黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第20話 一発だけの射線

 ホワイトベースの艦内が、逃げるための混乱から、戦うための緊張へ変わっていくのが分かった。

 

 医療区画にいても、それは音で伝わってくる。通路を走る足音。格納庫から響く固定具の作動音。ブリッジから流れる短い命令。避難民のざわめきは小さくなり、その代わりに、誰もが放送へ耳を向けていた。サイド7を離れた。けれど、助かったわけではない。ホワイトベースはガンダムを積んだまま宇宙に出た。ジオンが見逃してくれる理由は、どこにもない。

 

『ブリッジより各区画。索敵範囲を拡大。格納庫はガンダム2号機の発進準備を進めてください。ガンダム1号機は固定射撃準備、実行判断待ち』

 

 ミライさんの声は落ち着いていた。だからこそ、内容の重さが余計に分かる。ガンダム2号機。白いガンダム。アムロが乗る機体。ガンダム1号機。黒赤の、俺が動かした機体。サイド7の中では機体番号や新型機という言い方が多かったが、もう隠す段階ではないのだろう。ホワイトベースの中では、ガンダムという名前が普通に使われ始めていた。

 

 俺は医療区画の壁に手をつき、ゆっくり立ち上がった。体はまだ重い。脇腹も痛い。足に力も入りにくい。だが、さっきまでみたいに同じ場所で端末を見つめ続ける段階は終わっていた。父さんと母さんのことは頭から消えない。通信はまだ返ってこない。けれど、今ここでホワイトベースが沈めば、確認する未来そのものがなくなる。

 

「レン君」

 

 セイラさんがこちらを見た。

 

「まだ呼ばれていなくてよ」

 

「はい。だから、勝手には行きません」

 

「呼ばれたら行くつもりなのね。よろし?」

 

「……そこは、否定すると嘘になります」

 

 セイラさんの目が少し厳しくなる。止めたいのだと思う。医療班としても、普通の大人としても、十二歳の子どもをもう一度ガンダムに乗せるなんて止めるのが当たり前だ。俺だって、他人が同じことをしようとしていたら止める。だが、今は俺がその子どもだった。

 

『索敵班よりブリッジ。後方、サイド7離脱方向より接近反応。MS級、複数』

 

 通信が入った瞬間、艦内の空気が固まった。

 

『数は』

 

『二機。さらに後方に高速反応一。距離を詰めています』

 

『高速反応?』

 

『通常のザクより速い……いえ、これは、通常の三倍近い速度です』

 

 ブリッジ側がざわついた。ブライトの声はすぐには返らない。代わりに、かすれた低い声が通信に乗った。

 

『赤い彗星……か』

 

 パオロ艦長の声だった。負傷しているはずなのに、短い言葉だけでブリッジの空気が変わる。ブライトはその名を知識としては知っていても、実感としてはまだ掴めていないのだろう。だが、パオロ艦長は違う。通常の三倍近い速度で迫る赤い機体。その意味を、艦長は知っている。

 

『艦長、無理をなさらずに』

 

『ブライト、相手を甘く見るな。白兵戦になる前に、ガンダムを出せ』

 

『はっ。ガンダム2号機、発進準備を急げ。アムロ・レイを格納庫へ』

 

 ブライトの命令で、艦内が一気に動いた。フラウが子どもたちを抱えたまま顔を上げる。カイは壁際で「三倍って何だよ」と呟き、ハヤトは白いガンダムがある方を見ていた。そこには不安だけではない。何かをしたいのにできない、焦りの色があった。

 

 アムロが通路を走ってくる。顔色は悪い。疲れている。それでも、足は格納庫へ向かっていた。俺と目が合うと、彼は少しだけ足を止める。

 

「レン、お前は来るなよ」

 

「開口一番それ?」

 

「来るつもりなんだろ」

 

「必要なら」

 

「その必要ならって言い方、嫌いだ」

 

「俺も好きで使ってないよ」

 

 アムロは唇を噛んだ。怒りたいのだと思う。けれど、自分もガンダム2号機へ向かっている。だから俺だけを責めきれない。

 

「2号機、頼む」

 

「簡単に言うなよ」

 

「簡単じゃないのは分かってる。でも、白いガンダムは動ける。俺の1号機は歩けない」

 

「だったら乗るなよ」

 

「歩けなくても、固定すれば一発だけ撃てる」

 

「たった一発だけだろ」

 

「だから、一発で決める」

 

 アムロの顔がさらに険しくなった。言いすぎたかもしれない。だが、ここで誤魔化しても意味がない。周囲は牽制だと思っている。進路制限、接近妨害、2号機の支援。当たれば幸運。その見積もりは正しい。普通ならそうだ。

 

 でも、俺は当てるつもりだった。

 

『アムロ・レイ、急げ』

 

 ブライトの声が飛ぶ。アムロは俺から視線を外し、格納庫へ向かった。フラウが何か言いかけたが、声にはならなかった。今のアムロに何を言えばいいのか、誰にも分からないのだと思う。

 

『ガンダム1号機、固定射撃準備状況を報告』

 

『腰部、肩部補助アーム接続中。脚部固定完了。左腕は使用不可。予備ビームライフルを艦側固定架台で保持します。正式装備ではありません。照準補助、エネルギー供給ラインともに不安定』

 

『実射撃は可能か』

 

『牽制なら可能性があります。ただし一発限りに近い。命中を前提にする装備ではありません』

 

 命中を前提にする装備ではない。その通りだ。反動で吹っ飛ぶような話ではないが、照準保持、エネルギー供給、ビーム収束、火器接続、補助アームの保持、全部が不安定だ。固定しているから当たるわけではない。むしろ固定されているから、射線を外せば修正がきかない。

 

『ブライト、レンを乗せるのは反対だ』

 

 リュウさんの声が割り込んだ。

 

『あいつは医療班から出したばかりだ。中に乗るのは子どもなんだぞ』

 

『分かっている。だが、敵が赤い彗星なら、2号機だけで受けきれる保証はない』

 

『だからって』

 

『1号機を出すわけではない。固定射撃だ。実行は状況を見て判断する』

 

 ブライトの声は硬かった。冷酷だからではない。迷いごと押し込めて、命令にしている声だ。若すぎる指揮官に、選びたくない選択肢が並べられている。俺はそれを聞きながら、セイラさんへ向き直った。

 

「行きます」

 

「止めても行くのね」

 

「止められたら、たぶん行きません。というより、行けません」

 

「なら止めたいわ」

 

「はい」

 

 セイラさんは少しだけ黙った。その沈黙が一番きつかった。彼女は俺を見ている。子どもとして、負傷者として、そして今この艦でガンダム1号機を扱える人間として。

 

「無茶と必要な判断を、取り違えないこと。よろし?」

 

「はい」

 

「撃てないと思ったら撃たないこと。よろし?」

 

「それは守ります」

 

「当てられないと思ったら?」

 

「撃ちません」

 

 セイラさんは、そこでようやく一歩横へずれた。

 

「リュウに支えてもらいなさい。歩けるふりはおよしなさい」

 

「そこは本当に助かります。今の俺、見栄だけで歩いたら普通に転びます」

 

「分かっているなら、最初から見栄はおよしなさい」

 

 正論が強い。けれど、今回はそれ以上言い返さなかった。

 

 格納庫へ向かうと、音が一気に増えた。白いガンダム2号機は発進位置へ送られ、整備員たちが最後の確認をしている。黒赤のガンダム1号機は格納庫内の固定架台に抱えられていた。腰部と肩部を補助アームが押さえ、脚部は完全固定。右側には予備ビームライフルを支える艦側架台が伸びている。

 

 ガンダムというより、砲台にされた巨人だった。

 

「レン」

 

 リュウさんが俺の肩を支える。

 

「本当に無理だと思ったら言え。いいな、絶対だぞ」

 

「はい」

 

「格好つけるな」

 

「今の俺に格好つく要素あります?」

 

「そういう返しができるなら、まだ意識はあるな」

 

「判断基準そこですか」

 

 リュウさんは苦い顔をしたが、少しだけ力を抜いた。緊張を解くための軽口だと分かってくれたのだろう。俺もそれ以上は言わず、ガンダム1号機のコックピットへ入った。

 

 シートに体を預ける。表示が立ち上がる。

 

『右脚部応答遅延』

『左腕部出力制限』

『姿勢制御補助モード』

『外部固定具接続中』

『火器接続:仮』

『照準補助:不安定』

『エネルギー供給ライン:艦側補助』

 

「ひどいな、これ」

 

 思わず声が出た。知っていた。知っていたが、改めて見ると本当にひどい。戦闘機動どころか、歩くこともできない。左腕は使えない。姿勢制御は補助頼み。ビームライフルは正式装備ではなく、艦側架台に支えられた仮接続火器だ。撃てるとしても一発。よくて二発。撃った後は照準系も火器接続もまともでは残らないだろう。

 

 だが、照準は動く。

 

 遅い。重い。補助アームの保持が半拍遅れる。火器側の発射ラグもある。エネルギー供給ラインの表示も安定していない。だから、敵が今いる場所を撃っても当たらない。敵が来る場所に、先に射線を置くしかない。

 

『ガンダム2号機、発進準備完了』

 

 アムロの声が通信に入る。震えている。けれど、逃げてはいない。

 

『アムロ、ガンダム、行きまーす』

 

 白いガンダムがカタパルトから宇宙へ出た。

 

 その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。原作で何度も聞いた響きに近い。けれど今は画面の向こうではない。すぐ近くで、友人がそれを言っている。アムロはガンダム2号機で出た。なら、俺は俺の一発を使う。

 

『敵MS二機、ガンダム2号機へ向かいます。高速反応はさらに後方。もう一機、ホワイトベース進路側へ回り込みます』

 

 ブリッジから報告が入る。俺はモニター上の反応を追った。赤い高速反応には手を出さない。出せるわけがないし、出してはいけない。狙うのはホワイトベースの進路側へ回ろうとしているザクだ。ガンダム2号機に意識を引かれながら、艦の進路を塞ごうとしている。そこに一瞬、射線が通る。

 

『1号機、牽制射撃用意。無理に狙うな』

 

 格納庫側の声。

 

 無理に狙うな。正しい。これは命中を前提にした装備ではない。だが、俺は照準を敵影そのものではなく、敵が次に通る空間へ置いた。ホワイトベースの姿勢がわずかに変わる。ミライさんが艦を支えている。補助アームが遅れる。火器接続も遅れる。ガンダム2号機の動きに、ザクが反応する。進路を変える。なら、次に避ける先はそこしかない。

 

 怖さはある。手も震えそうになる。だが、怖いから余計なものが削れていく。見えているものを重ねる。敵の進路。艦の揺れ。火器の遅れ。自分の反応。ガンダム1号機の不完全さ。

 

 固定されているから当たるんじゃない。

 

 固定されていても、当てる。

 

 まだ。

 

 まだ。

 

 敵が進路を切る。

 

 今。

 

「撃つ」

 

 トリガーを引いた。

 

 ビームが走る。実体弾のような反動はない。代わりに、照準補助が赤く跳ね、エネルギー供給ラインが警告を吐き、火器接続の数値が乱れる。コックピット内に警告音が重なった。だが、撃った後の警告に意味はない。もう射線は走っている。

 

 ザクが、俺の置いた空間へ飛び込んだ。

 

 ビームが胴を貫く。

 

 一瞬の間を置いて、敵MSの反応が消えた。

 

『命中! 敵MS一機、消失!』

『1号機、火器接続異常! エネルギー供給ライン遮断!』

『補助アーム保持値低下! 次弾不可、撃つな!』

 

 格納庫の通信が跳ねた。俺は息を吐こうとして、うまく吐けなかった。体が遅れて震え始める。腕が重い。視界の端が白くなる。

 

『レン!』

 

 アムロの声が飛び込んできた。驚きと怒りと心配が混ざっていた。

 

「一発だけだよ、ちゃんと」

 

 それ以上は続かなかった。黒赤のガンダム1号機は固定具に抱えられたまま、警告を鳴らし続けている。もう一度撃てと言われても撃てない。便利な砲台ではない。無理やり作った、一発だけの射線だった。

 

 それでも、その一発は当たった。

 

 まぐれではない。当てるつもりで撃った。敵が来る場所を読んで、そこで待った。

 

 俺は操縦桿からゆっくり手を離し、消えた敵反応の場所を見続けた。ホワイトベースの艦内が、遅れてざわめき始める。誰かが何かを叫んでいる。リュウさんの声も、セイラさんの声も聞こえる。けれど、俺の耳にはまだ、ガンダム1号機の警告音だけが妙にはっきり残っていた。

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