黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第26話 安全地帯の外へ

 第三外壁作業班の応答途絶は、最初は通信障害として処理されかけた。ルナツーほどの基地なら、外壁作業中に一時的なノイズが出ること自体は珍しくないのだろう。通信卓の兵も、最初は手順通りに再照会をかけ、予備回線へ切り替え、作業記録とビーコンを照合していた。だが、表示の赤が一つ増え、もう一つ増え、外壁センサーの一区画が戻らないまま隔壁制御にも黄色い警告が出たあたりで、空気が変わった。整備音は止まらない。止められない。けれど、ドックにいる大人たちの目だけが、機械から外壁側へ滑っていく。

 

「第三外壁、二名反応ありません。予備回線も応答ありません」

 

「事故か」

 

「断定できません。センサーが部分的に死んでいます。外部からの干渉か、作業中の破損か、まだ」

 

 ワッケイン司令は端末を受け取り、画面を一瞥した。怒鳴らない。慌てない。だからこそ、命令がよく通った。

 

「救助班を出せ。同時に、工作の可能性も排除するな。外周警備を二班追加。ドック隔壁は閉鎖準備。ホワイトベースの積み替えは続行。ただしMS封鎖は解除しない」

 

 最後の一言で、ブライトさんの肩がわずかに動いた。反論したいのではない。たぶん、反論すべきかどうかを一瞬で計算したのだ。だが相手はルナツー司令で、ここは基地のドックで、ホワイトベースは機密兵器を積んだ船だ。いくらパオロ艦長から艦を託されたとしても、ここで「では勝手に出ます」とは言えない。宇宙世紀、正論の角が鋭い。しかも今回は相手の正論もかなり正しい。

 

 俺とアムロは、まだ監視付きだった。衛兵二人が近くに立ち、リュウさんがその間にいる。守っているのか見張っているのか、たぶん両方だ。アムロは2号機の方を見て、次に外壁側を見る。俺も同じ動きをしていたと思う。外壁の向こうに何かがある。見えない。聞こえない。だが、通信ノイズの奥に薄い冷たさが混ざる。ニュータイプ的な何か、と言ってしまえばそれっぽいが、俺自身にはそこまで便利な自信はない。前世知識も同じだ。ルナツーで工作があることは知っている。シャアがここで何かする流れも知っている。だが細かい位置、人数、タイミング、この世界でのズレまでは分からない。決め打ちして叫んだところで、「なぜ分かる」で詰む。未来知識持ち転生者、こういう時かなり不便である。

 

「レン、今の、何だと思う」

 

 アムロが低い声で聞いてきた。

 

「嫌な感じがする。事故だけじゃないかもしれない。でも、それ以上は言えない」

 

「それじゃ何も言ってないのと同じだ」

 

「知ってる。俺も自分で言ってて腹立つ」

 

 アムロは唇を噛んだ。父親の所在不明、事情聴取、機体封鎖、外壁異常。苛立つ材料が多すぎる。普通なら一つずつ怒っていい話なのに、現実はまとめて来る。勘弁してほしい。

 

 ホワイトベース側では、積み替え作業が明らかに早まっていた。弾薬コンテナが固定レールに乗せられ、推進剤タンクがアームで運ばれ、予備部品の箱が艦内へ滑り込む。ジョブ・ジョンが端末を抱えて、半分浮きかけた工具箱を足先で押さえながら叫んでいた。

 

「この箱、二号機用じゃなくて一号機用です! 一号機の左腕制限パーツ、別にしてください!」

 

 リュウさんはブライトさんの方へ向かい、短く言葉を交わす。ブライトさんは一度だけ目を閉じ、開けるとブリッジへ通信を入れた。

 

「ミライ、出航準備を進めてくれ。全区画、固定確認を急がせる。未固定物資は優先順位の低いものから放棄してかまわない」

 

『了解しました。ドック管制との出航同期はまだ許可待ちです』

 

「分かっている。許可が出た時に動けないのが一番まずい。準備だけは終わらせる」

 

 声は硬い。だが、その硬さの下に迷いがあるのが分かった。パオロ艦長から艦を動かせと言われたばかりで、もう基地司令の命令と現場の危険の間に挟まれている。十九歳くらいの人間に背負わせるには、だいぶひどい。十二歳にMSを背負わせる世界なので、今さらではあるが。

 

 セイラさんは避難民区画へ向かう途中で、フラウと短く話していた。フラウは小さい子たちを壁際の固定ベルトに座らせ、泣きそうな顔をしながらも手を動かしている。出航準備の警報が鳴るたびに子どもたちが肩を跳ねさせ、そのたびにフラウが「大丈夫」と言う。大丈夫かどうかは誰にも分からない。でも言わないと持たない。そういう大丈夫だった。

 

 カイさんはガンキャノンの近くにいた。整備員に何か説明されて、顔を引きつらせている。

 

「いやいや、待てよ。何で俺がこっち側に寄せられてるんだ。見学だろ、見学。まだ乗るとは言ってないぜ」

 

「非常時の搭乗候補です。座席調整だけ確認します」

 

「非常時って言葉で何でも通すなよ。軍隊ってやつは、便利な言葉を持ってるな」

 

 口は逃げているのに、足は完全には逃げていない。ハヤトはガンタンクの前で、カイさんよりずっと静かだった。整備員から操作説明を受け、何度か頷いている。顔は青い。だが、砲手席の位置を見上げる目だけは逃げていなかった。急に勇敢になったわけではない。ただ、自分にも何かできるかもしれないという考えが、怖さと同じ場所に入り込んでしまったのだろう。

 

 次の瞬間、外壁側から低い振動が来た。音というより、基地全体が一瞬だけ歯を食いしばったような揺れだった。ドックの照明が瞬き、警戒灯が赤から濃い赤へ変わる。

 

『第三外壁で小規模爆発! 隔壁制御に異常!』

『救助班、進入不能!』

『外部より熱源反応、微弱。工作の可能性あり!』

 

 ワッケイン司令の声がすぐに飛ぶ。

 

「隔壁を手動閉鎖へ切り替えろ。誘爆区画を切り離せ。基地防衛隊を外周へ回せ。ホワイトベースは積み替えを中止。固定済みの物資だけで出航準備に入れ」

 

 ブライトさんが一歩前に出た。

 

「出航許可は」

 

「まだ出していない」

 

「このままドック内に留まれば、ホワイトベースも巻き込まれます」

 

「分かっている。だから準備に入れと言った。だが、無断発進は許可しない。MSの出撃も同じだ」

 

「敵が接近している可能性があります」

 

「可能性で機密機を勝手に出すな。こちらで確認する」

 

 正しい。正しいが、遅い。いや、ワッケイン司令が遅いのではない。軍規と基地防衛の手順が、緊急時の即応とは噛み合わない。俺は外壁側を見た。冷たい圧が少し濃くなっている。名前を口に出せない。出せないが、頭の中では赤い機体の影が浮かんでいた。

 

 アムロがリュウさんを見た。

 

「乗らないんですか」

 

「乗せたいわけじゃねえ」

 

「でも、このままじゃ」

 

「分かってる」

 

 リュウさんは短く答え、ブライトさんの方へ声を上げた。

 

「ブライト、二号機と一号機のパイロットを待機位置へ移す。乗せるかどうかは命令を待つ。だが、今の位置に置いとくより早い」

 

 ブライトさんは一瞬だけワッケイン司令を見た。ワッケイン司令は表情を変えない。

 

「搭乗ではないな。待機位置への移動なら認める。だが、封鎖は継続だ」

 

「ありがとうございます」

 

 ブライトさんは頭を下げた。反抗ではない。ぎりぎり許された線の上で、艦を動かすために頭を下げている。たぶん、これが艦長席というやつなのだろう。格好いい椅子ではなく、嫌な判断を積む場所だ。

 

 俺たちはMSデッキへ移動した。微小重力の中、手すりを伝って身体を押し出す。衛兵がついてきたが、リュウさんが間に入っているせいで、俺たちを掴むまではしない。2号機の前でアムロが足を止めた。白い装甲、まだ残る戦闘の跡、調整の終わったライフル。アムロの目が機体を見る目に変わる。父親の所在不明で揺れていた少年が、機械の前だけ異様に具体的になる。これがアムロ・レイだ。俺が絶対に食ってはいけない主人公性でもある。

 

 俺の前には、黒く仕上がった1号機がいた。顔と首、腰に残った白。胸の青と赤いダクト。肩から四肢にかけて沈む黒。左腕には黒いシールド、右側にはビームライフルの接続架。サイド7で壁に寄りかかり、倒れないように動いていた黒赤のプロトタイプではない。完全ではない。だが、これはもう黒いガンダムだった。

 

 ジョブ・ジョンが端末を押しつけるように差し出した。

 

「レン、制限だけ聞いてください。右脚の応答遅延は補正済みですけど、急な切り返しで遅れます。左腕は出力六割五分。シールド保持はできますけど、長時間の踏ん張りと格闘負荷は駄目です。ビームライフルは連射禁止。三発続けて撃つと警告が出ます。無視しないでください」

 

「無視したら?」

 

「左腕か肩か、最悪バランス制御が飛びます」

 

「了解。完全じゃない方がむしろ慣れてる」

 

「それ、慣れちゃ駄目なやつだと思います」

 

「俺もそう思う」

 

 軽口を返しながら、喉の奥が少し乾いていた。乗ればまた戦場だ。しかも相手はたぶん、あの赤い彗星。名前を出さなくても、身体が先に知っている。前世で画面越しに見ていた時は格好いいライバルだった。現地民としては普通に怖い。何なら来ないでほしい。

 

 再び振動が走った。今度は明確に爆発音が混じった。ドックの一部照明が落ち、非常灯に切り替わる。

 

『ドック固定具、二番系統異常!』

『ホワイトベース係留アーム、圧力低下!』

『外部熱源、接近。数、三。うち一機、高速』

 

 ブライトさんの声が艦内に響いた。

 

『全員、出航配置。ミライ、ドック管制と同期を取れ。リュウ、アムロとレンを搭乗待機。カイ、ハヤトは指示があるまで機体近くで待機。セイラ、避難民区画の固定確認を頼む』

 

 ワッケイン司令の通信が重なる。

 

『ホワイトベース、こちらルナツー司令。ドック損傷拡大。これ以上の係留は、艦および基地双方に危険と判断する。出航を許可する。ただし、許可なくルナツー管制外でMS戦を行うな』

 

 ブライトさんの返事は、ほんの一拍だけ遅れた。

 

『了解しました。ホワイトベース、出航します』

 

 その一拍に、パオロ艦長の寝台と、ワッケイン司令の視線と、ミライさんの落ち着いた声と、リュウさんの苦い顔が全部乗っている気がした。正式ではない艦長が、初めて自分の声で艦を動かす。そういう瞬間だった。

 

 リュウさんが俺たちを見た。

 

「二人とも、搭乗しろ。出撃命令はまだだ。だが、いつ来ても動けるようにしておけ」

 

 アムロが歯を食いしばる。

 

「結局、乗るんですね」

 

「乗せたくて乗せるんじゃねえ。乗せなきゃ沈むかもしれねえ。文句は戻ってから聞く。生きて戻ったらな」

 

「そういう言い方、ずるいです」

 

「大人はずるいんだよ。覚えとけ」

 

 俺はハッチへ向かいながら、黒い装甲に手を触れた。冷たい。塗装が終わったばかりの外装は、警戒灯を受けて赤く光っている。サイド7で守っただけの機体が、ルナツーで戦う形になった。俺が望んだのか、望まされたのか、たぶん両方だ。

 

「レン」

 

 アムロが2号機のハッチ前で振り向いた。

 

「無理するなよ」

 

「それ、こっちの台詞。アムロこそ、機体に食われるなよ」

 

「食われるって何だよ」

 

「なんとなく。今のは忘れて」

 

「忘れられるか」

 

 短いやり取りだったが、少しだけ息がしやすくなった。俺はコックピットに滑り込み、シートへ身体を固定する。表示が立ち上がる。右脚補正、左腕出力制限、ライフル接続、シールド保持。警告はある。だが、サイド7の時よりずっと少ない。あの壊れかけを倒さないようにしていた時とは違う。今の1号機は、制限付きでも戦える。

 

 ホワイトベースが動き始めた。係留アームが外れ、ドックの壁がゆっくり遠ざかる。振動が艦体を通じて伝わり、画面の端でルナツーの外壁が流れていく。安全地帯のはずだった基地は、警戒灯と煙と作業光にまみれていた。安全な場所なんて、たぶん最初からなかったのだろう。あるのは、次に死なないための場所だけだ。

 

『ホワイトベース、ドックを離脱。外部熱源、接近中』

 

 ミライさんの声が落ち着いているのが、逆に怖い。

 

『映像、出ます』

 

 メインモニターの一部に、宇宙の黒が映った。星の間に、小さな光点が三つ。そのうち一つが、他より速く角度を変える。

 

 赤い機影が、ルナツーの影から滑り出てきた。

 

 俺は操縦桿を握り直した。口には出さない。名前も呼ばない。ただ、黒いガンダムの中で、次に来る衝撃に備えた。

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