いたくないよ」

 

「痛くない時ほど見落とすの。現場でもそう。小さな異常を見逃すと後で大きくなる」

 

 また出た。

 

 小さな異常。

 

 父さんは機械の話でそれを言い、母さんは怪我の話でそれを言う。両親そろって、子どもに危機管理を叩き込むスタイルだった。軍人家庭だからなのか、サイド7だからなのか、和泉家がこういう家なのか。たぶん全部だ。

 

 母さんは俺の膝を手当てしながら、静かに続けた。

 

「それと、走るなら場所を見なさい。居住区の広場ならいいけれど、搬入用の通路や整備区画の近くでは絶対に走らないこと」

 

「ひょうじがあるところ?」

 

「そう。床の線、壁の表示、警告灯。読めるものは読む。読めないものは近づかない」

 

「赤いのはだめ?」

 

「基本は止まる。黄色は注意。青や緑でも、周りを見ないで進んでは駄目」

 

「おとながいたら?」

 

「大人の邪魔をしない。特に荷物を運んでいる人、端末を見ながら歩いている人、作業服の人には近づかない」

 

 母さんの注意は細かい。

 

 だが、不自然ではなかった。サイド7はまだ完成しきっていないコロニーだ。建設途中の区画もあるし、軍関係の施設もある。子どもが不用意に入っていい場所ばかりではない。

 

 そして俺にとっては、その全部が情報になる。

 

 床の線。壁の表示。警告灯。搬入通路。整備区画。人の流れ。

 

 前世で画面越しに見ていたサイド7ではなく、今ここで生活しているサイド7の情報だ。設定資料ではなく、生活基盤。たぶん、こっちの方が後で役に立つ。

 

 いや、本当に後で役に立ちそうなのが嫌だ。

 

「わかった。じゃあ、ちゃんと見てあるく」

 

「歩くだけじゃなくて、食べることもちゃんとしなさい」

 

 母さんはそこで、食卓の方を見た。

 

 嫌な予感がした。

 

 夕食には、緑色の野菜があった。

 

 前世の俺なら、たぶん普通に食べられたと思う。好き嫌いがまったくなかったわけではないが、大人として出されたものは食べる。そういう常識はあった。

 

 だが今の味覚は子ども寄りなのか、妙に苦い。

 

 宇宙世紀の技術力を持ってしても、野菜の苦味は完全には消せないらしい。そこは未来感を出してくれてもよかった。いや、栄養とか品種改良とか色々あるのかもしれないが、今の俺からすれば苦いものは苦い。

 

「レン、野菜が残っています」

 

「たべるよ」

 

「さっきから端に寄せているように見えるけれど」

 

「配置をかえてるだけ」

 

「食べ物で配置転換をしないの」

 

 父さんが小さく笑った。

 

「レン、強い体には食事が必要だろう」

 

「うん……」

 

「それに、頭を使うにも食事は必要だ」

 

「それは、ずるい」

 

「事実だ」

 

 正論は強い。

 

 正論で殴られると、反論が難しい。しかも相手は父さんと母さんである。技術少佐と技術大尉の連携攻撃。やめてほしい。食卓で包囲戦をするな。

 

 俺はフォークを握り、緑色の野菜を見下ろした。

 

 戦争はまだ遠い。

 

 ザクもまだ来ない。

 

 シャアもたぶんまだ関係ない。

 

 だが、俺の最初の敵は目の前にいた。

 

 野菜である。

 

 いや、本当に何と戦ってるんだ俺は。

 

 それでも食べた。えらい。自分で自分を褒めておく。誰も褒めてくれないかもしれないし。

 

 母さんは満足そうに頷いた。

 

「よろしい。あと端末は今日はもう終わりです」

 

「え」

 

「え、ではありません。目と頭を休ませる時間も必要です」

 

「でも、教材まだ途中」

 

「途中で止める練習も必要です」

 

「それは……そうだけど」

 

 正しい。

 

 これも正しい。

 

 機械の勉強も、体力作りも、情報収集も大事だ。だが、やりすぎれば怪しまれる。母さんに端末時間を管理されるのは面倒だが、逆に考えればちょうどいいブレーキでもある。

 

 いや、ブレーキ役が強すぎる気もするが。

 

「明日また見ればいいでしょう」

 

「明日も見ていい?」

 

「外で遊んで、食事をちゃんとして、休む時間を守るなら」

 

「条件が多い」

 

「生きるのは条件が多いものよ」

 

 母さんは何気なくそう言った。

 

 俺は一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 生きるのは条件が多い。

 

 たぶん母さんにとっては、子どもに生活習慣を守らせるための言葉だったのだろう。だが、今の俺には妙に重く聞こえた。

 

 生き残るにも条件が多い。

 

 体を作る。機械を覚える。怪しまれない。未来知識を隠す。家族を守りたい。周囲も助けたい。けれど全部は無理だと分かっている。できることを増やすしかない。

 

 やることが多い。

 

 多すぎる。

 

 この小さい体に課すタスク量じゃない。前世の会社でももう少し段階を踏んでくれたぞ。

 

 でも、文句を言っても始まらない。

 

 端末は閉じる。野菜は食べる。外では遊ぶ。父さんには機械好きな子どもとして見てもらう。母さんには手がかからないが少し変わった子どもとして扱ってもらう。

 

 普通の子どもとして生活しながら、少しずつ準備する。

 

 宇宙世紀を生き残るための最初の戦いは、ザクでもジオンでもシャアでもなく、まずは野菜と端末の使用時間から始まった。

 

 いや、本当にこれでいいのか。

 

 生存戦略は、足元からである。

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