ホワイトベースは、ルナツーの影から押し出されるように宇宙へ出た。出航というより、追い立てられて外へ出されたに近い。艦内の物資固定はまだ完全ではなく、格納庫の通信には「そこ押さえろ」「固定ピンが甘い」「今その箱を開けるな」という声が混ざっている。ブリッジ側も落ち着いているはずがない。ミライさんの声はいつも通り穏やかに聞こえるのに、その後ろでオペレーターが敵影と姿勢制御を読み上げ続けていた。
『外部熱源、三。うち一機、高速接近。ルナツー管制より、周辺宙域で戦闘行動を確認』
『ミライ、艦をルナツー外壁から離せ。遮蔽を失うが、今の距離で爆発に巻き込まれる方が危険だ』
『了解。進路を地球降下軌道側へ振ります。ただし、加速中に敵の射線へ入ります』
ブライトさんの返事は少し遅れた。たぶん、一瞬だけワッケイン司令の許可範囲を考えたのだろう。だが、敵が来ている。ルナツーは背後で損傷処理中。ホワイトベースは出たばかり。ここで迷いすぎれば艦が撃たれる。
『アムロ、発進準備。レン、続け。二機でホワイトベース前方を押さえろ。ただし、深追いはするな』
命令が来た。
硬い声だった。慣れた艦長の声ではない。若い人間が、迷いを喉の奥で噛み殺して出した声だ。それでも命令は命令だった。
『アムロ、ガンダム、行きます』
アムロの声が通信に乗る。白い2号機がカタパルトから押し出され、宇宙へ出た。映像の中で白い装甲が一瞬だけルナツーの作業光を拾い、そのまま黒へ滑り込む。動きが速い。速いだけではない。サイド7の時より、機体とアムロの間にある隙間が減っている。マニュアルを読んだだけであれを動かした少年が、もう戦闘の中で機体を自分の手足に近づけている。やっぱりアムロ・レイはおかしい。褒めている。褒めているが、同じ側にいると基準が狂うので困る。
『レン、出られるか』
リュウさんの声が格納庫側から入る。
「出ます。右脚と左腕は制限あり。ライフル連射禁止。分かってます」
『分かってるなら無茶するな。お前ら二人とも、分かってる顔で無茶するから信用ならねえ』
「信用って大事ですよね」
『口が回るなら出ろ。生きて戻れ』
「了解。レン・イズミ、1号機、出ます」
カタパルトが機体を押した。黒い1号機がホワイトベースの腹から宇宙へ放り出される。瞬間、体がシートに沈み、次にふっと軽くなる。サイド7では壁や床に頼っていた。ホワイトベース上では固定具に支えられて撃った。今度は違う。何もない。手すりも壁もない。黒い1号機が、初めて自分の推進で宇宙を動く。
右脚の遅れが、すぐに来た。姿勢制御が補正を入れ、機体がわずかに右へ流れる。サイド7の壊れかけとは比べ物にならないほど安定している。それでも、完全な2号機ではない。俺は腰のスラスターを短く吹かし、右脚の遅れを先に読んで機体の向きを逃がした。完全じゃない方がむしろ慣れている。そう思った直後に、それに慣れている十二歳って何だよと自分で突っ込みたくなった。宇宙世紀、子どもの経験値の積ませ方が雑すぎる。
モニターの中で、三つの敵影が広がった。先頭の赤い機体が角度を変え、残り二機がホワイトベースの進路を挟むように散る。赤い。前世で何度も見た色。画面越しなら格好いい。現地で見ると、普通に胃に悪い。速い機体というのは、それだけで怖い。こちらの照準より先に、相手が次の場所へいる。
『白いMSが出た。黒いのもいるぞ』
『サイド7の報告にあった黒い新型か』
『慌てるな。白い方を止める。黒い方は木馬へ近づけさせるな』
敵通信。ノイズ混じりに流れてきただけだ。だが、ジオン側がこちらをどう見ているかは分かる。白いMSと黒いMS。まだそれだけでいい。ガンダムという名前を知られきっていない間は、こちらの得体の知れなさが武器になる。
赤いザクが白い2号機へ向かった。アムロの反応が遅れる。いや、遅いというより、相手が速すぎる。赤いザクの射線を避けた白いガンダムが、ビームライフルを構える。撃つ。赤い機体はもうそこにいない。だが、外れた一発は無駄にならなかった。後続のザクの進路がずれ、ホワイトベースへの射線が一瞬だけ切れる。
『アムロ、敵をホワイトベースから離せ。レン、右のザクを押さえろ』
「了解。右、行きます」
俺は黒い1号機を右へ振った。右脚の遅れを嫌って大きく蹴りすぎない。宇宙で脚と言っていいのかは微妙だが、AMBACの癖は残る。右がわずかに遅れ、腰が先に流れたところで、敵ザクのマシンガンが走った。黒いシールドを左に出す。弾が当たり、警告が鳴る。
「分かってる。そんなに受けない」
分かってはいるが、怖いものは怖い。左腕は六割五分。盾は持てるが、頼りすぎると肩が負ける。俺は受け続けず、シールドを斜めに流して弾を逸らし、ビームライフルを一発だけ撃った。狙いはザク本体ではない。進路の前。敵がそのまま来れば当たる場所。ザクが嫌がって減速し、ホワイトベースへの接近角が崩れた。
「連射できないから、そんなに怖がらないでほしいんだけどな」
口ではそう言ったが、怖がってくれるなら助かる。俺は二発目を撃たない。撃ちたいが撃たない。ここで連射して肩か出力系を痛めたら、後で詰む。ビームライフルは強い。強いが、今の1号機では雑に撃つ武器ではない。射線を作る武器だ。
白い2号機が、赤い機体の攻撃をぎりぎりでかわした。アムロの呼吸が通信に混ざる。
『速い……でも、見えないわけじゃない』
『アムロ、無理に追うな。ホワイトベースを守れ』
『分かってます。でも、あいつを放っておいたら』
アムロの声が途中で切れた。白いガンダムが一気に向きを変える。赤いザクを追ったのではない。別のザクがホワイトベースの側面へ回ろうとしていた。その進路に、アムロが割り込んだ。反応が速い。さっきまで赤いザクに振り回されていたのに、もう戦場全体を見始めている。
俺は右のザクの進路をもう一度ずらす。ザクは俺を避けて下へ潜ろうとした。そこがアムロの射線に重なる。
「アムロ、右下、流す」
『見えてる』
返事と同時に、白い2号機のビームライフルが光った。ザクの肩から胸にかけて光が走り、機体が弾ける。爆発がホワイトベースから離れた位置で広がった。撃墜。アムロの一撃だ。俺は射線を作っただけ。これでいい。これがいい。MSの主戦力はアムロであるべきだ。俺は黒い1号機で、別の角度から戦場を崩す。
『ザク一機、反応消失!』
『白いMS、やはり危険だ。黒い方も動きが読みにくい』
ノイズの向こうで、低い声が短く命令を出した気がした。赤い機体が急に角度を変え、アムロではなく俺の方へ一瞬だけ向いた。モニター越しなのに、視線を向けられた気がした。冷たい圧が来る。サイド7の時よりはっきりしている。シャアだ。
「こっちを見るなよ、まじで」
赤いザクが撃った。俺は避ける。避けたつもりだった。だが右脚の遅れが、ほんの少しだけ姿勢を引っ張る。ビームではなく実弾。弾がシールドの縁を叩き、左腕に負荷が跳ねた。
「っ、くそ。今のは俺が悪い」
完全に読まれた。右脚の癖を見られたのか、たまたまか。どちらにしても、相手が悪い。俺はシールドを戻しすぎず、左腕の角度を固定する。無理に受けない。逃げる。だが、赤い機体は追い込む角度で来る。アムロへ行くと見せて俺に圧をかけ、俺が下がるとホワイトベースへの射線が開く。うまい。上手すぎる。前世で見た時は「シャアすごい」で済んだが、現場でやられると腹が立つくらい嫌らしい。
『レン、下がりすぎるな。艦の射線が開く』
ブライトさんの声が飛ぶ。
「分かってます。開けないように下がってます」
『ならいい。……いや、よくはないが、続けろ』
命令の途中で本音が漏れている。余裕がないのが分かる。ミライさんの声がすぐに続いた。
『主砲、照準。敵赤色機に直接は難しいです。進路制限で撃ちます』
『撃て』
ホワイトベースの砲撃が赤い機体の前を塞いだ。直撃ではない。だが、赤い機体は大きく回り込まざるを得なくなる。その一瞬で、アムロが残るザクへ詰めた。ザクが後退する。白い2号機の動きは荒い。だが、荒さの中で反応だけが異常に伸びていく。ザクのマシンガンをかわし、シールドで一部を受け、ビームサーベルを抜く。近い。近すぎる。アムロはその距離にもう入っている。
『来るな、白いの!』
ザクがヒートホークを構える前に、白い光が走った。腕が飛び、機体が回転する。撃墜ではない。だが戦闘不能だ。アムロは追撃しなかった。ホワイトベースの前に戻る。戻り方もさっきより速い。戦いながら、帰る場所まで覚えている。
俺の方は赤いザクに追い切られてはいなかった。追い切らせなかった、と言いたいところだが、正直かなり危なかった。黒い1号機はよく動く。サイド7の時とは別物だ。だが、2号機ほど素直ではない。右脚の遅れ、左腕の負荷、ライフルの制限。俺が合わせられるから動けているだけで、機体の余裕は薄い。ガンキャノン以上、ガンダム未満。数字ではなく、こういう感触で分かるのは嫌なものだった。
『ガンキャノン、射撃支援に入るぞ! いや、入れって言われたから入るんだからな!』
カイさんの声が通信に割り込んだ。直後、ホワイトベース近くからキャノン砲が放たれる。狙いは甘い。だが、赤い機体の追撃線を切るには十分だった。
「カイさん、助かりました」
『助かったとか言うな! こっちは手が震えてるんだよ!』
『ガンタンク、艦後方、牽制します』
ハヤトの声は固かった。ガンタンクの砲撃が、さらに遠い位置へ一発入る。こちらも撃墜を狙ったものではない。だが、ジオン側がホワイトベースの後方へ回る隙を潰す。急に熟練になったわけではない。怖さを抱えたまま、決められた方向へ撃っている。今はそれで十分だった。
ルナツー側の対空砲も動き始めていた。外壁損傷の処理をしながら、それでも基地防衛の火線が伸びる。赤い機体はその火線とホワイトベース隊の間を縫った。縫えるのがおかしい。だが、さすがに長居はしない。白い2号機、黒い1号機、ホワイトベースの砲撃、ルナツーの防衛火器。条件が悪くなりすぎている。
赤いザクが距離を取った。
『深追いするな。木馬は出た。白いMSに加え、黒いMSも戦力化している。ここで失うには情報が惜しい』
拾えたのは断片だけだった。それでも十分だった。撤退する。完全に勝ったわけではない。こちらも相手を落とし切れていない。シャアは格を落とさず、目的の一部を果たし、こちらの情報を持って帰る。嫌な撤退だ。倒せない敵というのは、ただ逃げられるだけでも胃に悪い。
アムロが追おうとする気配を見せた。
「アムロ、追うな。ホワイトベース優先」
『分かってる。分かってるけど、あいつ』
「俺も分かる。でも今追ったら、たぶん戻れない。あいつは追わせるのもうまい」
少し間があった。
『……分かった』
白い2号機が向きを戻す。俺はほっと息を吐いた。自分が追いたくなかったと言えば嘘になる。前世知識があるからこそ、今ここでシャアをどうにかできたらと思う気持ちはある。だが無理だ。今の1号機でシャアを追い切るのは危険すぎる。しかもホワイトベースは地球降下準備へ向かわなければならない。優先順位を間違えれば、知っている未来よりもっと悪くなる。
『敵機、離脱。ルナツー管制より、ホワイトベースは現宙域を離れ、降下ルートへ移行せよとのことです』
ミライさんの声が、少しだけいつもより柔らかく聞こえた。
『アムロ、レン、帰艦しろ。カイ、ハヤトもそのまま待機。損傷確認を急げ』
ブライトさんの命令に、俺は短く返事をした。黒い1号機をホワイトベースへ戻す。右脚はまだ少し遅れる。左腕には警告履歴が残っている。ライフルの残弾と出力ログも余裕があるとは言えない。それでも、帰れる。サイド7で壊れかけを引きずった時とは違う。戦って、戻れる。そこに少しだけ、嫌な安心があった。
帰艦直前、俺は一度だけ後方を見た。ルナツーの影が遠ざかり、そのさらに向こうで赤い機影が小さくなる。見えなくなる寸前、その赤がこちらを見ているような気がした。白いMSと黒いMS。シャアはたぶん、俺たちをそう覚えた。まだ名前も、機体名も、パイロットも知らない。ただ、二機いると知った。それだけで、この先の戦場は少し変わる。
ホワイトベースはルナツー宙域を離れていく。
次は地球だ。
前世で見た映像なら、次の展開を知っていると言えたかもしれない。だが今は、黒い1号機の警告音と、白いガンダムの帰還信号と、艦内に残る避難民の息遣いがある。画面の向こうではない。俺たちは本当に、地球へ落ちていく。