黒いガンダムのコックピットハッチが開くと、格納庫の音が一気に流れ込んできた。
警告音、整備員の怒号、補助アームの駆動音、通信の呼び出し。さらに、誰かの手を離れた工具がゆっくり流れて、機体の外装に小さく当たる音まで混じっている。戦闘は一段落した。けれど、格納庫の中に勝った空気はなかった。誰も笑っていない。誰も気を抜いていない。ホワイトベースはまだ宇宙を進んでいて、ガンダム1号機はまだ警告を鳴らし続けていた。
「レン、ハッチの縁を掴め。自分だけで動くな」
リュウさんの声が外から聞こえた。言い方は強いが、手順は丁寧だった。コックピットの外へ伸びた手すりに、俺は指をかける。身体をシートから引き離すだけで、腹と背中に力が入らず、姿勢が流れそうになった。重力で倒れるわけではない。だからこそ、支えを失うと変な向きへ漂ってしまう。さっきまでよく照準を合わせられたな、と少し他人事みたいに思った。
「すみません。姿勢、ちょっと保てないです」
「ちょっと、じゃねえ顔してるぞ。ゆっくりでいい」
「顔に出るタイプになってきましたね、俺」
「今は隠すな。面倒が増える」
リュウさんが腕を取って、俺の身体をハッチの外へ誘導する。慣れたパイロットみたいに無重力で身をさばく余裕はない。手すりを掴み、つま先をステップに引っかけ、リュウさんの支えに合わせて、どうにかコックピットから外へ出た。デッキへ戻るというより、機体から引き剥がされて、格納庫の空間に戻された感じだった。
近くで待っていたセイラさんが、俺の顔を見るなり眉を寄せた。
「顔色が悪いわ。動かないで」
「自覚あります。たぶん、外装より中身の方が先に点検必要です」
「冗談として受け取るには、あまり笑えなくてよ」
「はい。言ってから自分でもそう思いました」
セイラさんは短く息を吐き、医療班へ合図した。医療担当が俺の肩を押さえ、壁際のハンドホールドへ身体を固定する。腕を動かされ、目の焦点を確認され、呼吸を見られる。どこが痛いか聞かれたが、正直、全部が重かった。厳密には重いのではなく、身体の芯に力が入らない。集中が切れた後に、遅れて疲労だけが戻ってきたような感じだった。
父さんと母さんへの通信は、まだ返ってきていない。その事実は頭の奥に残っている。けれど今は、そこへ沈み込む余裕すらなかった。身体が先に限界を訴えている。
整備班は、俺よりもガンダム1号機の方へ集中していた。
「火器系統、完全遮断。艦側供給ラインも切れ」
「補助アームを一気に抜くな。肩側に負荷が残ってる」
「照準系は触るな、ログを取ってからだ。何であれで当たったんだ」
「当たった理由は後でいい。今は壊れた場所を数えろ」
最後の声に、少しだけ苦笑しそうになった。正しい。俺が当てたことより、今は壊れた場所を数える方が大事だ。ガンダム1号機は便利な砲台ではない。あれは一度きりの無茶だった。火器接続は落ち、照準系は異常、補助アームにも負荷が残っている。もう一発撃てと言われても撃てない。撃とうとしたら、たぶん整備班とリュウさんに先に止められる。
黒赤のガンダム1号機は、固定架台に抱えられたまま沈黙している。少し前までザクを撃ち抜いた機体には見えない。無理をさせられた巨人が、ようやく動かなくて済む場所へ戻されたように見えた。
『ガンダム2号機、帰還します。格納庫、収容準備』
ミライさんの声が流れた。
格納庫の視線が白いガンダムの方へ集まる。俺もハンドホールドに身体を預けたまま、そちらを見た。ガンダム2号機が戻ってくる。宇宙から帰ってきた白い機体は、大きく壊れてはいない。けれど、出ていった時と同じには見えなかった。赤い高速機の圧力を受け、それでもホワイトベースの周囲に踏みとどまった機体だ。外見よりも、その事実が重い。
ハッチが開き、アムロが姿を見せた。ノーマルスーツのまま、ハッチの縁を掴み、身体を押し出すようにしてデッキ側へ戻ってくる。動きはぎこちない。顔色も悪い。さっきまで白いガンダムで戦っていた少年の身体から、緊張だけがまだ抜けていないのが分かった。
フラウが区画の境目から身を乗り出すようにしてアムロを見た。子どもたちを連れているから、格納庫の奥までは入れない。アムロもその視線に気づいたが、うまく返せない。何か言おうとして、口を閉じた。たぶん、今は何を言っても違う気がしたのだろう。
アムロは手すりを伝ってこちらへ近づいた。
「レン」
「おかえり」
「そっちも戻ってるじゃないか」
「一応。1号機の方は、戻れって言われても困る状態だけど」
「当てたんだろ」
「一発だけ」
アムロはその言葉に少し顔を歪めた。責めたいのか、驚いているのか、自分でも整理できていない顔だった。
「一発だけで当てるのがおかしいんだ」
「変なのは否定しない。でも、もう一回やれって言われても無理。1号機も俺も拒否すると思う」
「……あの赤いやつ、速かった」
アムロは話を変えるように言った。いや、変えたというより、そこから離れられなかったのだろう。俺も頷いた。
「見てた。あれは今の1号機じゃ無理だ」
「2号機でも、追うだけで精いっぱいだった。こっちが動いたと思ったら、もう別のところにいる。何なんだよ、あれ」
「パオロ艦長が赤い彗星って言ってた」
「赤い彗星……」
アムロはその言葉を繰り返し、視線を落とした。名前を聞いたからといって、恐怖が減るわけではない。むしろ、名前がある分だけ重くなる。通常の三倍近い速度で迫る赤いザク。前世の知識では有名な存在でも、今の俺たちにとっては、ついさっきホワイトベースを沈めかけた敵だ。
「生きて戻っただけで、今日は十分だと思う」
俺が言うと、アムロは小さく息を吐いた。
「レンがそれ言うのか」
「俺が言うと説得力が減る問題はある」
「あるな」
ほんの少しだけ、アムロの顔から力が抜けた。褒め合う気にはなれなかった。撃墜したとか、凌いだとか、そういう言葉よりも、今は戻ってきたことの方が大きい。
少し離れた場所で、カイが腕を組んでいた。彼は壁際の手すりに片手をかけ、流されないようにしながら、格納庫に並ぶ二機のガンダムを見ている。
「助かったと思ったら、今度は軍に怒られる番かよ。民間人がガンダム動かしました、で笑って済む話じゃなさそうだぜ」
皮肉っぽい言い方だったが、内容はかなり正しい。サイド7での混乱、ホワイトベースへの収容、ガンダムの発進、固定射撃、撃墜。全部、非常事態だった。だがルナツーに着けば、非常事態だったからで全部が通るかは分からない。軍には軍の理屈がある。機密、命令、責任、処遇。たぶん、次はそっちが来る。
ハヤトは黙ってガンダム2号機と1号機を見比べていた。アムロが白いガンダムで戦い、俺が黒赤のガンダムで一発を当てた。その間、自分は何もできなかった。そんな顔だった。俺は何か言おうかと思ったが、やめた。今のハヤトに慰めを言っても、たぶん軽く聞こえる。彼の中で何かが溜まっていくのを、俺はただ見ているしかなかった。
『各区画、損傷確認を急げ。負傷者の再確認。索敵は継続。格納庫はガンダム両機の状態報告をまとめろ』
ブライトの声が艦内に流れた。戦闘が一段落しても、彼は休めない。むしろ、ここからが別の仕事だ。艦の損傷、負傷者、避難民、ガンダム、パオロ艦長の容態、ルナツーへの進路。十九歳前後の人間が抱える量ではない。だが、今のホワイトベースには彼が指揮を取るしかない。
ブリッジではミライさんが進路維持を続けているのだろう。通信越しの声は落ち着いていた。
『進路、ルナツー方面を維持しています。ただし、艦の姿勢制御にまだ乱れがあります。速度は上げすぎない方がいいと思います』
『分かった。警戒は維持しつつ、無理な加速は避ける。ルナツーへの通信は』
『断続的に試みています。応答はまだ安定していません』
『続けてくれ』
ブライトの声は短い。説明する余裕がないのだろう。けれど、短い命令の合間に迷いが見える気がした。ルナツーへ行けば、連邦軍の拠点に入れる。補給も修理も、負傷者の処置もできるかもしれない。だが同時に、ホワイトベースに乗っている民間人や、ガンダムを動かした俺たちの扱いも、そこで問題になる。
助かる場所へ向かっているはずなのに、次の不安も一緒に近づいてくる。
『ブライト……』
かすれた声が通信に入った。パオロ艦長だった。ブリッジの空気が、また変わる。
『艦長、医療班を』
『いい。短く済ませる』
呼吸が荒い。聞いているだけで、無理をしているのが分かる。格納庫にいた整備員たちも、少し声を落とした。
『ルナツーへ向かえ。ワッケインに艦と避難民を引き渡す。それまでは、艦を保たせろ』
『はい』
『ガンダムの扱いは……慎重にしろ。あれを動かした者たちもだ。子どもだからと切り捨てられるほど、今の状況は軽くない。だが、戦力としてだけ見るな』
ブライトの返事は、すぐには返らなかった。
『……了解しました』
『君が、今は指揮を執るんだ』
『艦長』
『まだ死ぬつもりはない。だが、私が立てない間は、君がやるしかない』
その言葉は静かだった。死亡の宣告ではない。けれど、次に何かが渡されていく音がした。ブライトはまだ正式な艦長ではない。それでも、実際に艦を動かしているのは彼だ。パオロ艦長の言葉は、その現実を本人へ突きつけている。
通信が切れる。格納庫の空気が重くなった。
リュウさんが小さく舌打ちした。怒りではない。どうしようもない現実への反応だった。セイラさんは俺の状態確認を続けながらも、ブリッジ方向へ一瞬だけ視線を向けた。ミライさんの声は次の通信で変わらず落ち着いていたが、それでも少しだけ間があった。
「ルナツーに行けば、どうなるんだろうな」
アムロが小さく言った。誰に聞いたというより、独り言に近い。
「少なくとも、修理と治療はしてほしい」
俺が答えると、アムロは横目でこちらを見た。
「それだけで済むと思うのか」
「済まないだろうね。ガンダムを民間人が動かしました、で終わる話じゃない」
「僕だって民間人だ」
「うん。だからたぶん、二人とも面倒なことになる」
「他人事みたいに言うなよ」
「自分事すぎると、ちょっと胃に来るんだよ」
アムロは呆れたように息を吐いた。さっきよりは、少しだけいつものアムロに近い。機械の話をしていた頃の彼とは違うが、完全に戦場の中へ飲まれたわけでもない。そのことに、少しだけほっとした。
整備班の一人が、ガンダム1号機の下から顔を出した。正確には、機体下部の点検位置から身体を滑らせ、手すりを掴んでこちらを向いた。
「1号機、最低でも全系統検査だ。火器接続は焼けてる。照準系もログが飛んでる箇所がある。補助アーム側も歪みが出てるぞ。これで当てたっていうのが、正直一番意味分からん」
「俺にも説明は難しいです」
「説明できないなら、次はやるな」
「やりたくはないです」
「やりたくないで済むなら戦争なんかしてないんだよな」
整備員はそう言って、また機体の点検へ戻っていった。言葉が妙に重かった。やりたくないで済むなら戦争なんかしていない。本当にその通りだ。
白いガンダム2号機は収容後の確認に入っている。黒赤のガンダム1号機は固定されたまま検査中。二機のガンダムは、同じ格納庫に並んでいるのに、まるで違う存在に見えた。2号機は戦場から戻ってきた主戦力。1号機は一発だけ撃って壊れた異物。どちらも民間人の子どもが動かした。その事実が、これからホワイトベースをさらにややこしい場所へ連れていく。
『通信班、ルナツーから応答』
ブリッジの声が艦内に流れた。
『回線、まだ不安定ですが、識別信号を確認中です』
『こちらは連邦軍所属艦ホワイトベース。サイド7より避難民および機密物資を収容。負傷者多数。入港許可と医療支援を求める』
ブライトの声が、今度は外へ向けて発せられた。少し硬い。だが、必要なことは伝えている。返信までの数秒が妙に長かった。
『こちらルナツー管制。識別信号を確認中。進路を維持せよ。入港手順を追って指示する』
その声を聞いた瞬間、格納庫の何人かが息を吐いた。助かった、というほど明るくはない。それでも、連邦軍の拠点から返事が来た。それだけで、ホワイトベースの中に張り詰めていたものが少しだけ緩む。
俺はハンドホールドに身体を預けたまま、格納庫の天井方向を見た。
ルナツーへ行く。そこには軍がいる。医療班も、整備設備も、命令系統もあるだろう。だが同時に、俺たちをどう扱うかを決める大人たちもいる。避難民、民間人、機密、新型機、少年パイロット。どれも軽い言葉ではない。
戦闘が終わったからといって、日常へ戻れるわけではない。
俺たちは白いガンダムと黒赤のガンダムを積んだまま、次の問題が待つ場所へ向かっていた。