黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第3話 普通の子どもって難しい

 生存戦略は、足元から。

 

 そう決めた俺の日常は、表面上はあまり変わらなかった。

 

 朝起きる。顔を洗う。ご飯を食べる。野菜で少しだけ負けそうになる。父さんがいる日は制御教材を見る。母さんがいる日は端末時間を管理される。外に出れば、同じ年頃の子どもたちと走り回る。

 

 文字にすると、完全に普通の子どもである。

 

 実際、周りから見てもたぶんそうだったと思う。少し機械が好きで、少し物覚えがよくて、少し手がかからない子ども。たまに妙なことを言うが、まあ子どもだからで流される範囲。

 

 この「範囲」を守るのが、一番難しかった。

 

 本気でやりすぎると変な子になる。かといって何もしなければ、九年後にたぶん死ぬ。いや、九年後という数字も前世知識からのざっくり計算であって、細かい日付まで完璧に覚えているわけではない。そこがまた嫌だった。

 

 知っている。

 

 でも全部は知らない。

 

 これが地味にきつい。

 

 前世のネット小説なら、未来の年表を完全暗記している主人公もいた。歴史の流れ、人物の動き、事件の日付、重要アイテムの場所。全部分かっているから、最短距離で動けるやつだ。

 

 俺は違う。

 

 初代ガンダムの大筋は知っている。サイド7襲撃、アムロ、シャア、ホワイトベース、ガルマ、ランバ・ラル、ジャブロー、ソロモン、ア・バオア・クー。そういう大きな流れは頭にある。

 

 だが、サイド7のどの通路を誰が通ったか。襲撃当日に何時何分にどの区画で爆発が起きるか。RX-78の各機が正確にどこに置かれているか。そんなものは知らない。

 

 そもそもこの世界が、俺の知っているTV版そのままなのかも分からない。

 

 つまり未来知識は便利だが、攻略Wikiではない。しかも更新停止しているうえに、たぶん別バージョンの情報が混ざっている。何それ怖い。せめてパッチノートくらい置いておいてほしかった。

 

 だから、未来知識だけに頼るのは危ない。

 

 できることは、今いる場所を覚えることだった。

 

 ……と言うと、なんだか真面目な訓練っぽいが、実際にやっていることは鬼ごっこである。

 

 鬼ごっこで逃げ道を覚える。床の線を見る。作業員の動きを見る。遊具に登るふりをして手すりの高さを確かめる。

 

 いや、完全に遊びの顔をした地味トレである。

 

 この年齢の遊びに「避難経路確認」を混ぜるな。俺が言うのも何だが、発想が怖い。

 

 でも便利なのだから仕方ない。走れる。曲がれる。逃げ道を探せる。誰がどこから来るかを見る癖がつく。手すりや壁の位置も覚えられる。鬼ごっこ、実はかなり優秀だった。前世の体育教師に言われても絶対に信じなかったと思う。

 

 ただし、勝ちすぎてはいけない。

 

 毎回最短ルートで逃げる。毎回相手の動きを読んで避ける。毎回転ばない。そんな子どもは怖い。俺なら怖い。

 

 だから、時々わざと捕まる。時々転ぶ。時々変な方向へ逃げる。

 

 ……これが意外と難しい。

 

 人間、分かっている失敗をするのは気持ち悪い。右へ行けば逃げられると分かっているのに、わざと左へ行く。滑りそうな床を見ているのに、少しだけ足を取られる。前世の社会人経験が、まさか子どもの遊びで負けるために使われるとは思わなかった。

 

「レン、こっちこっち。あっちから回れば逃げられるって」

 

 同じ居住ブロックの子どもが、広場の低い遊具の向こうから手を振った。

 

 俺は一瞬だけ周囲を見た。右側には柱。左側には低い壁。背後からは鬼役の子が一人。正面の通路は広いが、広いからこそ別の子に回り込まれやすい。

 

 完全に挟まれる配置である。

 

「そっちは逃げ道っぽく見えるけど、たぶん先に回り込まれるやつだよ。行くなら柱の方からぐるっと……いや、やっぱり今のなし。なんか俺、また変なこと言ってる」

 

「レンって、たまに大人みたいなこと言うよな。遊んでるだけなのに、なんで道の話になるんだよ」

 

「父さんが、広い道はみんな使うから混むって言ってた。たぶん。言ってなかったかもしれないけど、言ってたことにしておいて」

 

 便利だな父さん。

 

 俺の中では、父さんがどんどん万能言い訳素材になっていく。ごめん父さん。たぶん言ってない。

 

「じゃあ広い方じゃなくて、柱の方?」

 

「本当はそう。でも、俺がそう言うと作戦っぽくなるから、今の俺たちは何も考えずに走ったことにしよう」

 

「へんなの。じゃあ走ろうぜ」

 

 結果、俺たちはまとめて捕まった。

 

 捕まった子どもたちは笑っている。俺も笑った。こういう時、ちゃんと笑うのは大事だ。内心で「索敵が甘い」とか考えてはいけない。いや、考えてはいるのだが、顔に出してはいけない。

 

 普通の子ども。

 

 普通の子ども。

 

 自分に言い聞かせる。

 

 広場の端には、まだ開放されていない通路がある。壁には工事中を示す表示。少し離れた場所には、資材を運ぶ小型リフトの出入口。作業服の大人たちが通る時間帯も、だいたい決まっている。

 

 そんなものを見ていると、また別の子が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。

 

「レン、また上とか床とか見てる。何かあるの?」

 

「ひかるやつ。これ、たぶん警報が鳴ったら光るんだよ。どこまで続いてるのかなって」

 

「警報なんて鳴らないよ。鳴ったら先生が来るし」

 

「まあ、鳴らないのが一番いいんだけどさ。鳴った時にどっち行くか分からないと、たぶんみんなでわーってなるでしょ」

 

「わーってなったら、レンが先に行ってよ。なんか知ってそうだし」

 

「俺を先頭にするのはやめよう。俺、たぶん迷子にならないようにするので精いっぱいだから。みんなを連れていくとか、責任が重い」

 

「せきにん?」

 

「なんでもない。大人っぽい言葉を使ってみたかっただけ」

 

「やっぱりへんなの」

 

 変なの。

 

 実に便利な言葉である。

 

 子どもが少し変なことを言っても、「変なの」で済む。大人が言えば不審だが、子どもなら不思議がっているだけに見える。俺はこの言葉に何度も救われた。

 

 変な子。

 

 でも危ない子ではない。

 

 天才ではない。

 

 不気味でもない。

 

 その辺りに収めるのが目標だった。

 

 家では、父さんの教材が少しずつ増えた。

 

 最初は小さな制御ユニットだけだった。次に、入力の種類を切り替えられるもの。光センサー、圧力センサー、温度センサー。さらに、小さな警告灯と連動する教材。子ども向けなので危険はないが、仕組みはちゃんとしている。

 

 父さんは、教材を渡すたびに同じことを言った。

 

「レン、動かす前に見るんだ。スイッチを押すことより、押していい状態かどうかを見られる方が大事だ。機械はな、動かせる人間より、止めどころを分かっている人間の方が信用される」

 

 子ども向けにしては、話が重い。

 

 だが父さんの口調は穏やかだった。難しいことを言っている自覚はあるのか、教材の小さなアームを指で示しながら、なるべく簡単な言葉を選んでくれている。

 

「動かすより、止める方が大事なの?」

 

「どちらも大事だ。ただ、動かす方は楽しい。だからみんな覚えたがる。でも止める方は地味だ。地味なところを雑にすると、機械は人に怪我をさせる。父さんの仕事も、派手にすごいものを動かすというより、毎日ちゃんと動いて、ちゃんと止まるようにすることが多いな」

 

 父さんは少しだけ苦笑した。

 

「まあ、格好よくないと言い切ると父さんも少し寂しいが」

 

「じゃあ父さんは、地味ですごい」

 

「褒めているのか、それは」

 

「褒めてる。たぶん」

 

「たぶんを付けると怪しくなるな」

 

 父さんは笑って、教材のスイッチを入れた。小さなアームが動き、警告灯が一度だけ点滅する。単純な動きだが、入力から制御、出力までが見えるように作られている。

 

 宇宙世紀の技術教育、普通にすごい。

 

 戦争に使わなければ、もっと素直に感動できたと思う。

 

「思った通りに動いた時も、そこで終わりにするな。うまく動いたなら、なぜうまく動いたのかを見る。失敗した時だけ原因を探す人間は多いが、成功した時の理由を見られる人間は強い」

 

「成功したのに、まだ見るの? うごいた、やったー、じゃだめ?」

 

「気持ちは分かる。父さんも、やったーで終わりにしたい時はある」

 

 あるのか。

 

 技術少佐にも、やったーで終わりたい瞬間があるらしい。ちょっと安心した。

 

「だが、『動いたからいい』で終わらせると、次に同じことをした時に失敗する。機械は気分で動いているわけじゃないからな。動いた理由も、止まった理由も、必ずどこかにある」

 

「きぶんで動いたら?」

 

「その機械は点検が必要だ。あるいは作った人間が点検される」

 

 父さんの冗談が地味に怖い。

 

 いや、実際に宇宙世紀の機械が気分で動いたら笑い事ではない。コロニーとかモビルスーツとか、気分屋になられたら困る。絶対に困る。

 

 父さんは機械の話をしている。

 

 でも俺には、それが歴史改変の話にも聞こえた。

 

 うまくいった時ほど怖がる。

 

 もし将来、俺が何かを変えられたとして、それで安心してはいけない。助けたつもりで別の何かを壊すかもしれない。生かしたことで、もっと悪い未来につながるかもしれない。

 

 重い。

 

 父さん、子ども向け教材で人生の難易度を上げないでほしい。

 

「レン、また顔が難しくなっているぞ。今のは、そんなに怖い話ではない。小さい機械でも大きい機械でも、見る、考える、無理をさせない。まずはそれだけ覚えておけばいい」

 

「でも、見るところいっぱいある。ぜんぶ見てたら、ずっと終わらない」

 

「その通りだ。だから順番を決める。全部を同時に見ようとすると、結局何も見えなくなる。まず危ないところ、次に壊れやすいところ、最後に自分が触ったところだ」

 

「自分がさわったところも見るの?」

 

「そこが一番怪しいこともある。人は、自分の作業は正しいと思いたがるからな。大人だって間違える。大人は間違えないふりが少し上手いだけだ」

 

「それ、だめじゃない?」

 

「駄目だな。だから父さんは、レンには間違えた時に見直せる人になってほしい」

 

 父さんはそう言って、教材の電源を切った。

 

「今日はここまでだ。まだやりたい顔をしているが、できると思った時ほど休む。疲れた頭で続けると、分かったつもりだけが増える」

 

「それはずるい。父さん、正しいことを言ってやめさせるの、ずるい」

 

「正しいことは便利だからな」

 

 ずるい。

 

 和泉家、正論が強い。

 

 母さんの安全教育も、日常に混ざって続いた。

 

 ただし、母さんの場合は父さんより生活感が強い。機械の仕組みではなく、人がどう動くか、どう慌てるか、どこで転ぶか。そういう現場寄りの話が多かった。

 

 外へ出る前、母さんは俺の服の襟を直しながら言った。

 

「レン、警報が鳴った時に最初に見るのは、走る方向じゃなくて表示よ。慌てて走る子ほど、だいたい一番危ない方に行くの。これは大人でも同じ。急いでいる人ほど、自分が見たいものしか見なくなるわ」

 

「じゃあ、まず色を見る。赤なら止まる。黄色なら注意。あと、母さんが怖い顔をしてたら絶対止まる」

 

「そこは覚えなくていいけれど、覚えているなら役には立つわね」

 

 母さんは少しだけ笑った。

 

 こういう時の母さんは優しい。だが、言っている内容は普通に現場の話だ。子どもの外出前の注意というより、新人作業員への安全講習に近い。

 

 俺、幼児だよな?

 

 いや、助かるけど。

 

「搬入区画の近くでは、荷物を見ている人より、荷物を見ていない人に気をつけなさい。荷物を見ている人は自分の危険を分かっているけど、端末を見ながら歩いている人は、あなたを見ていないことがあるから」

 

「見てない大人は、こわい」

 

「そう。大人だから安心、ではないの。忙しい大人は、たまに子どもより周りが見えていません」

 

「それ、言っていいの?」

 

「家の中だけにしておきなさい」

 

 母さんはさらっと言った。

 

 なかなか辛辣である。

 

 父さんといい母さんといい、和泉家の大人は子どもに対して妙に現実的だ。甘やかしていないわけではない。ちゃんと心配してくれるし、食事も怪我も見てくれる。だが、それはそれとして「現場は危ない」という認識が強い。

 

 サイド7で暮らすなら、たぶん正しい。

 

 建設途中のコロニーで、しかも軍関連施設がある。安全教育は大事だ。前世の俺なら、母さんはしっかりした親だなと感心していたと思う。

 

 今の俺は、その注意を全部頭に叩き込んでいた。

 

「避難誘導が光ったら、光っている方に行く。でも、人が多すぎたら別の道も見る。えっと、知らない扉には入らない。作業服の人が急いでる時は、邪魔しない。でも困ったら、横から大きな声で呼ぶ」

 

「よく覚えているわね。レンは覚えるのが早いけれど、早い子ほど自分はできると思って急ぐことがあります。急ぎそうになったら、一度足を止めなさい。止まるのも行動のうちです」

 

 止まるのも行動。

 

 また人生に使えそうな言葉が増えた。

 

 俺の幼少期、教訓が多すぎないか。三歳児向けの人生講座ではない。いや、今の俺には必要なのだが。

 

 それでも、こういう会話は嫌いではなかった。

 

 前世の記憶があるせいで、俺は両親にべったり甘えることが難しい。中身三十五歳で「だっこ」とか「さみしい」とか言うのは、かなり精神に来る。もちろん外面として必要なら言うが、積極的にやりたいものではない。

 

 だから、距離感は少し変だったと思う。

 

 子どもにしては手がかからない。泣きわめかない。聞き分けがいい。質問は多いが、無茶は少ない。両親から見れば、育てやすい子だったのかもしれない。

 

 俺自身も、両親が忙しくて家にいないことに、そこまで寂しさは感じなかった。前世の記憶があるからだ。自分の中に大人の感覚が残っているせいで、親に構ってもらえないと耐えられない、みたいな気持ちは薄い。

 

 ただ、それは両親を嫌っているのとは違う。

 

 父さんは忙しいのに教材を用意してくれる。母さんは疲れていても食事や怪我や端末時間を見てくれる。二人とも仕事優先ではあるが、俺を邪魔にしているわけではない。

 

 この家は、冷え切っていない。

 

 その事実は、思っていたより俺の中に残った。

 

 だから、守れるなら守りたい。

 

 そう思ってしまうくらいには、俺はこの家が嫌いではなかった。

 

 もっとも、そのためにやっていることは、今のところ鬼ごっこと教材と警報表示の確認である。

 

 地味。

 

 圧倒的に地味。

 

 宇宙世紀を生き残るための訓練というより、親に見守られながら元気に遊ぶ子どもでしかない。いや、見た目はそれで正解なんだけど、内心との落差がひどい。

 

 俺は今日も広場を走り、わざと少し捕まり、父さんの教材を見て、母さんに端末時間を止められる。

 

 ザクもジオンもシャアも、まだ遠い。

 

 今の敵は、野菜と、端末時間と、普通の子どもらしさだ。

 

 ……モビルスーツに乗る前から、難易度の方向性がおかしい。

 

 生存戦略は、まだまだ地味である。

 

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