黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第25話 黒へ変わる一号機

 ルナツーに着いたからといって、俺たちが自由になったわけではなかった。むしろ、ホワイトベースの中で雑に走り回っていた時より、ずっと動きにくい。通路の角には衛兵が立ち、区画を移るたびに名前と所属を聞かれ、俺とアムロには見張りがついた。軍事基地としては正しい。正しいのだが、避難民としてはかなり息が詰まる。ホワイトベースのクルーたちは疲れた顔で書類端末に署名し、民間人は指定区画へ押し込められ、俺たち子ども組は「保護対象」と「事情聴取対象」と「機密兵器を動かした問題児」の間をぐるぐる回されていた。宇宙世紀、肩書きが一つで済まない。

 

 アムロは端末の前で足を止めた。表示されているのはサイド7関係者の安否照会だ。死亡確認、負傷収容、所在確認中、通信途絶。軍の表示はやけに淡々としている。俺の父さんと母さんの欄は、まだMIA。アムロの父、テム・レイの欄も確定していなかった。所在確認中、事故区画、通信記録途絶。その数語だけで、人間を一番嫌な場所に置く。俺はその表示から目を離した。知っている。いや、知っているつもりでいる。テム・レイは完全に消えるわけではないはずだ。だが、それを今のアムロに言えるわけがないし、言ったところで何が救われるのかも分からない。

 

「見たのか」

 

 アムロが端末を見たまま言った。責める声ではなかったが、少し尖っていた。

 

「見えた。見たくて見たわけじゃない」

 

「父さんのこと、まだ何も分からないんだってさ。母さんは地球で、父さんはどこにいるか分からない。なのに僕だけ、こんなところで事情聴取なんて」

 

「俺も父さんと母さんはまだ行方不明扱いだよ。だから気持ちは分かる、なんて簡単には言わないけど、少なくとも今この表示だけで決めつけるのは早いと思う。通信途絶と死亡確認は違う」

 

「理屈はそうだよ。でも、理屈で楽になるなら苦労しないだろ」

 

「まあ、それは本当にそう」

 

 俺がそう返すと、アムロは少しだけ肩の力を抜いた。慰めになったとは思わない。ただ、何も言わないよりはマシだったかもしれない。俺たちは機械の話ならいくらでもできるのに、こういう時の言葉はひどく少ない。

 

 医療区画の前ではリュウさんが待っていた。ルナツーの衛兵と短く話してから、俺たちを見る。普段なら大きな手で肩でも叩いてきそうな人だが、今日はそうしなかった。

 

「二人とも、パオロ艦長が呼んでる。長話は無理だ。変に騒ぐなよ。アムロ、お前は食ってかかるな。レン、お前は理屈を積むな」

 

「俺だけ注意が具体的じゃないですか」

 

「自覚があるなら直せ」

 

 言い返す前に扉が開いた。中は消毒液と機械の匂いがした。パオロ艦長は寝台に固定され、胸元には何本ものラインが伸びている。顔色は悪い。けれど目だけは、まだ艦長のものだった。ワッケイン司令が傍らに立ち、ブライトさんは少し離れた位置で背筋を伸ばしていた。伸ばしすぎている。若い人間が無理に軍人の形を取ると、肩のあたりに出るのだと初めて知った。

 

「ブライト」

 

「はい」

 

「ホワイトベースは、君が動かせ」

 

 ブライトさんはすぐに返事をしなかった。喉だけが小さく動く。ワッケイン司令の視線が横から刺さった。正式な命令としては乱暴すぎるのだろう。ブライトさんは艦長ではない。士官候補生だ。ホワイトベースは機密の塊で、民間人と子どもと負傷者を抱え、乗員も足りていない。普通なら、きちんとした指揮官に引き継ぐべきだ。普通なら。だが、普通という言葉はサイド7でコロニーに穴が開いた時点でかなり遠くへ行っている。

 

「自分は、正式な艦長ではありません」

 

「正式でなければ艦は動かん、というなら、もう沈んでいた」

 

 パオロ艦長の声は弱いが、言葉は弱くなかった。

 

「君が全部を正しくできるとは思っていない。だが、艦の中の人間を見てきたのは君だ。誰が動けるか、誰が限界か、誰が怖がっているか、誰が無理をするか。それを知っている者が、艦長席に座れ」

 

 ブライトさんの指が、軍服の裾をほんの少し掴んだ。震えを隠すためか、返事の前に姿勢を作るためかは分からない。

 

「……了解しました」

 

 パオロ艦長は頷き、次にワッケイン司令を見た。

 

「ワッケイン。軍規は守ってくれ。だが、軍規で艦を止めるな」

 

「本艦と搭載機は機密です。民間人が新型を運用した事実も、士官候補生が実質指揮を執った事実も、軽く扱うことはできません」

 

「だから君に頼む。止めるなら、代わりに守れ。守れないなら、動ける者に動かさせろ」

 

 ワッケイン司令はすぐには答えなかった。その沈黙は、嫌味でも怒りでもなく、判断の沈黙だった。端末を閉じた音が小さく響く。

 

「ブライト士官候補生。正式な処遇はルナツー司令部から上申する。それまで、君にホワイトベース艦内の実務指揮継続を認める。ただし、これは任官ではない。君の判断が正当化されたわけでもない。責任が消えるわけでもない」

 

「承知しています」

 

「本当に承知している者の声には聞こえん」

 

 ブライトさんの顔が強張った。ワッケイン司令は畳みかけず、少しだけ声を落とした。

 

「だが、承知する時間もないのだろう。ならば、君はそのまま艦を動かせ。私の許可がある間だけだ」

 

「はい」

 

 パオロ艦長の視線が俺たちに向いた。アムロが一瞬だけ背筋を伸ばす。俺もそれに釣られた。

 

「アムロ・レイ、レン・イズミ。君たちがしたことは、軍では問題になる。だが、君たちがいなければホワイトベースはここまで来られなかった」

 

 アムロは何か言いかけたが、声にはしなかった。俺も黙っていた。褒められている感じはしなかった。たぶんパオロ艦長も、褒めているつもりだけではない。

 

「ブライト。子どもを使い潰すな。だが、見ないふりをして艦を沈めるな。矛盾している。それでも、艦長席に座るなら持っていけ」

 

 ブライトさんの敬礼は、ほんの一瞬だけ遅れた。パオロ艦長はそれを見て、わずかに目を細めた。医療士官が近づき、会話はそこで終わった。死亡ではない。だが、パオロ艦長はホワイトベースを降りる。治療と後送の対象になる。艦長席だけが、先に艦に残された。

 

 医療区画を出てから、アムロが低く言った。

 

「子どもを使い潰すなって言いながら、必要なら乗れってことじゃないか」

 

 リュウさんはすぐに否定しなかった。通路を行き交う兵の足音が過ぎてから、ゆっくり息を吐く。

 

「そうだな。ひどい話だ」

 

「だったら」

 

「でもな、アムロ。大人だけで何とかできるなら、とっくにやってる。お前らを使いたいんじゃない。使わないと沈むかもしれない。そこまで追い込まれてる」

 

「それを僕に言われても」

 

「分かってる。だから怒っていい。ただ、怒りながらでも動かなきゃいけない時がある。俺はそれを良いことだとは思わねえけどな」

 

 アムロは黙った。納得ではない。言い返す言葉を探して、見つからなかった顔だ。俺も似たようなものだった。戦争はまじでクソ。前世からの口癖みたいな結論が、こういう時だけ妙に正確になる。

 

 整備区画に入ると、空気が変わった。医療区画の細い電子音ではなく、金属を叩く音、アームの駆動音、排気と塗料の匂い、通信の短い確認。ルナツーのMSドックは、ホワイトベースの格納庫より広く、人も設備も桁が違った。天井から伸びる多関節アームが機体の外装を支え、レールに乗った予備パーツが作業台へ流れ、整備員たちは命綱とハンドホールドを使って、機体の周りを滑るように移動している。現代感覚なら数日はかかりそうな作業が、ここでは一つの命令で同時に走る。宇宙世紀の軍事整備、かなり頭がおかしい。いや、助かっているので悪口ではない。悪口ではないが、常識の置き場所に困る。

 

 白い2号機は、点検フレームの中で各部を開けられていた。関節、バックパック、ライフル接続、教育型コンピュータのログ。整備員が表示を見て、眉をひそめる。

 

「二号機、戦闘ログの反映が妙に速い。初期化はするな。パイロットの入力癖と噛んでる」

 

「だから、消さない方がいいって言ったんです」

 

 アムロが反射的に口を挟んだ。リュウさんの手がすぐに肩を掴む。

 

「触るな。口も半分、機体に触ってる」

 

「でも、そこを消されたら反応が変わるんです。あの機体は、さっきの戦闘で覚えてる」

 

「分かった。分かったから整備員に食いつくな。お前が一番分かってるのは分かった。だから余計に今は下がれ」

 

 アムロは不満そうに口を閉じた。気持ちはよく分かる。機械に触りたい。確認したい。間違った作業をされたら止めたい。だが、今の俺たちは正式な整備員でもパイロットでもなく、監視付きの少年である。すごく面倒くさい立場だ。

 

 俺の視線は、自然と1号機の方へ吸われた。

 

 サイド7からここまで、RX-78-1は黒と赤のプロトタイプ色だった。傷を隠すために一部を応急処理され、ホワイトベース出航前にも簡易補修は入っていたが、統一感なんてものはなかった。黒赤の機体に、剥き出しの補修材、仮固定された外装、熱で変色した肩。あれはあれで1号機らしいと言えばそうだが、戦場に出すにはあまりに応急処置の塊だった。

 

 その1号機が、今、塗装ブースを兼ねた整備台の上にいる。顔、首まわり、腰の白い装甲は残され、胸部中央の青とダクトの赤も整理される。だが肩、腕、脚、外装の白い部分は深い黒へ沈められていく。単なる見た目の塗装ではない。損傷外装を交換し、表面処理をし、識別パターンを変え、2号機との誤認を避けるための戦時再処理だ。塗料の霧が排気に吸われ、作業灯の下で黒い装甲が鈍く光る。

 

「一号機、右脚応答補正。遅延残り四パーセント。操縦側で吸収可能範囲」

 

「左腕は六割五分で固定。シールド保持は可能。格闘負荷はかけるな」

 

「ビームサーベル一本、通電確認。予備ラックは未調整」

 

「ライフル接続、射撃ログ確認。連射制限を機体側に入れろ。出力警告を無視されたら腕が負ける」

 

「識別塗装、黒パターンで確定。二号機との誤認防止を優先。顔、首、腰の白は残す。肩と四肢は黒で統一しろ」

 

 俺は思わず一歩前に出た。リュウさんの手が今度は俺の肩を掴む。

 

「触るな」

 

「まだ何もしてません」

 

「目が触ってるんだよ」

 

「目で触るって何ですか」

 

「整備員の顔で見てるってことだ。お前もアムロも、機体を見ると途端に顔つきが変わるんだよ」

 

 反論したかったが、少し無理だった。俺はたぶん、かなり見ていた。右脚の補正値、左腕の出力制限、サーベルの搭載位置、ライフルの接続、黒塗装の境目。全部見たい。全部確認したい。だが、それをやると「子どもがなぜそこまで分かる」という別の問題が出る。もう既にだいぶ手遅れな気もするが、これ以上積み上げるのはよくない。

 

 少し離れた場所では、ガンキャノンが火器確認を受けていた。赤い重装甲の機体を、カイさんが手すりに足先を引っかけて眺めている。嫌そうな顔なのに、視線は逃げていない。

 

「冗談じゃないぜ。あんな真っ赤で砲が二本もついてるやつ、どう見ても狙われ役だろ。乗った瞬間に『はい撃ってください』って札ぶら下げてるようなもんじゃねえか」

 

 ジョブ・ジョンが端末を抱えたまま、困った顔で返した。

 

「でも火器管制は通ってます。中距離支援ならかなり使えるって、ルナツーの整備班が」

 

「その『使える』って言葉が一番嫌なんだよ。使えるから使えってなるんだ。俺はそういう流れを信じない」

 

「たぶん、なります」

 

「お前、そういうところだけ正直だな。嫌いじゃないけど、今は嫌いだぜ」

 

 カイさんは文句を言いながら、ガンキャノンの胸部ハッチをじっと見ていた。逃げ腰ではある。でも、完全に背を向けてはいない。

 

 ガンタンクの方では、ハヤトが砲塔の動作確認を見ていた。整備員が左右の角度を読み上げるたびに、ハヤトの目が動く。小柄な体を手すりに固定し、指に力を入れている。

 

「これ、艦の近くにいれば守れるんですか」

 

 ハヤトの声は小さい。整備員は作業を続けながら答えた。

 

「砲撃支援と艦防衛なら使いやすい。前に出て斬り合う機体じゃないが、距離を取って撃てる。撃つ場所を間違えなければ、かなり助かる」

 

「……撃つ場所を間違えなければ」

 

「そこが一番難しい」

 

 ハヤトはそれ以上言わなかった。ただ、ガンタンクを見上げる目が少し変わった。アムロや俺のようにガンダムへ乗ってしまった人間とは別の形で、自分にも何かできる場所を探している。そう見えた。声をかけるのは簡単だが、簡単な励ましはたぶん軽い。俺は黙っていた。

 

 ドック中央の表示板に完了表示が並んでいく。RX-78-2、戦闘運用可。RX-78-1、制限付き戦闘運用可。ガンキャノン、起動および火器管制確認完了。ガンタンク、砲撃管制確認完了。完全修理ではない。どの機体にも注意書きと制限が残る。それでも、戦時応急整備としては成立していた。ルナツーの設備、人員、予備部品、V作戦系の規格部材。揃えばここまで早い。機械だけが、俺たちの心より先に次の戦場へ間に合っていく。かなり嫌な話だ。

 

 ワッケイン司令がドックへ入ってきた。隣にはブライトさんがいる。さっき医療区画で見た時より、声が少し硬い。

 

「整備状況は」

 

「搭載MS四機、緊急出撃可能です。二号機は主戦力運用可能。一号機は右脚と左腕に制限がありますが、基本動作は安定。ビームサーベル、ライフル、シールドは限定運用可能です。ガンキャノン、ガンタンクは支援機として起動確認済み。弾薬、推進剤、予備部品はホワイトベース側在庫と合わせて積み替え中」

 

 ワッケイン司令は端末を確認し、俺たちの方を見た。

 

「機体が動くことと、君たちが自由に乗っていいことは別だ。搭乗は許可していない」

 

 アムロが何か言おうとしたが、ブライトさんが先に口を開いた。

 

「敵襲時には、現場判断が必要になります」

 

「現場判断という言葉で軍規を破るな、ブライト。君は今、その線上に立っている」

 

「分かっています」

 

「分かっているなら、勝手に動かすな。パイロット候補はホワイトベース側管理下で待機。機体封鎖は継続する。ただし警戒態勢は上げる。出撃命令はルナツー司令部を通す」

 

 厳しい。だが、間違ってはいない。ワッケイン司令はただの嫌な上官ではない。正しい基地司令だ。問題は、正しい判断と現場の生存がいつも仲良くしてくれないことだろう。宇宙世紀、正論の角が鋭い。

 

 その時、通信卓の一つで短いノイズが走った。作業員の声が止まり、別の声が少し早口になる。

 

「第三外壁作業班、定時応答なし。再照会中」

 

 ワッケイン司令の目が動いた。

 

「ビーコンは」

 

「二名分が断続的です。外壁センサー一区画、戻りません。通信ノイズ増大」

 

 整備音は続いている。塗装ブースの排気も、固定具の駆動音も止まらない。だが、その音の間に細い隙間ができた。俺はドック外壁側の隔壁を見た。見えるのは分厚い壁だけだ。外なんて見えるわけがない。それなのに、首の後ろに薄い冷たさが走る。

 

「レン」

 

 アムロが小さく呼んだ。あいつも同じ方向を見ていた。

 

「何か、おかしくないか」

 

「おかしいと思う。でも、何がおかしいかまでは言えない」

 

「またそれか」

 

「俺もこの言い方嫌いなんだよ。信用ならないから」

 

 ワッケイン司令が短く命令を出した。

 

「外周警備を増員。ドック閉鎖準備。ホワイトベースへの積み替えを急がせろ。ブライト、君の艦は待機状態を維持しろ。無断発進は認めない」

 

「了解しました」

 

 ブライトさんは返事をした。だが、その視線は一瞬だけホワイトベースの方向へ動いた。艦長席を受け取ったばかりの若い指揮官が、もう次の判断を迫られている。

 

 俺は黒く塗り替えられていく1号機を見上げた。顔と首、腰に残る白。胸の青と赤いダクト。それ以外を沈める黒。黒いシールド。仮接続を終えたライフル。完全ではない。右脚も左腕も制限だらけだ。それでも、もう動ける。サイド7で倒れないようにするだけだった1号機は、ルナツーの設備と人間の手で、戦える黒いガンダムへ変わろうとしていた。

 

 安全な基地に来たはずだった。

 

 だが、外壁の向こうで何かがずれている。

 

 警戒灯が回り、塗りたての黒い装甲に赤い光が走った。俺はその光を見ながら、口には出せない名前を胸の中だけで押し殺した。





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